親
緋翠 蒼
親
数年ぶりに地元に帰ってきた。
5月の第一日曜日、実家付近の桜土手では、例年より遅かった開花の影響か、まだわずかばかりの桜が残り、緑に紛れていた。その歪さに自分は苦笑し、心のうさを晴らす。
数年ぶりの地元は自分が出て行った頃となにも変わらない。街並みも風景も道ゆく人たちも。数年前と変わらない出来事がショート動画のように繰り返されている。変化しないという心地よさがそこにはあった。
だが、目的はゴールデンウィークの帰省という高揚するような代物のわけではない。どちらかというと、少し物悲しい雰囲気のものである。
両親の葬式というものは。
あれだけ、恨んできた両親の死に悲しさを感じている自分に少し驚いていた。
自分から見た両親はわがままで愛情をご褒美としてくれるそんな両親だった。どこに行くか何をするかを徹底的に管理されて、他人と親に迷惑をかけない事だけを徹底的に仕込まれた。当然、何かしら嘘をついたり、抜け穴を探そうとしようものなら永遠とも呼べるような時間、怒号を浴び続けられる。そして、数日間に渡り静かなストレスをむけられるのだった。そしてそれは、自ら進んで挑戦したり、自分という個性を出した時にまで適用されるようになっていった。一度手伝いという名目で家族共有のリビングを1人で家にいる時に掃除をしたことがった。その時に楽しくなってしまいリビングだけでなく、キッチンや玄関までも掃除をしてしまった。その時やっと褒められると思っていた自分は怒号に対して身構えることができなかった。その頃からだろうか、部屋が片付いていると少し不安になってくるのは。自分はそんな実の母と、そこに全く興味を示さない実の父に愛されようと努力をしていた。自分という存在を押し殺し、両親の喜びそうなことが言動になってゆく。そして出来うる限りを家で過ごし、子鴨のように後ろを付いてまわっていた。それは本当にあるのかどうか分からないご褒美を永遠と求め続けている行為にほかならなかった。そのせいもあってだろうか。どんな時にでも他人の目を気にして生きるようになってしまったのは。そしてまた、異常なまでに気を使いすぎてよく気疲れを起こしていた。そうなってくると学校にも影響が出てくるのは当然のことだった。学校の同級生との繋がりを何とか保つ為によく気疲れをし、本当に体調を崩したり仮病を使ったりして学校を頻繁に休んでいた。そんな状態でも不登校にならなかったのは世間体を気にした。親からの猛烈な反対があったからだろう。学生時代の自分とは何だったのだろうか。その問いかけと共に周りの求める自分像を確立していった。
そんな日常の中、転機が訪れた。両親が自動車を運転中に前方不注意のトラックに後方から追突されたようだった。後から事故現場の写真を見せてもらったが、そこには自分の知らない大破した軽自動車が映っていた。思い出がどんどん消えていく証明だった。
葬儀場の前についた。まだ葬式は始まっていない。出入り口の奥の方に両親の名前の書かれた会場を示す看板が立てかけてあるのが見えた。始まったら立てかけるのだろう。
の時初めて、両親の死を実感した。その時まではいまだに両親は生きているという恐怖が自分の頭の中を駆けずり回っていたが、少しだけそれが減った気がした。
賽うの河原で石を積むのは自分じゃなくて両親変わったらしい。
その後、出入り口から少し離れたところで自主的に立ち往生していた。やはり、自分のような人間がこの中に入っていくのは、いくら肉親といえどもかなり気の引ける行動だった。しかし、自分の姿を見返したときにその立ち往生ですら気恥ずかしくなる。
だが、今の自分は昨日買った新品の喪服であった。どうしていいか分からずに出した結論は、少し離れたところのコンビニでタバコとライターを買うことだった。タバコは昔吸っていたことがある。コーヒーや酒が好きな自分に嗜好品だからどうだと勧められたことがある。結果は散々だった。体質に合わず喉をすぐにいためるで一箱も吸い切ることができずに辞めてしまった。ただ、その後も付き合いで喫煙者に合わせて吸っていた。やっぱり体質には合わずに週間にはならなかったが。でもその頃の感覚で火の付け方と吸い方はなんとなく覚えていた。
こういう些細な経験がいつどこで役に立つか分からない。そう思いながら、さっきタバコを買いながら送ったメールに目をやる。そのメールと睨み合いながらガードレールに軽く腰掛ける。燻りながら登っていくタバコの煙はそよ風に流されながら消えていった。
「おい、兄貴。なんだよ急に呼び出して」
男のようなけたたましい口調の女がドレス調の喪服に身を包み近づいてきた。
「よっ、久しぶり」
「『久しぶり』じゃねぇよ。昨日もサボりやがって」
そう言いながら女は手に持った小さい黒い鞄で自分のことを軽く殴った。
「それは、ごめん」
何も言い返すことはできず、ヘラヘラして謝ることしかできなかった。
本当は来るのであれば前日の通夜から来るべきだった。本来長男である自分が喪主となってこの式を進行していかなければならない。そんな立場だっただろう。しかし、両親が死んだ知らせを聞いてやったことは自分にはなく、ただただ傍観して、決死の大遅刻をかましたわけだった。
「誤って済む問題かよ」
「済ませてくれると助かる」
一瞬の沈黙
「はぁ、わかったよ」
大きなため息と同時に諦めの感情が流れたのが手に取るように感じられる。
やはり、兄妹といったところだろうか。相手の考えていることや感情の機微のようなものが何となくわかってくる。それに、特別な気を気を使うこともないのが良い。それはいても同じことだろう。だからこその『わかった』というひとことなのだろう。だんじょの違いがあるとはいえこんなところに繋がりを感じるとは嬉しいやら悲しいやらが入り乱れる。こんな自分が身内にいて似た者扱いをされるということがなんだか申し訳なさを感じている。
でも、確実にひとつ言える全く違うところも存在する。それは妹の『みなみ』はこんな自分なんかよりもしっかりとした強くて真っ当な人間である、そんな当たり前で単純なことだった。
みなみが産まれたのは自分の5年後だった。待望の女の子と言ったところだったのだろう。両親は自分の時よりも盛大に喜んだらしい。それは、自分も同じで、当時いたたくさんの親戚は年上だらけで、そこから常に世話をされ続けるそんな立場を変えてくれるような存在だったからだ。
小さい頃はかなり寵愛をしていた事だけはうっすら覚えていた。小学校へ上がるまでの数年間は自分はみなみを中心に動いていたようなきがする。そうでなかったとしても自分にはその時の記憶しか残っていないくらい大切な思い出だった。
小学校に上がってからは外界との交流も増えた自分の同級生との遊びにも付いてくるようになった。男とは単純なものである。年下の自分達を慕ってくれる女の子が1人いるだけでその子を特別扱いする。みんなで丁重に扱っていたのだ。
