第35話 水面の温度差

「え~」


 づきは明らかに不満げだった。唇をとがらせて、じとっとした目で俺をにらんでくる。

 それでも本気じゃないのが分かるな、これ。こいつの本気のにらみ顔、背筋が寒くなるから。そもそもが一方的な約束なんだし。


 しずと別れた後、俺は念のために美術室を訪れた。できる限り顔を出して欲しい、と言われたのは放課後の部活だから別に良いかとも思った。でも、俺がいると思って来ていたら心苦しい。

 懸念の通り、美術室の扉を開けた瞬間、振り向いた都築と目が合った。きらきらとした瞳に罪悪感を抱く。

 まぁ、でも、本当に今日は筆を握りたくないんだよな。俺は、はっきりと今日はこのまま立ち去るし、放課後も部活に来ないことを都築に告げた。


 一気に顔が曇ってからの、一言が最初の言葉である。


「むー、いいですけど」


 不服そうにほおを膨らませているが、どうやら納得はしてくれたらしい。


「おびにデートに行きましょう」

「……なんて?」


 唐突な都築の提案に俺は面食らった。こいつ、何て言った?


「デートです。でぇと」

 聞こえなかったのか、と静谷が繰り返す。いや、聞こえてはいた。内容が処理できていなかっただけで。

 デートって、あれだろ。みねぎしが色々な女の子相手に誘ってる、あれ。


「今度、水着を新調する予定なんです。これでセンパイをのーさつしようと思いまして」


 のーさつ、ねぇ。それはちょっと背伸びしすぎではないのでしょうか。

 俺は隠していたのに本棚に丁寧に並べられるという静谷からの辱めを受けた雑誌の女性と、都築とを見比べて……さすがに失礼な想像だから頭を振ってかき消した。口に出したら殺されるわ、ほんと。


「……どこに?」

 ごまかし気味に問うと、くるくると回っていた都築はこちらを見て答えた。

「プールです。こっちにも大きなの、あるんですよね?」


 そうだろうな、とは思ったけど予想通りの答えが返ってきた。

 プールというと、確かに都築の言う通り近場に大きいのがあるな。テーマパークと直結しているやつ。ちっちゃな頃に行った覚えがある。最近は考えることすらしてないけど。

 そっか、プールなぁ。楽しかった思い出はあるけど、今の俺じゃあなぁ。


「いいけど、俺、水面苦手だからなぁ」


 不用意に口から飛びだした言葉の意味に気づいて、俺は口をふさいだ。しかし、もう遅い。


「えっ」


 さきほどまで明るかった都築の表情が、この世の終わりみたいに暗くなってしまった。


「それって、もしかして」


 都築の顔が青ざめている。何を想像しているのか、容易に理解できた。

 夕焼けの事件。俺が、久々に真っ赤な夕焼けを見て気を失ってしまった、あの日のことだ。あれを都築はずっと自分が不用意にカーテンを開けて俺を読んだからだと悔やんでいる。こんなの、俺にとってはずっと付き合ってきた体質の問題だし、都築が気に病むことは無いと思っている。

 それでも、あの日以降、都築は俺以上に夕焼けを警戒していて、アラームのような正確性で俺の帰宅を促すのだ。そこまで気にしなくても良いのに。


「……むう」

 そこまで考えて、俺はうなった。なんか、引っかかりを覚えたんだ。


――あんたは、他人との関係値を軽んじすぎ。


 静谷が俺の鼻に向けて指を指す姿を思い出した。

 これは静谷の言うとおり、見誤ってるんだろうな。他人との関係性を、俺は。普通は俺みたいに他人事だとは、思えないよな。目の前で倒れられたら。


「いや、潜ってしまえば問題ないから」

 我ながら意味の無い言い訳だ。プールでずっと潜ってるって、どんな状況だよ。


「もういいです」

 取り繕うと思ったが、もう遅かった。都築は椅子に座って、がっくりとうなだれてしまっている。やってしまったな、俺。

 さて、どうするか。俺が悩んでいると、都築の独り言が聞こえてきた。前から思っているが、都築の独り言は大きい。俺に聞かせているのでは、と勘違いするほどだ。


 だから、別に耳を澄まさなくても聞こえてくる。


「せっかく、さんと水着選びに行く約束したのに」


 そこにこんどうさんの名前が出て、こんな状況なのに胸がほっこりした。そっか、近藤さんと仲良くやってるのか。

 ルームメイトとの関係改善を相談された俺としてはうれしい限り。


「何か他にできることあったら言ってくれ。俺も考えとくから」

 その言葉に、都築は机から顔をあげる。まだ、じとっとした目をしているが、彼女が小さくうなずいた。


 大丈夫かな、これで。俺はおそるおそる、美術室を後にしたのだった。



「それで、そんなことがあったんだけど」

 授業の合間、その休憩時間。廊下に呼び出したみねぎしと、そんな話をした。なぜか、机で話す気はしなかった。

 隣のさわしろさんに気を遣ったとか、そんなことはない。


「俺はどんな反応をすれば正解だったと思う?」

「いや、そこはまず喜べよ!」


 みねぎしは隣に話すにしては大きすぎる声量で叫んだ。耳が痛い。

「え、後輩ちゃんからのデートの誘い? そんなイベント、オレは経験したこと無いぞ!」

 知ってるぞ、二年のみねぎし先輩はかっこいいけど軽薄だから警戒しろ、とかうわさされてるの。気に入った子に、すぐ声をかけるから怖がられてるんだよ。目立つから。

 なんで顔の良さで損してるんだよ、おまえは。ちゃんと武器を磨け。


 それでも、何度か成功したのは知っている。だから、聞いてみた。

「それでも、デートは行ったことあるんだろ。どうだったのかなって」

 俺の一言に、みねぎしの顔が一気に暗くなった。本日二度目。何で、俺は地雷踏み抜くのかなと思って、みねぎしの言葉をしばらく待つ。


「『みねぎし先輩って、あんまり面白くないですね』って、途中で帰られた」

「……ご愁傷様」


 これは有用な情報は得られないなと思って、話を打ち切った。できれば、都築が喜びそうな代案のネタにでもなればと思ったけど。

 たぶん、声かけに応じてくれる子と合わないんだろうな。みねぎしの性格と。こいつ、根が純情だから。


 まぁ、それが分かってるから俺は友人付き合いを続けているわけだが。静谷に声をかけた事件は、忘れちゃやらねぇけど。


「オッキーがプールダメってのは、オレも最近知ったわけだけど」

 深刻そうな顔で話すみねぎしに、俺は小さくうなずいた。体育が一緒だから、そのときにみねぎしとは話した。

 ちなみに、授業中は目をそらすか、空中を見ている。俺がダメなの、水面だけだし。直線のプールだから、何とかなるのだ。ちなみに、端から見ると奇行なので、みねぎしと話したのはそれを心配したこいつが声をかけてきたからだ。


「でも、誘いを断ったのはもったいないな」

 断ったわけでは無いけど。

「なんで?」

 俺はそのまま話を続けた。


「だって、水着姿見放題だし」

「バカか、おまえ」


 真剣に聞いて損した。にやにやと笑っているみねぎしにらんだあと、俺は大きく息を吐いた。


「いや、だってさ。プール行くって目的って何があるよ?」

 みねぎしが、何か俺の反応がおかしいみたいな態度をとる。いや、あるだろ。普通に。まぁ、実際に俺はあまり行ったことないんだけど。でも、そうだなぁ……。


 俺は、数少ないプールの思い出を思い出して反論しようとした。

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サマー・メモリーズ~モノクロームの水平線~ 想兼 ヒロ @gensoryoki

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