お蔵入りしたフィルムの記録
山猫家店主
はじめに
本書は、2023年夏に関西某テレビ局で実際に行われた社内映像資料の調査、およびその後に発生した一連の不可解な記録異常を元に構成されている。
当初は社内限定の業務報告としてまとめられていたが、調査過程において記録された一部の資料が、匿名の関係者によって外部に持ち出された可能性が浮上した。
その資料のうち、複数の音声記録と復元された映像ログ、手書きのメモ、内部メールの断片、そして匿名の記録係による「未提出報告書」を照合・再構成し、可能な限り“実際に記録された順”で掲載している。
ただし、この記録のいくつかには、存在しないはずの映像、記録に残らない音声、および過去の資料と一致しない内容が含まれており、現在も情報の正確性について議論が続いている。
本書はあくまで、記録された“事象”の写しであり、断定的な結論を導くものではない。
読者各位においては、あくまで「一つの記録」として受け止めていただきたい。
なお、記録に登場する個人名の一部は仮名に差し替えているが、映像ファイル名、取材先の地名(旧第一小学校)、および内部資料のファイル構成については、できる限り原資料に忠実に記載した。
令和5年12月
記録整理担当:匿名希望
【映像資料復元調査報告書】
提出日:令和5年7月10日
提出者:制作部第3班 記録係・西村亮介
件名:
報告概要:
本日14時より、アーカイブ室内の未登録番組素材の確認作業を実施。
対象は1990〜2000年代の未放送、または分類不明の番組計112件。
うち、映像テープNo.23(表記なし/管理ラベル脱落)が発見されたため、詳細確認を行った。
──あのとき俺は、まだ何も知らなかった。
この業務が、ごくありふれた社内作業のひとつに過ぎないと思っていた。
まさか、自分がその映像の「中にいた」などと疑いもしなかった。
該当テープの内容タイトルは『幽影ファイル No.23』副題「封鎖された学び舎」。
本番組は1999年制作記録に存在するものの、放送実績なし。
制作進行メモ、編集台本、出演者契約書なども社内に残存せず、企画意図および放送中止理由は未記載。
なお、同番組に関しては以下の内部メモが記録ファイルより発見された。
【内部メモ/制作部・佐久間啓太】
1999年8月14日付(手書き)
・音声の混線、時間経過の不一致あり
・同行スタッフに異常行動の兆候
・収録素材の一部に「映ってはならないもの」が含まれる
・副題の“学び舎”は今後の取材対象から除外すること
・このテープを、開けるな
※上記記録者は、同年8月末、局内にて急死(死因:不詳)
──「このテープを、開けるな」
それは警告のようにも、懇願のようにも読めた。けれど、俺は開けてしまった。
その理由を、今も上手く説明できない。
誰かに命令されたわけでもなく、好奇心というには淡白すぎた。
ただ、そこにそれがあったから。
埃をかぶった無記名のテープが、何故か、手に取られることを待っていたような気がしてならなかった。
【業務日誌・西村亮介(抜粋)】
13:52 アーカイブ室入室。旧規格Vテープ群より素材選別開始
14:08 棚No.7-Cよりタイトル不明のカセット発見。ケースに管理番号なし、背表紙に記入なし
14:12 再生チェック開始。モニターに「YFK_23.avi」の文字表示
14:14 冒頭に違和感あり。番組タイトル未表示、映像は旧校舎外観。音声にノイズ混入
14:17 廊下のカットにて、誰かの“顔”がガラスに映り込む(撮影者ではない)
14:18 レポーターと思しき女性のセリフが途切れる。「カシャッ」というシャッター音後、画面が静止
14:19 終了。モニターに「この取材は、完了していません」の文字表示(映像内テロップにしては不自然)
映像を見終えた直後、俺は思わず振り返った。
誰もいないはずの編集ブースに、誰かの気配があった。
冷房の風が足首に触れたのではなく、何かが、這ったような感触。
咄嗟に立ち上がり、ライトをつけたが、部屋の片隅にまで人影はなかった。
だがそのとき、モニターの録画履歴に気づいた。
【最終再生者:不明】
【最終再生日:7月7日】
──三日前。
だが、アーカイブ室は先週から俺が最初の入室者だったはずだ。
施錠記録も、入退室ログも、俺一人のはずだった。
じゃあ、誰がこのテープを──?
