小さなかみさま

ほんや

小さなかみさま

 昔々、あるところに小さなかみさまがいたそうです。そのかみさまは祀られているわけでもなく、ただただ人間を眺めている存在でした。


 あるところでは人間が汗水垂らして畑を耕すのを、またあるところでは小さな台所で飯を作るのを、またまた、別のあるところではあくどいあきないをぼんやりと眺めていたのです。


 かみさまは六歳ほどの髪が地面につくほどに長い子供の姿をしていました。しかも、身にまとっているのは薄汚れた大きな布一枚だけです。


 そんな人目を引くような姿をしていましたが、ふよふよと浮いていたり、人にその姿が見えなかったりと、気づかれることはほぼありませんでした。たまに子供がかみさまを見て、驚くことがあっても、不思議に思わなかったり、すぐに忘れてしまったりしたのです。


 それでも髪で顔が見えなくなっている子供が浮いていたり、こちらをじっと見つめている光景は怖いでしょう。きっと、若干名じゃっかんめいのトラウマとして記憶に残ったはずです。


 そこにどんな考えがあるのかわかりませんが、かみさまは人々の営みを観察し続けました。明るいものも暗いものも、良いものも悪いものも、平等に、じっと、見続けていました。


 かみさまはずっとずっと人を見続けて、そうするうちに、少しずつ衰弱していきました。


 もともと薄かった肌の色も更に青白くなり、腕も一回り細くなっていました。だけど、黒い髪だけは相変わらずで、その体を覆い隠していました。


 最期に動けなくなったかみさまが行きついたのは、とある田舎町の外れの、それまたちいさなほこらでした。見晴らしが良いことが決め手でしょうか。


 時代は現代、車が走り、電波飛び交う時代です。


 それから、かみさまは祠からじっといろんなものを眺めていました。桜が舞い降りる水田、セミの鳴く山々、トンボが飛び交う秋穂、屋根を白く染める雪。座り込んで無表情で、です。




 何年か眺めていた頃でしょうか、珍しいことに祠を訪れる人間がいました。暑い夏のことです。


 小学生くらいの歳の、白いワンピースを着て、麦わら帽子をかぶった少女です。


 珍しいことに、かみさまを見て物怖じせず、その上声までかけたのでした。


「こんにちは!」


 元気な声です。


 かみさまは声をかけられることなど今までありませんでした。もしかしたらこの時初めて、かみさまに感情の種がかれたのかもしれません。


 かみさまは少女の方をゆっくりと向き、コテンと首をかしげました。


「……?」


 キョトンとした顔です。それに呼応するかのように少女もコテンと首をかしげます。


 一拍ののち、あははと少女が笑い出しました。田舎の、それまた外れまで探検をした先に、不思議なを見つけたのが面白かったのでしょう。


 ニコニコとした顔で質問を重ねます。いつからここにいるの? いつも何してるの? なんで喋らないの? ……etc. とりとめもないことを尋ねていました。


 かみさまは首をコテンとさせるだけで何も返答しませんでしたが。


 そんな時間は続き、少女が気づいたときにはもう西のほうが赤く染まってきていました。赤色に照らされた少女は、まさしくぶーたれたという表情で不満をあらわにしていました。でも、かみさまの方を向くと、やっぱり笑顔でまたね、と告げます。


 それからジリジリと日の照りつける中、ほぼ毎日かみさまの元へ通い続けました。いつも被っている麦わら帽子を揺らしながら、楽しそうに歩いてくるのです。


 毎日、毎日話しかけているからなのでしょうか。こころなしか、かみさまも楽しそうな表情をしているような気がします。


 ……時間が経つのは早いもので別れの時がやってきました。かみさまからしたらほんの少しの間のことではありましたが、少女にとっては一夏をともに過ごした仲間です。


 最期の日、泣きそうなのを我慢して笑顔で、


「またね!」


 の一言。少しさみしくて後で泣いたのは内緒のお話です。


 黄昏たそがれの空の中、少女の後ろ姿にかみさまは小さく笑いかけていました。




 来年の夏、ちょっぴり成長した少女がまた、この地に戻ってきました。ふんす、と気合の入った様子です。


 いつもの麦わら帽子もちゃんとかぶっています。


 到着するなり、車を飛び出て、あの祠へと一直線に駆け出します。今にも笑い出しそうな、とってもわくわくした顔です。あぜ道を踏みしめ、小川を飛び越えくのです。


 そこにかみさまはいませんでした。


 祠の中を覗いても、近くの草むらをガサガサしても、かみさまはいっこうに見つかりません。昼過ぎまで探しても全く見つかる気配はありません。


 これは大変だ、縁側で冷麺を食べながら少女は思いました。


「う〜んう〜ん」


 そううなりながら、時折目を輝かしたり、思い出したかのように冷麺を美味しそうに食べる少女を親たちは微笑ましく見守っていました。きっと、家でもこういう感じなのでしょう。


