霊感少女I:6

 館からの出口はCが開いてくれた。その場にいる僕達全員に呪文を唱えると、ただの壁にしか見えていなかった場所に大きな門が現れた。狂喜した僕らはすぐにその門に駆け寄り、そこがふつうに通り抜けられることにまた狂喜した。

 「これで家に帰れるのね……」

 Rは喜びを噛み締めるように涙を流し、僕の腕に縋りついた。

 僕達はそれぞれの家と日常に回帰した。

 神隠しにあっていたRが帰って来たことは、地元でちょっとしたニュースになった。

 Rの兄や両親は大喜びでRを迎え入れた。Rは家族には事実をそのまま伝え、代わりにマスコミには多くを語らなかった。そして人間としての暮らしが戻って来たことを喜んだ。風呂に入ったりまともなものを口にしたり家族や僕と時間を共にした。ボロボロだったRは元の美しさを取り戻し、気丈に振る舞っていても確かに負っていた大きな心の傷を、少しずつ癒しつつもあるようだった。

 僕はそんなRのケアに加わる一方、上司である教頭や校長に嘘話をでっちあげることで元の職場に戻ることに成功していた。ダムの氾濫に巻き込まれ意識を失ったことは真実を話したが、その後のことは覚えておらず、気が付けば道路に寝転んでいたというストーリーにした。

 担任していたクラスに臨時で入ってくれていた先輩教師に礼を言い、僕は再び、元のクラスで元の生徒達の先生になった。

 その教室にはUがいた。そのUは言った。

 「もうM先生は死んだものだと思っていたぞ」

 「ところがどっこい、生きている。ひさしぶりだな」

 「う、うんひさしぶり。でも先生、意識を失ったまま何日間も記憶がないなんて、本当なのか? Iの奴が何かして、怪奇現象みたいなことに巻き込まれていたとかじゃないのか?」

 実のところ、Uは勘の良い子供だった。僕はその勘の良さに免じて刺激の強いところを除いてすべてを話し、最後にNの改心への覚悟を説明した。

 「……と、いう訳で、これからはCというIとは反対のまともな姉ちゃんのところで、霊能力を決して悪用することなく過ごす覚悟のようだ。他の誰よりも、俺はまずはおまえに、それを伝えたかった」

 「ふーん……」

 「で、おまえはそれをどう思うんだ?」

 「どう思うって?」

 「いや、だからNは反省して改心と更生への道を歩き始めてだな……」

 「それはまあ良いことだよな。子供のあたしが言うのも難だけど、あいつだってまだ子供なんだから、これから先善い奴にも悪い奴にもなりうるんだろうし。良い方向に向かおうとあいつが思ったんだったら、あたしは応援しなくもないぞ」

 「そうか」

 「ただ、そういうことは先生に言ってもしょうがないことだよな」

 Uは言った。僕は頷いた。それはUの言う通りだった。

 「Nがこの学校に戻って来るんなら、あたしはちゃんとNがこれからどう生きていくのかを、ちゃんと見ていようと思うぞ。あいつがこれまでやっちゃったことはどうにもならないけど、これからあいつがどうなっていくのかを、あたしはちゃんと近くで見てる」

 「ありがとうU」

 「いつ戻って来るの? あいつ」

 「もうすぐだ。今は引っ越し作業の途中らしい。元の学校に通いたいってNが言ったら、Nのお母さんが一緒にこの近くに越してきてくれることになったんだ。Cって姉ちゃんは元々電車通学だし、通学電車の方向が登りから降りになるだけで距離もそんなに変わらないっていうんで、一緒に引っ越して同じ高校に通うらしいぞ」

 「ふーん。なんか上手いこと行きそうなんだな」

 ある日Cが僕の家に尋ねて来た。女子高生を家に入れるのも何だし外を歩きながら少し話をした。話題はNのこと、Iのこと、そしてこれからのこと。

 「M先生は、霊感や霊能力の関与しない、元の普通の日常に戻ってください。その日常を、きっとわたしが守ります」

 女子高生にそんなことを言われてそうですか頼みますと返せるはずもない。

 「俺に出来る事なら何でもやるんだがな。君は確かにN以上I以下の霊力があるようだけど、それでもただの女子高生だろう? 少しはオジサンを頼ってくれても良いんだぞ?」

 「これはわたし達家族の問題……とは言えないでしょうね。MさんにはI姉さまに対して十分すぎるほどの因縁がありますから」

 「その通りだ」

 「しかし、Mさんに出来ることが限られていることも確かなのです。Mさんは頼りになる大人ですが、わたしの周りにいる頼りになる大人がMさんだけという訳ではないのです。Mさんよりも余程訳を知っている人も中にはいます。だからこれ以上Mさんに迷惑をかけるつもりはないし、またその必要もないんですよ」

 話し方と言い伝え方と言い、態度や立ち振る舞いと言い、高校生とは思えない程大人びた女の子だった。しっかりしているし色んなことを弁えている。支えてくれる友人もいる。この子ならきっと僕がいなくても大丈夫だと思う反面、つまはじきにされるのには忸怩たる思いもあった。

