プロローグ2:ノルマ達成


››› とある酒場の会話


「そういや、隣の店のパン屋の弟子いるだろ?」

「ああ、ラルトだったか?」

「そうそう、あいつ元々は冒険者ギルドに所属してたらしいぜ」

「へぇ、そりゃまた……なんでパン屋の弟子なんかやってんだ?」

「酔った勢いで《火種の掌(ひだねのて)》ってスキルを、パン一斤と交換しちまったんだとよ」

「翌日さすがに後悔して、親父に“返してくれ”って言ったらしいが……“返して欲しけりゃ一年間、無償で働け”って契約を提示されてな。渋々それを呑んで今じゃ、あのパン屋で朝から晩まで小麦と格闘だ」

「……契約って、こえぇな」


---


暗い森の中、静寂を破るのは、血に濡れた鉄靴の足音だけだった。


 土と汗と焦げた肉の匂い。この地には、昨日も、そして今日も、“獲物”が流れてくる。


「……団長。東側の獲物、半分ほど確保済みです。残りの部隊は西へ展開中」


副官が無表情のまま報告する。団長と呼ばれた男は、返事をしない。ただ、鎖の巻かれた右腕を一度だけ鳴らした。


その音だけで、部下たちは理解する。“予定通りに進めろ”と。


彼の名はエルグ・ラ=ヴァルト。かつてとある国で“死の番人”と恐れられた男。

 

今は、奴隷ギルド《縛鎖(ばくさ)》の団長。


奴隷ギルド ――。


 国家や商人ギルドたちの“要請”を受け、

 人間を“物”として確保・仕分け・移送・販売するために存在する機能的な組織。


 捕らえた者たちは、その素質や所持ポイント、スキル、契約履歴に応じて価格が付けられ、

 競売や注文販売で流通する。まさしく“市場のための狩猟集団”だ。


《縛鎖(ばくさ)団》――。


この世界アクシオルムの南端、国家領域外を拠点に活動するギルドである。


団長――エルグ・ラ=ヴァルト。

【総ポイント:3700,000】


鎖をその手に、ただ“今日のノルマ”を果たすだけである


「団長、報告です。…… 新生者の何人かが、部隊を突破しています。新人が、何十人かやられたようで」


 エルグの視線は、変わらなかった。

 まるでそれが“天気の話”ででもあるかのように、静かに聞き流す。


「……お前が行け」


 短く、それだけを言い残し、副官に命じる。


「了解しました」


 副官は一礼し、即座に数名の隊を連れてその場を離れる。


残されたエルグは、再び腰に巻いた鎖を指で弄びながら報告を待つ。


 そこに、足音。


 ぼろ布のように泥に塗れ、血を滴らせながら一人の兵士が現れた。


「団長……っ、報告、報告があります……!」


 彼の身体は切り傷と焼け跡にまみれ、呼吸は乱れている。


「斥候部隊が……突破されました……!」


「そうか。なら――俺が行く」


そう言い残し、彼は一歩、森の深部へと足を踏み入れた。


「スキル《感知(スキャン)広域 》発動 」 -50000ポイント


半径一キロ、あらゆる存在の“気配”が脳裏に流れ込んでくる。木々の間に潜む虫の微振動。茂みに息を潜める獣。森を巡回する部下の動き。


そして——


「……いるな」


一本の大木に背を預けるようにして座り込む、血の匂いを纏った者。


エルグは、戦闘前の“儀式”に入る。


「スキル《身体強化・極》──発動」

消費:10万ポイント。


筋肉の繊維が密度を増し、骨格が軋む音が響く。


「スキル《反応加速》──発動」

消費:5万ポイント。


視界が広がり、時間がわずかに遅く感じる。


「スキル《思考圧縮》──発動」

消費:5万ポイント。


その距離、およそ500メートル。


「スキル《気配遮断》──発動」

 消費:2万ポイント。


 気配が、霧のように拡散し、闇の中に消えていく。

 強者でさえ、気づくことは不可能なほどに。


 そこから、エルグは足音一つ立てず、一直線に駆ける。


 ──まだ、こちらには気づいていない。


 「スキル《鎖縛陣》──発動」


 投擲された鎖は空気を切り裂き、森を震わせた。


 バシュウウ!


 風鳴とともに巻きついた鎖は、大木を絡めたままその者 アストレインの背後へ到達。

 


 ギギギ……バキィイィンッ!


 大木ごとアストレインの体をも飲み込み、逃げ場など残さなかった。


 瞬時の出来事。

鎖に巻かれたまま、アストレインの身体は地面を擦り、引きずられながらエルグの足元へと転がされた。

 口元から血を滴らせ、呼吸は浅く、瞳は半ば閉じかけている。


 エルグは一瞥しただけで、すでに勝負が決したことを理解していた。

 だが、その瞬間だった。


 ──ゴウッッ!!


 アストレインの全身から、赤黒い気流が噴き出した。

 そして爆ぜる。


 「スキル《ブラッドハーデン》──発動」


 自らの血を媒体とし刃と化す 。


 ──しかし。


 「……惜しいな」


 エルグの肌には、わずかに一筋、擦り傷のような線が走っていた。

 血は滲まない。皮膚の表層を掠めただけだ。


アストレインは門の方角を見ていた。


「貴様らにはあそこに何が見えているのだ?」


 次の瞬間、アストレインの体は沈黙した。

 拘束されたまま、意識を失う。


やがて、森の奥から足音が響いた。副官だった。

 数名の部下を伴い、辺りを警戒しながら姿を現す。


 「団長殿──ご無事で」


 副官は素早くエルグに敬礼を送る。彼の視線はすぐにアストレインへと移った。


 副官が手元の帳簿を開く。

 「……これで丁度、百体。ノルマ達成です」


 その言葉に、従者たちがざわめいた。


 「ならば……これにて仕事は終了。アジトへ各々帰還せよ。」


 「──“ボーナスタイム”の始まりだ!」と部下たちが騒ぐ。


そして顔が嗤いに染まる。

ノルマ以外は“不要”──つまり、、


 「おい、あっちに女がいたぞ!」


 「ヒヒッ、順番は守れよ……!」


 怒号、悲鳴、嗤い声。

 空を裂く断末魔が、静かな夜を汚していく。


 エルグはその中心から離れ、静かに歩き出した。

 泥と血に染まった地面を踏みしめながら、誰にも目を向けることなく。

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