最終話 繰り返される悲劇

【いよいよ最終話です】




 読者の皆様、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございます。




 この作品、『河童になった少年。いじめた奴らに死の制裁を』も、とうとう最終話を迎えることとなりました。




 なんだかんだで、血は流れ、尻子玉は抜かれ、老婆は白目を剥き、僕(じゃない、主人公)は河童になって復讐に走りました。これが「夏のホラーです」と言い張って許されるなら、日本文学界はまだ大丈夫だと思います。




 さて、ここでひとつ告白を。




 実は作者、いわゆる「夏のホラー」には思い入れがあります。




 その始まりは、もう18年も前の2007年――。え? 2007年ってそんな前? って一瞬フリーズしましたよ、ええ。あの頃は「公式企画」なんて格式ばったものじゃなく、有志で盛り上がっていた“地下水脈”みたいなイベントでした。そんな「夏のホラー企画」に、当時はホラー初心者だった私も、恐る恐る手を突っ込んでしまったわけです。




 あの頃はまだ若かった。カッパなんて可愛いもんでした。いや、今作のカッパは可愛くないけどね! むしろ怖いけどね! むしろ「これホラー通り越して地獄なのでは?」って自分で思いながら書いてました。




 それでも、あれから18年。




 18年て。高校生が生まれてから卒業して社会人になる年月ですよ。夏ホラーで書き始めた人間が、こうして今も「尻子玉」って書いてるってすごくないですか?(感動のベクトルが変)