《映像確認》
【再生記録:7月10日 14:12〜14:38】
記録者:西村亮介(制作部第3班)
再生対象:『幽影ファイル No.23』副題「封鎖された学び舎」
収録形式:旧規格DVCAM → 簡易変換再生
備考:再生中に小型UPSが一時電圧異常(詳細下記)
※以下、視聴時に記録した内容と、当人による再構成記述を併記する。
再生開始から4秒後、黒画面に微細な白点が揺れ、ノイズが走る。
何かを“押し戻すような音”が微かに聞こえた。
鉄扉が閉じられる音にも似ていたが、それとは違う質感。
もっと湿っていて、鈍く低い。
やがて、画面に旧い校舎の外観が浮かび上がる。
木造二階建て。外壁は一部剥がれ、雑草が階段を呑み込んでいる。
音声は無音に近いが、風の音だけがやけに強調されて聞こえる。
画角がぶれ、レポーターと思しき若い女性がフレームに入る。
──記録上、名前は「河西千紘」とされていたが、彼女の存在は確認されていない。
彼女はカメラに向かって語り始める。
「本日は、○○県△△町にある旧第一小学校を取材しています……この学校には、古くから“七つの怪談”が語り継がれていて──」
その途中で、彼女の声がふと止まる。
正確には、声がフェードアウトするように消える。
周囲の環境音は続いているにもかかわらず、彼女の口の動きだけが空回りする。
映像に乱れはなく、マイクトラブルの形跡もなし。
むしろ、不自然なまでにクリアな無音だった。
このとき、録画側のマイクではなく、再生中のスピーカーから「……いるの?」という子供の声が重なって聞こえた。
【記録メモ:西村】
・スピーカーの不具合ではなく、映像に乗っている音声と確認
・しかし波形には存在せず。耳には聞こえるのに、録音には残らない
・“誰が、どこで、誰に向かって言ったのか”が不明
校舎内の映像に切り替わる。
カメラがゆっくりと廊下を進んでいく。
赤茶けた木の床。壁には古い標語。「しずかにまちをあるこう」
掲示物の一部が揺れているが、周囲に風が吹いた形跡はない。
廊下の右手、すりガラスの扉の向こうに、白い顔のようなものが映る。
顔は明らかにこちらを向いていた。
だが、スタッフの誰も気づいていない様子で撮影を続けていた。
ここで唐突に画面が“巻き戻される”。
巻き戻し操作はしていない。
5秒ほど戻り、再び同じ廊下の場面。
だが今度は、先ほどの顔の位置に何も映っていない。
そのかわり、廊下の端に立っていたレポーター・河西の姿が、画面の手前に“瞬間移動”していた。
彼女は目を見開いたまま、なぜかカメラの外を凝視している。
口は動いていない。にもかかわらず、「見つけた」と声が聞こえる。
その瞬間、モニターにだけ、フラッシュのような光が走った。
映像の中では何も起きていない。だが部屋の明るさが一瞬だけ揺らいだ。
UPSの電源ランプが赤に変わり、すぐ復旧した。
【記録メモ:西村】
・14:32 UPS一時エラー記録/PCログ確認済
・再生中に「目が合った」と感じる瞬間あり(主観)
・視聴後、映像ファイルに追記されたはずのタグが消失
・映像に出てきた“河西千紘”の顔、どこか見覚えがある気がしてならない
→記録内の人物写真と照合するも一致データなし
→だが、“昔見た映像”として脳内にある気がする
映像は、16分42秒地点で静止する。
それまで撮影していた廊下の映像が、突如、黒画面に切り替わり、以下の一文が浮かび上がる。
「この取材は、完了していません」
そのテロップが表示されている間、音声には再び例の子供の声。
今度ははっきり聞こえた。
「──つぎ、きて」
映像はそこまでだった。
ただの心霊特番の没素材。──最初は、そう思っていた。
だが再生終了後、ふと気がついた。
さっきのレポーターの女、どこかで見た覚えがある。
記録のどこにも彼女の写真は残っていない。
出演歴も、名前も、名簿にもない。
だけど──俺は、彼女を知っている。
どこで、いつ、なぜ、という記憶は何ひとつないのに、
あの目の奥だけは、やけにはっきりと脳裏に焼き付いている。
【再生終了:14:38】
→ 音声解析不可データあり(スピーカー再出力時のみに発生)
→ 映像ファイルに“再生済”タグがつかない現象
