第7話 番になったΩの新しい日常

翌朝、ノアの体には、発情期の熱はすっかり引いていた。

だが、首筋にはセトの牙が深く刻んだ、鮮やかな紅色の番の証が残っている。

そして、体の奥には、昨夜の激しい結合の記憶と、まだ微かに疼く熱が、心地よい余韻のようにまとわりついていた。

それは、もはや羞恥だけではない。

セトと完全に繋がったという、深い安堵と、抗いがたい快感の記憶だ。

ノアは顔を赤くしながらも、その痕跡を指先でそっと撫でた。


セトはすでに部屋におらず、粗末な木製のテーブルには、湯気を立てる温かいスープが置かれていた。

肉とキノコがたっぷりの、滋味深い匂いが鼻腔をくすぐる。

それは、昨日までの「餌付け」の匂いとは違う、番となったノアのために用意された、愛情のこもった食事だと、ノアは本能的に理解した。

(…セト…)

彼の顔を見るのはまだ恥ずかしかったが、その料理は素直に嬉しかった。

疲れた体に染み渡るように、ゆっくりとスープを飲み干す。

肉は柔らかく煮込まれ、キノコの香りが口いっぱいに広がる。

空になった器を見て、ノアは小さく息を吐いた。

ここが、自分の新しい日常なのだと、番としてセトと共に生きる場所なのだと、深く実感し始めていた。


朝食を終え、ノアは獣人騎士団の詰所へと向かった。

隣には、いつも通りセトが付き添っている。

だが、その距離は昨日までよりも、ほんの少しだけ近いような気がした。

セトのαのフェロモンが、ノアのΩとしての体を優しく包み込み、安心感を与える。

「今日の仕事はこれだ。」

セトは無表情に、羊皮紙の束をノアに差し出した。

そこには、乱雑な筆跡で書かれた書類が山と積まれている。

「これは…?」

「騎士団の活動報告書。整理しろ。」

「私が…?」

ノアは思わず聞き返した。王族だった頃、書類仕事は全て従者がこなしていた。

こんな下賤な仕事、王子である自分がするべきではないというプライドは、まだ完全に消え去ったわけではない。

(仕方ない…やるしかないんだ…でも、番になった俺が、こんな雑用を…?)

ノアは書類の束を受け取り、言われた通りに作業を始めた。

獣人たちの文字は荒く、判読に苦しむものも多い。殴り書きのような文字に、思わず眉をひそめる。

だが、ノアは王族教育で得た教養と、貴族としての几帳面さを生かし、丁寧に書類を整理していく。

誤字脱字を直し、日付順に並べ、読みやすいように分類する。


昼休憩になると、獣人たちは思い思いに食事を取り始めた。

彼らの食事は、肉とシンプルなパン、時折、大きな骨付き肉を直接噛り付く者もいる。

彼らの間に広がる、獣らしい肉の匂いと、大声での会話。

ノアは居心地の悪さを感じながら、与えられた席でじっと座っていた。

そんな中、セトがノアの元へ歩み寄ってきた。

「…飯だ。」

セトが差し出したのは、昨日と同じような、香草で炒めた肉と、焼いた根菜。

周囲の獣人たちの食事とは明らかに違う、手の込んだものだった。

(絶対食べない…なんて、もう言えないな…)

