果たして、「どっち」が怪物だったのか。
主人公の女性は、「ある男」によって拉致監禁される憂き目に遭っている。
外界から隔絶され、逃げることも叶わない。「社会人」としてまっとうに生きていた人生は終わりを告げ、与えられた部屋でのみ生きることを求められる。
でも、男は誘拐した彼女に「手を出す」ということはしない。あくまでも紳士的に、「美しい彼女」が傍にいることだけを願う。
いわば、「観賞用」として。
この感じは、ウィリアム・ワイラー(『ローマの休日』の監督)の「コレクター」を彷彿とさせられます。偏執的な狂気を持ちつつも、一歩引いた形で「美」としてのみ愛好しようとする男。
そんな風に閉じ込められて、「生活するのに不自由はない」状況を作られる。
どうにかして反撃できないか。自分に手を出してきたら、その隙に、などと画策するも、男はあくまでも紳士的に接してくるために平行線となる。
……その先で、どんなことになるか。
「コレクター」などの映画では描かれなかった「もしも」が本作では描き出されているように感じました。「監禁生活が平穏に続けば、その先も何年も時間が続いていくこと」、「運動もしないで何年も一つの部屋に留まっていれば、姿だって変わって行くこと」。
監禁されている部屋を「繭」と捉え、長い年月をかけて肉体的にも、精神的にも変貌していく彼女。
その繭の中で成熟していく姿は、果たして蝶々のように美しいものとなるか、それとも……
定番のネタを逆手に取り、思わぬ地平に読者を連れて行ってくれる、シニカルな魅力に満ちた一作でした。