第3話 スプルースとカーディナルの出会い



 僕がいた部屋は、小さな四角い部屋だった。四方を土壁に囲まれた、窓ひとつない部屋。

 出入り口はひとつ。重くて固いバネの付いた鉄扉がそれだ。

 開ける時はいつも、二人がかりで押し開ける。

 灯りというモノはこの部屋にはほとんどない。毎晩、点滴台の側に蝋燭が一本置かれて、その明りも朝までは持たない。部屋の中にはいつも、闇が充満していた。

 それと、なにかが腐ったような、饐えた臭い。

 ここは眠るためだけに来る部屋なので、僕は特に暗闇を気にしたことはなかった。瞼を閉じる代わりに、あの鉄扉が閉められるだけのことだ。

物心がついたときには、僕は既にここで暮らしていた。

 僕の部屋にある物を紹介しよう。

 この部屋の中にあるのは、僕が眠るための寝台。

 それから蝋燭の明りでもピカピカよく光る点滴台。

 最後に僕。

以上。

 ちなみに僕は、点滴が嫌いだ。

 これから朝が来るまで八時間、点滴を受ながら眠り続けなければならない。

 それが僕の食事だ。

 僕は食べ物を口から入れた記憶がまったくない。

 点滴の針を毎回刺すことは不衛生だという理由で、僕の左手首の親指の下にはシャトルという、点滴の管にジョイントするためのチューブが、血管の中に五センチほど埋め込まれていた。

 点滴を外している昼間は、シャトルの中を透明な液体の充填材で満たし、キャップを付ける。

 腕を動かさないわけにはいかないので、お昼頃になると血液が、充填剤をものともせずにシャトルの中へ流れ込み、体の外に出ている十五センチほどのチューブを真っ赤にしてしまう。

 だから僕は赤い色が嫌いだ。

 あの赤い色を見ると、夜、点滴につながれた時に血管の中へ戻ってくる、充填剤混じりになった、僕の冷たい血液の感触を思い出すからだ。

 ベッドに横田あると、頭上には通気口があって、僕は蝋燭が消えるまで、いつもぼんやりとそこを眺める。

 そこが開かないかな、と僕はいつも夢想していた。

 ある日そこがカタリと開いて、誰かが僕を連れ出してくれないかな、と。

 そんなことをずっと考えていたんだけれど、ある晩僕は、その通風口から、声がするのを聞いたんだ。

『放せよ! 自分で歩ける!』

 それはという男の子の声だった。大人の男性の『静かにしろ』、という声も聞こえて、しばらくすると、騒ぎはおさまった。

 この部屋で人の声が聞こえたのは初めてのことだ。

 おそらく大人の声は指導官だその声が完全に聞こえなくなったのを見計らって、僕は通風口へ声を掛けた。

「誰かそこに居るの?」

 すると、すぐに驚いた声が通風口から返ってきた。

『他にも反省房に人がいるとは聞いてなかったんだけどなあ! あんた誰?』

「僕はスプルース。こちらは反省房ではありません。僕の個室です。貴方は房に閉じ込められたんですか?」

『ああ、反省房を使うのは数年ぶりって話だ。俺はカーディナル。上級生だ。個室とはすげえや! あんた優等生なんだな』

「あなたこそ、上級生と言うことは、もうすぐ卒業ですね。おめでとうございます」

 僕がそう云うと、彼は、困ったような、怒ったような、そんな声で答えた。

『冗談だろ! 卒業しちまったら遅いんだ。双子の妹がどっかへやられる前に、迎えに行かないと』

「妹さん?」

『ああ、俺の双子の妹だ。今はラルーイにいる。今ならまだ見つけ出せる』

「まさか君は、ここから──」

『しっ! 誰か来た。またな!』

 カーディナルと名乗った男の子は、それから一ヶ月以上そこにいて、僕達はこっそりと話をした。

 彼は外の世界から来たらしい。森だとか、川だとか、村のお祭りだとか、いろんなことを僕に教えてくれた。

 ある日、彼は言った。

『俺、明日ここを出されることになったらしい』

「そうなんですか、よかったですね」

『そしたらさ、食堂で会わないか?』

「その、僕は、食堂には行かないんです」

『ええ?』

「そういう生活なんです。授業も一人で受けてる」

『そうか……残念だな』

「どうぞお元気で」

 そうしてまた、元の静かな暗闇が返ってきた。

 僕は今まで、寂しいと思ったことがなかったのだけれど、彼がいなくなって初めて、寂しいという気持ちが、沸き起こった。

 更に何日が過ぎて。


 彼はその日、天井からやってきた。


 暗闇の中で、カタリという小さな物音が聞こえた。

 もうすっかり短くなった蝋燭の灯りで、音のした方へ目を凝らす。

 それは、僕が聞きたくて聞きたくて、ずっと待ち望んでいた音だった。

 通気口のフェンスが、外されたのだ。


「元気か?」


 真っ赤な長い髪が、通風口から下がり、続けて陽気な笑顔が見えた。


「君なの?」

「ああ、俺だ。迎えに来た。ずっとここを出たいって言ってたろ?」


 それが、カーディナルだった。

僕はもう、赤い色が嫌いではなくなっていた。


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アリースンの紋章 嘉倉 縁 @yoshikura_en

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