それでも、同級生の男子だけでしか集まりたくないような場面も出てくる。そんな時は決まってみなみを置いてゆくのだが、それが気に食わなかったらしく、どこまででもついてこようとした。しばらくは付いてこれないように頑張ったが、いつしか自分達が根負けしていた。
そのせいで男勝りな性格になってしまって、同級生女子たちの輪の中に入れなくなるか、居心地悪そうに輪の中に存在しているのを見ると途端に申し訳なくなる。
男勝りだったが故に親戚から心配されたみなみは中高一貫の女子校へと進学した。だがそんなものに簡単に収まるようなタマではなく、度々問題を起こしては両親は学校に呼び出されて遂には学校で浮いてしまい行くことをやめ、昔の活発で元気だった姿をなくし引きこもりがちになり家から出なくなった。
その責任が全て自分のもとへ向けられた時は、心底みなみを憎んだことだろう。確かに、仕事で帰りの遅かった両親に比べて、大学に進学し時間にゆとりを持って授業をとり、家に長時間居た自分はみなみと接する機会が多かったのは事実である。このことから説得するには家族の中で一番適任だったと言える。だからこそみなみが学校に行かなかったときに行かせずに放置していた自分を両親は徹底的に攻め立てたのである。
その時の怒りと憎しみを説得するという体の良い言い訳にして全てみなみにぶつけていた。それは、最高の理解者になりうるはずだった人間からの、最低の裏切り行為だった。
この時、家族の関係性の歪さが頂点に達していたのだろう。楽しい会話は無くなり全員が何かを求めているかのような会話だけが無意味に重ねられていった。全員が息苦しさを感じながらも、それを表に出さずに仲の良い家族を無意識に演じ続けていた。
きっかけは突然訪れた。みなみが家を出たのである。不登校の後、高校退学となったみなみは成人すると同時に家を借りて出ていってしまった。仕事はいつの間にか見つけていてどうやら成人前から誰も知らないところで働いていたらしい。安い家賃のところではあるが誰にも許可を取らずに決めてきた。
両親は反対する間もなく決定された出来事にただただ呆然としているしかなかった。後から散々激昂していたが結局1秒たりとも家族を家に入れなかったことで少しずつ、自分達と距離感が出来上がっていた。その距離感で両親の激昂はゆっくり収まっていった。
そのとき自分の中の歯車が狂い始めた音が聴こえたのを無視した。
みなみはガードレールに腰掛けた自分を見て隣に腰掛けてきた。
「てか、兄貴みてぇなやつがよく喪服なんてもってたな。」
「まぁ、こんな兄貴でも一応は社会人だからな。」
少しだけ見栄を張った。
「社会人ってのはこうも人を変えるのか。」
「当たり前だろ。そんな事くらい先に社会人になったお前ならわかるだろう。」
「私は変わった気しないけど。」
「普通は社会に揉まれて変わってくんだよ、悲しいけどな。」
「そういうもんかねぇ。」
「そういうもんだよ。」
「そりゃまぁ、あんだけ酒とタバコを毛嫌いしていた兄貴が今や喫煙者だもんなぁ。」
昔は酒癖の悪い母と父の吸うタバコの煙を親の仇のように嫌っていた。だが、今飲みの席に行けば普通に酒を飲むし、喫煙者の人間と一緒にいるときは、合わせて吸ったりもする。それくらいには変わってしまった。
「あまりいいもんじゃねぇよ。体は壊すしな。」
「でも、変わって見えてくるものだってあんだろ・・・」
・・・・・・
「・・・俺は、真っ直ぐに変わらない信念持ってたかったよ。」
「そっかぁ・・・私はもうちょっと変わってたかったなぁ。」
「なんで?」
「うーん、 なんだろ。なんか兄貴見てたらそう思うんだよね。」
「何だそれ⁉︎嫌味かよ。」
「安心ろしろよ。ちゃんと褒めてんだから。」
「そんな口の悪い妹に褒められても嬉しくねぇよ。」
思わず2人とも吹き出してしまった。他の人間にバレないように小さく堪えながら大笑いする2人の姿は兄妹揃って親に隠れて悪巧みを考えていた時のことを思い出した。みなみとのこんなやり取りは何年振りだろうか。時間の巻き戻ったような笑顔がみれた。
「あっ、そうだ。」
みなみが何かを思い出したかのように話を再開した。
「で、どうすんだよ。」
「ん?何が」
「葬式だよ。どうせ出る気もねぇのにどうすりゃいいのかわかんなくてここまできたんだろ」
ほんと我が妹ながらよくわかってらっしゃる。
「まぁ、だいたいそんなところ。」
みなみは少し呆れたように
「やっぱりなぁ。まぁ、安心しろよ。式に関しちゃあ、兄貴のいない方が滞りなく進むからさ。」
嘲笑しながら言ってのけた。
「なんだよそれ。」
「それに・・・」
みなみの空気が変わった気がした。
「それに、父さんと母さんと兄貴の関係性見てたらどんな気持ち持ってるなんて簡単に分かっからさ。」
「・・・・・・ありがとう」
重たくそう返すことしかできなかった。
「みなみ〜、もうすぐ始まるよぉ。」
突如式場の入り口からみなみをよぶ男の声が聞こえてきた。自分の発した声を追いかけるように急いでこちらに近づいてくる。
「ちょっと待っててもうすぐ行くから。」
みなみは男がこちらに到着した時にやっとこさ返した。
「わかった。」
男はみなみの横に立ち返事をきくと、こちらを向いて挨拶をした。
「お兄さん、お久しぶりです。」
そう言って深々と一礼をして、上げた顔は屈託のない微笑みで構成されていた。
彼は『れん』という名前でみなみと交際しいるらしい。何度か会ったことあるが、とても爽やかで良い印象を持っている。
「れん君だよね、久しぶり。」
ここで手を出して握手を求めようかとも思ったが、変に上から目線のむかつく意識高い系に見えるかもしれないというネガティブ方向へのプライドが邪魔をした。
「お兄さん、来てくれたんですね!よかったぁ。」
れん君は出そうかそうどうか迷っていた右手を両手でしっかりと掴んできた。こういった社会に出たことがあるのどうかどうか疑ってしまうような仕草を見てみなみが惚れた理由を理解した。
昔から、周りに頼りにされることの多かったみなみにはこれぐらい子供っぽくて純粋な方が性に合っているのだろう。自分みたいな不出来な兄を持つと下がしっかりするというが、奇しくも証明されてしまったカタチだろうか。
自分も返すように、片手でれん君の手をしっかりと握り返した。
「うん、まぁね。」
こういう明るい笑顔の前にはどうしたら良いのかわからなくなってしまうのは自分みたいな人間にはあるあるなんだろうか。
「じゃあ、今から。早くしないと始まっちゃゃいますよ。」
これから葬式だというのにテーマパークに行くのかと間違うくらいにテンションが上がっていた。そうやって無垢に自分に会うのが嬉しいことを表現されると自分だって悪い気はしない。かなり可愛く見えてくるものだ。
「ああ。ごめん今日はやっぱりいいや。」