 だから僕は言った。

 「君が望まずとも、或いは俺が望まずとも、俺はきっと事態に巻き込まれる」

 Cは悲し気に目を伏せた。

 「そうでしょうか?」

 「Iは俺への執着をやめない。いつか必ず僕の前に現れる。それを必ずしも君が止められるとは限らない。きっとまた決着をつけることになる。俺は当事者だ」

 「その時が来たら必ず逃げてください。身を守ることだけを考えてください」

 「そのことで君が迷惑するのだとしても、俺はその約束は出来ない。本当にごめんね」

 Cは顔を上げ、微かに唇を尖らせて僕を見詰めたかと思ったら、すぐに諦めたように微笑んだ。

 「妹をよろしくお願いしますね」

 僕は力強く頷いた。

 やがてNが教室に戻る日が訪れる。

 彼女が教室に入る前に、僕は精一杯クラスの皆に説明する。もうNが妙な力で皆を脅かすことはないということ、Nの改心、Nの決意、しかしそれらを聞く教室の子供達は胡乱な表情だ。それはそうだろう。事実としてNは人を殺し人を傷付け洪水を引き起こしたのだし、そんな人間は爪弾きにしていたいのが通常の思考で、また正当な権利でもあるはずだった。

 けれども僕はNをこの教室に戻すことにした。

 「奴にはここが一番良い」

 僕はクラスの皆に言った。

 「誰もNを知らないところに通うことだって、Nは出来ただろう。けれども果たしてそれが本当にやり直すことになるのか? 自分の持つ力を、自分のやってしまったことを知っているおまえらの前で、また一から小学生としてやっていくことこそが、反省して新たにやり直すということなんじゃないのか? 先生はそう思った。それが奴に与えられるべき試練だと思う。別におまえらには無理にはNと仲良くしろとは言わない。いじめたりしたら叱るけど、それは別にNに限ったことじゃない。ただ、ただな」

 僕は生徒一人一人の目をしっかりと見ながら言った。

 「Nのことを見守って欲しいんだ。Nが何を思いどんな気持ちでここにいて、これからNがどうして行くのか、それを皆に見守って欲しい。Nのことは誰かがきっと何とかしてやらなくちゃならない。Nが昔のまま変わらなければNの周りの奴らはもちろんのこと、N自身だって不幸になって行く。先生は変わろうとするNを導いてやりたい。他の誰でもなく、先生がそれを責任を持ってやり遂げたいんだ」

 生徒たちは暗い顔をする。僕は子供達に頭を下げた。

 「本当にすまない。おまえ達にとってもこれは過酷な試練だ。しかし世の中には本当に色んな奴がいる。Nより余程変わった奴と出会う日が必ず来る。だからNのような奴と同じ教室で過ごすことは、おまえらにとっても良い経験になると、そのことも先生は信じているんだ」

 そういうと、僕は廊下に待機させていたNを教室に招いた。

 教壇の前に立つNに、クラスメイト達の奇異の視線が突き刺さる。

 Nは自ら頭を下げ、言葉少なに、しかし確かに誠実な気持ちを込めてこう言った。

 「今までごめんなさい」

 Nは顔を上げて、クラスメイト達をじっと見つめる。

 「よろしくお願いします」

 席に着くまでのNの一挙一動を、クラスメイト達はじっと見詰めている。

 クラスの皆にとって、Nにとって、この判断が正しかったのかどうかは俺にも分からない。

 だが、良い判断にしていかなければならない責任が、確かに俺には備わっている。

 授業が始まる。教室の雰囲気は良くない。誰もが皆緊張してNのことを遠巻きにしている。休み時間が来てもそれは同じで、Nの周りには確かな溝があり距離があり、Nはそれを受け入れて一人、身動ぎせずにじっと座っている。嫌悪や蔑みのささやき声に晒され続けている。

 それはある部分ではかつてと同じような態度で振る舞いだったが、その意味するところは異なっていた。開き直りと無関心でそうしていた過去と異なり、今のNはじっとしていることで許されるのを待っている。許される為に、自身が無害であることを示す為に、Nは何があっても何もしないという試練に耐えているのだ。

 一日が経ち、二日が経つ。それらは必要な時間だった。さらに数日の時が流れ、ある日の放課後、僕は廊下を歩いている二人の少女とすれ違う。

 それはUとNだった。

 かつてと同じように二人は肩を並べて下校していた。Uが一方的に話しかけ、Nが返事を返す。しかしUの表情はかつてよりも明るく屈託のない笑みで、NもまたかつてよりUの方に視線を向け、相槌以上のことを話す回数を増やしていた。

 二人は会話に夢中で僕とすれ違ったことにも気付かない様子だった。僕はそんな二人を見送った後、清々しい気持ちで窓を見詰めた。

 青い空は晴れ渡っている。

 白い雲はゆっくりと流れ続けている。

 眩い太陽が熱と光を放ち肌を疼かせるように照らす。

 僕は目を細め、しばし立ち止まって、また歩き出す。

 運動場からボール遊びをする子供の声が聞こえて来た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

涼夜の霊感少女たち 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