→ 編集室内モニター、再起動時にロゴ表示が一度だけ反転(撮影記録なし)
【調査報告:7月11日】
調査者:西村亮介(制作部第3班)
対象:『幽影ファイル No.23』に関わった制作関係者の氏名および所属履歴の確認
該当番組『幽影ファイル No.23』の映像内に登場した人物は以下のとおりである。
1)ディレクター:佐久間啓太(享年33)
2)アシスタントプロデューサー:中原実
3)カメラ:津村靖人
4)音声:田所圭
5)レポーター:河西千紘
社内人事ファイル・過去契約台帳・外部制作リストなど、全てのデータベースを照合したが、
佐久間啓太以外の4名について、いずれの記録も存在しなかった。
正確には、“その名前で働いていた人物がいた”という口伝のみが存在している。
複数の古参社員が「中原ってのは見たことある気がする」「河西って女、いたっけな……」と曖昧な証言を残している。だが、証拠がない。
名札、名刺、契約記録、出退勤表、保険番号、何もない。
そのくせ、口を揃えて「確かにいた」と言う。
まるで彼らが、“在ったことだけを残して消えた存在”のようだった。
【語り手の記録・西村亮介】
中原、津村、田所──
その名を聞いても、俺の記憶は何も引っかからない。
ただ、“河西千紘”という名前だけが妙に耳に残った。
彼女は、映像の中で俺を見た。
いや、違う。俺が彼女を見たはずだった。
だが、あのフレームの中の彼女の眼差しは、まるでこちらを逆に覗いていたように思える。
調べれば調べるほど、存在は曖昧になっていった。
映像の中にしかいないはずの人間の顔が、
なぜか社員証の空白欄にうっすらと浮かんで見えた気がした。
正気を失いかけていたわけではない。
だが、あの夜、社員カードを机に置いたまま眠った俺は、翌朝、確かにカードの裏に文字が浮かんでいたのを見た。
──ちひろ より
ボールペンでもマジックでもない。
印刷ではなく、汚れとも違う。
光の角度によってだけ浮かび上がる、誰かの手のひらの痕跡のような、湿った筆跡。
その文字を見たとき、不思議と恐怖はなかった。
ただ、目が離せなかった。
それが“忘れてはならないこと”のように思えたからだ。
【別件:佐久間ディレクターの経歴確認】
→1999年当時の社内異動記録に「佐久間啓太」名義のファイル存在
→同年8月、突然の死去。死因は“持病の悪化”との処理
→死亡前日、映像保管庫にて「誰かと口論していた」という証言あり
→関係者不明(社内に“その時期に佐久間と同行していた人物”の記録なし)
【西村の備考記録】
この取材チームは、まるで最初から名簿の“間”に入り込んでいたようだった。
どの台帳にも彼らの行がないのに、なぜか不自然な空白がある。
「12名中11名」のチーム表。
「関係者記録:1件欠落」のファイル。
データベースの隙間に、誰かがいた痕跡だけが残っている。
俺はある種の直感を抱いた。
──これは、事故でも、放送中止でもない。
そもそも彼らは、放送するための番組を作っていたのではないのではないか。
あの取材は、“届ける”ためではなく、“封じる”ためのものだったのではないか。
もしそうなら──テープを開けてしまった俺は、その封を、解いたのだ。
【音声編集室利用申請書】
使用者:制作部第3班 西村亮介
使用日時:令和5年7月12日 14:00〜15:30
目的:旧番組素材『幽影ファイル No.23』の音声ノイズ解析および波形抽出作業
【調査対象音源】
ファイル名:YFK_23_RAW
対象箇所:再生位置14:17/16:42/静止画面直前(黒背景・テロップ出現時)
目的:映像再生時に「聞こえた」とされる声の特定および周波数帯抽出
音声編集室のブースに入り、ドアを閉めた瞬間、
外の音がすっと引いた。
いつもならそれで安心できるのに、この日だけは妙に呼吸が浅くなった。
あの声が、まだ耳に残っていた。
「……いるの?」
「──つぎ、きて」
再生するたびに違うように聞こえる。
何かを問う声でもあり、命じる声にも聞こえた。
最新のノイズ解析ソフトを起動し、問題の箇所をフレーム単位で切り出してみた。
だが、音声の波形は異常に“なめらか”だった。
