Ⅳ 依頼書

 お互いに単独行動をしていた時の情報共有を済ませると、ロズはディーが取り落としてしまっていた黒火焔油の瓶を拾い上げた。

「まだわからんことは多いが、物証として黒火焔油が見つかったことは大きい。こんなもん、一般家庭にあるような物じゃないからな。お手柄だ」

「どーも」

 ロズに褒められ、いまだ床の上に座り込んだままのディーは僅かに表情を緩める。

「ディーの話からすると、黒幕はオルノ市長ではなくミサだということだが、そのミサはいったい何者なのかという……」

 話しながら瓶を鞄にしまったロズは、視界の端で動いたものを認識して、不意に言葉を途切れさせた。部屋に飾られていた古めかしい男の肖像画の瞳が、こちらに眼差しを向けるように動いたのだ。

「……絵画の目が動いた」

「何言ってるんですか、ロズさん。陳腐な怪談じゃあるまいし」

 唐突なロズの呟きに、ディーは軽く笑う。

 絵画は動かないものだという常識は、魔術が一般的に使われているこの世界であっても変わらない。動画という概念や、顕現させた写真、絵画などを動かす魔術も存在していない。つまり、たった今ロズが目撃したものは、異常なものだ。

 一度瞳が移動してからは、その肖像画は再度普通の絵画を装うかのように、動きを止めている。しかし、キャンバスの上に描かれている厳しい表情を浮かべた男の冷えた眼差しは、明かな意思を持ってこちらを監視しているようにロズには感じられた。

「遺物憑霊だ」

 思い浮かんだ魔物の名前を呟く。

 ふと、嫌な汗が吹き出すのを感じた。改めてその存在を認識すると、一刻の猶予もないことを自覚する。

 ロズはすぐさまディーの腕を引くと肩を貸し、立ち上がらせる。

「ディー、急げ」

「どうしたんですか?」

「事件の裏側にあるものがわかった。遺物憑霊だ。すぐに館を出るぞ」

「遺物憑霊って、確か『古代遺物に憑依する謎多き魔物』でしたっけ」

 魔物研究課でロズに説明された覚えのある名前に、ディーはその魔物の特徴を思い出す。憑依している物の形状によってその特性や見た目は異なるが、遺物に魅入った人間を使役することは共通している。

「つまり、オルノ市長は遺物憑霊に使役されてるってことですか。もしかして、その憑依している遺物っていうのは、絵画の形をしている……?」

「俺も同じことを考えていた。おそらく、この館のどこかに遺物憑霊の実体である絵画の遺物が存在する。館の中がこれだけ美術品で溢れているのも、遺物憑霊が己の実体を隠すために、オルノ市長に集めさせたんだろう。木を隠すなら森の中ってことだ」

「なるほど、賢いですね。遺物憑霊を倒すには、その実体の絵画を探し出して壊さないといけないってことなんですか?」

「そうだ。ただ現時点の問題は、遺物憑霊がとんでもなく強い力を持つ魔物だってことだ。とてもじゃないが、俺たち二人で太刀打ちできるような相手じゃない」

 二人は話しながら部屋の中を移動し、ドアを開けて廊下へと出た。

 瞬間、二人が出てくるのを待ち構えていたかのように、真横から濃い紫色の風が吹き付けてきた。

 事態を把握する前に、ロズは冒険者として長年培ってきた動物的な反射で盾を構えて床にしゃがみ込み、支えを失って床に倒れ込んだディーを含めて結界術を張る。

 すぐに、球場の結界術の周囲を紫色の濃霧が包み込む。

 ロズには、その濃霧の正体がわかった。毒霧だ。人体にどのような作用をもたらす毒かという詳細は不明だが、結界術なしにその身に浴びれば、即死級の強さの毒性であることは理解できる。

 視線を上げれば、目の前には、廊下にある空間のすべてを埋め尽くすような巨体がそこにいた。視力のほとんどない白い瞳と、全身には粉を吹いたような白い鱗を持ち、紫色の毒の息を吐く魔物。その名も白紫毒竜はくしどくりゅう