ノアは照れ隠しに目を逸らすが、その視線は料理に釘付けだ。

香ばしい肉の匂いが、ノアの食欲を容赦なく刺激する。

セトは無言でノアの隣に座ると、ノアが食べ始めるのを見守った。

肉は柔らかく、香草の香りが食欲を刺激する。温かい根菜が、じんわりと体に染み渡る。

ノアは夢中で食事を口に運んだ。

周囲の獣人たちが、珍しそうにノアとセトを見る。

「おい、あの殿下、毎日セトの飯を食ってるぞ。」

「まさか、セトが飯なんか作るとはな…」

そんな声が聞こえるが、ノアは気にしない。

それよりも、セトの料理の美味しさが、全ての不快感を吹き飛ばしてくれるようだった。


午後も書類整理を続ける。

王宮での、退屈で無意味だと思っていた教養が、こんな場所で役立つとは。

ノアは黙々と作業に没頭した。

時折、獣人たちがノアの元にやってきて、自分たちの報告書について質問してくることがあった。

「殿下、この報告書、どう書けば分かりやすくなる?」

最初は戸惑ったが、ノアは丁寧にアドバイスを返した。

彼らの荒々しい話し方にも、少しずつ慣れてきた。

「殿下、ありがとう! おかげで助かった!」

彼らの感謝の言葉に、ノアの心に小さな喜びが芽生えた。

最初は冷たかった獣人たちも、ノアの真面目さや、意外な知識に触れて、少しずつ態度を変え始めているように感じた。

彼らの視線から、軽蔑の感情が薄れ、代わりに、わずかながら尊敬の念が宿り始めているのが分かった。

「殿下、番になったって本当か?」

ある若い獣人騎士が、興味津々といった様子でノアに尋ねてきた。

ノアは顔を赤くして頷く。

「ああ、そうだ…」

「すげえ! セトの番なんて、最強じゃないか!」

その言葉に、ノアは驚いた。

王宮では、Ωの番はαの所有物でしかなかった。

だが、ここでは、それは「最強」という、力と尊敬の証として受け止められているようだった。

ノアの心に、新たな誇りが芽生える。


夕方、仕事が終わると、ノアの体はやはりへとへとだった。

だが、昨日のような絶望感はない。微かに、達成感のようなものが胸にあった。

部屋に戻ると、すでにセトが夕食の準備を始めていた。

今日は、小鳥の丸焼きだ。香ばしい匂いが部屋中に満ち、ノアの胃袋を刺激する。

ジュワッと焼ける肉の音が、ノアの耳朶をくすぐった。

「今日はよく働いたな、ノア。ご褒美だ。」

セトはそう言って、焼きたての小鳥の丸焼きをノアの皿に乗せた。

外はカリッと、中はジューシーに焼き上げられた肉は、噛むたびに豊かな肉汁が溢れ出す。

熱い肉汁が唇を伝い、指先まで滴り落ちる。ノアは夢中になってかぶりついた。

セトはノアの食べっぷりを見て、満足げに口角を緩めた。その瞳に、ほんのわずかな熱が宿る。

そして、手を伸ばして、その頭を優しく撫でた。

「や、やめろっ…っ」

突然のことに、ノアはびくりと体を震わせ、顔を赤くする。まるで子供扱いだ。

だが、その手のひらの温かさは、妙に心地よかった。

セトの指が、ノアの髪をそっと梳く。

「…飯は満足できたか?」

セトの声が、どこか甘く響く。ノアは黙って頷いた。

(こんなに美味いんだから、当たり前だろ…)

食事が終わると、ノアの体は、先ほどよりもさらに熱を帯びていくのを感じた。

体の奥から、じわじわと湧き上がる熱。それは、昼間の疲労によるものではない。

セトの料理の滋味と、彼の優しい手つきが、Ωとしての本能を、いやらしく刺激しているのだと、ノアは気づき始めていた。


そして、夜の発情。番になった体に、もはや理性の枷はなかった。

セトの腕の中で、ノアは激しい快楽と、深い安堵の中で「夜鳴き」を繰り返した。

王族としての矜持は、熱に溶かされ、獣人の甘い支配に、今や喜びさえ感じながら屈していく。

セトの匂いがノアの全てを包み込み、その甘美な香りに、抗うことはできなかった。

「っ…あ…っ…!」

ノアの声が部屋に響く。

羞恥で、苦しくて、それでも止められない。

結合部を抉るような熱さと痛み。その奥を擦られる、甘い痺れ。

ノアの頬を伝う涙を、セトが舌先ですくった。

「泣くな」

低く唸るような声と共に落ちる、深いキス。


セトの瞳が、熱に濁っていた。

「…駄目だ…止まらない…。」

喉奥から唸り声が漏れる。

牙を浅くノアの首筋にあてがい、甘噛みで弄ぶ。

噛まれ痕が、じわりと熱を放ち、そこから快感が神経を這い上がり、脳髄を焦がす。

「っ…あ…っ…! セト…っ、や…ぁ…っ…!」

ノアの声に、セトの耳がピクリと伏せられる。

興奮で尾がノアの脚を締め上げ、さらに奥へと押し込む。

「…そんな声…出すな…理性が…切れる…」

その瞬間、奥を貫かれた快感に、ノアの視界は白く霞んだ。

体がひくひくと震え、快楽のあまり涙が止まらない。

ノアは自らセトの腰に腕を回し、その動きに合わせて腰を振った。

羞恥に顔を埋めながらも、彼の体は快感のままにセトを求める。

ノアの積極的な反応に、セトの瞳に確かな喜びの色が宿った。

理性の皮一枚で繋がっていた獣の本能が、ノアの熱い要求に弾け飛ぶ。

「…望むままに、くれてやる…!」

セトはノアの言葉に応えるように、さらに深く、激しく突き上げた。

結合部からは艶めかしい水音が響き、二人を包み込む。

内側を暴かれるような感覚に、ノアはのけぞり、全身の力が抜けていく。

快感の波が、次から次へとノアを襲い、その意識を遠くへと誘った。


ノアは、自分がこの獣人の料理と、彼の愛情に、深く深く堕ちていくのを感じていた。

それが、決して嫌なことではないと、番になった今、心から気づき始めていた。

夜は更け、セトの腕の中で、ノアは深く、そして穏やかな眠りに落ちていった。

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