ノイズがあるはずなのに、空白が続く。
これは、“録られていない”のではない。“消された”音だ。
もしくは、録音機に乗らない周波数で出ていた。
──たとえば、「人間の耳だけが拾ってしまうような、周波数外の声」。
【波形解析ログ:14:17の断声箇所】
・可聴周波数帯(20Hz〜20kHz)に音圧反応なし
・しかし、波形外フレームに“断続的な低周波パルス”を確認
・聴覚心理モデルを使用した仮想再生にて、「いるの?」と聞こえるパターン生成
※備考:
試聴中に編集室のブース外で「ノック音」あり → カメラ確認:通路に誰もいない
波形操作中にシステムエラー:“再生権限が変更されました”の警告表示(編集者:不明)
【語り手の記録】
それは、まるで“声”ではなかった。
耳で聞いていたはずなのに、記録には残らない。
波形にもデータにもないのに、俺の中には確かにある。
思い出すたびに、少しずつ違っていく。
最初に聞いたときは問いかけだったはずが、
二度目には呼び声に、
三度目には“俺の中から出た声”に聞こえた。
そしてもう一つ──最後の静止画面の直前、
モニターの中でレポーターの口が動いているように見えた。
テロップは「この取材は、完了していません」
だが、口元が発していた言葉は、明らかに違っていた。
俺はそれを見てしまった。
何度巻き戻しても、誰に見せても、「テロップと同じですよ」としか言わない。
だが、あの唇は確かに、こう言っていた。
──「もう、そっちに行くね」
【追加記録:編集室内機器エラー】
・波形生成中にソフトが強制終了
・ログファイルに「RECORDING」タグが自動追加される(手動操作なし)
・録音ファイルの保存先が自動変更(ディレクトリ:“Chihiro_temp”)
・そのディレクトリは、どの端末にも存在しない
【業務備忘・西村】
“声”は、音ではない。
あれは「音に偽装された、何か別のもの」だ。
聞こえた時点で、それはすでに“届いている”。
俺たちが映像を「再生」しているのではない。
あれが、俺たちを「視聴している」。
だとしたら──
いま、この文章を書いている俺の後ろにも、もう、いるんじゃないか?
《封鎖された学び舎》
【現地調査報告書(非公式)】
提出者:西村亮介(制作部第3班)
調査日:令和5年7月13日
対象:旧○○県△△町立第一小学校跡地
目的:『幽影ファイル No.23』の収録現場検証
【移動ログ・抜粋】
9:25 本社出発
10:58 現地最寄りインター到着
11:32 現地付近にて車載ナビがエラー表示(目的地情報“存在しません”)
11:35 Googleマップ上では「第一小学校跡地(解体済)」と表示される
11:39 同行カメラマンのナビでは目的地が“建物あり”として表示(名称:第一小学校)
11:45 現地着/“空き地”のはずの場所に、校舎と思しき影を視認
それは“見えた”のではなく、“見えてしまった”という感覚だった。
廃墟というには整いすぎている。
しかし、学校というには時代が止まりすぎている。
現地の住民に道を訊こうと車を降りたが、最寄りの商店では「その道はもう封鎖されてるはず」と言われた。
「……あんた、なに撮るつもりや?」
老人の店主が妙に鋭い目つきで言った。
“何を”ではなく、“何を撮るつもりか”と。
それはつまり、“見えるものが一つとは限らない”という意味にも聞こえた。
【現地メモ・西村】
敷地の入口には“立入禁止”の立て札と、傾いた柵。
だがチェーンは外され、足跡が続いていた。
つい最近、誰かが中へ入っている。
乾いた草の匂い、湿った土の感触。
足を踏み入れた瞬間、耳の奥にかすかな校内放送のチャイム音が聞こえた。
聞き間違いだと思ったが、同行したカメラマンの金澤も「今、音しました?」と首を傾げていた。
校舎は二階建て。窓は割れ、錆びた鉄製の時計が止まっている。
その針は、14時18分を指したまま動かない。
──それは、例の映像で“声”が入った時間と同じだった。
【語り手】
建物の中に入ると、空気が変わった。
いや、空気というより、“時刻”のようなものが体に貼りつく。
床は沈むように軋み、扉の取っ手は生温かい。
