第3話 土いじりと、遠い街の噂
翌朝、私は日の出とともに目を覚ました。
小鳥のさえずりが、王都の喧騒とは違う穏やかな朝を告げている。
「さて、と!」
ベッドから飛び起き、動きやすい古着に着替えると、私は意気揚々と館の外へ向かった。アンナが「お嬢様、お待ちください!」と慌てて追いかけてくる。
私の目的地は、館の裏に広がる石ころだらけの荒れ地。ここを、私だけのハーブ園にするのだ。
「まずは土壌の確認からね」
私は地面に膝をつき、土をひとつかみする。指先で感触を確かめ、匂いを嗅いだ。
(うん、やっぱり土自体は悪くない。養分が足りていないだけ。時間をかければ、きっと豊かな土になるわ)
「アリア様、そのような土いじりなど…」
心配そうに見守るセバスさんに、私は振り返ってにっこりと笑った。
「大丈夫ですよ、セバスさん。これが私の仕事ですから。それに、とっても楽しいんです」
私が本当に楽しそうにしているのを見て、セバスさんや使用人たちは顔を見合わせている。まさか、元伯爵令嬢がこんなにも喜んで土にまみれるとは思ってもみなかったのだろう。
私は立ち上がると、みんなに向かって宣言した。
「みなさん! ここに、ハーブ園を作ろうと思います。薬になるハーブ、お茶になるハーブ、お料理が美味しくなるハーブ…たくさんのハーブを育てて、この谷を豊かな場所にしたいんです!」
私の言葉に、みんなはぽかんとしていた。
「しかしアリア様、この土地は痩せすぎていて、まともな作物は…」
「ええ、ですから土から作るんです! まずはみんなで、この土地の石を拾い集めましょう。それから、枯れ葉や動物のフンを集めて、堆肥を作ります。時間はかかるけど、必ず実を結びます!」
前世の農業高校で学んだ知識が、私の頭の中であふれ出す。
最初は半信半疑だった使用人たちも、私の熱意に押されたのか、一人、また一人と石拾いを手伝い始めてくれた。
その様子を、少し離れた木陰から、腕を組んだライル隊長がじっと見ていた。
今日も今日とて、厳しい監視の目だ。でも、不思議と昨日のような威圧感は感じなかった。
しばらくして、私は休憩を提案した。
アンナが用意してくれたレモングラスのハーブティーをみんなに配る。爽やかな香りが、肉体労働で疲れた体に染み渡った。
「ふぅ…美味しい」
私が汗を拭いながら一息ついていると、セバスさんが隣に腰を下ろした。
「アリア様は、本当に植物がお好きで、お詳しいのですね」
「ええ。私の、唯一の取り柄ですから」
私は自嘲気味に笑った。妃教育も、王子様の好みも、もう何の役にも立たない。でも、この知識だけは、私を裏切らない。
「しかし、堆肥を作るにしても、種や苗を揃えるにしても、先立つものが必要になりますな…。この谷には、行商人がたまに来るくらいでして…」
セバスさんの言葉に、私はハッとした。そうだ、資金の問題があった。父から持たせてもらったお金には限りがある。
「最近、少し変わった噂を聞きましてな」
セバスさんは声を潜めた。
「なんでも、東の国から来たという大きな商人が、この辺りの街道を頻繁に通るらしいのです。誰も見たことがないような珍しい品をたくさん扱っているとか…。もし、その商人と取引ができれば、何か活路が見出せるやもしれません」
「東の国の大商人…」
私の脳裏に、異国風の派手な衣装をまとった商人の姿が浮かんだ。
会ってみたい。でも、そんな都合よく、この谷に立ち寄ってくれるだろうか。
考え込んでいると、ふと視線を感じた。
見れば、木陰にいたはずのライル隊長が、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。目が合うと、彼は気まずそうに顔をそむける。
「…警備に、穴を開けるな」
それだけ言うと、彼は部下たちに指示を出し始めた。その横顔が、心なしか昨日よりも険しくなっているように見えたのは、気のせいだろうか。
(私のやり方が、気に入らないのかしら…)
貴族らしく、館で大人しくしていろとでも言いたいのかもしれない。
少しだけ胸がチクリと痛んだ。別に、彼に認められたいわけじゃない。でも、あからさまに否定的な態度を取られると、さすがに少し落ち込んでしまう。
(ううん、ダメダメ! 私は私のやり方で、この谷を立て直すんだから!)
気を取り直して、再び作業に戻ろうとした、その時だった。
一人の騎士が、血相を変えてライル隊長の元へ駆け寄ってきた。
「た、隊長! 大変です! 谷の入り口に、所属不明の大きな商隊が現れました! 旗には、見たこともない紋章が…!」
その報告に、場の空気が一瞬で張り詰める。
セバスさんが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「まさか…噂の…?」
ライル隊長が、鋭い視線を私に向けた。
その瞳は、「お前のせいか?」と雄弁に語っていた。
そんなこと、私が知るわけないじゃない。
私の心臓が、期待と不安で、大きく音を立て始めていた。
婚約破棄されたので、もう恋はこりごりです! 辺境の谷でハーブを育てていたら、堅物騎士団長と謎多き大商人に、なぜかものすごく溺愛されています 境界セン @boundary_line
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