1.闘技場

「治療ギルド・白環アルバルク」にて


> 「……うーんこれは、“生存コスト”だね。

一日あたり一万二千ポイント」


「……そんなバカな、前は七千で済んでたはずだ……」


「加齢ってのはそういうもんだ。骨密度、筋肉量、臓器の劣化……全部“維持”するのにポイントがかかる。君ももう、六十を越えただろう?」


「クソッ……どうしろってんだよ……」


「生きたきゃポイントを稼げ。稼げないならそれはもはや寿命というもんさ。」


---


バルセオン王国──世界アクシオルムの南端に築かれた、

闘争の国。

灼熱の太陽が乾いた地を照らし、吹き抜ける風は砂を運ぶ。

この地にそびえるのは、巨大な円形闘技場。

その外周を囲むように、屋台が立ち並び、観客たちは賭けの話題で盛り上がっている。


そして、その喧騒の隙間を抜けるように──

鎖をつけられた人間たちが、列を成して歩いていた。


その中のひとりに、アストレインの姿がある。


俯いた顔、無表情。

だがその目の奥には、決して消えない“渇き”がある。

生への執着か、自由への希求か、それとももっと別の、名もないものか──もはや忘れてしまった何かか

誰にもわからない。ただ一つ確かなのは、彼が“まだ死んでいない”という事実だった。


『本日も開幕!奴隷闘技。注目は第10試合、無敗の“刃”その両名の雌雄が決するぞ!』


観客の声が響く。賭けの倍率が脳内へと浮かび上がる。観客は騒ぎ、誰かと相談し、脳内でポイントを支払う。


次第に酒と脂の匂いが交錯する市場のような空気が、

闘技場の外にも充満していた。


アストレインのポイントは現在5万。

生存ポイントの支払い、治療。


毎日を繰り返すだけ。

収支ゼロ、生きているだけ。


一戦目──

敵は鈍く、反応も遅い。殺すに値しなかった。

アストレインの拳が喉を潰し、即座に終わる。


二戦目──

今日は多少は手応えがあった。短剣を持つ男。

だが、切っ先が届く前に首が刎ねられていた。


三戦目──

女の闘士。動きは俊敏だったが、決め手に欠けた。

肋骨を叩き折り沈めた。


四戦目──

獣のように咆哮する巨躯の男。

だが咆哮より拳のほうが速かった。


五戦目──

鎖を使う技巧派。

絡め取られたが、断ち切りそのまま斬り殺した。


六、七、八戦目──

流れ作業のような勝利。

ポイントもわずかしか増えず、気力だけが消耗していく。


九戦目──

対戦相手は姿を消すスキルを持っていた。

出血を利用して相手の位置を読んで殺した。


──そして、十戦目。


アストレインは無言のまま、開かれた鉄の扉をくぐった。

太陽の下、灼熱の砂の上、千の目が見下ろす中央で、再び血が撒かれる。


「第十試合、始めェ!」


闘技場の中心に立つのは、ふたりの男。


ひとりは、全身に無数の傷痕を纏い、赤黒く乾いた血のにおいを纏った男──

血刃のアストレイン。現在5万ポイント。


対するは、巨漢の肉体に重たく鈍い刃を手に持つ男──

重刃のスロヴァリオ。現在6万ポイント。


両者、闘技場で九連勝中。


「……任務だ悪く思うな」


と小さく呟き地を踏み鳴らす。

刃が唸りを上げ、土煙が舞った。


歓声がうねるように響く。

血に飢えた観客たちの熱狂が、闘技場全体を揺らしていた。


先に動いたのは、重刃のスロヴァリオ。


「──スキル《加速》、発動!」


消費:6,000ポイント。

スロヴァリオの体が、一瞬で視界から消える。


アストレインはナイフを抜き、己の手首を裂く。


「……」


飛び散る血液が、空気に触れた途端、変質する。

固まり、黒鉄のような質感となって、アストレインの肉体を覆う。


《血装硬化(ブラッドハーデン)--防御形態 鎧》──発動。

消費:8,000ポイント。


血が鎧のように体表を包む。


