暗闇照らす、灯火ひとつ
あおきひび
暗闇照らす、灯火ひとつ
暗闇があった。
どこまで続くかも分からない、真っ暗な空間。何一つ見通せない、黒々とした深淵。
そんな暗闇の中に、一人の幼い少女がいた。
少女はまっくらな世界に怯え、声を上げて泣いている。小さな体を震わせて、わんわんと泣きじゃくるその声は、闇に吸い込まれて、誰にも届くことは無い。
やがて泣き疲れた少女は、地面に座り込んだ。両腕で肩を抱えてちぢこまり、ただただ震えていた。
そんな少女の前に、光が現れた。
頭上から降るあたたかな光に、少女は涙でぐずぐずになった顔を上げた。
黒いスーツを着た大人の足が見えた。視線を上に移していくと、燕尾服を着た体があった。さらに上を見上げると、頭のあるはずの場所に、火のついたランタンがある。ランタンの火が揺れ、少女の周りを明るく照らし出している。
火がひときわ大きく揺らめいて、そこから声がした。
「迎えに来ました。さあ、一緒に行きましょう」
少女はきょとんとしてそれを見ていた。どこか上の空のまま、彼に答えた。
「しらない人にはついてっちゃいけないって、おかあさんが言ってた」
「そうですか……困りましたね」
彼は頭を掻いた。もとい、ランタンの上についている傘の部分を、かりかりとひっかいた。
「じゃあ、ちょっと見ていてくださいね」
そう言って、明るく照らされた地面を指さした。
少女は地面を見つめる。ランタン頭は、白い手袋をはめた両手を重ね、それを顔の前にかざした。
地面に、黒い蝶が現れた。
「わ! ちょうちょ!」
驚く少女の前で、影絵の蝶は優雅に地を舞う。ひとしきり飛び回り、蝶はやがて少女の白いひざにとまる。ゆっくりと羽を開いては閉じ、休息を終えた蝶は、やがて光の外へと飛び去って行った。
少女が寂しがる間もなく、次の演目が始まった。せわしなく横移動する蟹に、のんびり歩むかたつむり。跳ねるウサギに、吠える犬。影絵の動物たちを、少女はきゃっきゃと笑い声をあげて、楽しそうに見ている。
影絵芝居が終わって、少女はすっかり満足した様子だった。もうその顔にも、怯えの色は見られない。ランタン頭は少女の前にしゃがんだ。長い手足を折りたたんで、そのランタンの火を少女の顔の高さに合わせた。
「楽しかったですか?」
「うん!」
「それはよかった」
穏やかな声音で、彼は言う。
「いっしょに遊んでくれてありがとうございます。これでもう、私たちはおともだちですね」
「おともだち?」
「はい。もう、知らない人ではないでしょう?」
「うん。でも、おとながおともだちって、へんだよ」
「そうかもしれませんね。でも、私の見た目だって、へんでしょう」
「うん。へんだよ」
少女はなにやらそわそわし始めた。緊張がほぐれたことで、彼に対する疑問がわいてきたのだろう。すぐにがまんできなくなったようで、
「ねえねえ、おにいさん、どうして頭がそんななの?」
目を輝かせて彼に問いかける。
彼は分かっていた。今その質問に答えても、また別の「どうして?」が飛んできて、質問攻めにされてしまうだろう。このくらいの年の子にはよくあることだ。
だから彼はこう提案した。
「少し歩きませんか? 歩きながらお話しましょう」
闇の中を、二つの人影が歩いていく。ランタン頭の彼の後ろを、とことことついてくる少女。明かりは彼の頭を中心に、同心円状に彼らを包み込んでいる。
少女はやっぱり、ランタン頭を質問攻めにしていた。
「ねえねえ、なんであたまがもえてるの? ねえねえねえ」
「さっきから言っているでしょう。『そういうもの』だからですよ」
穏やかにさとす彼だが、少女は納得しない。
「だから、そーいうことってどーいうことー!」
「……分かりました、ちゃんと説明します」
根負けして、彼は語り始める。
「あるとき気づいたら、私はここにいたんです。そして、私の姿について、私がやるべきことについても、分かっていました。誰にも、何も教えられずとも。……神様の声、とでもいうのでしょうか。なにか清らかなものが私の胸を満たしていました。その声はこう言いました。『お前は光、闇を照らす、ただ一つのともしび』『我の与えしその光で、迷い人達を導け』……私の説明できることはこれだけです。分かっていただけましたか?」