誰もいないはずの廊下の奥で、一瞬“人の足音”を聞いた。
本当に聞こえた。録音にも残っていた。
だが再生してみると、その音は**“俺たちの足音の前にある”**。
つまり──先に誰かが、歩いていたことになる。
撮影した映像を確認すると、廊下の突き当たり、ガラス窓の奥に“白い影”が立っている。
それは俺ではない。カメラマンでもない。
だが、フレームを拡大したとき、そいつの持っていたカメラが、俺たちのものと同じ型だった。
それは──“俺たちを撮っている誰か”だった。
【備考】
・校舎内の一部に、近年の生活痕跡あり(誰かが長期間いた可能性)
・黒板に「きょうは なにを しにきたの?」とチョークの文字
・2階の図工室にて、ビデオカメラの三脚が残置されていた
・脚立の上に、顔の描かれた紙が吊るされていた(顔の輪郭は“レポーター河西”に酷似)
・その紙の裏に、手書きで「ちひろは しらない」とあり
俺たちは引き返した。
正確には、“そう思っていた”。
車に戻り、ナビに再びルートを入れようとしたとき、画面に表示された現在地の地名が違っていた。○○県△△町ではなく、**“学影村”**と表示されていた。
そんな地名は存在しない。検索にも出ない。
だが、カーナビの履歴には、それが確かに刻まれていた。
──学影。
学び舎の影。
まるで、“何かの写し身”のように。
《誰かが見ている》
【社内監視映像・確認ログ】
確認者:総務部セキュリティ課/西村亮介同行
確認日時:令和5年7月14日 09:45
対象:編集室ブースA/7月13日 18:04〜18:37の映像記録
総務に頼み、前日の編集作業中の監視映像を確認させてもらった。
目的は、自分の操作ログと監視映像にズレがないかを確かめるため。
──けれど、俺は、“自分ではない自分”がそこに座っているのを見た。
録画データの再生が始まる。
画面に映っているのは俺自身。
モニターに向かい、例の『幽影ファイル No.23』を再生しながら、何度も巻き戻しと一時停止を繰り返している。
そこまでは間違いない。確かに、そうしていた。だが──
18時16分、録画内の“俺”が、突然キーボードを打つ手を止めた。
何かに気づいたように、顔を少し傾け、部屋の奥の影に視線を送る。
次の瞬間、“俺”の口がこう動いた。
「……また、来たのか」
音声は記録されていない。
監視映像には音はない。
けれど、はっきりと唇がそう動いていた。
その“俺”は、何かに頷き、立ち上がる。カメラの死角へ移動し、画面から消える。
──そして、戻ってこなかった。
以降の映像には、無人の椅子と、点いたままのモニターだけが映り続けていた。
30分近く、誰もいないのに、画面の明るさは微妙に変化を続けていた。
まるで、何者かが“向こう側”からこちらを覗いているように。
【語り手・西村亮介の記録】
俺は編集室に、ずっといた。
あの時間、席を立った覚えはない。
モニターの前で、手帳にメモを取っていたはずだ。
だが、そのメモがない。机の上からも、バッグの中からも。
代わりに、キーボードの横に置かれていたのは、一枚の付箋。
そこに走り書きされていたのは、たった一言だった。
「カメラは回っている」
見覚えのある筆跡だった。でも、それは“俺の字”じゃない。
何より、その紙自体が古い。
今の局で使っている事務用の付箋じゃなかった。
古い社名ロゴ。黄ばんだ紙。角の部分がちぎれていた。
つまり──これは“誰かが過去から残したもの”だった。
でもその「誰か」は、きっと、俺だ。
【追加現象:録画ファイルの異常】
・前日編集した『幽影ファイル No.23』の再生ログが“削除済”と表示される
・ログファイル内に“YFK_23_EDITED_0725”というファイルが追加されていた(作成日時:未来の日付)
・中身は空。だが、再生すると、再生時間カウンターだけが進んでいく
・映像なし。音声なし。ただし、カウンターは“14分17秒”で自動停止し、強制終了
・再起動後、モニターにだけ一行のメッセージが表示された
「──見ているのは、誰か?」
【語り手の私的記録】
モニターのガラスは、ただの反射じゃない。
あれは、覗き込まれている。