そして、スロヴァリオの剣を腕でガードする。

爆ぜるような衝撃音。


スロヴァリオは舌打ち一つ、構えを変える。


「──なら、これならどうだッ!」


「スキル《身体強化》──発動!」

消費:10,000ポイント。


スロヴァリオ 総ポイント 44000


筋肉が隆起し、スロヴァリオの全身が倍加するように肥大化する。

そのまま踏み込み切りつけた。


《ガンッッ》


血鎧がきしみ、裂けた。

アストレインの身体が大きく吹き飛び、土煙を巻き上げて地面を滑っていく。


彼はその剣を高く掲げ、再びアストレインに迫る。

《加速》の余波がまだ残っているのか、その動きはまるで音を裂くかのように鋭かった。


アストレインは、無言。

わずかに姿勢を低く──肩を軸に重心を前へ。


スロヴァリオの大剣が振り下ろされる。

《ズガァッ!》


最小の動きで躱したが血鎧の表層が砕け、アストレインの肩口から肉が裂ける。血が飛ぶ。だが彼は、表情一つ変えない。


「──……」


再び《血装硬化(ブラッドハーデン)》の応用技。


【スキル《血装硬化(ブラッドハーデン)》──攻撃形態(刃状)】

消費:10,000pt


アストレイン 総ポイント 32000


その腕から、まるで血が凝縮されるように“刃”が形作られる。

鋭く、歪で、鈍色に煌めく──“血の剣”。


それはアストレインにとって“反撃”の合図だった。


次の瞬間、彼の身が──跳ねた。

異常な加速。まるで獣。

血の剣を振りかざし、スロヴァリオの脇腹へと飛び込む。


スロヴァリオが咄嗟に剣で防ごうとするが──間に合わない。


《ズギィッ!》


鋭利な血の刃が、大剣の下をすり抜け、スロヴァリオの腹部を切り裂く。

鮮血が噴き出し、男の顔が歪む。


「ぐぉぉおおっ!!」


闘技場が揺れた。観客の叫びが空を裂く。


アストレインは言葉を発さず──ただ一つ、敵を屠る意志だけで動いていた。


スロヴァリオは呻き声を上げ、後退しようとした。だが、その巨体は一歩も動けない。腹部の傷から滴る血が砂に吸われ、じわりと染み広がっていた。


その血を──


アストレインは吸う。


血の剣に伝い、吸収されていくスロヴァリオの命の残滓。

そしてその瞬間、再びアストレインの身体に“力”が満ちる。


【アストレイン:+10,000pt → 残り42,000pt】

【スロヴァリオ:−10,000pt → 残り20,000pt】


スロヴァリオが膝をついた。

巨漢のその身から、もはや闘志は感じられない。


だが──アストレインは止まらなかった。


再び、刃を振りかぶる。

そして、何のためらいもなく振り下ろす。


《ガギン!》


鈍い金属音。スロヴァリオの大剣が、最後の抵抗として刃を受け止めた。


しかし──

《ズシャアッ!!》


血飛沫が空を舞った。


巨体が、崩れ落ちる。

砂煙の中に、その名を刻むように。


──勝者、アストレイン。


「やったァァァ!! アストレインが勝ったぞ!!」

「金だッ!配当が入ったぞォ!くっくく……!」

「死んだ!あのスロヴァリオが……本当に死んだ!」


興奮に駆られた観客たちが、立ち上がり、拳を振り上げる。

砂煙の立ち込める闘技場の向こうで、歓喜と罵声が入り乱れる。


「金返せええッ!!俺の五万ポイント!!」


泣き崩れる者、叫ぶ者、笑い転げる者、嘔吐する者──

闘技場の観客席は、狂乱の坩堝と化していた。


アストレインは血塗れのまま、静かにその場を離れる。

その瞳に、光はなかった。


ただ、戦いの本能に身を任せ、今日も生き延びた──それだけだった。


【試合終了時点】

アストレイン:62,000pt

スロヴァリオ:死亡

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