後編

 それから男は有紀のアパートに通うようになった。

 有紀はセンスはあるが不器用だったため、根気強く教える必要があり、男は已む無く近くのショッピングモールに勤めて、アパートも借りた。


 そして、有紀に半年ほどイラストの技術を教えているうちに、気がついたら彼女の部屋に一緒に住んでいた。

 仕方ない。

 この街は物価が高いからな。


 それからさらに半年。

 有紀のイラストが物になり始めて、男が自分の仕事も終わりに近いと思い、小さくなっていた復讐心を再び燃え上がらせていた頃。


 三人で夕食を食べていると、里香が突然痙攣を起こして倒れた。

 驚いて額を触ると驚くほどの熱さだった。

 声をかけるが、返事をしない。


 動揺している有紀をなだめると、男は救急車を呼んだ。

 そして救急車が来るまで男は里香の近くに居た。


 すると、熱で意識も朦朧としているはずの里香が男の手を突然握った。

 驚き、慌てる男に薄っすらと眼を開けた里香がつぶやくような声で言った。


「……パパ……里香……死んじゃうの?」


 男は反射的に「大丈夫だ。すぐよくなるから。パパもママもついてる」と言うと、里香が微笑んだように見えた。


「パパと……ママとお別れしない?」


「絶対大丈夫だ。約束する」


「……良かった」


 その言葉を聞き、男は不思議な気持ちになった。


 この子は俺を心から信じてくれてるのか?


 今まで生きてきて「信じてもらう」と言う事を感じた事はなかった。

 いつでも誰かとの評価の比べあいや、自分の商品価値。

 そして、値踏みする視線。

 それからの……挫折と生活苦。


 思えばいつでも……誰かに信じて欲しかったのだろうか? 

 俺は……ただ、誰かに必要と……


 そう思っていると、電話が鳴って有紀が詳しいアパートの部屋の位置を伝えると、救急隊が部屋に入ってきた。

 そして、何か難しい事をお互いにまくし立てながら里香をストレッチャーに乗せる。


 男は気がついたら、救急隊に向かって深々と頭を下げていた。


「娘を……お願いします。助けてください! 必要なら僕の血でもなんでも使って……」


 その後、里香は抗生剤等の処置で一命をとりとめ、彼女の退院を待ち……男と有紀は結婚した。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 それから二十年が過ぎた。


 すでに結婚した里香が旦那と孫を連れてきていて、ひとしきり孫の相手をさせられた男はヘトヘトになりながら、リビングに戻ってきた。

 いつもは男と有紀の間に生まれた子供……幸雄ゆきおが遊んでいるのだが、彼はこの春から大学に入学し二人の元を離れている。


「お疲れ様でした。はい、コーヒー。あなた明日もお仕事でしょ? 無理しないでね」


 男は有紀が出してくれたアイスコーヒーを微笑みながら受け取った。

 そうだ。

 明日は勤めているショッピングモールの店長会議がある。

 売り上げもお陰で上々だ。


「そうだな。でもつい……ね。あの子と遊んでると時間を忘れてしまう。お前もこの前、新しい依頼が来たんだろ。イラストの……無理するなよ」


「ふふっ、大丈夫。あなたがいっつも気遣ってくれるから。でも、何だかんだであなたすごく楽しそうですもの。それで頑張れる」


「そうだな……楽しいよ。そして……」


 言葉を切ると、男はアイスコーヒーを飲んだ。


 そして……幸せだ。

 あの日。

 あの変なサンタクロースと名乗る老人と出会った日。

 その時の自分を思うと、あまりに遠い……別の世界に来たかのようだった。

 だが、その別の世界はこの上なく暖かくて、幸せだ。


「有難う、有紀。君のお陰で僕は……幸せだ」


「えっ! どうしたの、急に!」


 驚いたように言う有紀は、すぐに恥ずかしそうに微笑むと男の背中から抱きついてきた。


「私も……幸せ。ありがとう。あの日、私と出会ってくれて。実はね……あの日、私……死のうと思ってた」


 え……

 驚いて有紀を見る男に、彼女は悲しそうに微笑んだ。


「夫が何も言わずに出て行って、私と小さい里香だけで。しかも仕事も見つからなくて経済的にも困窮して……このままじゃ里香を不幸にする。だったいっそ、あの子を連れて……って。で、最後の最後に人間らしいことして……と思った時にあなたと出会って……」


 男はポカンとした。

 そうだったのか……

 じゃあ……最初から自分たちは同じ場所に居たのか……

 そして、お互いの足りないものを埋めた。


 男は有紀を優しく抱きしめた。


「これからも幸せになるんだ。みんなで……愛してるよ」


 そう言いながら男は有紀の目を見た。

 彼女も男の目を何度も瞬きしながら見返す。


 それを見ているうちに……段々頭がボンヤリしてきて……


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 次に気付いたとき、男は周囲を灰色のコンクリートに囲まれた、狭く小さな部屋に居た。


 ここは……

 何だ、一体?

