特別編

夜の囲炉裏と、白旗の布団

 金曜の午後。帰りのHRが終わってすぐ、凛愛は元気よく手を挙げて言った。


「せんせいっ、今日って、あのお約束の日ですよね?」


 担任席の真央がくすりと笑って、頷く。


「ええ。ちゃんと“保護者の許可”も取ってあるわ。よくできました」


 その“保護者”が、職員室の隅で眉間を押さえていたことに、

 ふたりは――いや、故意に気づかないふりをしていた。


 ***


 玄関に並んだ三足の靴。

 リビングには、やや場違いな緊張感。


 真央は手際よく三人分のティーセットを用意して、ダイニングへ戻ってきた。


「紅茶でいいわよね、紗里?」


「……ええ。すみません、お邪魔して」


 紗里は制服姿の凛愛とソファに並びつつ、やや距離を取って腰掛けた。

 が――


「先生〜、こっちの席にきませんか〜」


 凛愛が、ソファの真ん中をぽんぽんと叩いて、猫のように呼ぶ。


 真央は笑いながら腰を下ろす。

 凛愛が、自然に身体を寄せてくる。

 

(自然っていうか……近い……)


 紗里はカップを持った手をそっと握り直す。

 耳が熱い。気のせいじゃない。


 そして――始まる、真央の“甘やかしタイム”。


「今日も一日がんばったわね、えらいわよ」


「もっと褒めてください……」


「はいはい、よしよし。かわいいわよ、凛愛」


 ――頭を撫でられ、耳元でささやかれ、至福の表情を浮かべる凛愛。


 ――対して、遠くから「せ、節度を……っ」と念じる紗里。


(ちょっと撫ですぎ! その指先に記憶宿ってるでしょ!?) 


 ***


 お風呂のあとは、スウェット姿の真央と、パジャマに着替えた凛愛。

 紗里は教師の自制心でスーツ姿を崩さず、畳の上に正座している。


「せんせーい、いっしょに寝たい……」


「いいわよ。ベッド広いし、もう隠すことなんて何もないもの」


 (あるわ!まだあるから!)


 叫び出したくなる衝動を必死に抑えながら、

 紗里は予備の寝具を敷きながら目を閉じた。


 ***


 ――夜。灯りは落とされ、部屋には小さな間接照明だけ。


 真央のベッドには、凛愛がうつぶせになって頬をすり寄せていた。


「ねえ、せんせい。ここ……ほんとに、“わたしの場所”って感じがするの」


「そうね。前も今も、あなたがここにいてくれて、私は安心するの」


 囁きあうふたりの声は、まるで耳元で燃える囲炉裏のように、心を温めていた。


「手、つないでてもいい?」


「もちろん」

 

 ぴたりと指先が重なる。


 (手……つないだ……! よかった、手だけ……)


 紗里は隣の敷き布団でうずくまりながら、

 心の中で拍手と祈りと白旗を同時に掲げた。


(だめ……耐えられない……このいちゃいちゃ空間……)


「せんせい、好きだよ……」


「ええ。私もよ、リリア――」


(名前呼んだ!前世の名前呼んだ!ああああああああ!)


 ***


 そして、数分後。


 ぬくもりを手のひらに感じながら、凛愛は眠りに落ちる。


 真央はその寝顔を撫でながら、ふと視線をずらして――


 廊下の戸の向こうで寝返りを打っているであろう紗里の気配に、

 そっと笑いかけた。


「ありがとう、見守ってくれて。……もう大丈夫よ、きっと」


 布団の中で、紗里はそっと目を閉じた。


(ほんとに……ほんとに“寝るだけ”で終わってくれてよかった……)


 心臓はまだ落ち着かないけれど、

 どこかで確かに、安らぎが生まれていた。


 囲炉裏の火は、誰かを焼かない。

 ただ、今日もまた、夜を照らしていた。


 ―――終

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鉄球と蜜月《スイート・ドミニオン》 鈑金屋 @Bankin_ya

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