 既視感を覚えるのは、エントランスホールの天井に、この白いドラゴンを描いた絵画が飾られていたからである。

「ドラゴン……どうしてこんなところに」

 結界の中で、床に転がったままディーが呟く。ロズはゆっくりと首を振る。

「こいつはおそらく本物じゃない。さっきの甲冑の騎士と同様に、遺物憑霊が館の中にある絵画から作り出した紛い物だ。だが……」

 白紫毒龍の口からは、毒の息が絶えず吹きつけられる。その毒霧を防いでいる結界はすでに全体的に白くくすみ、ところどころで罅割れだしている。いくら存在が紛い物だと言っても、目の前の存在の能力は、本物と劣ったところがないようにロズには感じられた。

 全身全霊の力をかけて保っている結界術が壊れてしまうのも時間の問題だ。そうなれば、浴びせ続けられている毒霧から逃れる方法はない。

 ロズは舌打ちを一つした。

「ディー!」

「は、はい」

「さっさと離脱術を使ってこの館から出ろ!」

 離脱術とは、上級の冒険者が用いる難しい魔術のうちの一つだ。使用することで、洞窟や建物などから即時外まで脱出することができる。上級離脱術になると他者に使用することもできるようになるが、それでも一人ずつにしか使用することができない限定的な魔術だ。

「前にも言いましたが、俺の使える初級の離脱術じゃ、俺しか出られません」

「それで良いんだ」

「ロズさんはどうするんですか」

「外に出たら、境界術を使って、すぐにこの館を封鎖しろ。境界術を張る時にはちゃんと指輪を使えよ。ギルドに入る時に習っただろ? それからマリアさんに事情を説明し、上級冒険者パーティ限定で依頼書を出せ。オアシス消失事件の犯人は館の中にある絵画を実態とする遺物憑霊。救出対象として、使役されているオルノ市長を指定しろ。お前は優秀なやつだ。一人でもやっていける」

 早口に捲し立てるロズに、ディーは大声を被せる。

「待ってください! ロズさんを見殺しにしろってことですか」

「それ以外に、この状況からお前を助ける方法がない。二人で死ぬのを待つくらいなら、お前だけでも逃げるんだ」

「嫌です!」

「お前の兄貴は!」

 叫びにも似たディーの声をさらに圧倒するほどの大声をロズが発する。その低い怒号は、結界内の空気をビリビリと震わせるような迫力があった。

 圧倒され、ディーが思わず口を噤むと、ロズは、今度は落ち着いた声で言葉を続ける。

「お前の兄貴の名前は、ルーク。そうだな?」

「そう、ですが……どうしてロズさんが知ってるんですか。それに、今この状況下で俺の兄が、何の関係があるんです」

「ルークがお前の兄貴だってことは、お前から、死んだ兄貴の話を聞かされて初めて知った。知った時にすぐ言えなかったのは、俺の弱さのせいだ。お前に恨まれるのが怖かった。すまない」

「……俺がロズさんを恨むって、どうして」

「あいつが死んだとき、俺はそこにいたんだ。あの時、ルークと俺は同じパーティに所属していた」

 想像もしていなかった唐突な告白に、ディーは瞠目した。

 ロズが言葉を続ける。

「俺たちはギルドからの依頼を受けて、鬼鎧大蛇の討伐に向かった……はずだった。実際にそこにいたのは当時未発見のドラゴンだった。ドラゴンにしては小柄な個体だったが、それでも、ドラゴンを俺たちのパーティだけで相手にすることなど不可能だ。全員無事に生還することは絶望的で、すぐに全員共通の認識として、全滅しないことが目標になった」

 ロズたちが発見したドラゴンは、その事件の後『敏岩火竜(びんがんかりゅう)』と名付けられた。未だギルドと契約をしていない敵対的な性格で、討伐依頼は出されているものの、その素早さと強さ故に依頼完了には至っていない。

