10月4日兵

リセットボタン連打

第1話 キラキラファッショとサムダウンおじさん

靖乃、

わたしの靖乃。

わたしが作った靖乃。

あなたが作った靖乃でもある。

あなたが何者であるのか、どういう者であるのか、

世の中につまびらかに解き明かされる機会は失われた。

ある意味では予定どおり、でもわたしや皆にとっては唐突で早すぎる。

どうしてお別れの言葉をつたえなければいけなくなってしまったんだろう。

あなたの果断で迷いのない性格、

ただ美しい存在としてだけ存在することを是としなかった矜持、

そういうあなたのすべてを愛していたけれど、

それが破滅への筋道になっていることには薄々気づいていた。

ごめんね、さようなら。


 極東の島国、ヤポネシア共和国。その一角にある地方都市に四十年以上前に一世を風靡して以来根強い人気をもつロボットアニメのグッズショップが開店した。

 物流会社の派遣社員である浅川と、同僚で浅川と同じアニメおたくである田所は早速ショッピングモールの一角を占めるその店に赴いた。

 田所はネットミーム化した、テレビアニメに出てくる二重あごの号泣おじさんみたいな風采の男で、どんぐりまなこの目元がそれ以外のパーツに対して不釣り合いに幼いのがアンバランスな印象を与える。凡庸なベージュのスラックスと薄いブルーのワイシャツ姿。

 対する浅川も異世界転生したおじさんが現世に戻ってくる漫画の主人公をいっそう貧相にしたようなメガネのおじさん。着ているものも田所に負けず劣らずつまらない作業服のようなグレーのウィンドブレーカーにチノパン、二人揃って靴は仕事に使う安全靴。

 要するに、うだつの上がらない二人組だ。

 彼ら職場のおたく仲間には、もうひとり、平塚という女性がいる。彼らより少し年下の20代後半で、いつも目にかかるような前髪の無造作なひとつ結びの髪型で化粧っ気がなく服装も地味。緑色のだぶだぶした戦闘服とGパンを一張羅のように着て仕事にも遊びにもやってくる。


「もって生まれたものは悪くなさそうだし、もう少し身だしなみに気を使えば画期的によくなりそうなのに。」


という男二人のおせっかいを、


「そういうことを言われるのもめんどくさいです。」


の、ひとことで一蹴する。

 この平塚には女友だちが多く、浅川と田所とはあまり関わりがないがその中のおたく趣味者の中でなにか同人活動のようなことをしているらしい。だがそのことについて浅川と田所には詳しく話したがらない。なにか思いつめたところがあるようでもあるが、話しにくいことらしいから二人もあえて聞かない。人生相談というガラではない。

 ただ、田所の部屋でエロゲーやアニメ、漫画、同人誌などの話題でまったり雑談していれば楽しい、そういう仲間だ。

 そもそもこのロボットアニメのグッズショップに行きたいと言い出したのは平塚で、浅川と田所はそれに付き合うような形でこの場にやってきた。

 その平塚が、珍しく遅刻している。


「なにもいってこないね。」


 田所がスマホでSNSを覗き見て不可解そうな顔をする。ラフな出で立ちと裏腹に、そういうところでのいい加減さはまったくない平塚だけに、ひょっとしたらなにか事故か?という心配がよぎる。


「あー、これかも。」


 田所がSNSの画面を浅川に向ける。


『警戒警報発令により公共交通機関の運行が乱れています。』


という速報表示が交通案内サイトに掲示されている。

 合点がいった。二人も通勤時に時速100キロ近い快速電車が急減速し、


「ただいま警報により徐行中です。お急ぎのところ恐縮ですが、安全が確認されるまでしばらくお待ちください。」


などというアナウンスが流れ、強制的に遅刻させられるというような経験が何度かある。ヤポネシア近海で発生する火力投射が本土に及ぶ可能性があると軍隊のデータリンクと直結した警報が自動的に発令される。それによって列車が徐行させられるが、通例的な対艦ミサイルの応酬に決し、彼我の艦艇以外のものが標的にならないことが判明すればすぐに元通りの運行に復帰する。

 十年も前に本土への弾道ミサイル攻撃や空襲が行われて以来地上への着弾はなく、上のようなことが常だと知れ渡って以来、市井でも空襲警報の深刻みはだいぶ軽くなった。

 遠い過去の空襲以外に、浅川たちが見たことがある戦争の具体的光景は、警報のほかには仕事で見る梱包された軍需品と避難訓練、電波妨害によって護衛艦の近傍海面に着水爆散するミサイルのニュース映像だけだ。


 ヤポネシア共和国は戦時下にある。

 第二次世界大戦で敗退したヤポネシア帝国の版図であったユーラシア大陸東北地区”マンチュリア”と呼ばれていた地区が連合国軍の縄張り争いのどさくさのさなかに独立し、旧帝國が戦前に送り込んだテクノクラートが中心になって運営される全体主義国家が成立した。この国家「マンチュリア」は中華人民共和国、ソビエト連邦、そしてヤポネシア共和国と、一方で軍事的緊張をはらみながら対峙し、他方で経済、人員の流通を介し相互に成長してきた。

 1988年、戦後ヤポネシア共和国と軍事同盟を結んでいた大国アメリゴ・ヴェスプッチ共和国は宇宙空間まで射程に入れたBMDの完成によって自国の核防空に自信をつけ、ソ連の退勢に乗じて勢力圏の拡大に方針を転じた。マンチュリアが実効支配していたサハリンにたいするヤポネシア共和国の領土主張を積極的に支援し、ヤポネシア復帰運動が「樺太」で騒乱をひきおこしたところでマンチュリア軍がヤポネシアに駐留するアメリゴ共和国の軍事施設を攻撃した。

 かつてアジア太平洋地域の国々を侵略し塗炭の苦しみに落として第二次世界大戦に敗退し消滅したヤポネシア帝国の反省から、非軍事化を強く押し出す憲法をもっていたヤポネシア共和国であったが、海の向こうからの攻撃によって世論はあっという間に硬化し非戦姿勢は雲散霧消した。

 当初、アメリゴ軍とヤポネシア国防軍”自衛隊”の連合軍がサハリン上陸を企図したが敵国の航空阻止によって挫折し、膠着状態になって今に至る。


 平塚は徐行する電車に捕まっているのだろうか、それならSNSにひとこと入れるくらいしてきそうなものだ、などと浅川が思っていると、スマホに向かっていた田所が冷笑的な表情で再びニュース画面を向けてくる。


