第8話
昼休み。
俺と田中は、再び旧音楽室に集まっていた。
あの後、教室に戻った俺は、ヒロインたちから「どこに行っていたのですか!」「心配したんだから!」という、愛という名の尋問の嵐に晒されたが、田中が「彼、体調が悪いみたいで、保健室に付き添ってたんだ」と見事な機転で助け舟を出してくれたのだ。
「しかし、これからどうする? この部屋にずっと籠ってるわけにもいかないだろ」
「そうだね……」
田中は腕を組み、難しい顔で唸っている。
「ヒロインたちの行動原理は、あくまでプログラムに基づいている。つまり、彼女たちの『狂気』にも、一定のルールやパターンがあるはずなんだ。それを逆手に取れれば、僕たちに有利な状況を作り出せるかもしれない」
「ルールを逆手に取る……?」
「例えば、天宮先輩。彼女の行動原理は『完璧主義』だ。全ての物事が、彼女の定義する『完璧』な状態でなければ気が済まない。そして、月島先輩。彼女の行動原理は『完全な記録』。拓海くんの全てを記録し、保存することに執着している」
「ああ……どっちも地獄だ……」
「ここで、もし、天宮先輩に『月島先輩の記録は、本当に完璧なんですか?』と疑問を投げかけたら、どうなると思う?」
田中の言葉に、俺はハッとした。
「完璧を求める雪乃が、詩音の記録の『不完全さ』を疑い始める……?」
「そう。二人の間に、楔を打ち込めるかもしれない。彼女たちのベクトルが拓海くんじゃなくて、お互いに向き始めたら、僕たちが動く時間が生まれるはずだ」
そして、チャンスは意外と早く訪れた。
昼休み後の廊下で、前から歩いてくる雪乃と詩音に、ばったり出くわしたのだ。二人一緒に行動しているのは珍しい。
「ごきげんよう、拓海さん」
「……こんにちは、影山さん」
雪乃が完璧な微笑みを向けてくるのに対し、詩音は相変わらず感情の読めない表情で小さく会釈するだけだ。
今だ。やるなら、今しかない。
俺は、わざと困ったような、無邪気な子供を装って、雪乃に話しかけた。
「あの、雪乃さん。ちょっと相談があるんですけど……」
「なんでしょう、拓海さん。あなたの悩みは、すべて私が完璧に解決してみせますわ」
「その……詩音さんのことなんですけど。彼女、俺の全部を記録してくれてるんです」
俺がそう言うと、詩音の肩がピクリと動いた。
「でも、ふと思ったんです。詩音さんって、俺がお風呂に入ってるところとか、寝てるところとか……そういう、見てないところまでは、記録できないんじゃないかなって。それって、『完璧な記録』って言えるのかな……?」
俺の、あまりにも無邪気で残酷な質問。
その瞬間、場の空気が、凍りついた。
雪乃の完璧な笑顔に、初めて、ほんのわずかなヒビが入るのを、俺は見た。
彼女の視線が、俺から、隣にいる詩音へと、ゆっくりと向けられる。
「……月島さん」
声のトーンが、絶対零度まで下がった。
「あなたの記録に、抜けや漏れなど、万が一にもありませんでしょうね? 拓海さんのプライベートな時間……例えば、入浴中の身体的変化や、睡眠中の脳波のパターンまで、当然、完璧に記録できていますわよね?」
「そ、それは……物理的に不可能な部分も……ですが、可能な限り、推測とデータで補完して……」
「言い訳は聞きません。不完全な記録など、ゴミと同じです。あなたの存在価値は、完璧な記録者であること、ただ一点のみ。それが理解できないのでしたら、生徒会役員の資格はありませんわね」
雪乃の冷たい言葉が、詩音の胸に突き刺さる。詩音は、悔しそうに唇を噛み締め、眼鏡の奥で雪乃を睨みつけていた。
二人の間に、火花のような、不穏で険悪な空気が流れている。
作戦は、成功した。
俺は、初めて自分の意志で、この世界の状況を動かしたのだ。
自分の内側で、何か得体の知れない感情が芽生えるのを感じた。それは、罪悪感とは少し違う。人を、自分の思い通りに操ることの、奇妙な全能感。そして、えも言われぬ、甘美な高揚感だった。
俺は、そんな自分の変化に気づかないフリをして、その場を後にした。
◇
放課後。興奮冷めやらぬまま、俺は旧音楽室で田中と合流していた。
「……というわけだ。うまくいったぞ、田中!」
「うん……良かったね」
俺の報告に、田中はどこか歯切れ悪く答えた。彼は、俺の顔をじっと見つめている。
「どうしたんだよ、元気ないな」
「……ううん。なんでもない。ただ……拓海くん、なんだか、少しだけ、怖かったぞ。さっきの作戦を話してる時の顔」
田中の言葉に、俺は内心ドキリとした。だが、それを顔には出さず、おどけてみせる。
「何言ってんだよ。生き残るためだろ? 感傷的になってる場合じゃないって」
その時だった。
俺たちの会話を遮るように、部屋の隅の古いPCが、ポーン、と軽やかな起動音を立てた。
二人で顔を見合わせ、PCの前に駆け寄る。
画面には、見慣れた黒い背景に、緑色の文字がゆっくりと浮かび上がってきた。
『見事だ、新しいプレイヤー。君には、素質がある』
「S.Sawaiからだ……!」
『私は沢井誠。君がプレイしていたあのゲームの、開発者だ。そして、君たちと同じく、この暴走した世界に囚われている、最初の犠牲者でもある』
衝撃的な告白だった。開発者自身も、この牢獄に囚われている。
『君たちの行動は、全て見させてもらった。君たちがこの世界から脱出することは、可能だ。だが、それには必ず、大きな代償が伴うことを忘れるな』
代償。その不穏な言葉が、俺の心に重くのしかかる。
『もし、その覚悟があるのなら、私に会いに来い。私は、この学園の地下深くに作られた、隠れ家にいる』
メッセージの最後に、一枚の画像データが添付されていた。それは、複雑に入り組んだ、学園の地下構造を示す地図だった。そして、その中央には「開発者の隠れ家」と記された、赤い×印がつけられている。
直接会える。真実が、もっと分かるかもしれない。
脱出への、大きな一歩だ。
俺と田中は、ゴクリと唾を飲み込み、再び顔を見合わせた。その目には、恐怖と、そしてそれを上回る、未知への好奇心と希望の光が宿っていた。
俺たちは、頷き合う。
この危険な賭けに、乗るしかない。
俺たちの本当の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
美少女ゲームに転移したら全ヒロインの好感度MAXで逃げられません 暁ノ鳥 @toritake_1
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