少女は首をひねる。
「んー。わかんない」
「そうですか……。ならもう少し簡単に説明……」
「ねえねえ! おにいさんはなんでそんなにせがたかいの?」
少女の関心は、また別のことに切り替わったらしい。ランタン頭は少し思案して、その火をわすかに揺らめかせた。笑った、らしい。
「そうですね……遠くまで、よく照らせるように、でしょうか」
「ふうん。じゃあじゃあ、なんでおにいさんはてぶくろをしているの?」
「それはですね……」
二人のやりとりは続いた。
「着きましたよ。ほら」
やがてランタン頭は立ち止まった。彼の指し示す先には、扉。彼の背丈よりもはるかに高い、巨大な大理石の、両開きの扉。一面に彫刻が施されていて、まるで宗教画のような、荘厳な気配をまとっている。
その扉に近づいた少女は、不思議そうに扉をぺたぺたと触っている。怖がっている様子はない。ランタン頭は安堵した。たまにいるのだ、扉の「向こう側」を直感して、取り乱したり自暴自棄になる人が。今回は幼い子どもということもあり、まだ「そのこと」には気づいていないようだった。
彼はゆっくりと少女に歩み寄る。扉にほっぺたをつけて温度を確かめている少女の目に、膝を折ってこちらを見つめる彼の姿が映った。
「さあ、扉の向こうへ行きましょう」
「なんで?」
「『そういうもの』だからですよ。それに、向こうはいいところだと聞きました。おいしい食事も、気持ちいい寝床もある。それに、一緒に遊んでくれるお友達もたくさんいますよ」
「おともだち……」
「そうです」
「でも……」
言葉を探している少女。少女の言わんとしていることは、なんとなく彼にも分かった。だから、彼は言った。出来る限りのやさしさを込めて。
「おかあさんも、おとうさんも、そのうち来てくれますよ」
「ほんと!?」
「ええきっと。向こうの世界で、お友達と家族といっしょに、ずうっと暮らせますよ」
「ほんとに!?」
少女は飛び上がらんばかりだ。彼は強く繰り返した。
「ほんとです」
「よかったぁ」
少女はふにゃりと笑った。安心したようだった。
扉から、かちゃり、と音がした。
「ほら、扉が開きますよ」
扉が音もなくこちら側に開いていく。向こうからまばゆい光が差し込んで、並んで立つ二人を照らしつけている。
少女が光の方を見つめたまま、彼の手にふれ、握った。
二人はしばらく手をつないだまま、無言で、光の奔流の中にいた。やがてランタン頭が沈黙を破った。
「私は、向こう側には行けません」
「どうして? いっしょにいこうよ」
「すみません、『そういうこと』と決まっていますから。私にはまだ、ここでやるべきことがある」
そのとき、かすかにラッパの音が響いた。音はだんだん近くなる。
それと同時に、光の中から誰かが降りてくる。それは少女と同じ年頃の子どもたちだった。ひかりの子どもたちは少女に手招きをする。おいでよ、いっしょにあそぼうよ、そう誘うかのように。
少女は彼らの手をとった。一歩二歩と進み、それから、なごりおしそうにランタン頭の方を見やる。
彼はその火を揺らして、
「いってらっしゃいませ」
胸に手を当て、一礼する。
少女はにっこりと笑った。
「いってきます!」
そう言ったかと思うと、くるりと振り向き、扉の向こうで待っている子どもたちの方へ駆けていく。そのちいさな背中は光に溶け、消えた。
扉がゆっくりと閉じていく。天上のラッパが遠ざかっていく。光の奔流は途切れ、あとには暗闇と、ランタンの小さな明かりだけが残った。
彼はしばらくその扉を見つめていたが、やがて踵を返すと、闇の中を一人歩いていった。
次の迷い人を見つけ、導くために。いつ終わるとも知れぬ、自らの責務を果たすために。
暗闇照らす、灯火ひとつ あおきひび @nobelu_hibikito
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