「みてみろよ、これ。」


『流通業労組「戦時下で過酷さを増す労働環境は非人間的領域にある、再考を。」業界に労働条件について交渉を要求。』


 浅川たちもこの業界に属する派遣労働者で、まさにその非人間的労働環境を日々実感している。なし崩し的に延長される労働時間から、作業員の疲労以外に原因がない労災の頻発、それらは作業要領を改定して表向き「解決」される。


「徒党を組んで『労働条件について交渉』ってなんだよ、アカみたいなこと言って。」


 田所が苦々しげにいう。


「いや、団体交渉はしないと無茶な働き方を強要されっぱなしになるでしょ。」


 彼との議論は不毛なのを承知で浅川もつい言い返してしまう。


「こういうのはマンチュリアや中国の諜報機関に支援を受けていて、我が国の軍需生産力を低下させるために煽ってるんだよ。」

「切実な労働者の要望が形になっただけだと思うけど。」


 戦時労働管理法が施行され成人男性が原則としてついてはいけない職業というものが生まれた。おおまかに第三次産業のことで、その職業にあった労働人口は軍需工場と流通業に従事するように追い立てられた。これのせいで、半分休業状態の家業を手伝って呑気に暮らしていた浅川も流通会社の倉庫で適性のない仕事につかされて青息吐息の就労生活を送っている。


「労働環境なんていうワードは恵まれた暮らしをしながら机上の空論をこねくりまわすインテリがたきつける無益な概念だよ。」


 田所が侮蔑的に鼻で笑う。

 浅川は田所を、べつに悪い男ではないと思っている。体力気力のありあまっている彼はまわりの同僚を助けながらよく働く。浅川も何度も彼に助けてもらった。環境に適応できた善良な市民だ。その彼から見れば、労働環境という言葉が甘えのように見えるのかもしれない。しかし、


「君の親戚の方(かた)だって一般応召兵として戦死して、雀の涙の見舞金に激怒したご家族が職業自衛官との補償格差への抗議活動に参加したと言ってたじゃないか。」

「だから、この戦時下にそういうのが駄目なんだよ、なんでただ補償を十分にしろと言えないの。」

「同じことだろう。」

「同じじゃないよ『補償格差』っていう言葉づかいにやっかみや国に対する謀反の心が含まれているだろ。」

「謀反の心・・・」

「ただ穏便に請願すればいいんだよ。」

「請願しても門前払いされる仕組みになってるから抗議活動が起きたんじゃない?」

「戦時下だ、国民全体が多少の痛みを忍従すべきだろ。」


 田所はいちいち口答えする浅川にうんざりした顔で横を向く。

 浅川は、軍需産業、企業経営者に『戦時下』がていよく利用されて自分たちばかりが痛みを強いられているように感じる。だがそれを田所に言っても


「どこでそういうアカっぽい考え方を仕入れてくるわけ?」


 などという反応が返ってくるだけだろう。

 そしてこれは彼が特別なわけではない。以前田所が浅川に見せてきた動画投稿サイトの映像では、増税軍拡に反対するデモに車で突っ込んだ暴力団員に喝采するコメントが少なからず流れていた。こういった社会問題についてSNSの論調は田所のような意見を開陳する人が珍しくない。昭和75年に改定された現行憲法が国民主権を否定して近代憲法の体をなしておらず、改定前のヤポネシア憲法に禁止された不当な改変であるという学者の見解などには「現実を知らない」という国民の非難が殺到する。

 大衆が、自分たちが当事者であり、搾取されていることに気がつかないように巧妙に社会をデザインした者がいるんじゃないか、と浅川は常々思う。

 今まさに彼の目の前で、当事者である流通業労働者が労働運動を冷笑している。


「あの・・・どうも。」


 不意に斜め後ろからレーススカートの女性に声をかけられた。少しだけブラウンがかったショートボブの髪、控え目にメイクされた気後れするような容貌、ラウンドカラーのブラウスの淡いグレーの色味がスカートの白を際立たせている。


「・・・はい?」

「わたしです。」

「えっとあの・・・」


 どちら様・・・田所と浅川がほぼ同時に困惑した表情で聞き返すと、相手は二人以上の困惑のていであたふたしはじめる。


「平塚です。」

「ええ~っ!」


 不覚にも田所と浅川は感嘆で合唱してしまった。

 グッズショップはひとまず置いて、どういう心境の変化なのかおっさん二人で尋問の気配になった。平塚も説明したいことがあるらしく、手近な喫茶店に入った。


「じつは私、友達と組んでVtuber活動をしているんです。」

「・・・」


 浅川と田所は息を呑み、気まずい顔を見合わせた。三人で雑談しているときに「あれは邪道」「二次元のガワをかぶった三次元はいらない」などと彼女からしてみれば暴言のようなことを二人で言っていたことが頭をよぎる。


「そんなことになっているとはつゆしらず以前失礼なことを・・・」

「その場限りの適当な感想だから、気にしないで・・・」

「あ、いいんだよ、Vについてどう思っていても、わたしは気にしない。」


 なんとも申し訳無ない、という気配になった二人にすぐに平塚がフォローを入れる。

 けれど、と彼女は続ける。


「最近その活動で視聴者数が増えて、企業案件ももらうようになってきて・・・自分たちの人気にそれなりの金額がかかった責任を負わなければいけなくなってきたんです。」


 田所の顔色がすっとひきしまった。


「なるほど、交友関係を整理したほうがいい、ということになったんだね。」

「わたしは大丈夫だと言ったんだけど、一緒にやっている友達が自分たちのお客さんに近いところにいる微妙な交際はリスクだと言い出して。」


 田所はすぐに理解したらしいが、オタク系の職場のおっさん二人との交流が活動の邪魔になる、ということのようだ。おくればせながら事態をのみこんだ浅川にしても無理もないように思えた。職場のおっさんとエロゲー好きの徒党を組んでいるなど、視聴者にバレてもバレなくても、なにかよくない伏線にしかなり得ないように感じられる。

 田所が迷いのない口調で平塚の事情に同情を示す。


「きみの友だちの言う通りだよ、身バレ絶対不可の芸能活動なんでしょう?」

「・・・うん、だから、今後はしばらくネットだけの関係・・・」

「SNSも含めた関わりを一切断とう、今までも職場では表立って会話してなかったから、そっちも大丈夫でしょ。」

「え・・・」


 田所の決然たる宣言に平塚が、なにもそこまで、という、命綱を外されたような表情をしたのが浅川には気になった。けれど、大筋、田所に異議のない浅川にはいうべき言葉が浮かばない。

 田所が滔々と所感をのべる場になった。


「仮に今まで通りなんて言ったところで、芸能活動で忙しくなる人に我々も迂闊によりつけないよ。それに、たしかにお友達の方がいうように近い界隈の消費者である微妙な距離感のおっさんと関わっているの、リスクでしょう。」