「えー、何でですかー。」
今度はすごい甘えた声で悲しみを表現してくる。その表情につい顔がニヤけてしまう。
「なんか、やっぱまだ、踏ん切りがつかないんだよ。」
「でも、大切な血の繋がった家族ですよね。」
初めて少しイラッとした。でもまぁ、こういう人間が世の中大半だろう。だったらちゃんと伝えなきゃいけない。
「だからかなぁ、怖いんだ。」
「怖いって、親戚のみんなから何か言われることがですか。」
「ううん、違うよ。自分が怖いんだ。」
できるだけ穏やかに。
「今葬儀に出て両親の遺体を見たときに正直、どうなるか何をしでかすか分からないんだよ。もしかしたら過呼吸で倒れるかもしれない。もしかしたら激昂して暴れ回るかもしれない。そうでなくとも何をするか分からない。そんな自分が怖いんだよ。」
「でも、今日は違うかもしれないじゃないですか。」
これはただの憶測ではなく過去に生きた両親と会って経験したことだった。今回もそれぐらいのことが起きるのは簡単に予測できた。
「ごめん、ここだけはわがまま言わせてほしい。」
「でも・・・」
何かを言いかけたれん君をみなみが腕を掴んんで制した。何があったかと思ってみなみを見つめるれん君に静かに首を横に振った。
「わかったよ兄貴。今日は来なかったことにするから。れんもいいな。」
最後にれん君に睨みをきかせた。
「うん、わかった。」
みなみに睨まれてれん君は少しシュンとしたようで、本当に納得したのかどうか分からないテンションで納得していた。
無理やり感情を押し殺したかのような表情に少し罪悪感を感じるが、そこに同情にすると自分の感覚に蓋をしてしまいそうで怖かったし、予想通りの行動をしてしまったらとても怖かった。
「れん君ありがとう。多分、ちゃんとは分かり合えることじゃないと思う。でも、そう言ったことが起こっているのだけわかっていて欲しい。」
れん君の肩を軽く叩いた。全てが伝わっているのかどうか分からないが、一端はわかってくれているのであろうと思いたい。そこは、みなみとの関係性に関わってくる。でも、少しだけ安心できるのはそこはみなみが何とかするだろうという信頼があった。
「私に感謝しろよ。尻拭いすんの全部私なんだから。」
「はいはい、ありがとうな、みなみ。」
何だろうか、10年以上前に戻った気分になり頭をポンポンしてしまった。
「やめろよ、もうガキじゃねえんだよ。」
みなみは自分の手を振り払った。
「ごめん。」
静かに呟くと一瞬の静寂があり、3人同時に一気に笑いが込み上げた。しばらく笑い合う3人の姿がそこの場にあった。あの頃に戻った2人にれん君も入り、兄妹2人の中に昔から居たかのような感覚が芽生えた。何だかその場の3人にしか分からない空気が包んだのが嬉しかった。
「まぁ、最低でも線香あげにはこいよ。」
少し笑いを残しながら、みなみが今日の対応の対価を提示してきた。
「わかったよ。仏壇できたら連絡くれると助かる。」
「当たり前だろ。是が非でも連絡してやるよ。」
契約成立のようだ。未来にとんでもない約束をしてしまったが、まぁ何とかなるだろう。かわいい妹の言う事くらいは聞いておきたい。
「そうだ、そろそろ戻らないと。もう、住職の人来ちゃってるから。」
そういえば、そうだった。れん君が来たのもそれが理由だった。
「ああ、そっか。じゃぁな、兄貴。」
その言葉ともに自分の今回の目的を思い出した。
「あっ、ちょっと待って。」
振り返ろうとするみなみを引き止めた。
「香典ぐらいは渡させてくれよ。」
「えっ、まぁ、わかった。」
そう言ってみなみは手を突き出した。
「じゃあ、これ。」
そう言って胸ポケットの中にあった香典袋を取り出してみなみの前に突き出した。受け取ったみなみは手の中にある香典袋の感触に違和感を覚えたらしい。少し、顔が歪んだ。
「なぁ、これかなり厚くねぇか?一体いくら包んだんだよ。」
「三十万。」
「はぁあ、三十万!?」
金額に驚いたらしいビックリして固まってしまった。
「いやいやいやいやいやいや、いらねぇよそんなに。せめて五万くらいでいいよ。」
香典袋を今度はこちらに向けて突き出してきた。
「もらってくれよ。俺からの気持ちだし、葬式って結構金かかんだろ。そのくらいあった方が安心だろ。」
自分は受け取らずにそっと押し戻した。
「でも、さすがにこの金額は多すぎるって。」
「だから言ったろ気持ちだって。」
「それにこんなに渡したら生活だって…」
少し悲しげな顔になった。本当に心配してくれているらしい。みなみにはこう言った変なところで可愛げ出すのやめてほしい。
「大丈夫だよ、まだ貯金はそれなりにあっから。」
嘘だ。
「それに、生活費もそんなにかけるような人間じゃねぇからこのくらいしか使い道ねぇんだよ。」
みなみは今度は呆れたような表情に変わった。そして隣で何か言いたげなれん君を静止するかのように大きなため息をついて、
「はぁ、まぁわかったよ。とりあえずこれは受けとっとくから。」
とりあえず納得してくれたようだ。
「けど、この借りは返すから。そっちも受け取れよ。」
「ああ、期待せずに待ってるよ。」
その言葉ともに少し後悔した。メシぐらい奢ってほしいと言えばよかったかもしれない。三十万は貯金のほぼ全てだ。あとは端数分ぐらいしか残っておらず、この先どう生活するかをつい思案し始めていた。
「やっぱ兄貴、変わってねぇや。」
「なんだよそれ。」
「なんか、無理してカッコつけて、いつもいつも自分から進んで全部の泥被って、最終的にどうした良いのか分からなくなってるくせに誰にも頼れないのな。」
「なんかすげぇ言われようだな。」
「厄介なのがそれが兄貴のいいところでそれに救われてる人間がたくさんいるってことだよ。」
要約すると、自分のついた嘘は全てかわいい妹にバレているということですか。ほんと、よくわかってらっしゃる。んっでもってよく見てんなぁ。
それにしても突然の褒め言葉に気恥ずかしさが込み上げてきた。褒めらることに慣れていないせいで、こう言う時なんて返したらいいか分からない。
「ありがと…」
ぶっきらぼうな感謝の言葉を投げるしかなった。
「まぁ、もうちょっと自分のために生きて、周りに迷惑かけてくれるとこっちが楽になるから頼むわ。」
「わかったよ、努力してみる。」
「わかってんじゃん。」
何も言い返せず、ただ肯定するしかなかった。これだけ見透かされているとなると本当に我が妹ながらさすがすぎて頭が上がらない。
「やっぱみなみは変わったな。」
「何だよ急に。」
「ちゃんと大人になって周りが見えるようになったなぁってことだよ。」
「なんか、褒められてる気がしねぇ。」
「ちゃんとほめてるよ。」
「なら許す。」
また吹き出してしまった。しかし、さっきと違うのはれん君が少し置いてかれた表情をしていた。
「じゃあ、またな。絶対顔出せよバカ兄貴。」
