灯台に宿る魂の道標
青い鳥
灯台に宿る魂の道標
あの都会の喧騒が、もう遠いサイレンのようにしか聞こえない。アスファルトの照り返し、無数の排気ガスの匂い、携帯の通知音。それらすべてが、まるで悪夢のように、いまだ脳裏を離れなかった。 僕は、その濁流のような日々から、ただ漠然とした渇きを抱えていた。それは、喉の奥が乾ききったような、しかし水では満たされない種類の渇きだった。僕は何も考えず朝から、ひたすら西へ西へと車を走らせていた。ナビの示す道は、いつしか地図から消え、ただ本能と、内なる何かに突き動かされるように、僕はハンドルを握り続けた。何を探しているかなんて、自分でも分かりはしない。ただ、この体を蝕む疲労感と、心の底にこびりつく砂みたいななにかから、一刻も早く逃げ出したかっただけだ。人でごった返す交差点で、見知らぬ人々の顔を眺めるのも、鏡に映る自分の空っぽな心を映すのも、もう何もかもがうんざりだった。
何時間もハイウェイを走り、舗装が古び、木々が生い茂る国道を抜け、やがて細い山道へと入っていった。木々の隙間から漏れる日差しは、都会のそれとはまるで違う、清らかな光だ。最後に辿り着いたのは、ただ、足が導くままに、舗装の途切れた細い坂道だった。車のエンジンを切ると、辺りは信じられないほどの静寂に包まれた。遠く、微かに、海の潮の匂いが、乾いた鼻の奥をかすかに刺激する。それは、都会の排気ガスや人いきれとは全く異なる、清冽で、どこか物悲しい、でも同時に、遠い日の、砂浜で遊んだ記憶を呼び覚ますような、不思議な香りだった。
坂道を登り切ると、突然視界が開け、丘のてっぺんに、それは姿を現した。海からの強風に耐え抜いた、まるで歴戦の老兵のように、風化した石と、錆びた鉄骨を露わにしながら、静かにそこに立っている。
ゴツゴツとした岩肌に、まるで根を張るかのように建つ、赤が剥がれた白と黒の灯台。昼間の光を反射して白く輝く上部と、深い影を落とす下部の漆黒さが鮮やかだ。その頂からは、まだ太陽の下だが、規則的に、そして飽きることなく、夜の海へその光を投げかけるための、巨大なレンズが鈍く光を放っていた。
僕は、その光に吸い寄せられる蛾のように、あるいは、何日も漂流の果てにやっと岸辺を見つけた者のように、足を運ばせていた。足元、はるか下で砕ける波の音が絶え間なく、しかし何事もなかったかのように、僕の耳元で響く。白い泡を立てて岩にぶつかり、また広大な海へと引いていく。ここには、僕が探し求めていた「何か」があるんだろうか。それとも、ここもまた、新しい空っぽな時間の始まりに過ぎないんだろうか。海は、ただ広大に、そして無関心に、僕の目の前で広がっていた。陽光を受けてきらめく水面は、途方もない奥行きを感じさせた。今はただ海の鳴き声が心地いい。
丘のてっぺんにたどり着くと、風がまるで僕の心を撫でるように僕の体を通っていった。都会の淀んだ、重たい空気とは違う、塩と、微かに古い木の匂いが混じった透明な匂い。深く息を吸い込むと、肺の奥から何かが洗い流されるような、清々しい感覚が広がる。吐き出す息はなんとも心地が良かった。そうして、眼前に広がる光景に、僕は思わず息を呑んだ。
どこまでも澄んだ青色の海が、どこまでも、どこまでも続く。視界の限り、水平線が丸く弧を描く。波が砕けるたびに白い泡が豪快に生まれては、瞬く間に消えていく。その音が、力強い響きが、かえって僕の内にあったざわめきを鎮めていくようだった。そして、その広大な海の果てを見守るように、灯台がそこに立っていた。その壁は風雨に晒され、ところどころ塗装が剥げ、長年の潮風で削られたような跡が見える。それでも、一本の大木のように、しっかりと、揺らぐことなくそこに立っていた。
僕は灯台へと続く、草の生い茂った細い小道をゆっくりと歩いた。足元の小石がカツカツと、僕の靴底とぶつかるたびに、乾いた音を立てる。まるで、僕の心臓の鼓動が、その音と同期していくかのようだった。灯台の入り口に近づくと、古びた木製のベンチが見えた。潮風と日差しに晒され、木肌は白く褪せて、まるで何十年もの物語を吸い込んだかのように見えた。そして、そのベンチには、一人の老人が座っていた。