「わたしは二人は大丈夫っていったんです・・・エロゲーつながりでもセクハラまがいなことは一切してこなかったし、なんだったらわたしが際どいことをいっても絶対に一線を踏み外さなかったし。男女交際の気配とかは一切ないなごむだけの関係だと説明したんです。でも説得できなくて、なので今は表立たないようにしておいて機会をみてみんなに紹介して・・・」

「そんなややこしいことをしなくてもいいでしょう。内実はどうあれ、そのお友達だけでなく、知らない人からどう見られるかは別だよ。一緒に仕事をする人達から不安視されるような、それほど重要でないつながりは整理したほうがいい。」


 それほど重要でないつながり、と田所がいった途端、平塚が頬を打たれたような顔をしてうつむいた。浅川には、なんだか田所が平塚を追い詰めているように思われてきた。


「黙っていればおのずとなるようになっただけのことを、平塚さんが正面から筋を通して話してくれたから、こういうやりとりになっちゃったのでね。」


 浅川がなだめるように口添えする。


「真面目すぎるんだよ、平塚さん、なあ田所。」

「あ!・・・そうそう!・・・とにかく我々はどんな形であれ平塚さんに害のないように振る舞うつもりだし、なにも気にしなくていいんだよ。」


 押し黙ってうつむいた平塚に田所も内心あわてたのか、浅川と一緒になだめるような口調に一変する。

 平塚がうっすら目尻に涙をためた泣き笑いのような表情で顔をあげた。


「成功するためには友達付き合いも切らなきゃいけないのかな・・・イメージにそぐわないと企画もたくさん却下されるし、なんか辞めたくなってきちゃった。」

「やめなくていい!」

「もったいないよ!」


 また二人が同時に言葉を発した。


「これは・・・そう!友好的絶交だ。遠い将来気が向いたらまた雑談仲間としてつるめばいいよ。」

「そうそう。」

「でも、こんなことになって会社で会うの気まずいですね。」

「ああ、それなら大丈夫、俺と浅川、すぐあの職場離れるから。」


 田所は職員訓練施設の教官として栄転、浅川には市役所から令状が来ている。それぞれ事情を説明すると、平塚が不可解そうな顔を浅川に向けた。


「礼状って、どういうこと?」

「べつになにもやってないよ。軍事輸送のための荷役要員として徴用されるらしい。」

「それって、配属先で兵士と同じことをさせられる”赤紙”って噂されてるやつじゃないですか。」

「荷役ドローンのオペレーターだと行政のホームページに書いてあったから、仕事は今までと変わらないんじゃないかな。」


 グッズショップではそれぞれが贔屓のタイトルのプラモを探し歩いた。いつも趣味が変と田所と平塚から笑われ気味の浅川だけが、離れたコーナーでめぼしいものを物色する形になった。平塚の身の振り方の話からずっと、三人のやりとりがなんとなくぎくしゃくしてしまっている。平塚の見慣れない姿のせいもあって、普段どおりの調子が出ず、何を話してもよそよそしくなってしまう。


「軍事輸送就労制度というのがあって、それに浅川を推薦したんだ。」


 箱絵を眺めながらロボットデザインの論評をする合間、長めの沈黙に耐え兼ねたのか、田所がふと思いついたように平塚にいった。


「えっ・・・」

「世間では”赤紙”だとか根も葉もないことを言われているけど後方の集約施設で荷役ドローンを操縦するだけだよ。俺は昇進するし、浅川はあのまま会社にいてもうだつが上がらなそうだから、この制度で採用されれば手取りも増えるし福利厚生も手厚いし、先日昇進で付与された准職長権限で推薦ができたから。」


 平塚が怪訝な表情を田所に向ける。


「それ、本人には推薦したことを伝えました?」

「・・・いや、伝えてないけど?」

「まさかと思うけど、栄転の条件が同僚の推薦人数だったりしませんよね?」


 想像以上に険しい平塚の目線に田所が憮然とする。


「根拠のないデマで軍事輸送就労者を生命までとられるブラック労働のように考えているからそういう考え方になるんだよ。匿名掲示板の書き込み以外に根拠はあるかい?ちゃんとした大手の報道機関でとりあげられた証拠が。」

「新聞記事ならネットで見た気がするけど・・・」


 慌ただしく携帯の画面を指先でつついて記事を見つけ出し、ざっと目を通した田所がこわばった顔を上げる。


「・・・地方新聞と共産党の機関紙じゃないか・・・こんなのは論外だよ。」

「うしろ暗くない話ならなぜ本人に伝えないんですか?」


 不穏な雰囲気を漂わせている二人のところに浅川がやってきて、何事?という顔をする。


「なんでもないですよ!」


 とっさに平塚のした精一杯の作り笑顔が、生半な芸能人そこのけの可愛らしい雰囲気を醸しだした。それをみて田所と浅川は息を呑んだ。


「・・・Vのガワをかぶって活動するのは惜しいかわいさだなあ。」


 田所がいいだし、浅川も同調して顔出し推奨!などと調子をあわせた。


「おっさんどもまじクソうぜーなー、切って正解だったかなぁ。」


 平塚が苦笑いし、いつもの調子を取り戻して話が落ちた。


 グッズショップが入ったショッピングモールの真ん中には噴水がある巨大な吹き抜け空間があり、一端がターミナル駅と連結して雑踏の海に続いている。


「じゃ、この辺で。」

「頑張ってね!」

「応援・・・は”宗教上の理由”でできないけど成功を祈ってる。」


 平塚が小さくお辞儀して踵を返し、駅の雑踏に消えていった。

 頭のてっぺんから爪先まできれいにきまった後ろ姿が別人のようだった。


「あれ、俺たちが常々”平塚の本気を見てみたい”とか言ってたから、見せてくれたんだろうな。」


 田所が感に耐えないという顔でいった。


「あーそういうことだったのか!」


 浅川が、いかにも勘の悪い男の顔で掌を打った。


 平塚は同性の友達二人とVtuber活動を始め、それなりの成功を収めつつある。

 平塚が演じる仮想キャラクター”柊靖乃”は透明感のある声、清楚な語り口と裏腹にゲーム配信では持ち前のど根性でどんな難易度のゲームも泣き笑いの経緯の果て最終的にはプロ並みの達人になってしまうところが面白がられている。