 有紀は? 里香は? 幸雄……みんなは?


 この格好は何だ?

 なんでこんな汚い服を……


 呆然としている男がふと人の気配を感じて顔を上げると、そこには懐かしい人物……白いひげを蓄えた老人が立っていた。


「久しぶりじゃな、鈴木」


 男は慌ててサンタクロースに言った。


「ここはどこなんです!? 僕は……なぜ」


「ここは刑務所の独房。お前は、あの町で……多数の人の命を奪ったんじゃ」


「命……を?」


「そう。あのソリを降りたお前は、そのまま街に行き目に付く端から……」


 そう言って老人は男の目の前にぼんやりとした、映像を映し出した。

 そこには周囲の人間をナイフで刺し……ガソリンをまいて火をつける男性。

 そして……倒れる人たち。


 その中に、ビジネスマンを庇うように倒れている女性……

 それが誰か分かった男は叫ぶように言った。


「有紀……有紀! 何で! 何でお前が! なんで……」


「お前が刺したんだからな。それであの娘は死んだ」


「僕はあんなことしていない! 僕は彼女と結婚した! それで……幸せに……」


「あれは『もう一つの可能性』じゃ。お前が衝動を押さえ、自らと向き合ったときの」


 男は愕然として、その場で声をあげて泣き始めた。


 有紀……里香……

 俺は……あんな幸せを踏みにじろうとしてたのか……

 自分には別の幸せがあった。

 なのに、それを見つけようともせず周囲に恨み言ばかりだった。


 その結果が……

 男はただ泣き続けた。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 急に涼しい空気を感じた男が眼を開けると、そこは町外れだった。

 少し離れたところにはいくつもの灯りが点っている。


 あれは……


 慌てて周囲を見回すと、そこには老人とそり、そしてトナカイが居た。

 そして、男の横には銃を入れた大きなバッグ。


「僕は……」


「ふむ、どうじゃった。お前の人生の『二つの可能性』は。わしからのクリスマスプレゼントじゃ。お前がやりたかった仕返しをした時。しなかったとき。それをわしが仮の物語として見せた」


「じゃあ……僕は……まだ何もしてない……」


 老人は頷いた。


「さて、ここからどうする?」


 男は泣きながら言葉を搾り出した。


「彼女に……会いたい。娘にも……」


「残念だが、あの二人がいるとは限らん。あれはわしが仮で見せた物語。これからどうするかはお前次第じゃ。現実は物語のように都合良くはない。ままならぬ現実に苦しみ……孤独のまま生涯をすごすかも知れんな。少し前のお前のように……いいのか?」


 男は何度も頷いた。

 現実が辛い? そんなの当たり前だ。

 でも……それを自分で幸せにすればいい。

 埋もれてて見つけにくければ、探して掘り出せばいい。

 そして育てれば。

 そうできる事は分かった。


 そして……


「絶対に彼女を見つけます。娘も……どれだけかかってもいい。そうなっても二人に相応しい僕になる時間をもらえた、と思うので」


 そう言うと男は老人に頭を下げた。


「本当に……有難うございました。あ、このバッグの中身は処分して下さい」


 そう言って男はもう一度頭を下げると、しっかりした足取りで街に向かって歩いていった。


 老人は男の後姿を見ながら微笑んだ。


 老人が見せた物語。

 あれは男の数ある未来の可能性の一つ。


「お前の家族と出会えるといいな。あれも間違いなくお前の未来の可能性の一つなんじゃ。だが分かりきった未来は時に毒となる。知らないほうが頑張れるじゃろ」


 そして、老人は男の残したバッグを持つとひいい……と悲鳴を上げた。


「何て重い。老人には堪える……」


【終わり】

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老人と犯罪者 京野 薫 @kkyono

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