 ご飯を食べて元気を再チャージしたら、また探検を続けます。地元の子供達に聴き込んだり、真っ暗な側溝を覗き込んだりしましたが、見つかりません。もっと言うならば、見つかる気配さえ掴めません。


「ん〜?」


 結局、祠に戻ってきてしまった少女は、可愛らしい声でうなって考え込んでいます。気分はまるで名探偵です。


 一年前のあの子かみさまはどこに行ってしまったのか。謎は明らかですが、いくら考えても答えが出ることはありません。考える材料がないので正解にたどり着けないのは当然ですが、少女は考え続けます。多分、こうしていることが楽しいのでしょう。


 夜が落ちてきそうなのは黄昏時たそがれどき、赤々とした夕日が少女を照らしています。セミの鳴き声が遠く響いています。


 しばらく少女が祠の前でうなっていると、


「むむっ?」


 少女の目が視界の端に何かを捉えたようです。ややっ、と振り返ると祠の裏へ何か走っていったように思えます。ひょいっと覗き込んでみると小さな獣道がありました。


 少女は笑みを浮かべ、目を輝かせます。祠の裏にこんな道があるなんて、ついに見つけた手がかりです。逃すわけにはいきません。


 時間も忘れてどんどん獣道を追っていきます。森の中を突っ切ってどこへたどり着くのでしょう? 程なくしてちょっと開けた場所に着きました。獣道の終着点です。


 少女は一本の柱が立っているのを見つけました。白い木製の、半分以上朽ちかけて、今にも倒れそうです。夕日に照らされ、諸行無常を感じさせられます。


 そんなことを露ほども考えていない少女は、興味深げに柱に近づきます。とてとてと、静かに歩み寄ります。


 どこからかからすの鳴き声が聞こえます。いつの間にかセミの声は止んでいて、カーカーという声が嫌に響いていました。


 柱をじっと見つめていると、小さく刻まれている文字を発見します。朽ちかけているのであまり読めませんか、ちょっとだけはっきりと残っている部分がありました。


 顔を寄せて、


「……はいのしるし?」


 読み上げます。


 意外と難しい文字を読める少女です。残念ながら退廃たいはいの字は読めなかったみたいですが。流石に無理ですか。


「え?……うひゃあ!」


 コロコロコロ、ずでん! 大きな音が鳴りました。打ちつけた腰をさすりながら、うっすらと目を開けると上の方に光が見えます。よくよく周りを見てみると、階段を転がり落ちたようでした。


 大きく穴の開いた木の板が黄昏の空を覗かせています。柱に近づきすぎた少女は、朽ちて脆くなった木の板を踏み抜いてしまった様でした。幸いにも少女にこれといった傷は見当たりません。服も無事なようです。


 座り込んだおしりに地面コンクリートが冷たさを主張しています。


 思わぬ出来事に、少女はしばらくポカンとした顔で固まっていました。けれど、差し込む光が弱々しくなっていっていることに気づくと、慌てた顔で階段を駆け上り、穴を通り抜け、家の方向めがけて走っていきました。これでも方向感覚は悪くないのです。迷うことはないでしょう。


 少女の背中へと烏が密かに声を投げかけます。残念と言うべきでしょうか、いつの間にか始まった虫の合唱がその声をかき消してしまいました。


 そうしてそれは木の板を開けられたまま、ひっそりとまた、人が訪れるのを待ち構えているのでした。




 翌朝、少女は祠に向かっていました。大人には起きるもつらい早朝です。


 昨日、いっぱい駆け回り山の中を探検までしたので、ぐっすり眠れたようです。昨夜は階段を転がり落ちた先の事が気になっていましたが、やっぱり眠気には勝てませんでした。すやぁ、と一瞬で眠ってしまいました。


 しっかりと朝ごはんを食べて、きちんとラジオ体操のスタンプを貰いに行ってから探検の準備をしました。去年までとは違ってちゃんと計画を立てて行動できるのだ、とドヤ顔を決めていました。誰に向けてしているんでしょう?