 水野は平塚の務める大邪本倉庫株式会社の総務部労務課に属する。同じアニメのアクキーを持ち物につけていたところから平塚と知り合った。入社時期が二期後輩だが、職場の先任でもないのに平塚のことを「先輩」と呼んで慕ってくれる。いつも栗色のセミロングの髪にあった女性的な着こなしをしていて、どことなくアイドル的な可愛らしさがあって、外観的に、平塚が演じている柊靖乃を三次元化したら彼女だと、三人仲間のあいだでは定説となっていて、実際柊の演出計画はほぼ水野が担当している。

 都築は大邪本倉庫株式会社の営業部長をしていて、営業部デザイン課に務める平塚のかなり上の上司にあたる。とある配信者の配信のファンであることがわかってから年齢、階級、職掌を超えた同性の友達として親しくなった。仕事でもオフでも一本結びの質素な髪型と相応の服装で地味だが、清潔感のある挙措と表情をしていて、平塚にとっては将来こうなりたい理想的なアラフィフでもある。

 柊靖乃の外観と挙動を手配しセットアップしたのは都築で、その完成祝いに水野と彼女の家で打ち上げをしたときに、書架の様子から都築がドローン工学の博士号を持っていて、世界の流通を変革したという「ロジてこ・システム」の開発者だということを知った。

 そのことを平塚と水野は渋る都築から根掘り葉掘り聞き出していちいち感嘆したが、本人は趣味の友達にあまり知られたくないことのようだった。


 浅川と田所について、平塚にリスクではないかと言い始めたのは水野だった。それほどの重大事とも思わないという態度の都築にも食って掛からぬばかりの勢いで、柊靖乃の身辺を整理するように勧めた。

 この業界特有の炎上パターンというものがある。なにかのきっかけで演者のプライバシーが露呈し、それが視聴者の忌み嫌う類型に合致すると破滅的に燃え広がる。そうなると”内情を暴露”する自称事情通の発信が注目を集める。キャラクターの内情は秘密としているために公式から具体的説明が行われないため、情報飢餓に陥った視聴者たちがこういった内情暴露もののコンテンツに飛びつき、その発言が既成事実化して印象を固定する。そこに一片の事実もなければ時間とともに沈静化するが、ほどほどの距離感で中の人の行動範囲を知っている者が、ゴシップ好きな視聴者の勘所がわかる”事情通”に自らの知っている背景情報を伝え筋書きを作ることを許容すれば、なかなかの惨事になる。もっと悪いのは演者のドロドロの内実がそのまま情報屋に投稿され暴露するケース。

 水野は平塚が後者のような事態を引き起こす素行の者ではないことをよく承知しているが、今後、視聴者の知らぬところで彼氏ができるとか、その程度の変化は起きるだろうし、そういった平塚の正体に気づきそうな人たちの中にろくでもない者がいても不思議はないと思っている。

 しかし、水野本人も心配の仕方が度を越していることをうっすら自覚していて、


「わたし、平塚先輩が演じる靖乃にガチ恋してるんだと思います。」


などと自嘲的にごまかしながら、しかし交友関係を整理しろという一線は譲らなかった。最近起きた同業者の炎上事件の経緯をまとめたものをいろいろ見せて、水野の考える、こういうことの構造を平塚に言い含めた。

 最初は友人との絶交を渋っていた平塚が、根負けしたのか納得したのか、水野のアドバイスに従ったということを表明すると、都築は、


「平塚さんが大丈夫だと思うのなら、なにもそこまでしなくてもよかったんじゃない?」


と平塚を気づかった。

 水野は自分の指図に先輩が従ってくれたことを喜んでいるふうだったが、ことが実現してしまうと無理をいったという自覚、罪悪感が時間とともにおりのようにたまっていったらしく、SNS限りの交流くらいなら復帰してもいいなどと言い出した。

 その水野の言い草が、己の満足のいくようにしながら責任を負いたくはない、手前勝手なさじ加減を提案しているように聞こえて少し腹にすえかねた平塚は、


「この話をしたときに相手のほうから、じゃあ徹底的に交流を絶とうと言われてしまったから、今更どうしようもないよ。」


と、突き放した。

 しゅんとした水野が押し黙り、それから数日、三人が柊靖乃のために使うスタジオに姿を現さなくなった。SNSにも返信しない水野に平塚と都築が流石に心配して、どうしようと相談していると、水野が現れ、プリントされた書類を二人の前に広げた。

 水野が働く労務課で入手した浅川の退職手続きに関するものだった。


「どういうこと?」


 平塚が怪訝な顔を水野に向けた。

 水野は思い入れが強いが真面目な性格で、平塚の厳しい言葉を浴びたあとよく考え、自分の行為が行き過ぎであったことに思い至った。田所に会いに行き、ことの経緯を説明して平塚を悪く思わず、また交流してくれないかと頼んだのだという。

 すると田所は、自分と浅川も平塚が大事な時期であることに納得して距離をとることに決め、何も含むところがないことを水野に伝えた。

 自分がこわした関係に恐縮し、田所の説明を悄然と聞いている水野を安心させるために、田所が提案した。


「俺と浅川が平塚さんに一方的に近況を伝えるSNSアカウントを作って、平塚さんが見たいときに閲覧するようにしたらどうでしょう、今後に丁度いい距離感だと思うんだけど。」


 水野は元通りではない関係に胸のつかえが残る顔をしながらもその提案に賛意を示し、浅川にも直接このことを伝えたいと田所に話したが、浅川は軍需輸送業務に服役するために退職したという。

 社内で会う機会はもうないだろうからこちらから伝えると田所に言われたが、水野は自分で浅川を訪問しようと決め、労務課のファイルから浅川の書類を探して閲覧したところ、その中の保険の項目が目にとまった。


「徴兵保険?」

「そうです、男性社員はみんな自社系列の保険に入社時から加入させられて給料から天引きされるんです。」


 それが、約款に兵役に限らないと明記されているにもかかわらず、戦地に送られる兵士と同じ危険にさらされる確度が高いと言われている軍需輸送従事者に服役することになっても保険金が支払われていない。軍務関連の服役中の負傷、死亡に対する保険項目もこれに含まれているが、こちらも退職と同時に脱退扱いとなり、支払われることはない。

 軍需輸送従事者がどういうものが聞いていた水野は上司にどうにかならないか聞いてみたが、


「兵役と違って危険性はないので保険金支払申請は必要ない。」


の一点張りでとりあってもらえず、そういうことにばかり関心を持っていると昇進に響くと脅すようなことまで言われた。


「わたしの意見の当否は別として、これって、労務課で考えるべきことですよね?なんでそんなことまで言われなければいけないのか、悔しくて。」


 水野は自身のSNSでこのことを問うてみようと思い立ち、悪いとは思いつつ抜き出した資料を持ってきたのだという。

 それを聞いた都築がその場で軍事輸送就労制度による服役の実態を報じる記事を集めて添付した上申書を作成し、会社役員に送付し、保険支払いの仕組みを改めるように会社に直談判をはじめた。