 ルークが死んだ事件以降、敏岩火竜は巣穴の洞窟に篭り切りになり、更なる人的被害は出ていないという事情もあって、現在は膠着状態にある。

「洞窟の中で、岩の隙間に逃げ込んだ俺たちに向かって、ドラゴンは猛火を吐き続けていた。もはや逃げ場はなく、俺が結界術で炎を防いでいる間に、一人ずつ離脱術で逃げるしかなかった。今と同じような状況だ」

 ロズの口から語られる、兄が死んだときの状況を、ディーは黙って聞く。

「俺たちのパーティで離脱術が使える者は、ルークだけだった。ルークは他の仲間に一人ずつ離脱術をかけて逃し、最後には俺とルークだけが残った。俺の仕事は、ルークが自分に離脱術をかけて逃げるまで、結界術を張り続けて耐えることだった。なのに……ルークは……お前の兄貴は、最後にかけた離脱術で、俺を逃したんだ」

 ドラゴンの炎に巻かれている中で、必死に踏ん張り結界を張っていた者がいなくなれば、残された者がどうなるか。そんなこと、考えるまでもないことだ。

「俺は守護者なのに、仲間を守り切ることができなかった。役目を果たせなかった。年齢からしたって、若く、未来のあったルークが生きるべきだった。俺はお前の兄貴から、この命を譲り受けたんだ」

 白紫毒竜に向かって盾を構え、結界を張り続けているロズの瞳から、一筋の涙が溢れた。

「頼む、ディー。ルークからもらった俺の命を、あいつの弟であるお前のために使わせてくれ」

 ロズの震える声を聞き、口元に手を当てたまま、ディーは返事をしなかった。ロズと同様に、ディーも静かに泣いていたのだ。

「ディー! 離脱術は完了までに時間がかかる。早くしろ、間に合わなくなる」

 結界に入る罅が徐々に深くなっていく様子を見て、ロズが叫ぶ。

 ディーは一度大きく体を震わせると、床に両掌を触れさせ、返事をすることなく小さく囁いた。

「イヨンゾアム・キボチェーニア」

 力なき詠唱。しかし声に反応し、ディーの足元には光の魔法陣が自動的に、ゆっくりと描かれはじめた。

 間違いなく離脱術が発動しはじめたその様子を見て、ロズは安堵し微笑んだ。

「それでいい」

 ディーの使える離脱術は初級のみ。初級の離脱術では、ルークがしたように、自分より他人を優先して逃すことなどできない。

 ロズが感じたのは、背負い続けた重荷を下ろした時のような、奇妙な清々しさ。

 ディーの足元の魔法陣が完成間近となり、ロズは目を閉じた。己の最後の力を振り絞って結界を強めた、その瞬間。

 ロズの背後から勢い良くディーが抱きついてきた。

「ユルィドカペ・アケゾガリィエ!」

 ディーが叫んだのは、ロズが今まで聞いたこともないような呪文だった。そして、ロズの体に物理的ではない衝撃が襲いくる。まるで、体の内側から雷に打たれたかのようだ。

 ロズが困惑し、状況を理解できていない最中にも、ディーは続けて叫ぶ。

「ベメテグール!」

 詠唱と共に顕現した光の輪が、ディーとロズの体をまとめて縛りつける。捕縛術だ。それとほぼ同時に、ディーの足元で完成した魔法陣が眩い光を放ち、二人の体を包み込んだ。

 限界を迎えた結界が砕け散る。


 気がつくと、ロズはディーと共に彫刻が立ち並ぶ庭にいた。ロズとディーの体をまとめて縛り付けていた捕縛術の光の輪が消え去ると、体が自由になる。

「ここは……」

 何があったのか理解できないままロズが視線を向ければ、ディーはしがみついていたロズの背中から離れ、ずるずると滑り落ちるようにして倒れ込んだ。それでも、大きく上下するディーの胸の動きが、彼がしっかりと生きていることを伝えていた。