何の変哲もない老人。それが、彼から僕に伝わった最初の印象だった。言葉の響きや、気配といったものを感知するより早く、その存在が発する「沈黙」が、僕の五感に伝わった。
彼は海の方を向いて、ただじっと座っている。僕が近づいても、気づかないのか、あるいは無視をしているのか、振り返ることもない。白い髪は潮風に吹かれて乱れ、まるで海の波のようにうねっている。深く刻まれた皺が、その横顔の目尻から口元へと伸び、長い年月の物語を、まるで模様のように刻んでいた。彼の背中は、灯台と同じくらい、いや、それ以上に、この場所と一体化しているように見えた。まるで根付いているかのような、頑固な存在感だ。
僕は、彼の少し離れた場所に、朽ちかけた岩に腰を下ろし、彼と同じように、ただ海を眺めた。波の音が、僕たちの間に横たわる唯一の音だった。潮の満ち引きに合わせた、規則正しい呼吸のように聞こえる。言葉を交わす必要も、何かを説明する必要もない。ただ、同じ景色を共有しているという事実だけが、都会の人間関係に疲弊しきった僕にとって、とてつもない安らぎを与えてくれた。それは、ひび割れた大地に染み込む水のように、じんわりと僕の心を満たしていった。
この老人は、一体どれほどの時を、ここで海と共に過ごしてきたのだろうか。日差しが肌を焼く夏も、雪が舞い散る冬も、彼はこの場所にいたのだろうか。そして、彼が守り続けるこの灯台の光は、どれほどの船を見守り、どれほどの孤独な日を照らしてきたのだろう。僕は知らず知らずのうちに、彼の存在に、ある種の希望を見出していた。それは、言葉ではなく僕の心に直接染み込んでいくものだった。
老人は相変わらず、ただじっと海を見つめていた。彼の視線の先に何があるのか、僕には分からない。無限に広がる紺碧の向こうに、彼の過去が、あるいは未来が、それとも僕には知り得ない何かが見えているのだろうか。彼の瞳の奥には、陽光を反射してきらめく海の色が映し出され、深淵な宇宙のように見えた。
僕は、その沈黙の重さに耐えきれず、いつしか立ち上がっていた。足が、まるで磁石に引き寄せられるかのように、一歩、また一歩と、ゆっくりと彼の背中へと近づく。足元の小石がカツカツと、乾いた音を立てた。海風が、僕の髪を、彼の白い髪を、無造作に、しかし優しく撫でていく。
彼の隣に並び立つと、潮の匂いがより一層、濃く感じられた。海藻の生臭さ、岩肌の湿った匂い、そして遠くの漁船から漂う油の匂い。それらが混じり合い、この岬特有の香りを構成していた。この匂いは都会では決して嗅げない独特に匂いだった。そして、彼の存在が放つ、静かで、しかし確かな時間の重みに、僕は改めて圧倒される。言葉を発することなど、場違いな気がした。しかし、僕の心の中には、ずっと渦巻いている問いがあった。それは、都会で僕が置き去りにしてきた、無数の「なぜ」の問いかけの、最も根源的な一つだった。
「あの……」
気づいたら僕は彼に話しかけていた。乾いた喉から絞り出した声は、風にかき消されそうになるほどか細かった。それでも、老人はゆっくりと、まるでくじらが浮上するかのように本当にゆっくりと、僕の方へ顔を向けた。その瞳は、長い年月を海と灯台と共に過ごしてきたせいか、深く、そして遠くに光を宿しているように見えた。ガラス玉のように透明でありながら、その奥には計り知れない闇と、同時に穏やかな光が宿る。何の感情も読み取れない、ただ静かな眼差しだった。
僕は躊躇しながらも、その問いを口にした。
「あなたは……ここで、何を……」
何を、しているのですか。その続きの言葉は、結局最後まで言えなかった。何を、と尋ねる僕の声は、あまりに軽薄に響く気がしたのだ。彼は、僕の拙い問いかけに対し、何も答えない。ただ、ゆっくりと、その顔を再び海へと戻した。彼の視線は、既に夕闇が迫りつつある水平線へと固定されている。