編集室の鏡面反射の奥に、時折、誰かの眼が見える。
閉じたつもりのファイルが、また開いている。
鍵をかけたはずのロッカーが、また少しだけずれている。
エアコンの風が止まっても、どこかから、髪が揺れるような音がする。
この局に、“目”がある。
誰のものか分からない。
だが、ずっと、俺のことを**“撮っていた”**んだ。
気づかなかっただけで、最初から。
あの映像に映っていた“俺”が、俺だったのか、それとも──
俺が“あっち”にいる側なのか、もう分からない。
《河西千紘という女》
【照会記録:局内契約者台帳検索】
検索者:西村亮介(制作部第3班)
対象名義:「河西千紘」
照会日:令和5年7月15日
結果:一致する登録記録なし
備考:近似名「河西千佳」「河村千紘」存在せず。旧社屋記録・手書き台帳・外部取引名簿も未記載。
【語り手の記録】
それでも、彼女は“いた”気がする。映像の中で何度もこちらを見ていた。
ただ画面越しではなく、もっと別の……たとえば“記憶の隙間”のような場所から、じっと俺を見ていた。
誰かの夢の中に入り込んできたような、乾いた匂い。蒸れた夏のワイシャツに染み付くチョークの粉。廊下に鳴る、小さな靴音。
全部、俺の記憶じゃないはずなのに、なぜか懐かしい。
──あの女は、どこから来た?
【非公式証言:社内ヒアリング/音声部・安藤】
記録者:西村亮介
形式:非公開・口頭
安藤「え、河西って……いや、俺それ知ってる気がするな」
西村「どこでですか?」
安藤「いや、なんかの収録で……ほら、あれだ、99年の特番。俺、そのとき補助でついてたかも……」
西村「番組名覚えてますか?」
安藤「幽影ファイル……いや、待て、それ、あんとき流れてないやつじゃん。放送事故で」
西村「放送事故?」
安藤「事故っていうか……なんか、音声おかしくなって、番組ごと飛んだんだよ。で、たしか……あの女、名前もなんか変だった」
西村「変?」
安藤「名札の文字、剥がれてたんだよ。『河』の字のとこが」
【語り手の記録】
彼女の名前は「河西千紘」だと、なぜか信じ込んでいた。だが映像内に彼女の名前は表示されていない。
台本にも、資料にも、スタッフロールにも記載はない。名乗るシーンもない。呼びかけられる場面もない。
……じゃあ、俺は、いつどこで彼女の名前を知った?
ふと思い出した。アーカイブ室で見つけた、ラベルの剥がれたVテープ。
裏面のインデックスカードに、うっすらと“千紘”という手書きが残っていた。
その筆跡に見覚えがある。それは、俺が中学の頃に使っていた自由帳に、何度も書いていた文字とそっくりだった。
──けれど、そんな名前の女の子は、俺のクラスにはいなかった。
【追加情報:社内スタッフ3名による証言】
この2日間、社内で3名のスタッフが「同じ夢を見た」と証言。
内容は以下のとおり:
・見知らぬ木造校舎をひとりで歩いていた
・チャイムが鳴り、職員室を開けると誰もいない
・廊下の先に、女が立っている
・彼女はこちらを見て微笑んだあと、背を向けて歩き出す
・女の名前は、目覚めたあとにだけ「河西」と思い出される
夢の内容は一致しており、語った3人は互いに面識なし。うち1名は映像再生には無関与。
【語り手の記録】
俺の記憶のなかに、あの女が住んでいる。誰かの夢を渡り歩いて、まるで“存在の背中”だけを見せてくるように。
自分のことを話さない。言葉を与えない。それでも、俺は彼女の名前を知っていた。
彼女が“いる場所”を、なぜか知っていた。
その日、帰宅途中に駅のホームで立ち止まった。いつも通る道だったはずが、なぜか足が勝手に別の出口へ向かった。
そこは古い団地の裏手。草の匂い。誰もいない遊具。小学校の門扉。
柵の向こうに、誰かが立っていた。制服姿の、短い髪の女。
俺が呼ぶより先に、その女が口を動かした。
「……ちがう。あなたじゃない」
そう言って、彼女は門の内側へ、すっと消えていった。
【最終ログ:7月15日 編集室PC上メモファイル】
ちひろはそっちいった でも まだ ひとり たりない
記録者不明。操作履歴には西村本人以外のアカウントは存在しない
《映像の中の“俺”》
【再検証記録:『幽影ファイル No.23』再生ログ】