「ディー、大丈夫か?」

 ロズが問いかけると、ディーはぐったりとしたまま頷く。

「はい……一度に魔力使いすぎただけです」

「貧魔か。やっぱり、逃げられたのはお前の魔術のおかげなんだな?」

 危機的状況をディーのおかげで回避できたことは理解できたが、どうしてそれが可能になったのかは、わからない。離脱術を複数人にかけ、同時に離脱するなどということは、どんな離脱術のスペシャリストでも不可能なことなのである。

 頷くディーを見て、ロズが質問を重ねようとしたとき。目の前にある市長公邸の中からドラゴンの咆哮が響いた。

 ロズは慌てて立ち上がると、左手の人差し指にはめた指輪に触れながら、市長公邸に向かって境界術をかけ始める。

「ドシセリビィテ」

 ロズの左掌の前に浮かび上がるのは、王立ギルドの紋章だ。この、王立ギルドから支給されている指輪はただの身分証ではなく、業務上必要不可欠な境界術を強化する効果を持っていた。

 王立ギルド職員の引く境界は、魔物を含めてあらゆる生命体を通さない。中に入るには、王立ギルドが発行した依頼書が通行許可証として必要になる。つまり、ぐるりと市長公邸を囲むようにして境界術をかけると、魔物を館の中に封じ込め、かつ、部外者を中に入れないようにしておくことができるのだ。


 市長公邸の外側を一周してロズが戻ってくると、ディーは地面の上に怪我を負った足を投げ出して座ったまま、夜空を見上げていた。瞬く星々は美しいが、遠くの空が薄く白み始めている。もうすぐ夜明けだ。

「おい、ディー」

 ロズが呼びかけると、ディーは体を起こしこちらに視線を向けてくる。

「手伝えなくて、すみません。境界術かけ終わりましたか、お疲れ様です。これで遺物憑霊が出てくることは無くなるんですね」

「ああ。遺物憑霊自体は元々、館から出てくることはなかったんだろうがな。ただ、使役されたオルノ市長が出てくることを防げる」

 闇ギルドに残されていた『砂華の王』という通称からして、闇ギルドに直接出入りしていたのは、操られていた時のオルノ本人であると断定できる。

 さらなる情報を加味するのなら、昨日、門のところまでロズとディーを迎えに来たのもミサではなくオルノだった。つまり、ミサは館から出られないのだ。

「オアシス消失事件の実行犯はオルノ市長。しかし、黒幕は絵画の遺物憑霊だった、というのがこの事件の全貌か。日中のオルノ市長の自然な様子からして、人の目を欺く時には、オルノ市長の完全に自由な行動を許していたんだろう。俺たちを館に泊めるなどという、遺物憑霊にとっては好ましくない行動もしたが、おかげで対面している時の違和感はいっさいなかった。だからこそ今まで、美術品の過剰な蒐集など、おかしな行動をしてきても、周囲の人間に完全にバレることがなかったんだろうな」

 ロズはそうして事件の全貌を振り返ると、ぽつりと呟く。

「犯人を突き止め、境界を張るのがあと少し遅れていたら、アリリタも危なかった」

 ディーは不思議そうに首を傾げた。

「どういうことですか?」

「オルノ市長はアリリタで祭りを開こうとしていただろう。先月あった夜祭は、前夜祭的なもの。今月……もう、たったの二日後にはオルノ本祭が開催される予定だった。夜祭でも十分な集客効果があったが、それによって知名度を増した本祭では、夜祭よりも多くの人が集まるはずだ。ではなぜ、市民の反対を押し切ってそんな祭りなんかをやる必要がある?」

「祭りで大勢の人を集めて、一晩でアリリタも焼き尽くしてやろうって計画だったんじゃないか、ってことですか?」

 眉を寄せ答えるディーに、ロズは大きく頷いてみせる。

「止めることができてよかった」

「酷い話だ。アリリタも焼き尽くす予定だったから、威力の高い黒火焔油を使うことを決めたんですかね」

「どうだろうな。それもあるだろうが、遺物憑霊にとっては、外で自由に動かせるオルノにオアシス消失事件の嫌疑がかかるのは避けたかったはずだ。何の証拠すら残らないほどに全てを焼き尽くせる代物だったから、という理由もあるのかもな」

「なるほど……」

「俺たちがオルノ市長に近づいたきっかけの、『黒い炎だけが永氷石を溶かせる』という公に知られざる事実は、遺物憑霊にとっても誤算だったんだろう」

 そこまで事件を整理して、ロズはディーの前にしゃがみ込む。

「さて。貧魔も落ち着いたところで、話を聞かせてもらおうか。複数人を離脱術で同時に移動させるなんてことは不可能なはずだ」

 そう言いながらロズがディーへと向ける眼差しは、純粋な尊敬や感謝の念だけではなく、疑わしさが混ざった複雑なものだ。

「ディー、お前いったい、何をした?」

 魔術というものは非常に論理的にできていて、気合や気持ちの大きさで奇跡が起きるようなものではない。魔術の枠を破った行為が可能になった場合、必ず何かしらの対価を払っている。

 ロズの顔を見つめ返し、ディーは隠し立てすることなく説明をはじめる。

「成功して良かったですが……実は、ロズさんを連れて行けるかどうかは、駄目元だったんです」

「駄目元だろうが何だろうが、お前はやってのけたんだ。離脱術に加えて、他にも魔術を使っていたことは俺も認識してるが。やったことに、何かしらの勝算があったんだろ?」

「はい。離脱術って、着てる服や、身につけてる荷物は一緒に移動できるじゃないですか。でも、他の人や動物を一緒に移動させることはできない。それってつまり『一度の離脱術で移動できるのは命が一つ』という条件があるんですよ」

「そうだな。だが、お前は今その条件を破った」

「いや、条件は破ってません。俺とロズさんに双命結合術(そうめいけつごうじゅつ)をかけて、命を一つにしたんです。そうすれば、離脱術で移動する命は一つという判定になるんじゃないか。という賭けでしたが、結果的に成功しました。最後は、成功する確率を上げるために、拘束術で物理的に離れないようにしただけです」

 そこまで話し終えると、ディーはようやく助かったことに実感が湧いてきた様子で、整った顔をくしゃりと歪め俯いた。

 伏せた顔からは、ポタポタと大粒の雫が落ちる。

「成功して、良かった。ロズさんと出られて、良かっ……」

 素直に心情を吐露するディーの様子に一瞬驚いたものの、ロズもつられるようにまた表情を緩め、ディーの頭を軽く撫でた。

「ありがとう。お前に助けられた」

 ディーは頷き、しばらく俯いたまま。ロズも黙ってディーの頭を撫で続けてやっていたが、不意に疑問が浮かんだ。

「その双命結合術って魔術は便利そうだが、今まで名前すら聞いたことなかったな。何故なのだろう」

「……創作魔術学のミナ先生が作った新しい魔術なんで、ほとんど使われていませんし、ほとんど知られていません」

 ようやく感情の波を抑え、涙を拭いながらディーが答える。

「どういう効果があるんだ?」 

「名前のとおりに、二つの命を結合して一つにする魔術です」

「ほぉ? そんなにすごい魔術でも、新しいものだと知名度は低いもんなんだな」

「ミナ先生はカップル向けに作ったロマンチックな魔術だと言っていましたが。さすがに、『相手が死んだら自分も死ぬ』ことを選択するような熱烈なカップルはそうそういないらしく、人気がなくて。ただ、離脱術のようなメジャーな他の魔術と組み合わせて、新たなことができるようになったと報告したら、ミナ先生も喜んでくれそうですね」