 平塚は、ふだんの物腰やわらかな態度そのままで携帯電話をとり、驚くような手軽さで見知らぬ社員のために労使交渉をはじめる都築に頼もしさを感じた。


「労働時間の件で組合と争議中なんですよ、勘弁してくださいよ~」


 冗談めかして笑いながら新しい「難題」を突きつける営業部長を丸め込もうとする役員の通話音声が漏れ聞こえてきた。都築が会社サービスの一部始終を設計して売り込んでいる幹部社員であることを承知しているため、無下にもできないらしい。


「国が兵役と違って安全だと言ってるからそれに準じて申請基準が設定されているんですよ。」

「実態は添付のとおりです、このことも組合から問い合わせされていますよね。まさかうちが『保険はずし』で槍玉にあがっているほうの会社とは思いませんでした。」

「またそんな青臭いことを、あなたも遠からずこちら側の席につく立場なんですから、自覚を持ってくださいよ。」


 通話を終えた都築が大きなため息をついた。背中に疲労感がにじんでいた。


 十年前、樺太上陸作戦が頓挫したのち、ヤポネシア・アメリゴ連合軍はマンチュリア軍の逆襲に備えてヤポネシア列島の周辺海域を機雷原化して防護した。またマンチュリアの海上交通路に対する攻撃的な機雷戦術も展開し、この敷設と掃海をめぐって度々繰り広げられる艦艇同士の攻防が日常風景となった。

 機雷の入れ替え、潜水艦の動向をさぐるソノブイやハイドロフォンなどの機器設置、演習で使われ故障や事故などで頻繁に損耗するターゲットドローンの補充に伴う物品の補充といった軍需輸送が国内物流の大きな割合を占めることになった。

 港湾部での物流作業、岸壁荷役、沖荷役の労務人員が常に不足し、労働時間が過重となり事故も起きた。労働条件をめぐって度々交渉が行われたが戦時の名のもとに国をあげて軍備を整える中、根本的な解決をみないまま争議に至った。

 ゼネラル・ストライキは継戦能力をそぐための外患行為であるなどと気炎をあげる極右政治家が一定の人気を集める中、企業別組合による交渉の相互支援体制が次第に構築され、スト、デモの規模が企業も無視できないレベルに成長した。

 荷役用ドローンをデモ・ピケ隊への威嚇に使用することは厳しく禁じられている。そこで企業側はデモ隊が集まりそうな広い空間に300リットルポリエチレンタンクに水を充填し不規則に積み上げる妨害工作をはじめた。この嫌がらせタンクが崩落しデモ隊に死傷者が出て、以降、企業が表だってこういった行為に手を染めることは顰蹙を買うことになった。


 田所はインストラクター教養の講義を受け、職員訓練施設に配置された。そこでは社員にドローン取り扱い訓練を施すと同時にドローンオペレーター訓練を請け負うサービスを提供している。このプログラムを受講する社外の顧客は企業から個人まで多岐にわたり、軍需輸送の繁忙に応じて需要は増加し続けている。

 田所もまたこの教育業務を任されることになった。

 田所が請け負った最初の受講者グループは不審だった。上司から、大事な顧客なので全て相手の意向通りにするようにと指示されて迎えた一団は、金のかかった衣服を身に着けているにも関わらず、着こなしや人相が下品で、態度に横柄な雰囲気がにじみ出ている。よく見るとそのうちの一人が最近流行の八分袖のおしゃれスーツの袖口から彫物を覗かせている。

 そういう連中が基礎講習や整備についての話は上の空、荷役ドローンをどう操作するのかという部分だけそれなりの真面目さで聞くと、受講者の代表が自主練をしたいと申し出てきた。彼らの要求する練習内容は300リットル入りポリエチレンタンクに水を充填したものを自社敷地内の広場に積み上げるというもので、そこは労働条件をめぐって争議中の現在たびたび荷役労働者の集会が行われる場所だった。不審な一団は、上司が促すまま田所のセットアップによって起動したドローンを用い、社が用意した約八百個のタンクを不規則に積み上げて広場を一杯にし、その場にドローンを置き捨てて帰っていった。このことに労組側が猛抗議し、社員駐車場エリアで以前より大人数のデモを行うと、再び自主練団体がやってきてそこにタンクを積み上げた。

 あくまでも素行の悪い受講者の引き起こした不始末であって会社によるデモ妨害ではないとする会社に対し、労組側は「度重なる不当動労行為を容認できない」とし、自社倉庫の作業エリアの一部を次回のデモ会場にすると通告。これに対し再三やってきた自主練団体がドローンを使い始めると、作業がはじまって五分も立たない頃、彼らが使用するドローンを操作する指令席が次々とシャットダウンした。

 イライラした態度を隠さない自主練団の横で技術社員が復旧を試みたが元に戻らず、作業は中途で放棄された。抗議デモは作業エリアで実施され、広場や駐車場の障害物が取り除かれない限り次回の集会が同じ場所で行われることが宣言された。

 数日後、田所は夜中に指導センターへ出勤することを命じられ、自主練団のためにドローンをセットアップした。前回デモに使われた作業エリアにタンクを積み始めてしばらくすると、倉庫で操業中の機体を含めた全てのドローンの指令席がシャットダウンして早朝まで復旧せず、全社が大混乱に陥った。

 上司とヤクザ風の男たちのイライラした空気にせかされながら徹夜で復旧作業にあたった田所は、このシャットダウンを引き起こした何者かにふつふつと憎悪を蓄積させていった。


 柊靖乃の雑談配信が世間の話題になったのはちょうどその頃のことだった。

 その配信の中で、浅川の徴兵保険の扱いについて、水野が感じた疑問を匿名人物のシナリオとして整理し、靖乃が自らの友人の話として紹介した。

 その話題は反響を呼んだ。過去にも靖乃の中の人である平塚が戦時体制についての違和感を靖乃の発言として”ぶちこんで”炎上したことがあり、二次元の皮をかぶって突然に「政治的なテーマ」について話しはじめる柊靖乃に、前回と同様、


「アイドルキャラが世間くさい話を始めると萎える。」


との反応を示す視聴者が多かったが、軍需輸送就労者制度に捕捉されそうな階層が最近拡大されたこともあり、一定の好意的な反応と問題提起に沿った議論が起こった。そして、議論が起こったこと自体がニュースとして取り上げられた。