 そうして、やる気たっぷり、小さなバッグを携えて祠が見えてきたところまではよかったのですが、そこには一人、見慣れぬ少女が立っていました。


 女の子と言っても少女から見たら、十分お姉さんと呼べる年齢です。中学生、高校生あたりでしょうか。少女とおんなじ赤みがかった茶髪を無造作に後ろでまとめています。


 少女が特に気になったのはその格好でした。


 マントのような大きくてくすんだ外套を羽織っているのです。まるで放浪の旅人を思わせる格好です。


 ふうむ、少女の記憶によると、ここらへんに住んでいるわけでは内容です。


 気になって話しかけようと近づきますが、さっさと歩き出して行ってしまいました。あっ、間に合わなかった、と落ち込んだ氷所を浮かべます。追いかけようと思っても足が早くて追いつけそうにはありません。


 とぼとぼと、祠の前まで歩きます。


 と、ここまで来て少女の頭に、


「ん?」


 と疑問が浮かび上がってきました。


 さっきのお姉さんは祠の裏の方に歩いていったような……?


 ばっ、と山の方を見るも、すでにお姉さんの姿は見当たりません。あわわ、昨日あけた穴が見つかってしまうかもしれません。いらぬ心配が少女を襲います。


 柱が立っていたとしても、少女のあけた穴は小さく見つけにくいでしょう。それにあの柱にたどり着くまでには狭い獣道を歩く必要があります。


 昨日、少女はいっぱい頑張って登ったのです。そう、簡単にはたどり着けないはずです。


 もし、あの場所にたどり着くことができるとしたら、最初からその場所を知っているか、よほど運がいい人だけでしょう。いえ、この場合運の悪い人でしょうか。


 そんな心配を抱えたまま、少女はあの場所へと急ぎます。はぁはぁと息を荒くして山を登ります。


 うっすらと柱が見えてきました。ほっ、と安心した声を出します。


 けれど、すぐに緊張した顔でしゃがみ込んでしまいました。むしむしとした空気が少女を包みます。たらり、額に汗が伝います。


 視線の先、柱の真ん前にはあのお姉さんの後ろ姿が見えていました。性格には背負われている布に包まれた長い棒ですが、焦っている少女にはそんなことはどうでもいいでしょう。


 お姉さんは柱を一瞥いちべつすると、足元あしもとに目を向けます。あわわ、やっぱりばれているみたいです。お姉さんは一体何者なんでしょうか?


 そのままよどみない動きで木の板をどかして、中へ入っていきます。そして、その背中が地面に飲み込まれていくのを、じっと見守っていました。


 ……どうしましょうか? 後を追いかけてもいいですが、少女は先のことを全く知りません。それにあのお姉さんに見つかってしまうかもしれません。


 それでも、少女は気になってしまいます。


 逆に追いかけなくても、心配です。何が心配って、それは……何でしょうね? ”心配”ではなくて、”気になって仕方ない”の間違いでしたか。


 とにかく、少女は中を見ないことには気が済みませんでした。


 セミが絶え間なく無き続ける暑い日、さほど悩むこともなく、少女はあゆみを進めました。ただ考えていないだけかもしれません。


 ジリジリと日が照りつけて、揺れ動く麦わら帽子の黄金色こがねいろが輝いています。白のワンピースも光を照り返して眩しいです。


 抜き足差し足、静かに、けれど素早く、柱へとにじり寄っていきます。もともとそんなに距離はありませんでしたから、すぐに柱にたどり着きます。先が知れない真っ暗な穴は、まるで少女を飲み込む大きな口のようです。


 少女は数秒ためらったものの、意を決して、暗闇に足を踏み入れました。




 少女は気をつけながら、ゆっくりと階段を下りていきます。壁に手をつくと、ひんやりしてなんとも言えない気持ちよさを感じさせます。


 十数段、段差の大きな階段を下りきると、明かりのない暗闇の世界が少女を迎えます。


 息を潜めて廊下の先を観察します。暗闇に目が慣れてなくてあんまり良く見えませんが、多分、人はいないでしょう。


 少女はパッと懐中電灯をつけます。あさ、せっせと準備してきたバッグに詰め込んできたかいがあるというものです。少女にとって少しばかり手に余る大きさのそれは仕事を果たします。廊下をピカッと照らしだしました。少女は一瞬目を細めます。きっと眩しかったのでしょう。


 少女はとりあえず道なりに進んでいくことにしました。近くにあった扉は歪んでいるのか、鍵がかかっているのか開かなかったので、そうするしかなかったともいいます。


 物珍しげにあたりを見回していると、厚く埃を被った廊下にくっきりと足跡が残っているのを発見します。ビクッ、と思わず体を震わせますが、そこにあるのは足跡と、小さなガラス片くらいなものです。


 高鳴る心臓に手を当てながら、ポツリと、


「これが……恋!?」


 と呟きます。意外と余裕そうです。


 少女が廊下を二回ほど曲がったら、突き当りが現れました。薄暗い廊下はあまり散らかっておらず、分かれ道もなかったので、すんなりと奥にたどり着けたのです。


 少女はここにたどり着くまでに扉を五つ見つけていましたが、どれも開く様子すら感じさせませんでした。最後の扉なんて、やっぱり、みたいな顔で開かないのを確認していました。


 扉の横に、何かが書かれていただろう予想の剥げたプレートも見つけましたが、今となっては何の役割も果たしていません。


 たどり着いた突き当りには大きな扉がありました。あれです、病院の手術室の扉みたいな感じのやつです。少女はそのその扉の上のひび割れた赤色のランプとかを、ほぇ〜、と気の抜けるような声を出して眺めていました。


 そのまま光を足元に落とすと、足跡は大きな扉の中に続いています。今までの扉とはなんだか違った様子で、先を見るのに少し、気後れしてしまいます。


 白く濁ったガラスは中の様子を映しだしていません。薄っすらと光が蠢いているように見えるのは錯覚なのでしょうか?


 しばらくして、いや、それほど時間は立っていませんが、少女は意を決します。思い切りの良いタイプなのです。


 懐中電灯の明かりを消します。ここまで来たのだから、そう思って、キィ、とちょっとだけ扉を開けて中の様子を伺います。小さな隙間から淡い光が漏れ出します。使い古された白色電球の弱々しい光です。


 あのお姉さんの背中が見えます。思わず、少女は、息を飲みました。そこにはあのがいたのです。


「あ……」


 思わず声が漏れて、ハッと両手で口を抑えます。幸い、あの二人には気づかれなかったようです。


 声が出るのも無理はないでしょう。それほど衝撃的な光景だったのです。


 かみさまはボロボロになった布の上から錆びきった鎖に雁字搦めにされて、宙に浮かされていました。黒い髪はくすんで、無造作に投げ出されています。


 それに、後ろに見えるあの薄く光る緑色の液体の入った、天井に届くほどのガラス柱は何でしょうか? 見間違いでなければ、かみさまの背中にガラス柱からくだが繋がれているように見えます。ガラス柱に取り付けられた計器が音を立てています。


 淡く白色に照らされたかみさまは、やっぱり衰弱しているように見えました。


 そして、少女はまた驚かされることになりました。


「ゃ……ぅん、そんなことなぃ……よ?」


 かみさまが、喋ったのです。小さな声でところどころ聞き取りづらいですが、しっかりと声を出していました。中性的で穏やかな声です。しかも、よくよく見れば困った表情までしています。去年はほぼ無表情だったはずのかみさまが、感情を表に出しているのです。


 少女は開いた口がふさがらない、そんな表情をまざまざと見せつけていました。見せる相手はいませんが。


 お姉さんはこちらに背を向けたまま黙っています。


 んっん、かみさまは調子を整えるように喉をならします。久しぶりに喋ったのでしょうか。


「もう満足だ……ょ。いろんなもの見れて……、嫌ゎこと嫌なこともたくさんあったけど……、うん、もう大丈夫。」


 困った表情から一転、慣れていないのでしょう、ぎこちない笑顔を浮かべます。


 薄暗い部屋の中、かみさまだけが動いています。いや、錆びきった計器は音を立てています。


「ここで……僕は終わり」


 ぎこちない笑顔のまま、はっきりと言い切りました。儚さすら感じるその姿からは、考えられないほどのすごみを感じさせます。


 そんな光景に、少女は息をするのも忘れて見入ってしまっています。自分の事を僕って言うんだ……よけいな考えが頭をよぎります。


 沈黙が場を支配しています。お姉さんも、少女も、何も言いません。白色電球も、計器もこのときばかりは黙っています。


 沈黙を破ったのは、お姉さんでした。


「そうか」


 ただ一言、そう告げて、うつむきます。何か、感じ入るものでもあったのでしょうか。


 数瞬後、振り返って、スタスタとこちら側へと歩いてきます。俯いたままで顔が見えません。


 ……? あれ、これってまずいのでは? 少女は気づきました。お姉さんに見つかってしまいます!