「ああ、気が向いたらな。れん君もみなみのことを頼む。」
「は、はい。じゃあまた。」
れん君が理解できる会話になったと判断したのだろう、また少し笑顔が戻ってきた。それにこの子は頼られるのが好きなようだ。
2人は手を振るとみなみがれん君の尻を叩く感じで戻っていった。その姿にどことない安心感を覚えた。
2人と別れたあと桜土手の方へと無意識に足が運んでいた。少し気温が上がってきたのと、喪服を着ているという気恥ずかしが湧き上がってきた。そのせいもあってか近くの公園にあったゴミ箱にジャケットとネクタイを捨てた。
桜土手には近くに大きな公園があり、今のゴミ箱が減っている時代から取り残されているかのようにゴミ箱が点々とまだ残っていた。大きな公園であって人が沢山来ることがあってかゴミ箱は非常に大きく蓋がついていた。そこに着ていたものをすぐに捨てた。さすがにシャツだけでは少し、寒くて耐えることができなかった。どことない肌寒さが身体をこわばらせる。耐えられなくなって一度、家へと逃げ帰った。
それからしばらく時間が経ち、すっかりと夜更けへと時間を変えていた。日が沈み、何となく足を運んでしまった場所は地元の桜土手の近くの公園だった。夜になり気温が下がったために、そこそこ厚めのジャケットを羽織っていた。
公園からも桜土手の桜は見えていて、街灯に照らされた夜桜はとても幻想的な姿をしていた。その夜桜を少し遠くに見ながら、子供達のいなくなったアスレチックの最上階で、缶ビールを飲んでいた。
あまり得意ではない酒に手を出したのは何となくいろんなものから逃げたかったのかもしれない。ただ、久々に飲んだビールはとても不味くて自分をよくない方向に酔わせていた。これまでの疲れがどっとでたかのようだった。
「あの…隣り、良いですか?」
突然、女のか弱い声がした。どうやら、このアスレチックに登ってきたらしい。
「あ、はい。大丈夫ですよ。」
そう言いながら上がってくる通路付近にいた自分は女が座るためのスペースを空けてアスレチックの最上階に招き入れた。
酔いと疲れと眠気のせいで少しうつろ気味な目を擦って女を見るとすごい綺麗でハーフのような顔立ち女であるのが見えた。長い髪を後ろにまとめてお団子状にしている。服装は少し薄めの白を基調としたコートで少しだけ季節外れの厚着だった。まぁ夜になり気温が下がっている今のタイミングで冷え性である可能性まで入れたらそんなに不思議なことではないだろう。ちょっとした可愛い系の服装と髪型には似合わないどことない気品と少し鋭いでも優しを持った目が印象的だった。
そして手にはもっと似合わない缶ビールを一本携えていた。
「普段からここで飲んでるんですか?」
「えっ!?」
こちらを見ずにされた突然の問いかけに、うまく反応できず狼狽えてしまった。その時に女の横顔に見惚れしまっていると言うのを自覚した。
「すいません。なんかまずかったですか?」
「あっ、いや別に大丈夫です。ただ、突然だったんでビックリしちゃって。」
「ふーん。じゃあ、どうなんですか?」
「あっ、いや今日だけです。」
何だろう、この下から来てるのに上から目線で尋問されてる感覚は。可愛い感じの見た目と裏葉に芯がしっかりしているように見えるから。
「へぇ、そうなんですね。私は毎日じゃないんですけど、でもよくここで飲んでます。」
その言葉と同時にビールの間が開く音が聞こえる。
「ふーん、なんでここなんすか。」
「ああ、わたし小さい頃、この街に住んでたんですよね。」
「ふーん、この街に…」
何だか、自分語りが始まりそうな雰囲気が醸し出された。
「そうなんですよ。でも親の仕事の関係で、小学生の頃に引っ越しちゃって。でもそれが4月から東京に戻って働くことになったんです。それでだったら小さい頃に住んでいたこの街が近くだったなぁって。」
「じゃあ、それでこの街に?」
「はい、懐かしさのあまり住んじゃいました。そしたらこの公園のアスレチックから桜土手が見えるのに気づいてなんだか時間があるとここに来ちゃうんですよねぇ。」
なるほど、小さい頃の思い出に浸ってみたら気持ちよかったということか。それにしては、予想通り始まった自分語りが意外と早く終わったことに内心驚いていた。
「それで今日も?」
「はい。やっぱり良いですよねぇ、小さい頃の思い出の街に住むのって。そう思いません?」
「あ…あ、はい。」
少し答えづらい質問だった。今日の昼間の出来事を思えばこの街には良い思い出と悪い思い出があまりにも混在し過ぎている。それを手放しで良い思い出と断言できるほどの度量はを自分は持ち合わせてはいない。
「あれ、もしかしてよくない思い出とかでもありました?」
慌てたように女は聞いてきた。自分の言いづらさみたいなものを感じ取ったのだろう。こういう他人の言動にぶ敏感な人間はにがてである。どっかの誰かを思い出すようで。
ここは取り繕った方が良いのだろうか。こう言ったポジティブな人間を目の前にすると自分は次にどういった行動を取ればいいか分からなくなる。
「いや、別に。ただ・・・」
「ただ?」
「ただ・・・俺もこの街は嫌いじゃないです。地元としての懐かしさと愛着を持てるくらいには好きです。」
「懐かしさねぇ。ってことはじゃあ、今は住んでないんですか?」
なんでだろうか、この質問に対して一番の答えずらさを感じた。
「…ええ、まぁ。」
少しの間が空きやっと絞り出した答えがこれだった。
「ふーん。じゃあ、今日は何でこの街に?」
「あっ、えぇ、あぁ。・・・両親が不慮の事故で死んでしまいまして。」
だめだ、だいぶ酔っている。初対面の人間に話して良い内容じゃない。
「えっ、あっ、ごめんなさい。」
「大丈夫ですよ。正直仲が悪過ぎて逆に死んでくれて心の荷が降りた気がしたので。」
「へぇ、そんな親子関係もるんですね。」
「まぁ、自分みたいなのは特殊な方だとは思いますけど。」
意外な反応だった。少し気を使わせたのだろうか。もうちょっと何かリアクションがあるのかと想ったが、薄い反応だけで終わってしまった。話題を変えたかったのだろうか。
「そんなことないと思いますよ。仲の悪い親子なんてこのごまんといると思いますし。」
ほう、変えてこない。ただ気にしていなかっただけのようだ。
「ただ、仲が悪いだけならそうなんでしょうね。でもいろいろ考えちゃうんですよね。」
「もしかして何かありました!?」
「いや、本当に大丈夫ですから。」
「でも、無責任に傷に触れてしまったみたいなので謝らせてください。ごめんなさい。」
突然、彼女が頭を下げてきた。とは言ってもただ、会釈するかのように軽く1秒程度、前屈みになったという方が正しいだろう。間違ってはいないが正確ではない表現である。
しかし、このひとには不思議な魅力がある。ちょこちょこ出てくる可愛げを意識したかのような仕草のせいだろうか。妙に安心してしまい頭では話さない方がいいと思うことも平気で喋ってしまっている。何だろう酔っているせいもあるだろうか。気をつけなければ。
「別に大丈夫ですよ。正直、自分にとっては傷でも何でもないので。…どちらかというと区切りのほうが正しいですかね。」
嘘ではない。だから、できれば謝らないでほしいのだが、それをいうのは野暮かもしれない。
「区切り…ですか?」
「はい、区切りです。それもなんか自分の中で肩の荷が降りたようなそんな感じです。」
「なるほどぉ、確かにそんな感覚もあるのかもしれないですね。」
女の声のトーンが少し上がった。今の会話の中に何か琴線に触れるものでもあったのだろうか。
「もしかして、あなたのご両親も?」
「あっ、私は違います。ただの想像です。」
また少し不安そうな顔になる。
「想像でそこまで考えれるなんてなかなかすごいですね。」
「いやぁ、それほどでも。」
少し照れたような仕草をした。
「ところで、ご両親はどんな方々なんですか?」
とりあえず今は話題を変えたかった。このまま自分の両親の話をし続けたら相手に要らぬ気遣いをさせてしまいそうで何かイヤだったからである。
「あー、私の両親はアメリカ人の父と日本人の母なんです。」
「じゃあ、やっぱりハーフってことですか?」
「そうなんですよねぇ。それが理由かどうかは分からないんですけど何だか生きづらさみたいなものが小学生の頃は感じてて…」
「生きづらさ…ですか。」
それなりに共感はしておいたほうがいいのだろうが、自分に完璧な理解はできないだろう。だがまぁ、想像くらいはしておかないとさすがに突き放し過ぎかもしれない。
「やっぱ、いじめとかですか?」
「いやぁ、別にそんなに酷いものじゃないです。どちらかというと特別扱いみたいな。」
「特別扱い…」
「はい、なんかわたしはちょっと特別だからみたいなそんな空気が流れてたんです。今はそんなにですけど小学生くらいの頃、それこそこの街にいたときは他の人よりも身長が高くて、それでまた余計に…」
『特別扱い』そこに関しては、自分にも似たような経験がある。中途半端に頭の良かった自分は、学校の勉強がつまらなくて自分の好きなものをずっと勉強していた。そのおかげで、勉強なんてしなくても小中の頃はいつもテストで高得点を簡単にとっていた。
自分からすればこんなもの取れて当たり前のことが周りができてなくて逆に不思議だったのが周りからすると自分が特別な存在に見えるらしい。あいつは特別だからとやんわりと敬遠されてゆっくりとみんなが自分の周りから離れていった。
その結果クラスの中で孤立するという結果になった。でも自分からしたら都合は良かった。人間関係が苦手な自分からしたら精神的にはすごい楽だったからだ。ただこの日本社会においては孤立することで煩わしさがかなりの数生まれてくる。そこから漏れ出ることのなかった自分には周りの大人の好奇と心配の目が纏わり付いていた。
孤立を望んだ人間の一番の敵である
「なんかちょっとわかるかも、」
「えっ、」
「どんなに良い方向であっても他人からのなんか違うって目線は刃のように心に刺さってくる。そうやって子供の頃にできた傷は大人になって初めて気づく・・・」
「そうなんですよねぇ。なんか大人になって経験してみて初めてトラウマだったんだぁって気づくんです。イヤなことが人よりも多くて、もうなんなんだぁ!!!!ってかんじ。」
そう言ってりょうてを高く上げて怒っているかのようなパフォーマンスをする。
この女性の底なしの明るさに、何だか救われたような気分になる。
「お互い、色々あるんすねぇ。」
「でも、その方が人生は楽しいですよ。まぁ、月並みなセリフですけど。」
「確かに」
この言葉のあと少し間ができる。1秒くらい見つめあって起こったことは2人とも同時に噴き出し、大笑いをし始めた。
「いや、すいません笑っちゃって。」
女性はかわいらしくニヤニヤしながらも、姿勢を正し、しっかり一礼をして謝罪した。その言葉はどこかしっかりしていながらもちょっと気の抜けているように感じた。
「いや、大丈夫ですよ。こっちも笑ってお互い様なんで。」
ぎこちなくそう答えると少しだけ無言の時間が流れた。それは別に、何か不快なものではなくとても落ち着くような居心地の良い空間だった。
そんな空間を楽しむかのように2人は互いの顔を見合っていた。それは、もしかしたら、互いに何か次の言葉をを探り合っていたのかもしれない。しかし、何故か出来上がっていた妙な信頼感が居心地の良さを保っていた。正直、それが気のせいであってもいい。わがままな思いかもしれないがもう少しこの瞬間を味わっていたかった。
「あっ、そうだ。みてください、あの桜。」
女性は話題を変えるかのようにずっと見えていた桜を指差した。
桜は朝見た時と同じように花がわずかに残り、緑の葉と混ざり始めていた。しかし、街頭に照らされていて少しだけ幻想的な姿へとえ変貌を遂げていた。日本人だからだろうか桜というものには何故か不思議な魔力のようなものを感じる。
「何だか緑が増えてきてもうすぐ終わっちゃいそうなんですよねぇ。」
少し悲しげな表情をしながらまたこちらを見つめてきた。はっきりって女性というものにモテてこなかった自分からするとこう言ったことをされるとドキドキするからやめていただきたいのだが、まぁ聞いてもらえるわけでもないのだろう。こういう時にスマートな対応ができない自分が恨めしい。
「まぁ、物事には必ず終わりがありますから。それに今年は長く保ったほうだと思いますよ。いつもだったらもうとっくに全部散ってるんで。」
「へぇ、そうなんですね。子供の頃は気にしてなかったし、大人になっても近くに桜が咲いているところに住んでなかったんで知らなかったです。」
インスタントな哀愁がその場を包み、女性がちょっとした後悔をしてることに気がついた。
「でも、今日知れたんですからこれから毎年見ていけばいいんじゃないですか。終わりは毎年来るんですから。」
「ん〜…そう、ですねぇ…」
何だか歯切れが悪い。余計な一言でも言ってしまっただろうか。謝罪という言葉が頭をよぎったが、それはそれで何だか違う気がする。本当に女心というものはわからない。
「毎年、来る終わりかぁ。なんか寂しいですね。」
「寂しい、ですか?」
「はい。だってなんかその時に頑張ったものが全部なくなってしまうことが決まってるってことじゃないですか。咲いた花が短い間で散っちゃって何も残らなくなる。それを何年も何年も繰り返してるって、私だったらほんとイヤになりますよ。」
「・・・」
「今目の前にいる桜たちがそれを続けてるって考えたら、何だか寂しいなって・・・」
なぜだろう彼女の言葉に苛立ちを覚える。べつに何か怒らせるようなことを言ったわけではない。こちらを傷つけるようなことを言ったわけでもない。ましてやネガティブな意見に怒ってしまうほどの前向きな人間ではない。
だとするならば何だろうか。胸を突き刺すような苛立ちは。
「あっ、すみません。ちょっと話として暗すぎましたよね、ごめんなさい。」
彼女の顔が曇った。そんなに不安を与えるような表情をしていただろうか。謝らせてしまった自分にも腹が立つ。何か言わなければ。
「いや、大丈夫です。そういうわけじゃないですよ。ただ・・・」
「ただ?」
何か言葉を繋げなければ、そんな焦る気持ちをあざ笑うかのようにこ言葉はすっと出てきた。
「ただ、自分は寂しいっていうよりちょっと嬉しさの方が勝つんですよね。」
「えっ!うれしさ、ですか?」
ポカンとした表情になった。本当にこの人は天然で男心をくすぐってくる。
「はい、終わりが来るってことはその後に何かが始まるってことなんだと自分は思ってます。いや、終わったり諦めたりするからこそ、次に何かを始めることができる気がするんです。だから、ちょっと寂しい気持ちとそれを超えるような嬉しい気持ち何だかその二つを感じるんです。」
「じゃあ、あの桜たちも・・・」
「一瞬の花が散って今度は新緑の葉を輝かせることができる。それに、毎年花を咲かせるわけだから、来年はもっといい花をって想って一年準備することもできる。一概に悪いことばかりじゃないですよ。」
あーーーーーーークサイクサイクサイクサイクサイ。自分みたいな人間が話して絵になるような言葉じゃない。自分らしくもないカッコつけたセリフを言ってどうかしている。
「なんか、ありがとうございます。すこし、元気出てきました。」
彼女の顔に笑顔が戻った。ただ、今までの笑顔とは少し雰囲気が違う。
「最近、仕事でミスばかりで、ちょっと落ち込んでたんですよねぇ。私のお母さんとてつもなく優秀なキャリアウーマンで今、外資系企業の取締役なんですよ。しかも、それを私をしっかり育てながらやっちゃうんです。ほんと子供の頃から尊敬してるんです。ちなみに父はその会社の顧問弁護士でした。」
なるほど、外資系企業のお偉いさんと顧問ができるほど優秀な弁護士の子供か。そりゃ、変に品があったわけだ。なんか彼女の第一印象に納得がいった。
「私、そんなあ両親に憧れてこんなかっこいい2人みたいになりたいって、特にお母さんみたいにばんばんしごとこなしてくんだって想って努力をしてたんです。そしたら、結構認めてもらえて同期の誰よりも早く出世できたんです。そしたら、立場が変わって、人間関係も変わってみんなの目が変わっていったんです。今まで協力してくれていた人がしてくれなくなったり、先輩や上司だった人が部下になったり、慕ってくれていた後輩もいつの間にかゆうことを聞いてくれなくなって。自分が頑張るだけじゃダメになって、どうしたらいいかわからなくなってたんです。」
『嫉妬』か。おそらく出世するまでは仲間内の優秀な人間で頼れる存在だったのだろう。同期や同僚といったチームの協調性を高める為の便利な存在だと思って良いように使っていたのだろう。
それが彼女が出世をすると話が違ってくる。同じ立場の優秀な人間が上手く抜け駆けをした人間へと姿を変えるのだ。
ひとつの集団の中で立場が違う人間というのは孤立しやすい。そんな事例は家族という近さで嫌というほど見てきた。想像しようとせずとも簡単に頭に浮かんでくる。
正直それを乗り越えるのは並の精神じゃ土台無理な話だ。それに彼女にとって苦しかったのは、両親を指針としたことで起こったということだろう。おそらく目指す両親のイメージと実際の自分に大きな乖離がありそれに苦しんできたのだろう。そんな状況だったら、両親に責任を押し付け、現実から目を逸らす人間になって不思議ではない。いい悪いではなく、それが防御反応として現れるのだ。ここはまるで自分を見ているようだった。
そんな中で笑顔でいられるのは素敵なことだ。
「でも、そんなときこの街のことを思い出したんです。」
彼女話はまだ続いていた。
「それってさっき言ってた。」
「はい、そのときのこの街の思い出は私の中では一瞬でしたけど、何だかいい印象しかしかなくて、思い出すたびに元気をくれたんです。それで救われたんです。」
「それでこの街に?」
「そうなんですけど…最初は旅行で1日限定の予定だったんです。ちょっと前まで九州の方で一人暮らししてたんで。」
「ああ、さっき近くに転勤になったって言ってましたね。」
「そうなんです!!これって運命なのかもって思って勢いでこの街で家を探して住むことに決めたんです。」
「どうでした、住んでみて。」
「悲しいことに、思い出の街からちょっと変わってました。」
「そうですか・・・」
彼女の声が少し悲しみを帯びた気がした。その声にまともに返すことが自分にはできなかった。でもまぁ、無理もない小学生の頃に引っ越してある程度経験してから戻ってきたとなると最低でも二十代後半でないと不自然だろう。そうなると二十年近くは、この街離れていたことになる。逆に変わってない方が不自然だ。
それを指摘してもいいかもしれないが、そんな気分でもないだろう。彼女もおそらくそれを理解して話しているはずだ。誰だってわかっていたとしても思い出から変わっていれば少なからずショックを受けるのは想像に難くない。そこでまた無闇矢鱈に心を抉る必要もないだろう。
「でも、変わってないところもあって!」
彼女の顔に思い出したかのように笑顔が戻る。
「この街の公園とか、さっきも言いましたけどその桜とか。」
そう言いながら、さっきまで見ていたわずかばかりの桜を指差す。
「他にも家とかも残って変わらない街並みがあったのでそこを見てるのがすごく楽しくて。」
堰を切ったように話し出し、動きも大きくなった。本当に楽しく話しているいるのが伝わってくる。この街の思い出は本当に彼女にとって、いい思い出なのだろう。まだ延々と喋り続けて、思い出話が止まらない。
そういえばさっきこの目の前の女性を二十代後半と予想したがもしそれが当たっているのならば同年代ということになる。見た目や言動から勝手にかなりの年下だと思ってたが、意外と年が離れていないものだ。白人の見た目は年が上に見えると言うが、おそらく白人とのハーフであろう彼女はそこに当てはまらない気がする。ハーフは違うのだろうだろうか。日本人は幼く見えるというがその血が入っている為だろうか。もしかして彼女が例外なだけであってハーフの人間を調べればわかるだろうか。
しかし、サンプル数1を今すぐ調べる方法はない。それに、後に回せばその時にやる気を失いどうでも良くなっている。考えるのはもうやめよう。
「そういえば、その時に初恋みたいなものをしたんですよねぇ。」
「初恋…ですか・・・」
「はい、でもまぁ初恋って言っても小学校の低学年のころの話なんでちゃんとした恋だったかきかれたらアヤしいんですけど。」
初恋かぁ・・・自分はどんなだっただろうか。何だかいい思い出が出てこない気がする。
「初恋相手ってどんな人だったんですか。」
「うーん。なんか、変わった人でした。」
「変わった人?」
「はい、なんか教室の端っこにずっと1人でいて、俯瞰して見てるみたいに教室を眺めてるんです。」
何だろう、子供の頃の痛い行動を武器に古傷を抉られている気分になる。しっかりとダメージが入り、血が吹き出しているかのようだ。やめてほしい。
「なんだか一人だけ大人になった気になってクラスメイトのことを見下しているみたいな、嫌なやつに見えますね。」
あなたには申し訳ないが自分の精神状態のために初恋相手を下げることをお許しいただきたい。そうでもしないと羞恥心で死にそうになるのだ。
「う〜ん?そんなふうには見えなかったですけどね。」
「じゃあ、どんなふうに?」
「なんだか、温かい目線で教室中を見守っているようなぁ、お母さんみたいなそんな感じのふいんきでした。」
それって結局見下してることには変わりないのでは・・・ということは黙っておこう。
「だからなのかはわからないんですけど、私に対しても特に態度を変えなかったんです。」
「ああ、それで。」
「そうです、そうです。なんか自分に対して対応を変えてないその人を見てなんか気になり始めていつの間にか好きになっていたんです。」
他者とは違う態度をとったが故に印象に残り考えてしまうせいでいつの間にか恋心に似たものを感じてしまう。漫画なんかにもよく描かれるありふれた出来事が起こったわけだ。
「そういえばそのひとちょっと変わった名前してたなぁ。」
「変わった名前・・・ですか。」
何だろう少し親近感がわく。自分も苗字が珍しく、小学生の頃はよくそれを指摘されていたものだ。そこに対してあまりいい思い出がないが。
「そうなんですよ。たしか、『レンドウ』って名前だったようなぁ・・・」
何だか嫌な予感がする・・・
「もしかして、下の名前が『レン』とかだったりします?」
「えっとぉ〜、ああ!!たしかに!!そうですそうです。たしかにレンっていう名前でした。」
「あっあぁ・・・それ・・・・・・俺です。」
嫌な予感が当たってしまった。『レンドウ』という苗字は関西の方に起源がある名前らしいが、なかなか見ることがなく珍しい苗字として注目の的や話題になり、いじられる事が多かった。しかも『レンドウ』という言葉には同音異義語が多くありそれもかなりいじられる対象となっていた。
さらにトドメにはレンという名前だ。レンドウの後にレンという名前がついたらいじられるに決まっている。名付けの理由に関しては単純に良くある名前だったからという簡単なものだが、とはいえ苗字との関係性くらいは考えて欲しかった。
「ええーーーレンくん!!本当に!?」
「うん、多…分・・・」
レンドウなんて苗字、簡単に重なるわけじゃない。それに、自分の知っている範囲ではそんな苗字この街には自分たちしか聞いた事がない。しかも、そこにレンというトチ狂った名前をつけるなんてそんな親を自分は一組しか知らない。
ここまでの考えが正しいとなると目の前にいる女性は同級生ということになる。正直こんなハーフの人間がいた記憶なんて自分にはなかった。
「蓮くん覚えてない?わたし、小山アンナ。」
「えっ?・・・あっああ!!」
名前を聞いて思い出した。そういえばそんな名前のハーフの女子がクラスメイトにいた。
しかし、当時の彼女のイメージは自分よりも背が高く、どちらかというと落ち着いた少し暗めの性格の子という印象を持った子であった。今みたいに体を動かしたりせずに、ただ黙って輪の中に静かに存在するだけの人だったと認識している。さらに今現在の座った時の目算は自分よりも小さく感じる。どんなに多く見積もっても160cmの身長。小学生の頃は確か、140cmを超えていると言っていた気がする。小学生にしてはかなり高い方であったし、何より自分自身がおそらく当時の平均よりも低かったせいでより大きく見えてた。憶えているのは当時顔立ちも相まってよく大人に間違われると言っていたことだ。
「小山アンナって、あの小山か。」
「うん、そうだよ。もしかして憶えてなかったとか。」
「あっ、ああ・・・まぁ・・・・正直言うと。」
名前を聞くまで思い出せなかった。しかし、そう思ってから顔を見てみるとメイクや表情でだいぶ雰囲気は変わったがあの頃の面影が残っているように感じた。
「だよねぇ、わたしにとってはこの街の思い出の全部だけど、レンくんにとっては地元の思い出の一部分だからねぇ。」
「いやいやいやいや、憶えてるかどうかの前に印象変わりすぎだろ。昔はなんかもっと・・・こう・・暗い感じだったろ。」
「ええ〜、そうかなぁ。でもそれを言うならレンくんも一緒じゃない?昔のレンくんってもっと大人びて余裕のある感じだったけど。」
「えっ余裕!?そんなのただクラスメイトとか周りの人間を見下して勝手に悦にいってただけだよ。」
なんだろうか、昔の自分の話をを聞くとかなり気恥ずかしくなる。
しかし、改めて振り返ってみると二人ともあの頃からかなり変わったものだ。自分は当時から身長がだいぶ伸びて、平均を超えるくらいまでにはなった。対して彼女はあまり身長は伸びずにそのまま大人になった。2人とも顔立ちの印象が変わり相手に気がつかなった。もっと大人な視点を持っていそうな人だったのがあどけない女性へと変貌を遂げていたのは一番の衝撃である。
それに比べて自分はどうだろうか。あの頃から何変わったのだろうか。そういえばみなみには変わってないって言われたばっかりだ。実際として、変わっていたとしてもいい方向に変わっていないのは確かだ。周りを見下しつつも自分よりすごい人間が現れた時に卑屈になる、何にも変わっていない。
「なんか、親しみやすくなったよね。」
「はぁ、なにそれ。」
「なんか前は大人びて余裕があった分ちょっと近づき辛いオーラみたいなものがあったけど、なんか今はすごくやさしく感じる。」
「やさしくねぇ・・・」
何だか今まで言われた事ない感想だった。悪くない。でもそれを全面的に肯定できるほど自分はできた人間ではない。
「・・・そんな良いもんじゃねぇよ。誰よりもはやく諦めてただけだよ。」
「あきらめた?」
「ああ、俺には何も出来ないってこれからの未来全てを諦めて全てを手放してたんだよ。」
そう、『他人とは違う』『自分はこの世界が苦手すぎる』こんな言葉たちを言い訳にして楽しく熱を持って生きることを諦めていた。『穏やかに』『波風立てず』『平穏に』そんな言葉に縋って逃げていた。そうして努力すること、目標を作ることを周りの環境のせいにして最も簡単に手放していた。
「でも、私が知ってるレンくんは何でも簡単にやってのけちゃうイメージだけどなぁ。諦める必要ってある?」
