今年の春も幕引き始める、5月。

校門に寄り添う桜の木は、すっかり花を散らし、緑を蓄えつつある。

めぐる季節に太陽もときめいていた。


「――次、24番……は、はい……ンンッ、灰田九」


定期テスト、中間考査から1週間。

担任のかまえる数学の時間では、開始早々、テスト返却を始めた。

これがテスト科目の中で最後の結果発表。この結果によっては、泣きを見るかもしれない。おのずと空気が張り詰める。

順番が回ってきた九は、ひときわ神経質になり、右手と右足を一緒に出していた。硬質なガラスは鼻息で曇り、ぴっちり固められた前髪は一束ずつ滴り落ちている。

そのそばで影をひそめるクラスメイトも同様に、精神をすり減らしていた。大半がすでに結果を受け取ったにもかかわらず、だ。その結果に消沈している者も多かれ少なかれいるだろう。が、第一の要因は、横を通り過ぎていく、野暮ったい風貌の彼にある。


何を隠そう、彼はああ見えて、元ヤンなのだ。


(西の辰炎、だっけ?)

(灰田……さん、も、不良だったとはな。いつ聞いても信じらんねえ……信じたくねえぜ)

(だからあんなに勇敢……いや、大胆? 無鉄砲? 猪突猛進? ……とにかくすごかった。うん、すごい)

(本当に今はワルじゃねえのかな?この間、駅前で乱闘騒ぎあったのけど……。俺らに風評被害来たらどうするんだよ)

(服装がダサいのもきっとわざとだったんだろうね。はあ、騙された)

(猫好きに悪い人はいないと思ってたのに……っ)

(……でも……)

(……だけど……)

(昔の噂とか聞いちゃったらそりゃ怖いけど、それと同じくらい気にかかることがある……!)


クラスメイトの注意は、教壇に向かう九の他にもうひとり。教室の奥地で考える人の像を真似た人物にも、掃除機ほどの吸引力で引かれていた。


(どうしても気にかかる……東の金鬼と西の辰炎、ふたりの今が!)


本物のブロンズ像みたく目鼻立ちの陰陽が芸術的に配分された造形のたまきは、瞬きもブレもなく九のうしろ姿をガン見している。

そのせいか、心の葛藤を隠しきれていない周りのことは度外視している。

ここぞとばかりにたまきへの注目度が高まっていく。名門さくら高校に籍を置くだけあり探求心に天井はない。


窓際角の二席だけ、ほぼくっついている。

その話題で3時間は語れそうだった。


(君たち明らかに仲良くなってるよね? ねえ!?)

(やっぱり不良同士、気が合うのか!?)

(さすがにあそこに声かけに行けないよ……。声かける機会がそもそもないけど。あったとしても行かないけど)

(例の、駅前のコンビニでの騒ぎで、なんかあったんだろうね。ゲームなら最高のスチルが用意されるであろう急展開が!)

(暴力沙汰はふつうに軽蔑するけど……おっと、あんま目を合わせちゃいけねえ。何が火種になるかわかんねえし)

(A組で先駆けて幸せになるのがあのふたりなの、納得いかない……)

(幸せでいてくれたほうが平和だよ! 教室が戦渦に巻き込まれる確率が減るし、ドラマチックで見応えあるし!)

(だけど……どうやらいまだに関係性に名前はついていないもよう……)

(あ~もうっ、じれったい! でもこの絶妙なスリルがたまんない!)


顔のよい不良は迫力マシマシな恐怖対象でしかないが、顔のよいカップリングはただの眼福である。

入学から1か月を経て、1-Aの生徒たちは、この異色な環境の過ごし方をだいぶ心得てきていた。それはさながらフィルム一枚通した映画鑑賞のようでもあり、檻の中のライオンを前にしたときのようでもあった。

現に、担任から怖々とテストを渡された九が身をひるがえしただけで、そこかしこで椅子のガタつく音が響き立つ。


「たまきー! 見て! 定期テスト! 全部60点以上キタ!」


雑音を丸飲みする、腹から飛び出した声音。

黒縁メガネで素顔を覆われているが、嬉々とした表情なことは十分すぎるほど伝わる。

九は「69点」と書かれたテストを見せびらかしながら、自席までの狭い一本道を走り抜けた。自席に滑りこんで到着すると、自席と融合しつつある隣の席にテストを貼り付けた。


「……よかったな」


机上に並び合う100点と69点を、たまきは視線でやさしくなぞる。

九は上の歯をむき出しにし、左隣に上半身を傾けた。


「ありがとう! たまきのおかげだ!」

「いや、俺は何も……。九の力だろう」

「なに言ってんだよ! 毎日自習付き合ってくれたり、週末はほとんどウチ来てくれたりしたじゃん! あと何気なくバイトの求人探しも手伝ってくれたよな! 感謝しかねえよ! ミケとも仲良くしてくれてありがとな!」

「……仲良くねえよ」


教室の空気がざわっと波打った。

いわゆるおうちデートを経験済みである事実。金髪ヤンキーにしては甲斐甲斐しく尽くすタイプ、そして外堀ペットから埋めていくスタイルの発覚。

突然の供給過多に、クラスメイトはもはやテストの点がどれだけ悪くても気にならない。


「まじ大好き!」


九は悪気なく爆弾を投下し続けた。

もろに被爆したたまきは、全身真っ赤で瀕死状態に近かった。

無敵の番長でもこの手の攻撃には弱かった。というか、九のやることなすことに、とことん打つ手がない。


「愛してる! アイラブユー!」

「は? は!? そ、そんなこと冗談で言うな!」

「ひでえ、本気なのに」

「バッ……」


バカとも言えず、たまきは九に尻を向けた。


(本気ってなんだよ。そろそろ教えろよ。わかんねえよ。わかりづれえよ。……別にいいけどさ)


人の心とは得てして難解で、複雑につくられている。今回の定期テストでもオール満点――数学は前回同様、大々的にトップバッターで通達された――だったたまきの実力でも、解き明かせない。

たまきの机の中にしまってあるスマホが、画面を明るく点灯させて通知を知らせる。現在時刻とSNSの通知の背景には、いつかのスリーショットが大事に閉じこめられていた。


九はダテメガネの下で瞳の色をあたためた。


(ああ、かわいいなあ)


桜に導かれ、出会ってしまった、春。

その真の意味は、1-Aのみぞ知る。



END

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元ヤンと現役 マポン @amai_ponz

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