 先程の緊張とはまた違った別の緊張が、少女の中に走ります。少女の思考は急速に回転し始めます。フルスロットルです。


 結果、少女が取った行動とは……!?


 お姉さんが扉を開けて、通り過ぎました。もう俯いてはいません。両開きの大扉は、左右どちらもキィィ、という音を立てて、ゆっくりと閉まっていきます。


 閉まっていく扉の裏には壁に張り付き、息を殺している少女の姿がありました、そうです、驚いたことに、少女は扉がこちら側に開くことを利用して死角へと入ったのです! 淡い白色電球しか光源がないのが幸いでした。


 お姉さんは明かりもつけずに廊下を進んでいきます。その姿を見送りながら、なんとかやり過ごしたとほっとした顔をしています。良かったですね。


 胸を撫で下ろしたその瞬間、お姉さんの足がピタリと止まります。ちょうど曲がり角のところです。ギクッ、少女の動きも同時に止まります。


 静かな、けれどよく通る声が語りかけます。


「覗き見もそれくらいにしておいた方が良い。この世には知らないほうが良いことがたくさんある。これはその一つだ。」


 やっぱりばれてる!


 お姉さんの今まで聞いた中で一番の長文でした。セリフをかんがみるに、後ろからついてきていたことも分かっていたのでしょう。


 少女はヒョエッ、みたいな顔で、怒られまいかとビクビクしていました。そんな心配は杞憂だったようで、お姉さんはそのままスタスタと歩いて、去って行ってしまいます。


 少女はしばらく呆然と、お姉さんの去った方向を見つめていました。そこには暗い壁しかありません。


「誰か……いるの?」


 後ろから声がかかります。ハッ、少女は我に返ります。あのかみさまの声です。

 チカチカと白色電球が明滅しています。


 恐る恐る、またはおずおずと少女は扉から顔を覗かせます。そこにはさっきのままの鎖で吊り下げられたかみさまがいました。後ろに見える緑色の薬液は今でも毒々しい色合いです。


「こんにち……は?」


 少女は挨拶をします。若干戸惑っているような雰囲気です。ここは真っ暗ですが、確かに「こんにちは」がちょうどいい時間帯です。


 かみさまもわずかですが、驚きをあらわにしています。おあいこですね。


「……あ、あの時の」


 ちょっと見ただけで思い出したようです。一年前の事はかみさまにとって、よっぽど忘れられない出来事だったようです。かみさまの境遇では、少女との出会いは一際なものだったでしょう。


「……えっと、ひさしぶり。元気……だった?」


 たどたどしく会話を始めます。その姿は先程の凄みを持ったかみさまの姿を忘れさせてしまいそうです。一体、かみさまは何者なんでしょうか?


「うん……その……それは大丈夫なの?」


 曖昧な返事の後に、心配が口をついて出ます。自分のことよりかみさまのことが気になるのでしょう。


 すぐに、


「ぁ……うん、大丈夫だよ。……えっと、うん」


 そう返します。若干言いよどんだ感じがしましたが、ちゃんと答えています。


 その姿は全く大丈夫なように見えませんが、まあ大丈夫なのでしょう。


「なんで……」


 後の言葉が続きません。さっきまでは聞きたいことがたくさんあったはずです。ですが、かみさまを眼の前にすると、もう、ぐちゃぐちゃになってしまいます。


 気が動転していたこともあるのでしょう、ふとかみさまの言葉さっきのことを思い出してしまいました。



『ここで……僕は終わり。』



「死んじゃうの……?」


 涙が滲んでいます。


 かみさまとは一夏ひとなつの短い付き合いでした。けれど、けれども、少女にとっては、一緒に遊んだ、不思議で、大切な、友達だったのです。


 涙は止まりません。狭く、暗い室内に泣き声がわんわん響きます。


 かみさまはオロオロと見つめていることしかできません。手も足も出せません。鎖に縛られていることもありますが、こんな時にかける言葉を知らないとでもいうべきでしょうか。


 子供というものに触れ合って来なかった、結果です。しかたないとも言えますが。


 泣きわめく少女と、困った表情をしている鎖に縛られた幼児かみさま。まったく、おかしな状況です。




 何もできないまま数分が経ちました。いえ、数十分でしょうか。時計がないので時間感覚がつかめません。


 少女は泣き止んでいました。それでも、時折しゃくりあげたりしているのを見ると、まだまだというところです。ほおを濡らして、弱々しい白色電球のもと、かみさまに向き合っています。


