天まで昇れ
文鳥
天まで昇れ
土手の上から下に向かって歩くと、中途半端な丈で切られた葦が踏まれて曲がり、気を抜くと転びそうになる。やっとの思いで降りるとすでにそこそこの人数が集まっていた。ジャンパーのポケットに入れていなければ手がかじかむような寒さにもかかわらず、皆楽しげで、少しくぼんだ一帯には活気が満ちている。普段なら好ましく思うはずのそれらが混ざり、黒い何かになって胸の奥に沈んだ。竹に支えられながら足元にお役御免の正月飾りやお札、達磨なんかを従えて、この場の中心にそびえたつ、高さ五メートルに届こうかという黒々とした葦の塔。毎年、地域の小学六年生が火をつけるのが通例で、今年は私たちの番だ。なんとなく後ろめたいのは、葦と場所を調達するための夏の草刈りに参加していないせいだろうか。それとも今朝届いたばかりの紙切れのせいだろうか。
努力に果てなどない。報われるとは限らない。
それでも、脇目も振らずに走ってきたのに、これは酷すぎやしないだろうか。模試の結果が書かれた紙がぐしゃりと嫌な音を立てた。志望校の判定は順番に、D、D、三つ目でようやくC。今の季節でこの結果、絶望的と言わずになんというのか。別に、中学校自体は受験などしなくても行けるのだ。でも。ぐっと唇を噛む。じわりと滲みだした涙がポタポタと紙に染みを作る。そんなときだった。見かねた母が気晴らしに今晩の火祭りにでもいったらどうかと声をかけてきたのは。
きっと、こんなところに来るくらいなら、単語の一つや二つ覚えるべきなのだろう。貰った豚汁をすすりながら思う。それとも、すっぱり諦めるほうが利口なのだろうか。最後の一滴まで飲み干して、発泡スチロールの白い容器と割り箸を備え付けのごみ袋の中に入れる。すると、役員のおじさんが火付け役を招集する声が聞こえた。私を含めて六人の子供が集まり、火のついた松明を渡される。そのままぐるりと葦の塔を取り囲む。
「三、二、一、点火!」
その声を合図に一斉に松明を傾けて、火が葦に移ると同時に立て掛けるように置いて離れる。燃え移った火は瞬く間に葦を駆けのぼって、金色の火柱が紺の空に映えた。
「わあ……」
何度か見たことはあるはずなのに、気圧される。思えば、まじまじと眺めたことはなかったかもしれない。触れることのかなわない、人知の及ばぬ美がそこにあった。破壊の象徴が、生命のように伸縮を繰り返す。まるで竜だ。炎が、神ともいわれるものの姿を真似て、夜空に吼える。瞳が冬の空気と熱気で乾き、奥から湧き出した涙が金色をにじませて視界を染めた。不規則に炎が爆ぜて、パチパチと音を立てる。目元をぬぐい、そうして、気づく。見えない天井の存在に。
きらきらしい鱗の竜がどれだけ身体を伸ばしても、限界があると。掌に爪が食い込むのも構わずに拳を握って目を伏せる。脳裏に、塾の講師や学校の先生の顔が浮かんでは消える。気遣わしげな視線が嫌だった。いっそ笑ってくれればいいのに。彼らの職業柄そんなわけにいかないにしても。でも、一番嫌いなのは。そんな考えを追い出すために視線を上げて、息をのんだ。
少し風が出てきたためか、先程よりも、大きく、激しく、金色が空を焼いた。地に落とされた竜は天に還らんと背をしならせ、首を伸ばす。いや、還りたいわけではないのかもしれない、ただ天に昇らんと、焦がさんと、押さえつける大いなる何かの手を振り払わんと、身をよじり、雄叫びを上げる。
ふと、頭の中に閃くものがあった。私はそれに従って、炎に背を向け、がむしゃらに走り出した。土手を駆けのぼったところで止まり、両膝に手をついて荒い息を整えて、振り向く。
私は家に帰ることにした。結末を見届けないことにした。逃げるわけではない。信じることにしたのだ。きっと竜の爪先は天に届いた。信じるだけならタダだ、それくらいは許されるはず。すっと右腕を持ち上げる。ゆっくり指を伸ばして、また握りこむ。ほんの少し唇の端を持ち上げた。
報われなくとも、爪痕を。かざした手の向こうで、金色の竜が一際大きく咆哮した。
天まで昇れ 文鳥 @ayatori5101
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