第5話 過去の資格
翌朝、梶谷から電話が入った。
「玲奈の部屋から、出たぞ」
低く押し殺した声だった。
「研磨用のハンドピース、歯科用スポンジ、それから瀬川のマウスピース型とほぼ同じ石膏模型。全部、押収した」
僕は受話器を握り直した。
「模型まで……」
「防犯カメラの解析も出た。事件二日前、玲奈は深夜に歯科材料商社の前を訪れている。自動販売機型の無人販売システムから、炭化ケイ素入りの研磨材を購入していた」
梶谷は少し間を置いてから、声を落とした。
「それだけじゃない。玲奈の経歴を洗ったら、昔は有名な歯科技工所に勤めていた。だが五年前、社長の患者情報流出事件で、彼女も巻き添え解雇」
「生活が一変したわけだ」
「ああ。そこから水商売に流れて……瀬川と出会った」
僕は頭の中で時間軸を並べた。
——五年前の技工所解雇。
——三年前、瀬川との関係が始まる。
——半年前、瀬川の妻にバレかけ、手切れ金をちらつかされる。
「梶谷さん、これ……ただの金目当てじゃないかもしれません」
「どういう意味だ?」
「彼女は“自分を切り捨てた男”として瀬川を見ていた可能性がある。技工士としての自分を使い捨てられた過去、その記憶が彼に重なった」
梶谷は鼻を鳴らした。
「つまり、復讐も入ってるってことか」
「ええ。ただ、表向きは事故死に見せかける必要があった」
僕は事件の流れを推測した。
——事件当日、玲奈は昼間に別荘を訪れ、瀬川の昼寝を口実にマウスピースを調整。
——その場で微妙に咬合面を削り、下顎を後方へ誘導する形に加工。
——夜、瀬川が眠りに落ちると、副交感神経が過剰に働き、徐脈と呼吸抑制が進行。
——翌朝、心不全に見える形で発見。
防犯カメラの記録には、さらに決定的なものがあった。
「これを見ろ」
梶谷がタブレットを差し出す。
画面には、ホームセンターの工具売り場で、玲奈が小型のバッテリー式ハンドピースを手に取り、回転具合を確かめている姿が映っていた。
その顔には、仕事の時にしか見せない集中の色があった。
「道具選びの目だな」僕は呟いた。
「プロの犯行ってやつだ。……まさか歯の高さひとつで人を殺せるなんて、普通は思わねえ」
「だからこそ“死角”なんですよ」
その日、玲奈は任意同行を求められた。
取調室の中で、彼女は終始落ち着いていた。
「私がそんなことする理由がどこにあるんですか?」
柔らかい笑みを浮かべるが、指先は小刻みに動いている。
梶谷は机に証拠写真を並べた。
「これはあんたの部屋から出たマウスピースの模型。研磨痕のパターンが瀬川の物と一致してる」
玲奈は一瞬だけ目を伏せた。
「……それは、仕事の練習用です」
「仕事? 今のあんたにそんな仕事はないはずだがな」
僕はそっと付け加えた。
「玲奈さん、咬合面の調整は繊細だ。意図的に下顎を後ろに押し込む形にするなんて、素人にはできない」
「……」
「これは、あなたが歯科技工士だったからこそできた殺人なんです」
その瞬間、彼女の笑みがかすかに揺らいだ。
梶谷はその隙を逃さず、さらに証拠の山を積み上げた。
玲奈は黙り込み、やがてゆっくりと顔を上げた。
「……あの人は、私を捨てたのよ」
その声には、抑えきれない怒りと哀しみが滲んでいた。
奇天烈歯医者の事件診療録 顎ズレ殺人事件/噛み合わせの死角 奇天烈 龍齒 @dentist_t17
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