実施日時:令和5年7月16日
操作担当:西村亮介(制作部第3班)
目的:過去素材と再生中映像の差異比較
対象ファイル:YFK_23_RAW / YFK_23_EDITED / YFK_23_ghost(自動生成)
【異常現象】
再生開始より7分24秒地点にて、撮影スタッフの背後の窓に「人物の映り込み」を確認。
静止/拡大後、人物の衣類・体格・髪型などが操作担当者本人と一致。
同時に、自身が当日着用していたジャケットと酷似する衣類がモニター内の人物に確認される。
【語り手の記録】
それは、ありえないはずだった。
俺はそこにいなかった。あの日、あの校舎にも、その収録にも、関わっていない。
──少なくとも、そう記録には残っている。
でも、映っていた。
モニターの中の俺は、明らかに俺だった。
後ろ姿、肩幅、腕の位置、立ち方。全部、今の自分と寸分違わない。
服まで一致している。しかも、それは“今日着ていたもの”だ。
映像は1999年のもののはずだ。
だが、そこには“令和の俺”が映っている。
【記録補足】
8分51秒:人物の顔が一瞬、カメラ側へ振り返る。
モニターに向かって“こちら”を見ているような目線。
目元の皺、口角の下がり方。完全に“俺”だった。
11分04秒:フレーム内の“俺”が、何かを口にする。
音声なし。唇の動きは「……入れ替わってる」と読める。
【語り手の記録】
俺の“中”が揺れた。
あれは本当に俺なのか?
それとも、“俺の形をした何か”なのか。
映像は、その瞬間から変質し始めた。
カットの順番が違う。
レポーターの動きが、記憶していたものと微妙にズレている。
机の上の小物の配置が、先日見た映像と入れ替わっている。
ファイル名も変わっていた。
YFK_23_RAWではなく、いつのまにか“YFK_23_ECHO”という未登録ファイルに切り替わっていた。
【ログ記録】
ファイル:YFK_23_ECHO
再生者:西村亮介(ログID確認済)
作成日時:7月18日(※本日以前の存在確認されず)
映像内容:同一校舎内、無人の廊下。カメラが前進。
映像の終盤、“操作担当者の姿が校内掲示板に掲示された写真として現れる”。
写真には名前が書かれている。「西村亮介」
撮影日付は「1998年8月20日」
【語り手の記録】
俺は、そこにいたのか?
いや、違う。
俺が“行った”のではない。
“あっちの何か”が、俺を呼び込んでいたんだ。
映像は、事実を記録する装置ではない。
映像は、事実を“固定する装置”だ。
だから、記録されたものが“変わっていく”ということは──
俺自身の存在もまた、書き換えられているのかもしれない。
今この瞬間、モニターに映る“俺”は、果たしてどちらなのか。
再生している俺か。
それとも、再生されている“俺”か。
【終端ログ:再生終了時メッセージ】
再生終了と同時に、未入力のメモファイルが自動で起動。
以下の文が表示されていた。
書き手不明/入力ログなし
みつけた つぎはそちら あなたのまなざしから
【編集室内異常発生記録】
日時:令和5年7月17日
記録者:西村亮介(制作部第3班)
現象:作業用PCにおいて、未登録映像ファイル「YFK_23_REPLAY」が自動起動
内容:過去に確認された映像内容と一致。ただし、演出されていなかった“現象”が追加されていた
【映像の中に確認された新たなシーン】
・廊下の突き当たりに、編集室と酷似した部屋
・机の上に、現在西村が使用しているPCと同型機種
・その画面に映っていたのは、“現在の西村自身の操作映像”
・映像内で西村がヘッドホンを外し、振り返る
・背後に、制服姿の女が立っている
・音声は無し
・終了後、「次の編集者は、あなたです」とだけ表示
【語り手の記録】
映像は、未来を記録していた。
俺がまだ行っていない場所、取っていない行動、発していない言葉──
そのすべてが、あのテープの中に“すでに存在している”。
それは予言ではなかった。あれは“再生”だった。
つまり、俺はただ“決められた映像の通りに”動いていたということになる。
じゃあ、俺はいつから──
自分の意思で動いていると錯覚していたんだ?