「職場環境が苛酷化し、いよいよ若者が二次元女性の夢にまどろんでばかりもいられなくなってきたのだろうか?」


という大手新聞社の論評はまだ妥当なものだったが、


「反体制Vtuber爆誕!!」

「二次元キャラが牽引する革命も間近!!」


などという煽り文句で茶化し、冷笑する週刊誌やネット記事が続出した。テレビではニュース・バラエティ番組で、話の内容ではなく”ものいう二次元キャラ”という存在だけを面白おかしく紹介した。


「柊靖乃さんは『思想が強い人』で売り出していくんでしょうかね。」


靖乃を紹介する映像のあと、テレビ芸能人がニヤニヤ笑いながら話を振ると、ご意見番的立ち位置の男性ベテランお笑い芸人がコメントを述べる。


「忘れていけないのは今は戦時下ということなんだよね。ああいうキャラで人気を集めておいて偏った政治思想を植え付けるようなものに、今後気をつけなければいけないのかもしれない。この人がそうだと断定はしないけれど、そうやって戦時体制の能率を下げるような方向に誘導することも、やろうと思えばできないことはないんだから。」


 ひな壇の俳優の一人による、


「保険取り扱いの不公平さを話題にしただけで利敵行為のようにいわれるのは大げさじゃないですかね。」


という反論は、押し出しの弱い平穏な語り口のせいで場面の雰囲気にほとんど影響を与えずに終わった。

 そういった反応、とくに体制批判的な言論に対する風当たりがネット上でとくに強いことは想定内で、柊靖乃の中身である平塚には、それでも一定の人たちの真面目な反応を得られたことに満足していた。ただ、今回は後ろ上がりに刻々と批判や誹謗が増加していくのが不気味だった。水野がとくにそのことを気にしはじめ、何かしらコメントを出したほうがいいのではないか、と言い始めたところで、マネジメント事務所を介して訪問者が現れた。

 花沢と名乗るその女性は垢抜けた容姿と髪型、グレーのパンツスーツを品よく着こなした表情の明るい人で、まず公安総務課員であると立場を明かし、平塚に、柊靖乃の問題提起が引き起こした反応について詳細に聞きたいといった。


「世間の動向をひとまず調べてファイルしておかなければいけないものですから、ものものしい名刺をお見せしていやな気持にさせてしまったらごめんなさいね。」


 まず細やかな気遣いを見せた花沢は柊靖乃や界隈の同業タレントにも詳しく、役得でお会いできて嬉しいと、偽りなく浮いたテンションでいった。平塚と水野は花沢に好感を持った。

 花沢は遅れてその場に現れた都築に目をとめ、あっと驚いたような顔を見せた。


「知り合いが統合幕僚部に務めているのですが、都築さんの「ロジてこ・システム」によって師団の戦闘力が向上し、一〇(ひとまる)戦車問題も解決したと手放しで褒めていましたよ。」

「・・・そうですか。」


 花沢の話をきいて、平塚も水野も、柊靖乃を作る趣味仲間だと思っていた都築が、会社の業務を牽引する幹部社員という別な顔があるだけでなく、世間的にも有名な人なのだと改めて知った。その花沢の賛辞に対して都築が、平塚らに見せた照らいとはまた違う、硬い表情をしたのが気になり、あとで聞いてみた。


「わたしがモーダルシフト促進のために作った仕組みが軍事転用され、兵站ソリューションを恒常的に使うために軍隊のデータリンク通信量が増え、人工衛星をふたつ打ち上げなければいけなくなりました。莫大な費用がかかり、増税と社会保障費の削減を招きました。病院で薬や治療費の高さに驚く患者さんやお年寄りの姿を見ると身がすくみます。」

「でもそれは必要なことじゃないですか。今は戦時なんです、こちらが手加減したって相手はやめてくれないんですよ。」

「どうですかね。」


 花沢は平塚や水野と親しくなり、翌日もスタジオに訪れてきた。


「今日は平塚さんをご招待したいところがあって、でかけませんか?」


 物柔らかな語り口で誘われ、平塚は水野に羨まれながらふたつ返事でついていった。チケットが入手しにくいと評判のアーティストのライブに行き、興味はあったが敷居が高いと感じていた会員制美容室を紹介され入会を手伝ってもらった。花沢は芸能、文化から配信にかかわる技術的なことまでいろいろなことをよく知っていて、平塚が柊靖乃にかかわるいろいろなことを話すと恐ろしいような理解力で当を得た質問をしてきた。

 花沢は都築にも興味があるらしかったが、平塚が自分たちの配信以外の都築の生活や仕事については何も知らないことがわかると、それ以上強いて話題にしようとしなかった。

 一日あちこち遊び歩き、昼食は大手芸能事務所の役員と同席し、夕食は新聞社の地方本社幹部と文化部記者に紹介された。平塚が職場以外で接触したことのないタイプの大人の交際が一気に広がり、圧倒され、少々気遅れもした。

 そんな平塚の気配を察したのか、花沢は、


「引っ張り回してごめんなさいね、疲れちゃったでしょう。今日はこの辺にして、最後にちょっとだけ野暮用に付き合ってくれる?」


といった。

 断る理由もないのではいと答えると、花沢は平塚を県庁舎や県警察本部などが林立する官庁街の中にある建物に案内した。


『○○管区警察局』


という案内のあるビルの高層階に連れて行かれ、その中にある会議室のような一室で映画を見せられた。


「退屈だろうけど、これ、しなきゃいけない決まりになってるから、すぐ終わるから許してね。」


 洗練された接待をしてくれた花沢に申し訳なさそうに言われ、そもそもお仕事の延長でつきあってくれているのにそこまで気を使わなくてもいいのに、と平塚は好意を持っている花沢を気の毒にすら思った。

 映画の前半部は戦時下ヤポネシアの社会情勢を比較的とっつきのいい体裁で説明するもので、後半部は国内での外国の情報工作についての啓蒙を趣旨とするものだった。国際法上スパイを取り締まる明確な法律はないが、国内にはそれに対応した法律が先ごろ整備され、予備罪、共謀罪も問われ、最高刑は死刑も含まれることが不似合いに明るいナレーションで解説された。そして、敵国や準敵対国が工作員を介してこうした法律の合間を縫ってさまざまな方法で国民に介入しようとする、と説明していた。


 映画が終わると、花沢がいつもと同じ親しみのある明るい表情で平塚に話しかけた。


「あなた達のような影響力のある人たちに、世の中のことについて予備知識を持ってもらうための映画です。」


 とくに平塚はこれからもっと世の中に知られて有名になっていくのだから、こういうことにも少しだけ気にかけていってほしい、という。


「なにも、今映画でお伝えした通りに話せと言っているわけじゃないの。ただ、最近の我が国が置かれている情勢について正しい情報を知って、それを頭の片隅に踏まえておけば、同じように戦時体制のことについて配信で話しても不用意に世の中を騒がせることをせずに済むでしょう?」


