汗の染み
山木 元春
汗の染み
よし、もう終わりだ。自殺しよう。自殺を仄めかして他人の気を引くとかそういうのではなく、そういうのではないことを証明する為にも、自殺をしよう。そもそも生きる目的や理由がないのだ俺には。無理やり生きる理由を考えだして、それを夢に位置付けて、心から信じきることでこれまでなんとかやってきたけど、もう無理なんだ。「やりたいこと」と「やるべきこと」をずっと悩んでいて、やりたいことが見つからなかったからやるべきことがやりたいことだと思い込んで、目標を立てて、それに向けてずっと努力してきた。それでも結局ダメだった。もう、頑張れない。この先の人生で何にも努力できる気がしない。そして、そんな人生に価値はない。だから死のう。さっと潔く。すぱっと切り捨てて。
目標が生きる原動力なのだと目標を失って気づいた。もう何もする気になれない。ゴールのない持久走だ。
なるほど持久走か。そうだ、人生は持久走に似ている。しんどいし疲れるし長いし辛いし意味があるのか分からないところがそっくりだ。あと、諦めて自分で終わらせることができる点も似ている。ゴールだと信じていた場所がゴールではなかった時、それでも走り続けられるか。俺はもうそれを七回は繰り返したよ。まだ走り続けろっていうのかい。そろそろ、休ませてくれ。切実に。
「走ったら膝痛なったわ」
「走るからや」
休暇中、実家の父親との会話。その通りだと思う。ぐうの音も出ない。
川で泳ぐから溺れるんだ。勝負なんかするから負けるんだ。告白なんてするから振られるんだ。試験なんか受けるから落ちるんだ。
人生で恋人が出来たことはない。夢と恋人、両方追い求める能力が俺にないことくらい分かっていたからだ。二兎追う物はなんとやら。夢さえ叶えられればそれで良いと思っていた。今となってはその夢も叶いそうにない。
虚しさの果てに流す涙もなし(自由律俳句)
ただ生存していることを“生きている”とは呼ばないと思う。現状、楽な仕事をこなして、贅沢こそできないが金に困窮することはなく、自分の欲を満たして、この上ない暮らしだ。満ち足りているはずなのに虚しさがある。ぬるま湯だ。何もせずとも心地よく、いつまでもこの場所に居たい気持ちになってしまう。ずっと浸かり続けているとのぼせてしまって頭の中がぼんやりしてくる。何も分からなって、動けない。抜け出せない。それでも、生存はしている。何もせず、生存している。でも、何もしていないから、“生きている”とは呼べない。“生きている”というのは荒波の中で或いは濁流の中で必死に抗って泳ぐことを言うのだ。彼の地を目指すことを言うのだ。ぬるま湯の中で泳いだところで、どこにも行けない。だから早くぬるま湯から上がって、あの海へ飛び込もう!さぁ!飛び込め!飛び込め!飛び込め!飛び込め!飛び込め!飛び込め!飛び込め!飛び込め!
産んでくれと頼んだ覚えはない。
幸せになれない人間なんだ。俺は。生まれながらに。人を不幸にしたのだから。
苦しい。これ以上苦しみたくない。死んでしまえば、この脳髄を粉砕すれば、苦しみから解放されるはずだ。そうだろう?俺に死ぬなと言うことは、苦しみ続けろと言っているのと同じじゃないか。みんなそんなに、俺に苦しみながら生き続けて欲しいのか。そんなに俺は、嫌われているのか……。
もう、無理だ。今回は本当に。
もう諦めます。諦めますから、許してください。
——お前から、諦めないド根性を抜いたら何が残るんだよ。
——何も残らない。だから死ぬのだ。
かつて人を悲しませない死に方があっただろうか。誰にも悲しまれない“人の死”が。近頃は死刑制度にすら廃止の議論がなされているというのに。人はいずれ死ぬ。自分の身に訪れる事故や病気はどうにも選べない。だけど、自殺なら選ぶことができる。自分の死に方を自分で選べる。最期の瞬間まで死にたくないと願いながら死んだ人間と、死にたいと願って自ら死んだ人間。どちらが幸せか。……わかるだろ?
もう俺には勇気も力も残っていない。使い果たし、絞り尽くしてしまったのだ。残り滓だよ俺は。一番美味いところを流しに捨てたようなもんだ。器だと思っていたものがザルだったんだから。
誰が茶殻を欲しがる、えぇ?ゴミ箱に入れて消臭剤代わりにするだろう。それか靴箱に入れるか、だ。靴箱の中は住みやすいだろうか。いや住みやすさに関わらず、自分がそれを受け容れられるかどうかが問題なのだ。受け容れられないなら、ゴミ箱に行け。
一旦、何もかも捨ててしまおう。職も金も社会的身分も、妙な考え方も信じているものも、人間関係も、誇りも、誉れも。洗いざらいを捨てちまって、それでも俺の中に残ったものがあれば、それを俺は愛そう。きっと。何も残らなかったら……わかるだろ?
