10年目のベテラン
縦河 影曇
10年目のベテラン。
リビングから流れて来る涼しい風が届くキッチンの片すみ。
彼は長い間そこに鎮座している。
彼は産まれた時から、ただ物を冷やすだけの機能を与えられ、その役割をずっとこなしてきた。
彼の主人が汗だくになって、その扉を開けながら言った。
「この冷蔵庫も10年目か~」
そう、10年・・・。
途中でリタイアを余儀なくされた根性無しや、新しいものに淘汰されて入れ替わっていく物たちと違って、不変の役割をもつ彼は、ずっとそこに居続ける事が出来た。
ただ最近、彼もふと思う事がある。
「いつ壊れてやろうかな~」
そう思いながら、ニヤニヤと今日もキッチンを眺めていた。
予報では、今年は例年まれにみる高温に見舞われるようで、冷えた飲料などは必要不可欠。
また、夏の長期連休など、バーベキューに使用する大量の肉類を格納する大仕事を控えている。
物を冷やす。
一見単純なように見える機能でも、それを放棄された時点でこの家は大損害を被るであろう。
彼は、その機能を盾に、「こんな仕事、いつでもやめてやる」と、高慢な態度を見せていた。
その時、毎日彼をこき使うエプロンの女性から思わぬ言葉が。
「この間、電気屋さんへ新しいのを見に行ったら10万はするのよね~」
"なんだと・・・"
なんと!新しい冷蔵庫を物色しているかのような、冷酷な発言。
「ゴトゴトゴト!」
彼は製氷機の氷を落とし、彼女へのささやかな抵抗として音を立ててやった。
「10万か~。俺の薄給ではキツイな~」
主人が、彼を新人と入れ替える費用を聞いて嘆きの声を上げる。
冷やすだけの機能の彼が原因で、家計を火の車にする事態は、まさに本末転倒の有様である。
しかし、そんな彼にはささやかな誇りがあった。
かつて、技術大国と謳われた我が国。
その最盛期に彼は、当時の最高技術で作られたのである。
「あっ、そういや。海外製の方が安かったのよね~」
またエプロンの女が、彼の誇りを踏みにじる様なことを言って、彼の心を凍らせた。
まさに彼女こそ"氷の女王"。
"今まで休みなしに長年尽くしてきたのにもかかわらず、安いと言う理由でこの仕打ちかっ!"
彼のモーターは怒りの頂点に達し、その熱を最大限まで高めた。
しかし、流石は最高技術で作られた彼。
悲しいことに、その程度の事ではビクともしない。
「え~っ、でも少々値は張るけど、最新型の方がいいよ~」
主人の何気ない言葉が、彼の心に追い打ちをかけた。
確かに、新型の方が性能もよく、結果電気代のコストを抑える事が出来る。
それに、いつ壊れるかも知れない彼と違い、将来性がある。
主人とエプロンの女がそんな会話をしている所、少女が親しげに彼へと近づいて来た。
少女は手に持ったアニメのシールを彼の体へとペッタリ。
彼の身体中には、10年分の時を思わせる、まさに勲章ともいえるそれが沢山はり付けられている。
その絵は、幼児向けの物から、学校を舞台にした制服姿の物へと、少女の成長のあとが見られた。
「また~、そんなところにシールはって~」
エプロンの女性が少女を軽く注意した。
"良いんだ、女よ。これは俺の誇りである"
彼は少女の行為に感謝を示し、そのやり取りを見守る。
しかし、少女が言った。
「この冷蔵庫、どうせ、もうすぐ新しいのに換えるんでしょ?」
その言葉は、これまでの何よりも彼の心を凍らせた。
流石は"氷の女王"の後継者だ・・・。
「あれは、ちょっと電気屋さんで『良いな』って見てただけよ~」
「え~っ、でも電気屋さんの説明、真剣に聞いてたよ~」
彼は、その会話の中から、外の世界にいる未知なる敵の存在を知った。
ただ、電気屋さんと言う響き、少し懐かしい気がする。
海外製、新型機、電気屋さん。
分かりやすい敵であるエプロンの女性の後ろには、たくさんの隠れた存在が彼を脅かしているのだ。
「あっ、そう言えば、アウトレットやリユース品なんかも有りよね~」
エプロンの女性が、思い出したかのように言った。
"なにいっ⁈アウトレットにリユースだと⁈"
彼は、その意味は良く分からなかったが、まるで近年外国から入って来たかのような言葉である。
ただ、10年間働いた実績は揺るがない事実。
リユースなどと言う、新しい奴らには負ける気がしなかった。
「さすがに中古はねぇ~食べる物を入れるから・・・」
主人がエプロンの女性の提案を拒否。
「いや~、でもぉ~・・・」
その後、その話題は広がらなかった。
しかし、彼の心には、何か「スッキリ」としないものが残る。
"中古?まさかリユースとは、途中でお役御免になった奴らの事か⁈"
突きつけられる過酷な現実。
彼は、その中古たちが彼と同年の生まれでない事を祈るとともに、不憫な中古たちの再就職を心から願った。
"もし、同年代なら、その性能は本物。どこでも即戦力で喜ばれるはず"
そんな事を思っていると、向い側から声が。
「おいっ。箱の兄弟」
「ブウ~ン」と言う音を奏でる音。
彼と同じく「モーター一族」の扇風機が、兄弟の心を案じて、話しかけて来た。
「おうっ。羽の兄弟」
彼も冷蔵庫と同じで、ここでの仕事が長い。
その役割は、羽を回すことによって部屋を涼しくする事である。
やり方は違えど、彼らに与えられた役割は似たような物だった。
「俺たちのモーターは、人間を涼しくするのに必要不可欠!」
そう言って、気づかれないくらいに回転を上げると。
「その役割に胸を張ろうぜ!」
と励ましの言葉。
しかし、その言葉が終わると、突然、彼の羽が回転を止めた。
「なにっ?電源を止められた⁈」
空気の流れが止まったキッチン。
彼が不思議そうな顔をしていると、主人が段ボール箱を手に驚きの発言。
「このサーキュレーターの方が小さいから、今日からこっちに換えるよ」
主人はそう言うと、扇風機を持ち上げ、どこかへ連れていこうとした。
「え~っ、もったいないよ~」
珍しく、我々の味方に付くエプロンの女性。
"がんばれ!女!"
「これくらい安いから大丈夫だよ」
扇風機のモーターは頑丈で滅多に壊れないと言うが、彼らには安いと言う弱点が。
主人はそれを、見事に突いて来たようだ。
「まあ、それもそうね」
"こらっ!女!折れるんじゃない"
扇風機の兄弟は、キッチンからそのままどこかへ運ばれて行った・・・。
"羽の兄弟~!"
暑い時期だけだったが、共に働いた日々。
彼のキャリアは、あっけない形で幕を閉じた。
扇風機に代わり、その羽の音を鳴らすサーキュレーター。
その音を聴きながら彼は考える。
自分もいつかそうなる日が来るのだなと。
そんな運命に抗う為、結局、彼の結論はそこに行きつくのである。
「いつ壊れてやろうかな~」
10年と言う節目を迎え、せめぎ合うプライドと経済状況の間で駆け引きする彼は、今日もキッチンの片隅で様々なものを冷やし続けている。
いつか突然壊れて、家計を火の車にすると言う爆弾を抱えて・・・。
おわり。
10年目のベテラン 縦河 影曇 @tetekawakagekumo3594
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