 平塚が柊靖乃として世の中のことに言及したときに起きる世間の「無理解な反応」に思い至った。なるほど、自分の時局に対する知識のなさが発言からにじみ出ていて危ぶまれていたのかもしれない・・・

 それで、次の配信では花沢に見せられた映画の中にあった情報を取り入れて話すようにした。時々現れる平塚の地金の部分に違和感を覚えているかもしれない視聴者に、手っ取り早く柊靖乃への信頼感を持ってほしかった。


「・・・お隣の大国には『ヤポネシア開放要綱』という洗脳計画みたいな方針があったり、油断のならない世相を生きているという自覚は持っています。」


 いろいろ思うところはあるけれど、として言ったこの発言が物議をかもした。

 炎上の、燃え広がり方の性質が以前のものとなにか違うように感じられた。先の保険取り扱いの話題で真面目に平塚の趣旨にそった議論をしてくれていた人たちが今度は一斉に厳しい言葉を並べていて心が冷え込んた。


「三大デマ→シオン議定書・田中メモ・ヤポネシア開放要綱」

「保険のことをきっかけに一念発起して勉強してみた結果がこれか。」

「もうちょっと頭のいい女かと思っていたけど。」


 珍しく、普段なら何があっても平塚を肯定し慰めてくれる都築が、心配顔でその話は間違っているのでできるだけ早く訂正したほうがいい、といってきた。官庁街のビルの中で見た、きちんとした体裁で作られた映画の中で語られていたことが間違っていると言われても鵜呑みにする気持ちにはなれなかった。


「わたしは都築さんとは反対側からの見解を聞いて物事の一面を伝えただけです。」


 むかっとして抗弁しながらネット検索をして援用できる記事を探した。辞典サイトに「ヤポネシア開放要綱は怪文書である」と書いてあった。

 都築が語りかける。


「あなたのような影響力のある人が、同僚の方の扱われかたの話題を上書きするように警察官から教えられたことを公表する意味を、よく考えてみて。」

「上書きなんかしていません!」


 強い語気でそう抗弁しながら、花沢が平塚に「上書き」したのだと気づいた。映画を見せられたあと、別れ際に花沢が、


「お伝えした話をそのままネットで話しちゃ駄目よ、プロパガンダだと思いこんでいる人も多いから、また炎上しちゃう。」


と明るく笑った顔が思い出された。そのいたずらっ気を含んだ笑い方の意味がなんであったのか、こうなってから振り返ると平仄が合っている。

 事実認識に感情が追いつかず、窮してしまった。


「警察の人はあなたを脅しはしなかったけれど、正しい情報を知って発言しろと言ったんでしょう?」


 都築が平穏な語り口で話しかけてくるが、針のむしろの上で責め立てられているような気分になる。


「当然だと思いますけど。こんな時勢で利敵行為はわたしもしたくないですし。」

「警察があなたに、おそらくは非公式に教えたことが正しいと、いったい何が保証するんですか?」


 スマホ画面の中の検索サイトの「怪文書」という文字が平塚の目を射る。

 姉のように慕っている都築が本心から平塚を心配して、彼女を気遣いながらもアンチコメと概ね同じことを言っているのが悔しくて、泣けてしまった。


「・・・じゃあ、誰が正しい答えを教えてくれるんですか。」


 うつむいて涙をぽろぽろこぼしはじめた平塚に、動揺を顔色にあらわした都築が、それでも子をあやすような態度にはならない。


「少なくとも公安警察ではないです。」

「・・・無責任な答えかたです。」

「あなただって、聞いた話を丸呑みして紹介しながら中立的地位にいるつもりの自分に安心していたのでしょう?若い子にこれ以上言うのは酷だとわかっているけれど、それでは駄目。」

「・・・」

「これは瀕死になった民主主義のコストです。ひとりひとりが最低限度の責任を果たしていれば、あなた一人にこんな形で降りかかるようなことはなかったはずのもの。けれど、過去何十年ぶんの大人たちの無責任の集成で重くなってしまった。今後もっと重くなる。あなた達の世代のせいではないけれど、あなた達に背負ってもらうしかない。」


 平塚には都築のいうことがさっぱりわからない。ただ、花沢がなんであんなことをしたんだろう、企業と国がまるで一緒になって、なぜそこまで市井の一個人の考え方を気にするのだろう、ということをぼんやり考えた。

 なにか話していた都築が平塚の視野の隅で小さくお辞儀した。


「わたしはこういう時流に機会あるたびに抵抗してきたつもりだけれど、世の中を駄目にした世代を代表して、あなたに謝ったほうがいいかもしれません。」


 翌日平塚が出社して業務につき、しばらくすると会社の上空にヘリコプターの騒音が聞こえはじめ、それが通り過ぎることなくいつまでも滞空しているために何人かの社員が怪訝そうに窓の外を見た。やがて課長席のあたりが騒がしくなり、課長がモニターにテレビを映し出すと、上空から映し出された自分たちの会社が中継されている。

 テロップに、


『大邪本倉庫営業部長、破壊工作の疑いで逮捕』


と出ている。水野から電話がかかってきて取ろうとした途端、デザイン課の入り口に背広姿の男が三人が現れ、一人が平塚を指差しながらまっすぐ向かってきて、


「電話を切ってください。」


 と有無を言わせぬ体で言い渡し、都築さんの件で・・・と、同行を促した。平塚は何も知らないので警察署に連れて行かれても答えられることがないと思ったが、背広集団の雰囲気に呑まれて上着をとって従った。同僚が犯罪者であることが発覚したかのような目線でデザイン課の面々に見送られ、なにひとつ身に覚えがないのに恐縮する思いに苛まれた。

 乗せられた乗用車が会社の正門を出るところで報道カメラの放列にフラッシュを浴びせかけられ、さっき見たテレビに自分の姿が映し出されるのかと思い慄然とした。

 警察署では取り調べ室とは違うらしい小会議室のようなところで都築との関係を詳しく何度も聞かれ、ほとほと疲れ果てて開放されると日が暮れて夜の7時になっていた。

 聞かれるばかりで警察のほうからは何も教えてくれないので帰宅してすぐテレビをつけて、何が起きたのか知った。

 都築が、軍需輸送も担う会社のドローン指令席を停止させる妨害工作を何度か行ったらしい。そのことは本人も認めているという。動機は会社が内々に行っていたデモに対する危険な妨害行為に抗議するため、と本人が自供していることを伝える一方、各社報道番組の関心はマンチュリアや中国による破壊工作の疑いにあるようだった。

