ショートショートⅫ「二色恋 」
北ノ雪原
ショートショートⅫ「二色恋」
私には、行きつけの庭園がある。
その庭園には古くから創業している喫茶店があり、よくそのお店で読書をしているのだ。
その庭園の中央、1本松が堂々と聳え立つ地面を囲うように、大きな池が存在している。
その池には、一匹の錦鯉がいる。
赤と白の二色のコントラストが美しい。
喫茶店を出て帰る際、私は必ずその池を眺めてから帰る。時々その錦鯉に声をかけたりもする。挨拶だけの時もあれば、今日読んだこの本がとても面白かったなど、本当にたわいもないこと。
自分でも鯉に話しかけるなんておかしな奴だなと思う。
今日も立派な錦鯉が優雅に泳いでいる。
夕方の西陽がその池に射し込み、キラキラと美しく輝く。その様子に見入っていると、涼やかな心地の良い風が吹いてきた。
ふと顔を上げると、池の縁に見慣れない人物が立っていた。
おそらく自分と同じくらいの歳の男性だ。
爽やかな短髪に、絹のような白い肌。
その瞳は赤と白が混在しているような不思議な色で、まるで宝石の如き輝きを放っている。
思わずその瞳に見入っていると、吸い込まれそうな不思議な感覚に陥った。
「こんにちは。」
ふと、その男性がこちらに挨拶をしてきた。私ははっとし、こんにちはと慌てて挨拶を返す。
「君はよくこの庭園に来ているのを見かけるけど、好きなのかい、ここ。」
不思議な声で、不思議な話し方をする人だ。
私のことをよく見かけるということは、この人もよくここに来ているのだろうか。
私はあまり他人を見るタイプでは無いから、このような男性が来ていることには全く気が付かなかった。
「そうですね…あの喫茶店でお茶を飲みながら読書をするのが好きで…。あの、あなたは…。」
そう問うと、その男性はにこやかに微笑み、夕陽を眺め始めた。
夕陽が射し込むその瞳はどこか寂しげなよう。
「僕もこの庭園が好きなんです。特にこの時間帯。茜色の空は、僕の心を高揚させる。そして、そこにいつも君がいるのもまた、なんだか愛おしい。」
不思議なことを言う人だと思った。
それでも何故だろう、何か惹かれるものもあって。
「君、名前は何というんだい?」
「
「この空のような、美しい名前なんだね。僕の名前は
その後はしばらく庭園を一緒に歩いてお話をした。なんだろう、真白というその男性の声はとてもふわふわしていて、心地が良い。
そして気がついたら次の日もまた、庭園で真白と会っていた。
会っては庭園を歩きながらたわいもない話をする。
何の本を読んでいるのか、どういう食べ物が好きなのかなど、本当にたわいもないこと。
それでもその時間はとてもキラキラと輝いていて、気づけば私は、真白に会うために庭園へと足を運んでいた。
連絡先などは交換しない。ただ、同じ場所で会って話をするだけの関係。
ある日、一緒に帰りましょう?と誘ってみた。
けれども真白は優しく首を横に振った。
「僕はまだ、もう少しここにいるよ。」
そう言って、私を見送った。
その時の真白は、まるで今にも消え入りそうな、儚い雰囲気を纏っていた。
会ううちに、私は真白とずっと一緒にいたくなってしまった。
いやなんとなく、このまま今日もさよならをして帰ったら、次はもう会えないんじゃないかという漠然とした不安に襲われていた。
何故だろう、何故かはわからない。
「あの、今日は…庭園が閉まる夜まで、一緒にいてもいいですか。」
隣を歩きながら、思い切って尋ねてみた。
「もちろん、いいよ。」
そう言って、真白は私の右手を優しく握ってきた。
あぁなんて温かい手。この手を離したら、離してしまったら、どうなってしまうのだろうか。
刻々と時間は過ぎてゆく。
陽が沈み始める。
一番星が輝き始める。
淡い月も東の空から顔を覗かせ始める。
お願いだから時間よ止まってくれと、強く願いながら歩いていた。
広い庭園をゆっくりと1周し、1本松の池のところまで戻ってきた。辺りは既に薄暗くなっている。
私たちは歩を止め、空を見上げた。
もしも流れ星が流れたなら、私は何とお願いをするだろうか。
この人とずっと一緒にいたい。そう願うだろうか。
「茜、聞いてくれないか。」
静かな空気の中で、真白はおもむろに口を開いた。
私はまっすぐに真白を見る。
真白もまた、まっすぐな瞳でこちらを見つめてきた。
「茜、本当に、本当に今までありがとう。」
私はきょとんとした。どういう意味なのだろうかと。
「今まで隠していてごめんね。その、僕は…。」
そう言うと、突然池で何かが飛び跳ねた。
宙に高く舞うそれ。
それは、あの美しい錦鯉であった。
「僕は、この池の錦鯉なんだ。」
ポチャン。
池の音だけでなく、何か自分の心にも雫が落ちたような、そんな音が聞こえた。
「君はいつもこの庭園に来ては、帰りに僕に話しかけてくれたね。そうしているうちに、惚れてしまったのさ、君に。」
ドクンドクンと、自分の鼓動が波打つ。
「君と直接話がしたくて、言葉を交わしたくて。僕は思念を具現化させてこの姿を作った。そして君の前に現れた。」
そして真白は握っていた私の手をほどき、両手を体の後ろに隠した。
「人間は、感謝の気持ちや嬉しい気持ちの時、こういうのを贈るんだろう?」
そう言いながら、立派な花束を私に差し出してきた。
先程まで何も持っていなかったのに、体の後ろから一瞬で花束を出すなんて魔法みたいだ。
それは、赤と白の薔薇が混在している花束であった。
「わ、私に…?」
「そう、君に、プレゼント。」
嬉しい、とてつもなく嬉しいのに、真白の目は寂しさに溢れていて私は戸惑ってしまった。
「…茜。」
私の名前を呼びながら、真白は私を優しく抱きしめた。
温かい、とても温かいのに、今にも消え入りそうな肌触り。
「大好きだ。本当に、出会えて良かった。本当にありがとう。」
「私も…私も好き!大好き!鯉だってなんだって関係無い…!ねぇ、これからもずっと、こうやって会えるよね?」
その問いに真白はただ優しく微笑み、目をつむりながらゆっくりと顔を近づけてきた。
月の光が2人を照らし、涼やかな風が吹いている。
その中で、重なり合う唇。
まるで澄んだ清らかな水の中で、揺らめく月を見ているかのような不思議な感覚。
水の中は優しさに溢れていて、あの人の心が、全て私に流れ込んで来るような───。
気がついたら、真白は消えていて、私は庭園の外に立っていた。
見上げた月は、全てを知っていて何も知らないふりをしているようだった。
次の日、私はいつものようにその庭園へ行った。
中央の池で、真白を探す。しかし今日はあの人の姿は無い。
私は次に池を見やった。錦鯉、あの錦鯉はいないのかしらと探すが、どこにも見当たらない。
そしてとあるものが目に入った。
池の隅に、石が立てられ一輪の花が添えられていたのだ。
その瞬間、私は全てを理解した。真白がこのタイミングで現れた意味も、零した言葉の意味も、あの漠然とした不安も全て。
私はその小さな墓の前にしゃがみ目を瞑り、両手を合わせたのだった。
ショートショートⅫ「二色恋 」 北ノ雪原 @kitanosetsugen
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