 ディーの説明を聞いていたロズは、しばらく思考のためにその動きを止めていた。沈黙の末に、『ん?』と声を漏らす。

「待て、相手が死んだら自分も死ぬ?」

「そうです。本当に命を一つにするんです。だから、今ロズさんが死んだら俺も死にますし、俺が死んだらロズさんも死にます」

「は、はぁ……おかげで今回は助かったわけだが、そら確かに恐ろしい魔術だな。早いところ解いてくれるか?」

 ロズが純粋な要望を口にすると、ディーはゆっくりと顔を上げた。そして、ロズの瞳を見て一言。

「できません」

「……は? できないって、どうして」

「死ぬ時さえ共にと約束して使用する、永遠を誓うための魔術ですよ。解除の魔術なんて存在したら興醒めじゃないですか」

 淡々としたディーの説明を聞き、再度ロズの思考と動きが止まってたっぷりと三十秒。

「ふざけるな! んなこと言ってる場合か!」

 ロズは叫びながら勢い良く立ち上がった。

「俺は四十六なんだぞ。寿命をまっとうしたって、お前よりも二十年以上は早く死ぬ。そうでなくたって、今まで散々無理してきた体だ。思うような年齢まで生きるかどうかだってわかんねぇんだぞ!」

 自分の胸に手を当ててロズが怒号すると、ディーは眉を吊り上げる。

「仕方ないじゃないですか! それしか二人で逃げる方法がなかったんだから! せいぜいアルコールを控えて、健康的に長生きしてください! そもそもアンタ、酒飲みすぎなんだよ!」

「だから、一人で逃げろと言ったんだ! 俺はそれで構わなかった!」

「そんなの、できるわけがねぇだろ!」

 お互いに声を張り上げながら、ディーもついに勢いをつけて立ち上がった。

「兄さんが、命をかけて守った命だぞ! そんなロズさんを、俺が見捨てるなんて……できるわけが……」

 襟元を掴んでくってかかったが、右足の傷が痛んでよろけ、自然とロズの体にすがることになった。ディーはそのまま、またすんすんと泣きはじめる。

 ロズは深いため息を一つ漏らした。ディーの腕を掴んで、体を支えるように自分の肩に回させる。

「……仕方ねぇ。とりあえず、病院行ってお前の怪我、治療してもらうぞ」

 ディーは無言のままロズに肩を借り、よろよろと歩き出す。

 それからしばらく、二人は夜明け前の道を歩いて行く。

「ロズさん」

 ふと、ディーが呟いた。

「ん?」

「バディですよね、俺たち」

「そうだな」

「俺、まだロズさんに教えて欲しいことがあるんですよ。独り立ちには早いです」

「当たり前だろ、小僧。思い上がるな」

 あまりにも冷たいロズの返事に、ディーは小さく笑う声を漏らす。

 アリリタの周囲に聳える外壁の端から、陽が上り始める。その光は、ロズとディーの白と黒の髪のコントラストをくっきりと照らし出していた。


 その日のうちに、王立ギルドから一件の青印依頼が発行された。

・依頼難易度:★★★★☆

・対象冒険者:上級パーティ

・討伐対象:絵画の遺物憑霊

・場所:アリリタ市長公邸内

・救出対象:オルノ・ミーシアン(遺物憑霊に魅入られ、使役されている。敵対行動をとる可能性があるので注意が必要)

・魔物情報:市長公邸内にある絵画を自由に操れる能力を持ち、顕現物を出していない場合は市長公邸内の全ての絵画から情報収集することが可能。絵画からドラゴンなどの強力な存在を顕現させるが、それらを倒しても遺物憑霊本体には影響がない。遺物憑霊が取り憑いている本体の絵画を物理的に破壊することで討伐可能。

・補足情報:本体の絵画は市長公邸三階、オルノの寝室奥にある宝物庫に、大量の絵画に紛れて設置されていたことが確認された。本体の絵画は、右目の下に二つの黒子がある黒髪の美女が描かれている。新たな者が魅入られることがないよう注意すること。

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王立ギルド魔物被害調査課の白と黒 三石 成 @MituisiSei

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