第29話 ジューンブライド

 メインディッシュに大きなオマールエビがテーブルに置かれ、純人すみとくんが器用に食べていった。


 私はその食べ方を真似しながら、エビを口にしていく。


「どうかな、美味しい?」


「――うん、美味しい」


 慌てて微笑みを取り繕ったけど、緊張で味なんて分からない。


 どこでどうやって言い出そう……。


 今日は純人すみとくんの誕生日でもあるのに、リードされっぱなしだ。


 カトラリーを置いて、テーブルナプキンで手を拭いていく。


 トートバッグからネクタイだけを取り出し、私は純人すみとくんに差し出した。


「クリスマスプレゼント、受け取ってもらえる?」


 ――あー、もう一言! 『お誕生日おめでとう』を言って光香みか


 でも、それを言ったら『結婚しましょう』って言わないと……でももう結婚してるし、なんて言えば?!


 密かに混乱する私の手から、ネクタイが純人すみとくんの手に渡る。


 純人すみとくんが微笑みながら答える。


「ありがとう、光香みかさん。じゃあ僕からも――」


 純人すみとくんがジャケットのポケットから小さい物を取り出し――青いジュエリーボックス?


 テーブルに置かれたそれを見て、純人すみとくんが告げる。


「僕からもクリスマスプレゼント。開けてみて」


 そっとジュエリーボックスを手に取り、ふたを開ける――金のイヤリング?!


 可愛らしい花のデザインに、小粒の宝石が散りばめられていた。


 箱をよく見ると、海外の有名ブランドの名前が彫ってある。


 純人すみとくんが微笑んで告げる。


「付けてみて」


 私は小さく頷くと、今付けている銀のイヤリングを外して新しいイヤリングを耳に付けた。


「……どうかな、似合ってる?」


 純人すみとくんがニコリと微笑んで頷いた。


「とっても似合ってる。想像以上だ」


 胸が、胸が熱い。ここまでされて、『お誕生日おめでとう』も言えないの?!


 口を開いても、喉から声が出てこない。


 ――こうなったら最後の手段!


 私は震える手でトートバッグから避妊具が入った袋を取り出し、物陰に隠すようにテーブルに置いた。


「……誕生日、おめでとう」


 震える声で告げると、純人すみとくんがきょとんとした顔で袋を手に取った。


「これ、僕に? 誕生日プレゼントってこと?」


 私は熱く火照った顔で小さく頷く。もう顔なんて見れなかった。


 純人すみとくんの手が袋を開け、彼が中を覗き込む。


 ――お願い! 幻滅しないで!


 震える両手を握り込みながら、必死に祈り続けた。


 五秒か、十秒か。もっと長く感じた。


「……実はね、光香みかさん。僕からもサプライズがあるんだ」


 私は目を伏せながら答える。


「まだサプライズがあるの?」


 まさか、離婚届なんて言わないよね……。


 テーブルを見つめる私の前に、今度は白いジュエリーボックスが置かれた。


 今度はブランド名が表に書いてない。中はなんだろう。


「開けてみて」


 私は小さく頷くと、白いジュエリーボックスを手に取り、そっと開けてみる。


「――これって?!」


 中に入っていたのは銀色のリング。シンプルな装飾と少し大きめのダイヤモンド。


 震える手で指輪を持ち上げ、リングの内側を確認してみる――『S to M 12/24』。


 結婚指輪。こんなの間違えようがなかった。


 純人すみとくんの顔を見ると、彼は優しく微笑んでくれていた。


「今なら、これを受け取ってくれるでしょ?

 では改めて――僕と結婚してくれますか」


 私は涙をぼろぼろと流しながら、頷くことしかできなかった。


 胸がいっぱいで言葉にできない。ハンカチを取り出し、必死に涙を拭っていく。


 純人すみとくんが懐からリングを取り出してテーブルに置いた。


 私が受け取ったリングと同じデザイン。きっと内側に名前が彫ってあるはずだ。


 純人すみとくんが私の左手を取り、薬指に私のリングを嵌めていく。


 驚くほど寸法ぴったりに指に収まったリングが、静かな輝きを照らし返していた。


 自分が純人すみとくんのものになったような実感が、妻としての自信がこみあげてくる。


「ごめん、純人すみとくん。私のプレゼントはあんなものなのに」


 年上の私があんなはしたない物で、純人すみとくんはこんなにスマートな贈り物を用意していた。


 何もかもがかなわない。それでももう、彼は私の夫なんだ。


「気にしないで。今度は光香みかさんが僕の指に嵌めてくれる?」


 私の左手に純人すみとくんのリングが乗せられた。


 私はそれを手に取り、差し出された純人すみとくんの指にリングを通していく。


 これで私たちは名実ともに夫婦だ。体を許すとか許さないとか、そんな問題じゃなかった。


 私が純人すみとくんを受け入れると言えば、純人すみとくんはいつでもこうしてくれたんだ。


 ふとリングの日付に気が付いて、純人すみとくんに尋ねる。


「私が今日、返事をするって分かってたの?」


 純人すみとくんが微笑みながら答える。


光香みかさんなら、決心をするならイブだろうと思ってた。

 今日でダメなら、たぶん無理だろうって」


「駄目だったら、リングはどうするつもりだったの?」


 純人すみとくんが肩をすくめて答える。


「そうなったら処分するだけ。簡単だろ?」


 お金持ちめ……安い買い物じゃないのに。


 純人すみとくんが夜景を指さして私に告げる。


「もう見えなくなったけど、あの辺に結婚式場があるんだ。伊勢崎いせざき系列のね。

 六月に一日だけ枠を確保してある。午前でも午後でも、好きな時間に入れるよ。

 今からならドレスも間に合わせられるし、年末は一緒にプランを考えようか」


 私は驚いて目を見開いた。


「……式場の予約までしてたの?」


「そうだよ? だってせっかく結婚したなら、挙式したいでしょ?」


 胸がいっぱいの私の口から、思わぬ言葉が飛び出ていく。


純人すみとくん、私は純人すみとくんの子供が産みたい。子供を作って、本物の家族になりたい」


 もう顔から火が出そうだ。だけど言葉を止められなかった。


 純人すみとくんが嬉しそうに頷く。


「うん、それも来年考えよう。今はまだ、仕事を現場で覚えていきたいでしょ?

 来年後半ぐらいから様子を見て、子供のことを考えよう。

 再来年からなら、妊娠しても大丈夫なはず。妊婦でもリモートワークはできるからね」


 何から何まで至れり尽くせり、純人すみとくんに欠点はないのかなぁ。


「ズルい人」


「そうかな? ――あ、光香みかさん。ちょっと耳を貸してもらえる?」


 私は小首を傾げた後、テーブルの上に自分の顔を持っていった。


 今さら耳打ちなんて、何を言う気なんだろう?


 純人すみとくんの顔が近づいてくる――そして、私の顎が純人すみとくんの手で持ち上げられた。


 正面を向いた私の顔に、純人すみとくんの顔が近づく。一瞬の間に私の唇は奪われていた。


 永遠に感じる一秒のあと、純人すみとくんの顔が離れていく。


 びっくりして涙が止まった私は、茫然と純人すみとくんを見つめていた。


「今の……なに?」


光香みかさんと僕のファーストキス、かな? 夫婦なんだし、これくらいは良いよね」


 イブの夜景を望むレストランで、結婚指輪を贈った上に唇まで奪っていく。


 悔しいくらいに完璧で、私は再びこぼれる涙をハンカチで拭った。


「どれだけズルい人なの、純人すみとくんは」


光香みかさんの心、これで盗めたかな?」


 私は黙って小さく頷き、純人すみとくんの顔を見つめた。


 今まで以上に輝いて見える彼の笑顔が、今はただ眩しかった。


 純人すみとくんがグラスを手に告げる。


「もう一度乾杯しようか。夫婦として、初めての乾杯を」


 私もグラスを手に取り、純人すみとくんのグラスと合わせる。


 チリンという音と共に純人すみとくんが告げる。


「二人の将来に乾杯。光香みか、僕が必ず幸せにするから」


 私は泣きながら純人すみとくんに答える。


「これ以上の幸せなんて、想像もできない」


「すぐに味わえるよ。まだまだ、これからが本番なんだから。

 僕らの人生は始まったばかり。二人で乗り越えていこう」


 二人でグラスに口を付け、微笑み合って頷いた。


 その日は私にとって、忘れられない日になった。





****


 六月の晴れた日の結婚式場、新郎の待合室で純人すみとが父親の隆文たかふみに告げる。


佐久造さくぞうはちゃんと手順を覚えてるのかな? 光香みかのエスコートとか、大丈夫?」


 隆文たかふみが苦笑を浮かべながら答える。


「父さんはエスコートぐらい、慣れたものですよ。

 それより純人すみと様こそ、手順は大丈夫ですか」


「僕の心配なんて要らないよ。何かあったら那由多なゆたが教えてくれるし」


 隆文たかふみには見えない那由多なゆたが「カーッ!」と鳴いた――『そのくらい自分でやれ』。


 純人すみとが小さく息をついて告げる。


「はいはい、分かってますって――っと、メールかな」


 純人すみとがポケットからスマホを取り出す。


光香みか:ありがとう、那由多なゆた。貴方の言葉で私は今、最高に幸せ』


 純人すみとの手がスマホをタップしていく。


『クロノア・ニール:気にしないで。全部、光香みかが頑張ったからだよ』


光香みか:また何かあったら、相談してもいい?』


『クロノア・ニール:いつでもいいよ。結婚、おめでとう』


 純人すみとが画面をロックして、ポケットにスマホをしまった。


「そろそろ行こうか。時間だ」


 隆文たかふみも立ち上がり、歩き出す純人すみとの後を追った。





****


 赤い絨毯、居並ぶゲストたちの間を、佐久造さくぞうさんにエスコートされながら歩いていく。


 私は今、純人すみとくんの妻としてヴァージンロードを歩いている。


 お父さんの代わりをしてくれている佐久造さくぞうさんにも、感謝したくてたまらない。


 もう私は全身で純人すみとくんの愛を受け取り、これ以上ないくらい心がはちきれそうだった。


 仕事も、プライベートも、彼の愛で今の私ができている。


 彼のいない人生なんて、もう考えられない。


 そんな彼がもうすぐ目の前にやってくる。彼を目指し、ゆっくりと歩いていく。


 私のお腹には子供が宿っていると先日知った。


 相談した結果、『予定を早めても大丈夫』と言ってもらえた。


 私の努力で仕事の成果を出したことが認められ、早めの産休を許してもらえたんだ。


 今の私はもう、一人の体じゃない。新しい命を宿しながら、彼の元へ辿り着く。


 佐久造さくぞうさんから純人すみとくんへ私が受け渡され、純人すみとくんが私に告げる。


「どうかな。クリスマスイブの言葉、嘘じゃなかったでしょ?」


 私は涙をこぼしながら頷き、彼に答える。


「とっても幸せ。でも、もっと幸せにしてくれるんでしょ?」


「僕ら二人でなら、いくらでもね」


 二人で神父に向き合い、誓いの言葉を述べていく。


 最後にヴェールをめくって、純人すみとくんが私に口づけをした。


 もう何度したかも覚えてないそれは、やっぱり特別なものに感じる。


 拍手を浴びる中、私は純人すみとくんの腕につかまって退場していく。


 始まりは借金を整理するための結婚だった。


 だけど待っていたのは、私を愛することしか考えられない男性だった。


 彼に付いて行けば、きっと大丈夫。ううん、絶対大丈夫だ。


 私は社長夫人として、彼に恥じない人間になればいい。


 自信と誇りを胸に、私は顔を上げて式場を退場した。

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不可視の白いカラス みつまめ つぼみ @mitsumame_tsubomi

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