 おもむろにかみさまが、


「……ありがとう」


 感謝を伝えました。


 え? 少女は目元を赤くしていたことも忘れたようで、ポカンとした表情をしています。感謝されるふしが思い当たりません。


「君のおかげで……僕はこの結末を迎えられた。僕はもう終わっちゃうけど、これが一番だっていうことはよく分かる」


 計器がキュルキュル音を立て始めました。


 少女は「死んじゃうかもしれない」のところで、また、泣きそうになりますが、ぐっ、とこらえて話を聞きます。


「だから……ありがとう。僕に   ■■■を教えてくれて」


 少女は目をパチクリさせています。少女にはかみさまの言っていたことの半分も分かっていません。ただ、かみさまがこの結末死んじゃうことに満足していることだけは確かでした。


 白色電球がジジジと音を立てて明滅します。かみさまは静かにそれを眺めていました。


 まだ、赤く、腫れたようになっている目元のまま、少女は、


「えっと、さっきなんて……


「ごめんね」


 遮られてしまいました。かみさまの口調があまりにも真剣だったので、続く言葉が出なかったのです。


 暗い部屋に落ちった声は、優しさに満ちていました。そして、そのは、少女をしっかりと捉えています。


「伝えたいことも、たくさんあるけど、もう時間みたい」


 また白色電球が声を上げます。


「ほら、行って!」


 わけも分からず、ぼーっとしている少女がいました。まあ、気持ちはわかります。


「早く!」


 もう一度の催促です。


 なんだかよくわからないまま、振り向いて、後ろから差す弱々しい光を頼りに、走り始めます。時折足が止まりそうになるのは、本当ほんとに行って良いのか迷っている証拠でしょう。


 あっ、ひょっこりバッグから飛び出ていた懐中電灯を落としてしまいました。落とした時になって、初めてその存在を思い出しましたが、拾っている暇はありません。鳥に戻ろうとする足を必死に抑えて、外を目指します。


 か細い光だけの暗闇を、勘だけを頼りに走ります。廊下はそれほどなかったはずですが、もう何十分も走っている感じがしてきます。パッ、前の方に四角く、光っているものを見つけました。迷うことなく、そこをめがけて、目一杯走ります。


 半ば飛び出るような形で階段を駆け上がり、外に抜け出しました。はぁはぁ、膝に手をついていきを荒くしています。


 少女を熱い熱気が包みます。地下は涼しかったですが、一歩でも外に出ると熱気が襲ってきます。空を仰ぎ見ると、お日さまはまだ上の方にあります。まだ、お昼ごはんの時間にすらなっていませんでした。


 額の汗をぬぐい、一息。こんなことになるなら、水筒を持ってきたほうが良かったかもしれません。


 息を落ち着かせた後、少女はふりかえりました。そこには今も黒い穴が待ち構えています。


 その先はすでに知っています。もう知っていますが、分からないことが山ほどあります。とても気になります。


 けれど、もう一度中に入るつもりはありませんでした。かみさまがあんなに強く出ていくように頼んだのです。気迫というか、懇願と言うか、のようなものを感じてしまったのです。


 しばらく、ぼーっとしていました。ぐぅ〜、お腹の音が鳴りました。もうすぐお昼ご飯の時間です。はっ、と何かに気づいた少女は、おもむろに家に向かって駆け出します。大方余計なものでも思いついたのでしょう。


 一切転ぶ様子がないのは、少女のなせる技なのでしょうか、木漏れ日がかすかに照らす獣道を走って、戻っていきました。




 どこかで白色電球の切れる音がしました。




 結局、少女は何も知らないまま、このちょっぴり壮大な冒険を終えました。


 最後にあのお姉さんが少女が去るのを見つめていたことも、小さく笑いながら発したつぶやきも、かみさまの最期の言葉も、そのも全て知ることはなかったのです。


 少女は日常に戻りました。まだまだ夏休みは残っています。そうそうこんなことには出くわさないでしょうが、毎日を楽しく過ごすことになるでしょう。あと、懐中電灯を無くして怒られたのもいい思い出かもしれません。


 ああ、少女は知りませんが、日常に戻った後の少女の影にはいつも、がいたみたいです。又聞きのことなので真偽は不確かですが。


 かみさまのことは忘れません。子供の頃のちょっぴり不思議な体験として少女の記憶に残り続けます。


 いつか、そんな笑い話をするときが来るかもしれませんが、それはまた別のお話です。

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小さなかみさま ほんや @novel_39

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