急に心を抉ってくる。しかし、彼女が同期の中で一番の出世頭だったと言う話を聞けば、こう言った詰め方は仕事ができる人間独特の詰め方である。それが彼女のような純真そうな印象を受ける人物からだと抉っていく角度がかなり深くなる。
よくない感情かもしれないが、彼女をいじめていたという同期の人間の気持ちが理解できた気がした。
「なかったかもしれないけど・・・そうしないと辛かったんだよ。だから全部手放して今何も持ってねぇんだよ。」
「そっかぁ、なんか色々あったんだねぇ。」
そう、色々あった。ただそれは色々と片付けるにはあまりにドス黒く、醜く、幼稚なものだった。甦る当時の感情は今の自分に吐き気を催す。それを必死に堪えていた。
「泣くな泣くな。人生これからいいことあるから。」
小山が急に頭を撫でて言ってきた。少し驚いて目元に触れてみると涙がひとすじ流れているのを発見できた。そこに気がついた瞬間に感情が滝のように溢れ出た。嗚咽と涙が止まらなくなり過呼吸のように息が乱れ始めた。息ができずとても苦しい。体温が急激に下がったかのような寒さを感じ始めた。身体が小刻みに震え始めて腕を押さえつけて、身体を丸めなければ意識を保っていられないほどだった。
ふと、そんな自分を柔らかい温もりが包み始めた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
その言葉のおかげだろうか、身体を襲っていた寒さと震えがゆっくりなくなっていった。じんわりじんわりと自分の身体に温もりが戻ってゆくようだった。
その時に初めて小山が自分を抱きめしていたことに気がついた。じんわりと感じた温もりはこの小山の柔らかな抱擁によって出現したものだ。その温かさからくる安心感につい口が動き出してしまう。
「ずっと…ずっと……怖かったんだ・・・自分の感情が何をするかわからないんだ。」
啜り泣く男を目の前の女性は女神のように包み込んでくれる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」
そうやってずっと繰り返される一言でわずかに理性を保つことができた。この理性が何を押さえ込んでくれているのかはわからない。でも自分を人間たらしめてくれる最後の希望だった。
感情の昂りがだんだんと収まってきて、少しづつ冷静さが蘇ってくる。今の小学校時代の同級生の胸に抱かれているという状況は気恥ずかしくあり申し訳なさも感じてしまうのだが、それを軽く超えてしまえるほどの居心地の良さがあった。
突然、繰り返されていた言葉が止まり、手の温もりだけになった。静寂がさらにふたりを包んだ。
「昔、両親を殺そうかと考えたことがあるんだ。」
静寂に導かれて自然と言葉が出ていた。そして今から話すのは誰にも言ったことがなく、ただ独り自分の心の中に封印していた出来事だった。
「高校生の時、初めて実感したんだ。うちの家は少しおかしかった。両親は常に仲が悪く何か些細なことをきっかけにすぐに怒鳴り合いの喧嘩に発展する。そんな中で、『家族揃って』なんて言葉を投げかけられてずっとリビングに一緒にいた。親子間や兄妹同士は別に大丈夫だった。でも、両親の間だけはずっとピリつくような空気が流れていた。それに耐えられなくなった時があったんだ。だから、どちらかを殺してしまえば平和になると考えたんだ。そしたら力で勝てる母親を殺そうと考えた。でも出来なかった。みなみのことを考えた。今ここでやってしまったら一番の被害を受けるのはみなみだ。そう考えたらブレーキがかかった。なんとか犯罪を犯さずに済んだんだと思った。でも、今もまだその時のと感情が残ってる。いつ爆発してしまうかわからない。今度、感情に流されたら絶対に止まれない。でも、それからやっと解放されたんだ。だからすごくホッとしてるんだ。」
はっきり言って何を言っているのかわからないし、昔の同級生というほぼ赤の他人に話していい内容じゃない。でも、話さずにはいられなかった。いや、話せると思って必要以上に甘えてしまった。
「そっか、そっか。がんばってたんだね。」
そう言って小山は全てを受け入れ肯定してくれた。なんだろうか、多分普通の成人男性にはおおよそ投げかけないような励ましの言葉を小山は投げてくるが、今の自分にはそれが心地いい。ずっとそれを求めていたのかもしれない。
「頑張ってなんかない。ただ自分が出来ないこと他人や社会のせいにして、色んなことから逃げてただけだよ。」
実際、そうだ。あの事件があってから実際問題しばらく家を出ていない。自分の力なら高校を卒業して、無理やり一人暮らしをする方法なんて一つや二つ簡単に想像できたはずだ。それをせず、両親の仲をよくするということを言い訳にして、社会に出ようとしなかった。全てが人間関係が苦手であるという事を理由にした逃げで生きていた。
自分にそこを改善しようという努力をして改善していればもっと学校やそこから先の社会の中で違った生き方ができたはずだ。それを全て手放したただの自業自得である。
「そんなことない。わたしが見てきたレンくんはすごいひとだった。すごい頭が良くて、勉強も運動もなんでも器用にこなして、みんなに優しくて誰にでも分け隔てなく接して、それでいてわたしに唯一色眼鏡なく接してくれたひとだった。」
その声はとても優しかった。しかし、少しだけ説教くさく感じるくらいには芯が通っていた。
「だから、あこがれてたんだよ。わたしの中であの頃のレンくんはお父さんとお母さんと同じくらいには目標だったんだよ。勉強だって元々できたのかもしれないけど、でも誰よりも授業を真面目に受けてたの見てたから知ってる。クラスで意見を出す時もみんなのことを見て何も出てこなくなってから話してたのを知ってる。それに、ちゃんと周りに気を配ってたのも知ってる。それに、わたしだけじゃない。みんなを1人の人間として見ていたのを知ってる。わたしは、本当に短期間だったけどもっともっといいことがたくさん言えるくらいレンくんのいいところを知ってる。だって、ついちょっかいかけて特別扱いしちゃうくらいには好きだったんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとう。」
優しく諭してくれる相手になんとか捻り出した言葉がこの一言だけだった。一切感情的にならず、ただただ優しい言葉を投げかけてくれる小山には感謝しかない。それ以外の感情が心が浄化されていくかのように洗い流されていくようだった。もう自分を否定する気も起きない。
「ごめん、ちょっと寝ていい。」
泣き疲れたのだろう。どっと眠気が襲ってきた。いや、眠気を自覚することができた。
「いいよ、おやすみ。」
また優しく返してくれた。
「ありがとう。」
すこしずつ、意識が遠のいて行く。
親 緋翠 蒼 @suigen-ryunn
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