 長い聴取のあいだ、都築と平塚、水野の関係を詳しく知っているであろう公安総務課の花沢に自分たちの状況を話してくれと眼前の捜査員に伝える気になれなかった。丸一日警察署にいたが、花沢のほうから説明に来てくれることもなかった。

 疲れ果てて服を脱ぎ捨て、ぼんやりとテレビ画面を見つめて物思いにふけった。

 逮捕された物流会社営業部長が討論番組に出演したときの場面がテレビ画面に流れる。画面の中に上司として対面したときと同じ顔の都築が滔々と持論を述べている。


「国家安全保障局が公開した物流BCP計画に、国内だけでなくマンチュリア、中国、朝鮮半島、台湾、東南アジアや太平洋地域まで緊急時の交通復旧計画策定区域に含まれているのはなぜなのでしょうか。かつて邪本(ヤポネシア)帝国のアジア共栄圏構想の領域にぴったり符合するのは偶然でしょうか。国際協力を前提とするのならなぜソ連やアラスカなど距離的に同等程度の場所が入っていないのでしょうか。先ごろ内閣官房長官が、かつてGHQにファシズムの策源地と指弾され解体された内務省の復活を希望するような発言をされたこととあわせて考えれば、現内閣が防衛省や警察庁と手を携えて行こうとしている方向が透けて見えるように思えます。」


 すかさず同席するコメンテーターの薄笑い気味の論評が続く。


「都築さんのおっしゃることはある面で正しいのかもしれませんが、なんというか親外国的といいますか、戦時下でむずかしい舵取りを強いられている政権に対して厳しすぎませんかね。」


 コメンテーターに追従する出演者たちの曖昧な笑いの中に都築の意見が飲み込まれたところで場面が途切れ、現下の事件を伝えるアナウンスに切り替わった。しばらく事件の概要をアナウンサーが説明したあと、会社の記者会見の場面に切り替わった。


「会社の業務を牽引してくださる方だと思って期待していましたので大変驚いています。」


 背広の中年男性が、何本ものマイクと「代表取締役何某」と書かれたネームプレートが置かれた机の後ろに立ち、以前都築の通話から漏れ聞こえていた声で記者に対応していた。

 水野からSNSのメッセージが来た。どうやら平塚同様、警察署で聴取されたが、事件には関係ないとみなされて開放されたらしい。


「都築さん、マンチュリアか中国の破壊工作員だったんでしょうか。」


 水野のメッセージを見て、えっ、と驚いた。本人は争議への妨害に対する抗議と供述していたという。普段のやりとりから受けた都築の印象は、問題意識をもって世の中を見ている教養のある人、という感じで、思い切った行動に驚きはしたが供述の趣旨に違和感はなかった。けれど、そういう人柄も花沢に見せられた映画の説くところによれば、高学歴、インテリ傾向の人ほど国民意識を超えた価値観に染まりやすく諜報員につけいられると洗脳が解けにくく、難点だという。

 都築は「ヤポネシア開放要綱」をデマと即座に断定した。大手検索サイトにすぐ現れる辞典サイトにも都築のいうとおり「怪文書」とされていた。改めてそのサイトをチェックすると、要綱を怪文書とする部分に『執筆内容を審議中』という付箋がついている。付箋をクリックすると、執筆資格をもつあるアカウントの要望として、


「世間でこの言葉が物議をかもし、アクセスが増えるたびになんの根拠もなく『審議中』の付箋をつけて要綱への評価を相対的に見せる印象戦術をとるアカウントは百科事典の信頼性を毀損している。編集資格を剥奪すべきだ。」


というコメントが筆頭に現れ、多くの賛同者数を獲得している。

 テレビの調子をぼんやり聞いていると、都築がそうとは断定していないものの、敵国の破壊工作員であるかのような背景説明、平塚が管区警察局で見せられた映画と大筋同じようなものが次々と流れてくる。これを見ていたら水野に都築が外国の破壊工作員に見えてしまうのも無理はない。一応本人の供述内容について返信しておくと、


「平塚先輩は都築さんから思想的な影響をうけていたんですか?」


という、昨日今日の警察騒動で神経の疲れた平塚には、なんと返していいのやら途方にくれるような、そこはかとなく薄気味悪いような返信が飛んできた。返事を考える気力が尽きて、他のSNSを開いた。

 田所と浅川が平塚のために近況を一方的に報告するアカウントを覗く。語り口からどうやら田所と思われる発信者が、文章を投稿していた。


「右翼陰謀論者だと炎上中のVの人を宗旨に反して見てみたのだが、当たり前のことを言っているだけで肩透かしだった。今日の事件を見てもこの国に外国の工作員が浸透していることは自明じゃないか。ただのアカだったとしても軍需関連企業の幹部社員にまでなってあんな破壊工作をするやつは見せしめに罪を重くしたほうがいい。後々のために極刑にして敵国の第五列に我が国は甘くない、と印象づけておくのも一手だろう。・・・どこのどういう方だか存じ上げないが、あのVの方には戦時下にそぐわないナイーブな人たちの意見など気に病まないで頑張ってもらいたい。」


 きっと炎上騒動をきっかけに柊靖乃が誰なのか気づいた田所は、この投稿を介して平塚を応援してくれているつもりなのだろう。田所、浅川、そして平塚しか知る者のないアカウントの発言は閲覧数2、いいね0。

 ありがとうの意をこめていいねボタンをクリックしてもいいはずなのだが、素直にそうする気がわかない。

 どっと疲労感に包まれ、スマホを放り投げて布団にくるまった。

 もう何も考えずに眠りたかったが、なかなか寝つけなかった。

 翌日は丸一日会社で事情聴取された。ある意味警察より執拗に「どの程度営業部長の政治思想の影響下にあるのか」厳しく問いただされた。ありのままに説明し、やっとのことで破壊工作とは無関係との判断を勝ち取り、ぐったりとした気分で帰宅した。

 柊靖乃のことを思い出し、靖乃のアカウントでSNSを開くと、問い合わせのメッセージが殺到していた。靖乃の公認スタッフとしてアカウントを運用していた水野が柊靖乃と決別を示唆する文章を投稿し、自らの活動の終了を宣言していた。

 疲労困憊した平塚にとって、水野のその文章は歌謡曲の空疎な歌詞のようで何一つ心をうつところがなかった。

 平塚は深い溜息をついて閲覧ツールの電源を落とした。

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