目標なき人生に生きる価値なし。
初めからお前には高望みだったんだよ。
「開き直ったら?」
「開き直るってなんだよ」
「今お前がいる環境で満足してしまえよ」
「無理だ。ここまで考えてしまったら、もうこれまでと同じようにふるまえやしない」
「残念だな」
「とにかく、今のままじゃ駄目なんだ」
もう限界なんだよ。頑張ることができない。去年から薄々分かってたことだ。去年初めて、自信満々に試験を受けて落ちた時からうっすら無気力になっていった。信じる力の強さは信じるものが消えた途端、まるで幻だったみたいに消え去ってしまうものなのだ。分かるかい。未来を信じる力の話だ。夢を持つ者に与えられる強力な力。宇宙で一番強い力が実はそれなんだ。俺はそれでも届かなかったけれど。俺が持つ素の力が足りなかったんだろう。えぇ、そんな力は宇宙に存在しない?まぁ俺が言ってるだけなんだけどさ。
そう、信じたいじゃないか。
しゃぼん玉、だな。
——俺が?それとも夢が?
両方。
しゃぼん玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
壊れて消えた
——屋根まで飛んでって、やっぱり屋根“までも”飛んだのかな。
んなわけねえだろ。
胸が痛い。或いは喉の奥かも。大きく息を吸ったり吐いたりすると痛む。熱中症かもしれない。
寒い、この部屋冷房が効きすぎだ。
震えている。
——まぁ寒いからな。
あぁこんなことならあの時死んでおけばよかった。あの時、それかあの時。
さらに遡るなら、産まれたときに死んでいればこんな辛い目にも遭わないで済んだ。
へその緒が、首に巻きついていたらしい。助産師が手を突っ込んで俺の体をくるりと回したおかげで俺は助けられた。美談だ。だけど時々考える。本来俺はここで死ぬ筈だったのではないか。運命を変えてしまったから、俺はこの世界にとって余分な存在となってしまったのではないか。この世界に噛み合わないのは、間違って組み込まれた不要な歯車だからじゃないか。なんだかいつも空回りばかりしている。こんなことを真面目に考えるくらいには、空回りしている。
——まぁ、死に方の参考くらいにはできそうな話だ。
参考程度の与太話ってか。
——言っとくが、死に方をあらかじめ決められると思うなよ。
自殺なら死に方を選べるってさっき言ったじゃないか。
——決めていても、いざその時になったらどうなるかわからんさ。
……心変わりすると?
——いいや、自殺は衝動だ。勢いが大事なのさ。いざその時に手段なんか選んでられるかよ。
ここで諦めてたまるかという気持ちが、まだ残っていることに気づいた。この期に及んで、俺はまだ、夢を捨てられないのか。往生際が悪い。なるほど今初めて気づいたのだが、往生際という単語は言い得て妙だ。俺は、この往生際の悪さで今日まで生きながらえてきたのだ。ギリギリで往生を選ばずに。しぶとく。
歩き続けてきた。もう、休ませてくれ。アスファルトに構わず、四肢を投げ出して、仰向けになって寝そべってしまいたい。空を見上げ、目を閉じて後頭部を硬い地面に優しくつけるのだ。全身から噴き出る汗が地面に流れ落ち、少しの間だけ、俺がそこに居たことを示す染みを作るだろう。
俺の存在を証明する汗の染みだ。
余った歯車かもしれないが、俺は確かにここに居る!……或いは居たのだ。
この文章も汗の染みのようなものだ。俺がこの世界に確かに存在したことを示した痕跡。じきに乾いて消えるだろう。ほんの短時間だけこの世界に残る文章。歴史には残らない。歴史に残る文章の方が稀なのだから。俺の汗の染みが消えても世界は変わりなく回っていく。何事もなかったみたいに。それも当然、俺は世界に必要とされていない歯車だから。
汗と共に流れ出たのは、自信と勇気と気力と希望と意志と根性と誉れだった。最期の一滴まで絞り切って、もう、何も残っていない。
2XXX年……宇宙船地球号、石油残量なし。
石油を増やす術は、見つかったか?地球以外の星に生命体は見つかったか?えぇ、何、見つかったところで星間飛行を遂行できる程の燃料が残っていない?
俺もだ。
汗の染み 山木 元春 @Yamaki_Motoharu
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