【関係者異変記録】
7月17日朝、音声編集担当・金澤が連絡不通
同日昼、制作補助・矢田が社内トイレで錯乱状態
彼はこう繰り返していたという。
「録られてる……ずっと……あの女、まだいる……次は誰?」
警備記録によると、午前3時45分、社屋内の編集室前廊下に“誰かが立っていた”という映像が残っている
セキュリティ録画には、制服姿の女と、それを映す手持ちカメラの影
この録画は数時間後、再生不能に
上書き操作なし
消去命令なし
ただ、ファイル名は勝手にこう変わっていた
「YFK_23_WELCOME」
【語り手の記録】
あの夜、俺は“映像に追いつかれた”。
帰宅途中、駅のホームで、カメラのシャッター音がした。
誰かが俺を撮った。振り返っても、誰もいなかった。
だが、スマホのギャラリーには、誰かの手によって撮られたような“自分の後ろ姿”が保存されていた。
撮影時刻は、まだ俺が会社にいた時間だった。
──映像は、俺よりも先に、俺を知っていた。
翌朝、会社に行くと、編集室の椅子がひとつ減っていた。
机の上に、例の白黒写真。掲示されていたそれは、校内掲示板に貼られていたあの“卒業アルバムのような写真”。
その中央に、“西村亮介”という名札。
名前の横に、赤い線が引かれていた。
【モニター記録:再生中テロップ】
2023年7月18日 編集中映像のフレーム内に
以下の文字列が一瞬だけ表示された(停止なし/一時保存不可)
これは再生です
あなたの物語りは放送済みです
まだ誰かが見ています
【語り手の記録】
もし、今の俺が映像通りに行動しているのだとしたら、
この文章を書いている今も、“再生の一部”なのかもしれない。
誰かがどこかで、この記録を見ている。
あの女かもしれない。映像の“観客”かもしれない。
あるいは──“これを読んでいる、あなた”かもしれない。
【報告書:映像素材No.23 処分記録】
日付:令和5年7月19日
記録者:不明(署名なし)
内容:アーカイブ内映像素材「YFK_23」関連ファイル群を処分/対象数:6
備考:物理メディア破棄済。デジタルデータ消去済。編集ログ、再生履歴、削除済みの操作痕跡なし。
例外として“1件のみ”処分記録のないファイルが存在──ファイル「YFK_23_ME」
【語り手の記録】
最初に開けてしまったのは、俺だった。
封を破った。
再生した。
止めなかった。
あれは番組でも、記録でもなかった。
あれは“蓋”だったのだ。
あの日、編集室で流したあの一本のテープ。
見てしまったのではない。
見させられたのではない。
──俺は、あれの続きを“見せる側”にされてしまった。
【編集室監視映像:最終ログ】
7月19日未明、編集室ブースA。
誰も入室していないはずの時間帯に、モニターの光が点灯。
記録映像には、椅子に座った男の後ろ姿。
画面に映っているのは『幽影ファイル No.23』の再生映像。
男は一切動かない。
目を閉じているように見える。
再生時間:14分17秒で停止。
その瞬間、画面の上に文字が浮かぶ。
この記録は保存されました
【語り手の私的記録】
この指は、いま確かにキーボードを打っている。
だが、この文章が“俺の意志で書かれている”という確信は、もうない。
頭の中で、誰かが囁いている。言葉ではない。
もっと、輪郭のないもの。
その“影”が、俺の中に降ってきている。
映像を見た瞬間から、それは始まっていたのだ。見た、というより、“見られた”。
再生した、というより、“再生されはじめた”。俺は最初から“演じていた”のかもしれない。
記録されるために、書かれるために、存在していた“語り手”に過ぎなかったのかもしれない。
【終端記録:未保存メモファイル】
自動起動されたメモアプリに、書いた覚えのない文字が残されていた。
画面には、ただこう記されていた。
これを読んだあなたが次の再生者です
了
お蔵入りしたフィルムの記録 山猫家店主 @YAMANEKOYA
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます