第8話 牙を剥く番と、王宮の影

ノアは獣人騎士団の詰所で、いつものように羊皮紙の束と格闘していた。

数字の羅列や荒々しい筆跡に辟易しながらも、王族としての教養がこんな場所で役立つことに、少しだけ満たされた気持ちを覚えていた。

セトは早朝から討伐任務に出かけており、半日は戻らないと聞いている。

彼の不在は、まだ完全に馴れていない詰所の喧騒の中で、ノアに微かな不安を与えていた。

番となった今、セトのフェロモンが傍にないだけで、心がどこか落ち着かない。


その時、詰所の扉が、それまで獣人たちが開閉する音とは異なる、妙に軽薄な音を立てて開いた。

一人の男が、いかにも王宮の人間といった風体の護衛騎士数人を引き連れて入ってくる。

男はすらりとした体躯に上等な衣装を身につけ、顔には傲慢な笑みを浮かべていた。

何より、彼のαフェロモンが、馴れないノアの鼻腔を刺激する。

「そこにいるのが、噂の亡国のΩ殿下か?」

男は詰所の獣人たちを一瞥もせず、真っ直ぐにノアへと視線を向けた。

その目は、ノアを品定めするように、頭のてっぺんからつま先までをじろじろと舐め回す。

まるで、市場に並べられた商品を見るかのような、下卑た視線だった。

「私が何か?」

ノアは思わず立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。男の顔をよく見ると、微かな既視感があった。

(…この声…この顔…あの時、婚約式で…)

ノアの脳裏に微かに蘇る、かつて王宮で交わした短い会話。

それは、祝福ではなく、所有宣言のような冷たい言葉だった。

まさか、あの時の、名ばかりの元婚約者の従者が、こんな場所にまで。

「貴様、王宮に帰還してもらう。陛下がお嘆きだぞ。」

男は口では「王命」を語りながらも、その瞳にはノアを見下し、蔑む色が明確に宿っていた。

「王命だと? ここは獣人騎士団の詰所だぞ。勝手な真似は許されん!」

詰所の獣人たちがざわめき、数人が男たちを牽制するように前に出た。男は鼻で笑う。

「ふん、所詮は獣人の分際で。それに、αであるここの団長とやらは、不在のようだな。」

セトが不在であることを見抜かれている。冷や汗がノアの背筋を伝った。

男の顔つきが、一瞬にして獰猛なものへと変わる。

「さあ、殿下。王の元へお戻りいただくぞ。少々荒っぽくなるが、これも王命だ。」

男は護衛騎士に命じ、護衛騎士たちがノアを取り囲んだ。


「貴様ら、何をする! 触れるな!」

ノアは必死に声を上げるが、すでに彼の体は震え始めていた。

王宮軍のαのフェロモンが、セトの番になったばかりのノアの嗅覚を激しく刺激する。

それはセトのものとは全く違う、粗暴で、有無を言わせない暴力的な匂いだった。

密使αは、ニヤリと下卑た笑みを浮かべると、懐から小さな小瓶を取り出した。

中には、透明な液体に浸された布が入っている。

「おっと、抵抗されると困る。少しばかり、熱くしてやろう。」

男は布を瓶から取り出すと、無遠慮にノアの口元に押し当てた。

瞬間、強烈な発情剤の匂いが鼻腔を突き刺し、ノアの体内に稲妻が走る。

「っ…ぐ…ぅ…!」

全身の血が逆流するような熱さに襲われ、ノアは膝から崩れ落ちそうになった。

足が震え、立つことさえままならない。

「まだ、αの匂いを嗅ぎ慣れていないか? 王都に帰れば、もっといいαがいくらでもいるぞ、王子殿下。」

密使αはノアの襟元を乱し、昨夜セトが噛みつけた番の刻印を露わにした。

紅い牙の痕跡を見て、男の顔が嫌悪に歪む。

「けっ、獣人ごときに汚されおって。こんな汚らわしい番の痕までつけて…」

吐き捨てながら、男は侮蔑の視線でノアを頭から足先まで嘗め回し、そのまま自分の股間をノアの腰に押し当てた。

「少しばかり、ここで“試し”させてもらうか? 王の元に戻す前に、この獣の匂いを上書きしてやる。」

ノアは屈辱と恐怖に目を見開いた。体は熱く疼き、本能が危険を察知して悲鳴を上げている。

発情剤の効果と男のαの圧力で、思考は霞み、一瞬、「このまま王宮に戻れば、また王子として…」という現実からの逃避願望が脳裏をよぎる。

このままこの男に抱かれ、王宮に戻る未来を想像し、ノアは吐き気を覚えた。

(やだ…! セト…! 助けて…!)

視界が歪み、ノアの意識が薄れていく。

その時、地鳴りのような咆哮が、詰所の扉を叩き破った。


ドォォンッ!


扉がけたたましい音を立てて内側から吹き飛び、そこに立つ影があった。

全身を覆う漆黒の鎧。そして、殺意と野獣の匂いを纏った、セトだ。

彼の金色の瞳は血走り、普段の無表情からは想像もつかないほど、激しい怒りがその顔に刻まれている。

「……貴様ら……!」

唸るような声と共に、セトの口元から鋭い牙が剥き出しになる。

彼の背後から、普段は尾の付け根で隠されているはずの、黒く太い獣の尾が、鞭のようにしなるのが見えた。

密使αがギョッとした表情でセトを振り返るが、すでに遅い。

セトは一瞬で間合いを詰めると、何の躊躇もなく、その腕で密使αを壁に叩きつけた。

鈍い音と共に男の体が壁にめり込み、そのまま意識を失った。

護衛騎士たちが剣を抜こうとする間もなく、セトの獣爪が閃き、あっという間に全員が床に倒れ伏す。


セトは、血を求める獣のような殺気を纏ったまま、ノアに駆け寄った。

彼の鼻腔には、他のαのフェロモンと、ノアから漂う発情剤の甘い匂いが、怒りとなって突き刺さっていた。

「…ノア…!」

荒い息を吐きながら、セトはノアの体を優しく抱き上げる。

ノアはセトの腕の中で、恐怖と、そしてこの上ない安堵に、涙が止まらない。

「セ…ト…っ…ひ…く…っ…」

「もう大丈夫だ…他のαの匂いを、全て消してやる…」

セトはノアの顔を自分の胸に埋めると、低い唸り声を上げた。

その声には、ノアを汚されたことへの激しい怒りと、誰にも渡さないという強烈な独占欲が込められている。


セトはノアを抱き上げたまま、詰所を後にし、そのまま浴場へと向かった。

他のαの匂いを洗い流すため、そして、ノアを自分だけのものにするためだ。

湯気の満ちる浴場にノアをそっと下ろすと、セトは自らの鎧を乱暴に脱ぎ捨てた。

剥き出しになった獣の体は、普段よりもたくましく、そして危険な香りを放っていた。

セトの金色の瞳は、まだ血走ったまま、ノアを捉える。

その目には、理性を完全に手放したαの欲情が宿っていた。

「…他の男の匂いなど…全て消し去ってやる…」

セトはノアの首筋に残された番の刻印を、深く舐め上げた。

その舌の感触は、普段よりも熱く、より執拗だ。

「っ…セト…っ…」

ノアは恐怖と、目の前のセトの獣性に圧倒されながらも、抗い難い快感に震える。

セトはノアの体に覆いかぶさると、番となったばかりのノアの奥へと、躊躇なく己を沈め込んだ。


「っ…あ、や…あっ…奥…擦れて…っ…!」

セトが腰を深く沈めるたび、ノアの奥が灼けるように熱く、擦り上げられるたびに微かな痙攣を繰り返す。

ノアの内部は発情剤で異常に敏感になっており、肉壁がセトの形を必死に覚え込もうと蠢いている。

ノアの甘い声が耳奥を打ち、セトの脳内に眩暈のような快楽が迸る。

(…駄目だ…理性が…こいつを壊してしまう…それでも…止められない…)

セトの尾が無意識にノアの腿を締めつける。

首筋を浅く噛むと、牙の痕から熱が脳髄を灼き、ノアが泣き声を上げた。

「…そんな声…出すな…理性が…切れる…」

セトの喉奥から唸り声が漏れる。金色の瞳は、ノアの全てを貪り尽くすかのように、深く、深く濁っていた。


「あ…っ…! いや…ぁ…っ…! セト…っ!」

ノアの声に、セトの耳が伏せられる。

快感と羞恥に、ノアの体は熱く震え、結合部からはねっとりとした水音が乱暴に響き渡る。

セトが限界ぎりぎりの理性で動きを緩めると、ノアの奥からいやらしい水音が返ってきた。

その湿った音に、セトの息遣いはさらに荒くなる。

ノアは自らセトの腰に腕を回し、その動きに合わせて腰を振った。

羞恥に顔を埋めながらも、彼の体は快感のままにセトを求める。

ノアの積極的な反応に、セトの瞳に確かな喜びの色が宿った。

理性の皮一枚で繋がっていた獣の本能が、ノアの熱い要求に弾け飛ぶ。

「…望むままに、くれてやる…!」

セトはノアの言葉に応えるように、さらに深く、激しく突き上げた。

結合部からはねっとりとした水音が響き、二人を包み込む。

内側を暴かれるような感覚に、ノアはのけぞり、全身の力が抜けていく。

快感の波が、次から次へとノアを襲い、その意識を遠くへと誘った。


激しい夜が終わり、ノアを抱き締めながら、セトは荒い息を整えた。

彼の瞳には、まだ獣の熱が残っている。

「…王宮の動きが早すぎる。裏で糸を引くやつがいるな…」

セトの低い呟きに、ノアの体がびくりと震えた。

王宮軍がノアを奪還しに来た。それは、自分たちが完全に自由ではないことを突きつける現実だった。

ノアはセトの胸に顔を埋め、震えながら、初めて自らの意志で言葉を紡いだ。

「…離れたくない…」

その言葉に、セトの体がわずかに強張る。

そして、獣のように低く、しかし深く満ち足りた笑い声が、ノアの胸に響いた。

「絶対に離さない。お前は、もう俺のものだ。」

セトの唇が、ノアの番の刻印を再び優しく撫で、その言葉を刻みつけるように囁いた。

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夜鳴きΩの元王子、最強獣人の激甘独占に溺れる @fuchi_fufufu

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