だが、その時だった。
空は深い藍色に染まり始め、西の空には燃えるような夕焼けが広がっていた。橙色から深紅、そして紫へと、グラデーションを描きながら空と海を染め上げる。昼間は穏やかな海も、夜が近づくにつれ、波の音が少しずつ重みを増し、その表情を変えていく。老人はゆっくりと立ち上がり、その古びた背中を僕に見せ、灯台の中へと消えていった。彼の足音は、石造りの階段に小さく反響する。僕は、彼が灯台の最上階でランプに火を灯す姿を想像した。ゴツゴツとした機械の軋む音が、風に乗って岬の岩肌に反響する。その音は、まるで灯台の心臓の鼓動のようだ。やがて、夜の帳が完全に降りた頃、漆黒の闇の中から、灯台の窓から放たれる、力強い一筋の光が放たれた。それは、暗闇を切り裂き、広大な海へと向けられる、唯一の道標。その光は、僕の目の前を横切り、そしてまた闇へと消える。規則正しいその明滅が、僕の心臓の鼓動と重なった。
僕は、その光を眺めながら、老人の存在に再び目を向けた。彼は灯台の光が海を照らすのを確認するように、静かに僕の隣に立っていた。彼の顔は、灯台の光に照らされては影になり、まるで仮面をつけているかのように見えなかった。だが掠れた声が、初めて僕の耳に届いた。風の音に紛れ、聞き取りにくいほど小さな声だったが、確かに、それは僕に向けられた言葉だった。
「……全て、海が、教えてくれる」
たったそれだけの言葉。しかし、その短い言葉の響きは、僕の心を深く揺さぶった。彼は何も付け加えない。ただ、ゆっくりと杖を下ろし、再びその視線を灯台の光へと戻した。彼の眼差しは、遠い記憶の彼方を辿るかのように、釈然としたものだった。
その時、老人の口から、まるで独り言のように、また別の言葉が零れ落ちた。それは、波の音と風の間に、かすかに、しかし確かに響いた。
「あの人も……この光に、導かれた」
「あの人」とは誰のことだろうか。僕が問いかける間もなく、老人は瞼を閉じ、深々と息を吐いた。その表情には、微かな悲しみと、遥か昔への郷愁が入り混じっているように見えた。まるで、彼自身も、この海と灯台の光に、何かを重ね合わせているかのようだ。彼のその一瞬の表情から、そして「あの人」という言葉から、僕は彼の過去に、深く秘められた物語が横たわっていることを感じ取った。それは、きっと、この海と同じくらい深く、そして灯台の光が照らしてきた時間と同じくらい長い物語なのだろう。彼のこれまでの人生には、きっと、海が教えてくれた、数えきれないほどの「全て」が詰まっているのだ。
僕の想像は、静かに老人の過去へと滑り込んでいった。
彼がまだ若かった頃、恐らくは僕と同じくらいの歳だったろうか。彼はこの海の漁師だった。日焼けした肌と、力強い腕を持ち、荒々しくも豊かな海を愛し、来る日も来る日も小さな船を出し、生計を立てていた。しかし、彼の人生には、海よりも深く、灯台の光よりも眩しい存在があった。それが、彼の恋人だった。彼女は、岬の小さな村に住む、陽光のように明るい娘だったのだろう。浜辺で待つ彼女の姿は、彼にとって、沖から帰る船を導く灯台の光そのものだった。荒波を超え、漁を終え、陸へ向かうたびに、彼女の笑顔が、彼を故郷へと、そして生へと引き寄せた。
そして、ある嵐の夜。それは、岬を吹き荒れる風が全ての音をかき消し、波が巨大な獣のように牙を剥いた、そんな夜だったに違いない。空は鉛色に重く垂れ下がり、雷鳴が轟き、稲妻が海の表面を切り裂いた。海の底から湧き上がるような轟音と、視界を奪う雨粒の壁。その中で、彼の恋人が、不運にも海に呑み込まれようとしていたのだ。彼女は、彼が沖に出ている間に、浜辺を散歩していたのかもしれない。あるいは、嵐の中、彼を心配して、この岬に駆けつけようとしていたのかもしれない。
