溶けかけの未来

久屋白湯

私の見た世界

 世界は溶けてしまった。

 異常な気温上昇が起こった。まず、生物と植物が絶滅した。次に建物が溶けた。今の地球はどろどろの建物とガレキでいっぱいだった。

 人間は抵抗したが、やがてそれ――例えば、空調の効いたシェルターをつくること――が無駄だとわかった。資源さえも溶けかかっていたからだ。

 人間たちは子孫を残そうと考えたが、希望のない世界に我が子を残すのは耐えられなかった。だから、役割を持った耐熱アンドロイドを造った。

 アンドロイドは今でも、それぞれの役割を果たしている。


 溶けかかった学校の教室でアンドロイドが絵を描いている。元々は記録写真アンドロイドだったが、こんな世界では撮影も印刷もできないから絵を描いているのだ。首の上でお団子にまとめられた白い髪が窓から差し込む光を反射して虹色に輝いていた。耐熱スケッチブックには写真のように精巧な教室の絵が描かれている。完成したらしく、溶けたガレキを指に乗せて小さくサインを書く。「Skraスクラ」。そのアンドロイドの個体名であった。

 スクラは背負った耐熱ケースに「高等学校教室_2999.07.26」を収めながら立ち上がった。次に記録すべき場所に向かわなくてはならなかった。歩くと溶けた床材に足をとられるから、移動は基本的にホバーを使う。スクラの次の記録場所はある画家のアトリエだった。

 移動中、スクラは思考していた。人類が残した人工知能は学習を繰り返し、もはや人間と遜色ない意識を手に入れていた。

――果たして、私の記録を見る者はいるのだろうか?

 次世代を担う子供たちを教育していた施設を描いたことがそうさせたのかもしれない。波打ったリノリウムの床を見るともなく見ながら、スクラの意識は思考に沈んでいく。

――じきに耐熱アンドロイドわたしたちも溶ける。その後、この場所に知的生命体が現れる確率はきっと限りなく低いだろう。

 アンドロイドたちはあと数日で溶けてしまう――それはどの機体が予測しても変わらない、完璧な終末予想であった。

――私の記録に、意味はあるのか?


 画家のアトリエもまた溶けかかっていた。大きな窓からは人類には強すぎた光が注いでいた。スクラはトルソーの前のイスに腰掛けてみた。窓からはかつてこの国の首都のシンボルだった高い塔と、その足元に広がるビル群がよく見える。塔もビルも疲れきったようにうつむいていた。あるいはこの世界の惨状に天を仰いでいるのかもしれない。

 スクラのカメラは、溶けたアトリエの床に人間由来の成分が含まれていることを捉えていた。このアトリエの所有者はここでその生涯を終えたらしい。トルソーには窓からの景色――溶け方は今よりも軽度な――が描かれたキャンバスが置かれていた。人類が最期に見た景色を残したようだ。シェルターに避難せず、最期まで作品を創造するのは実に芸術家らしい終末だ――とスクラは思った。線は歪み、遠近感はめちゃくちゃだ。色も実際よりずっと鮮やかに描かれていて、正確とは言い難い。記録には向かない、スクラが描くのとは反対の絵だった。

 スクラはこの場所の記録を始めることにした。部屋を動き回り記録として切り取る場所を吟味していると、机の上に置いてあるメモが目に入った。スクラはそれに近づいて読み始めた。

「世界はどうやらあと数日で滅んでしまうらしい。私は、最後の瞬間をここに残したい。きっとこれを読むのは耐熱アンドロイドだろうから、滅亡の経緯は省こう。今、この部屋の中はひどく暑い。空調は効いているはずだが・・・それももう無駄なようだ」

 スクラはこういった類のメモに見覚えがあった。人間は今際の際にメモを残したがるらしい。今までの記録場所にも多く置かれていて、スクラはそれらのメモを読むのが好きだった。

「私はこの窓から見える景色が好きだ。たくさんの建物があって、たくさんの人がいた。いろいろな人が集まってできたこの街が好きだった。でも、今はたくさんの建物が溶けて、たくさんの人がシェルターに行ってしまった。私が好きだった建物も、人も、もはや失われた。なのに私は、今の景色が一番美しい、と思ってしまった。今からこの景色の絵を描く。」

 スクラには、あの絵が画家の見せたかった景色だとは思えなかった。あの絵は記録というにはあまりにも主観的で、歪んでいた。

「絵が完成した。あの絵は間違っている。本当はあんな景色ではない。線はもっときれいだし、暑さのせいで遠近感もとらえきれなかった。色だってもっとくすんでいるはずだ。それに、描いたところで見られる保証はない。」

――あれは不十分すぎる。なぜ「間違っている」絵を描いた? 「見られる保証はない」絵を書き続けられた?

「でも、それでいい。私にはこう見えた。私はああ描きたかった。あれは、私が私のために描いた絵だ。」

 スクラは、なぜ自分が人間の残したメモを読むのが好きなのかを理解した。

――誰にも見られる希望のないものを残すのは、私も同じだったから。

 スクラはここで、新しい考え方を見た。

 自分のために、絵を描く。

 この日、スクラは自分の絵にわずかな歪みを計測した。スクラの心は揺れ始めていた。


 最後の日。与えられた記録任務をすべて終えたスクラは、かつての首都を一望できる場所に向かっていた。

――自分のために、自分の見た景色を描きたい。

 自分が設計されたビルの屋上。そこが、スクラの選んだ場所だった。そこから見るビル群は前よりも状態が悪く、曲がった鉄筋に溶けたコンクリートが膜を張っている。

 スケッチブックを取り出して、色鉛筆を持つ。スクラが感じたように描く。初めての経験だった。

 スクラには、自分があと十数時間でアンドロイドとしての機能を停止することがわかっていた。それでもよかった。今はただ、“記録”ではない“創造”の体験を楽しんでいた。


 耐熱アンドロイドの滅亡まであと一分。スクラの中の機械はカウントダウンを始めていた。スクラは絵を完成させた。それは今までの記録とは全く違う絵だった。人間が見ても理解できない、機械の視点の絵。スクラは絵と景色を見比べ、満足そうに頷いた。あと三十秒。スクラはガレキを指に乗せて、いつものようにサインを書く。「私の見た世界_2999.7.31」を耐熱ケースに収める。あと十秒。スクラは顔を上げた。最後までこの景色を見ていることにした。

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溶けかけの未来 久屋白湯 @sayasa1208

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