彼は必死に叫んだに違いない。その声は、荒れ狂う風と波に阻まれ、届かなかった。絶望が彼の心臓を鷲掴みにする。そして、彼が最も強く願ったであろう、灯台の光もまた、その夜に限って、何らかの理由で、必要な場所に届かなかったのかもしれない。長年使い込んだ機械の故障、突然立ち込めた濃霧、あるいは、彼自身の力の及ばぬ、避けられない運命。光は、彼女の姿を捉えることができず、ただ虚しく、暗闇を彷徨った。
その夜、光は届かず、大切な「あの人」は、海の闇へと消えていった。老人の瞳の奥に宿る遠い光は、まさに、あの夜、海に消えた恋人の面影を、今も探し続けているかのようだった。
彼は、その届かなかった光を、二度と繰り返すまいと、漁師の仕事を辞め、自らこの孤立した岬で、黙々と灯台の番人をしているのだろう。彼の背中に深く刻まれた皺は、単なる老いの証しではない。それは、灯台の光が幾夜も照らし続けてきた、途方もない時間の重み。そして、その光が救えなかった命への、尽きることのない悔恨と、深い哀愁が、彼の中に深く深く刻まれているように思えた。灯台の光が海を照らすたびに、彼自身の過去が、その光の中に浮かび上がり、そしてまた闇へと消えていく。彼にとって、灯台の灯は、ただ船を導くだけの光ではない。それは、過ぎ去りし日の恋人の記憶を、そして、失われた愛を、永遠に照らし続ける、希望の光なのだと、僕は感じた。
夜が深まり、岬を吹き抜ける風がさらに冷たくなった。肌を刺すような冷気の中に、潮の香りが一層強く感じられる。僕は、老人の隣で、言葉を交わすことなく座り続けた。波の音が、絶え間なく、しかし穏やかに続く。その音は、まるで地球の鼓動のように、僕の心臓に直接響いてくるようだった。老人は、時折、微かに頷くような仕草を見せるだけで、あとはひたすら、灯台の光と、その光が照らす暗い海を見守っていた。彼の横顔は、灯台の明滅に合わせて、光と影の間に揺らいでいた。その横顔には、計り知れない歳月と、それを超えるほどの深い感情が刻まれているように見えた。
僕自身もまた、都会で何かを「救えなかった」感覚に囚われていた。それは明確な出来事ではない。誰かを裏切ったわけでも、何かを決定的に壊したわけでもない。しかし、多くの人々の渦の中で、自分を見失い、無意識のうちに誰かを傷つけ、あるいは誰にも届かぬまま、空虚な日々を過ごしてきたという、漠然とした後悔が僕の心を蝕んでいたのだ。老人の過去に触れることで、僕の中に沈殿していたそうした感情が、静かに、しかし確実に、波紋を広げていた。それは、まるで海底に沈んでいた砂が、潮の流れによってゆっくりと巻き上げられるかのようだった。僕の心の奥底に眠っていた、蓋をしていたはずの感情が、揺さぶられ、表面へと浮上してくるのを感じた。
老人は、僕のそんな内なる葛藤に気づいているのだろうか。彼は相変わらず、ただ黙って、灯台の光を見守り続けている。だが、その背中は、僕の心の中に、新しい言葉を紡ぎ始めていた。それは、諦念ではない。都会の喧騒の中で僕が感じていた絶望とは全く違う、温かく、そして確かな力を持つ言葉だ。むしろ、この広大な海と、永遠に続くかのような灯台の光の中で、僕自身もまた、何かの「光」を探し、そして、それを放つことができるのではないかという、微かな希望の兆しだった。都会の闇の中で、僕は自分だけの光を見失っていた。しかし、この岬で、老人の希望の光に触れることで、その光を再び見つけることができるような気がしたのだ。僕の目の前に広がる漆黒の海は、もはや恐怖の対象ではない。むしろ、その中に無限の可能性と、僕自身の内なる光を映し出す鏡のように見えた。
夜空には満天の星が瞬いていた。都会では決して見ることのできない、一つ一つの星が、まるで宝石のように輝いている。その銀河の煌めきは、僕の小さな悩みを遥かに超える、宇宙の広大さを教えてくれた。灯台の光は、その星々にも負けず、力強く、そして優しく、暗闇を照らし続けている。老人がその光に、失われた恋人への尽きることのない愛と希望を見出しているように、僕もまた、この光の中に、僕自身の「あの人」への想いを見出していた。それは、具体的な誰かではないかもしれない。それでも、僕が都会で失いかけた、大切にすべき感情、見失っていた道標、そして、明日へと進むための、微かな愛の光。それは、僕自身の未来を照らす、新しい灯台の光だった。僕の胸の奥で、その光が、じんわりと、しかし確実に、熱を帯びていくのを感じた。
そして、僕は、岬の道を下り始めた。来た時とは全く違う足取りだった。
足元の小石が、乾いた音を立てる。だが、その音は、もはや都会の足音に疲弊していた頃の僕の鼓動とは違う。一歩踏み出すたびに、地面から確かに伝わる感触が、僕の存在を肯定しているかのようだ。夜の海は、僕の背後で、静かに、しかし力強く、その波を打ち続けていた。その音は、もはや孤独を響かせるものではなく、僕の新しい人生の始まりを告げる、力強い賛歌のように聞こえた。潮風は、冷たさの中に、どこか優しさを帯びて、僕の頬を撫でていく。
僕の心の中には、もう空虚な砂はない。かつては形のない不安と後悔が渦巻いていた場所には、確かな光が宿っている。老人の灯台の光のように、僕自身の心の奥にも、確かに、新しい光が点され始めていた。それは、これまでの僕を覆っていた闇を払いのけ、これから始まる僕の道のりを、静かに、しかし力強く照らしてくれるだろう。その光は、微かだが、揺るぎない。
僕が向かう先に、何があるのかはまだ分からない。どのような困難が待ち受けているのか、どんな景色が広がるのか、想像もつかない。しかし、もう恐れはない。旅の始まりに抱えていた、漠然とした不安も、今では遠い記憶のようだ。僕は、僕自身の光を信じて、歩き出す。この岬で得たものは、ただの安らぎではなかった。それは、自分自身の内なる灯台を見つけることだった。
そして、いつか、僕もまた、この老人のように、誰かの暗闇を照らす光となれる日が来るかもしれない。僕の「あの人」への想いも、いつか、誰かの道標となり、誰かの心の港となる。この岬で、僕は、ただ光を見つめるだけの日々から、光を放つ人生へと、たった一日で、確かな一歩を踏み出したのだ。
夜の岬を後にする僕の心境は、もはや漠然とした不安や疲弊に支配されていたあの頃とは、決定的に異なっていた。それは、単なる気分転換や一時的な安らぎを超えた、存在そのものの根源的な変化だった。
かつて都会の喧騒の中で僕を蝕んでいたものは、明確な形を持たない空虚感だった。目的を見失い、自分という存在が希薄になっていくような、そんな底なしの孤独が心を蝕んでいた。それはまるで、羅針盤を失った船が、ただ漂流するしかないような絶望にも似ていた。
しかし、この岬で過ごしたわずかな時間、そして老人の無言の教えと灯台の光に触れたことで、僕の心には確かな光が生まれた。それは、これから始まる僕の道のりを、静かに、しかし力強く照らしてくれるだろう。
老人の希望の光が、失われた愛への尽きることのない想いを象徴しているように、僕もまた、自分自身の内なる光の源を見出したのだ。それは、具体的な誰かを指す「あの人」への愛着だけでなく、人生そのものに対する深い肯定と、未来への静かな確信へと昇華された。
もはや、僕の心は空っぽな砂漠ではない。それは、澄んだ水が満たされた泉のように、満ち足りている。過去の後悔や未来への恐れは、波紋のように広がっては消え、残るのは、静かで揺るぎない希望だ。
僕は、この岬で、ただ光を「見つめる」だけの傍観者から、自ら「光を放つ」者へと変貌を遂げた。それは、自らの意志で人生の舵を取り、未知の海へと漕ぎ出す決意を固めた瞬間だった。夜空の星々が、僕の新たな出発を祝福するように瞬き、波の音が、僕の物語の始まりを奏でる。それは、僕が探し求めていたなにかを見つけ、その光を世界に放つ物語となるだろう。
灯台に宿る魂の道標 青い鳥 @Pasival0107
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