 この作品が、ひと夏の怪談として、どこかの誰かの記憶に残ってくれたら、それ以上の幸せはありません。




 というわけで、最終話、お楽しみください。




 なお、今回もラストのあとがきでは、全力で謝罪と反省と、ちょっぴりの達成感を語る予定です。




 それでは、地獄の果ての“帰郷”へ――どうぞ。


 不穏な騒めきは、夢の残滓をゆっくりと現実へと引き戻していた。




 僕は、身を軋ませながらゆっくりと体を起こす。




 窓の外から聞こえてくる音は、風や木の葉のざわめきなどではなかった。


 無線の短い電子音、怒号のような指示、金属が擦れる鈍い音、そして警察犬の低く唸る声。




 僕は喉の奥に鉄の味がにじむのを感じながら、そっと窓辺に近づいた。


 カーテンなど、もうなかった。だから、ほんの少し身体を傾けるだけで外の様子が見えた。




 瞬間、息が止まりそうになった。




 ――黒。




 黒い装備に身を包んだ警官たちが、何十人も家を包囲していた。


 彼らは盾を構え、壁に沿って間合いを詰めてくる。




 目が合った気がした。だが、その顔は何の感情もない、仮面のようだった。


 背後には、猛獣のように暴れようとする警察犬が数頭、リードを引き千切らんばかりに吠えている。




 さらに奥、道路の端には異様な存在感を放つ装備の男たち。


 銃身の長いライフル、黒光りするショットガン、フルフェイスのヘルメットと重厚なベスト。




 あれは――間違いない。特殊部隊。




 明らかに"制圧"や"排除"を前提とした、戦闘のための者たち。




 家は、包囲されていた。完全に。




 逃げ場などない。


 隠れる場所もない。




 僕は窓辺に立ったまま、冷たい空気のなかに身を晒した。


 目の前の景色が、まるで別世界のようだった。




 嗚呼……




 ついに、ここまで来たのだ。




 僕の存在はもう、社会にとって“人間”ではなかった。




 彼らの目には、きっと"化け物"、あるいは"脅威"として映っている。




 胸の奥がきしみ、乾いた吐息が喉を抜けた。


 そして僕は気づいた。




 ――血だ。




 柿崎邸での殺戮の際、僕の体は傷つき、動き回った足元からは、まだ乾ききらぬ血が垂れていた。


 それが、奴らをここに導いたのだ。


 血の跡。赤黒く染み付いた罪の痕。




 そして、あの老婆の罠。




 眠らされた――いや、自らの油断で眠ってしまった僕の愚かさが、ここに至らせたのだ。




 目覚めるべきではなかった場所で、目覚めてしまった。


 その代償が、今、押し寄せてきている。




 老婆の笑い声が、夢の奥からいつまでも耳に残っていた。




 「ざまぁーみろー……」




 その声が、心をえぐった。







 月の光が揺れる河川敷。




 湿った風が僕の肌を撫でるたび、あの晩の血の匂いが脳裏をよぎる。


 遠くで鳴く蛙の声さえも、断末魔のように響いた。




 僕は、足元の草を無意識に引きちぎっていた。千切れた草の感触が掌にじわりと伝わる。夜の静けさが、却って胸を締めつけた。




 ——ここで終わるのか? いや、まだだ。




 僕は自室の床にうずくまり、窓の外を仰いだ。


 空は、あの夜と同じように曇っていた。




 脳裏に浮かぶのは、ただひとつの問いだった。


 「人を襲った動物は、最終的にどうなるのか」




 ニュースで流れる映像。人里に現れた熊、牙を剥いた猿、狂犬病を疑われた野犬。


 彼らは、捕まり、裁かれることなく、撃ち殺される。


 罪の有無ではない。ただ「危険」という理由だけで。




 それが世の中の「正義」なのだ。




 じゃあ、僕は?




 柿崎を殺した。


 その両親も殺した。


 迷いはなかった。胸に渦巻く怒りのまま、ただ衝動に身を任せた。


 あの時の僕はもう、人ではなかった。




 人を襲った獣。


 今の僕は、まさにそれだ。




 だからこそ、あの黒い装備の連中が家を包囲していたのだろう。


 銃を構え、獣を狩る猟師の目で、僕を見つめていた。




 老婆の声が、夢の中からしつこく蘇る。




 「ざまぁーみろー」




 あれは、警告だったのか。


 それとも、復讐の完了を宣告する嘲笑だったのか。




 僕の脳裏に焼きついたのは、あの悪夢のような晩の記憶。


 血塗られた家。


 喉元に残る生臭さ。


 自分が誰だったのかすら思い出せないほどの混濁。




 自室の壁は、もうひび割れ、雨漏りの染みが広がっている。


 だが、ここが最後の場所だと、僕は感じていた。




 静かだった。




 風が止み、蛙も黙った。




 まるで、世界が僕の結末を見届けようとしているかのように——。




 僕は目を閉じた。




 人を襲った動物の末路。


 それが、これから始まる。







 昼の陽光が、割れた窓ガラスの隙間からじりじりと部屋に差し込んでいた。




 僕は息をひそめながら、もう一度窓の外を覗こうと、カーテンのない窓際へと這うように身を寄せた。あたりは静まり返っているのに、空気だけが異様に重く、粘りつくように肌にまとわりついてくる。




 その時だった——




 ガシャンッ!




 乾いた破裂音と共に、窓ガラスが粉々に砕け散った。無数の破片が光を反射して宙を舞い、その中に黒い円筒形の物体が放物線を描いて飛び込んできた。




 「……っ!」




 反射的に身を引いた直後、シューッという異様な音。白煙が急速に広がり、視界を奪い、肺を焼くような刺激臭が鼻腔を突いた。




 「けほっ……ぐ……!」




 僕は咄嗟に口元を袖で覆うが、それも焼け石に水だった。喉が痛む。目が沁みる。




 続いて、怒号が響いた。「突入!」——その一声とともに、階下からドドドドッと複数の足音が駆け上がってくる。




 窓から見える外の光景を脳裏に浮かべる。そこには、盾を構えた警察官、吠え立てる警察犬、銃身の長いライフルやショットガンで武装した黒ずくめの特殊部隊の姿。




 ——どこもかしこも塞がれている。逃げ道は、ない。




 でも——




 このまま捕まって、終わりを迎えるわけにはいかない。僕は柿崎の尻子玉を喰った。せめて、最後までやり切ってから。




 思考が一瞬で加速し、次の行動を導き出した。




 僕は白煙の中を手探りで部屋の反対側へ移動し、もう一つの窓へと駆け寄った。




 「はぁ……っ、はぁ……っ……」




 ヒビの入った腕で窓ガラスを叩き割る。鋭い音とともに破片が舞い、血が滲んでも、もはや痛みは感覚の彼方だった。




 真昼の陽光があふれる外は、死の罠と化していた。周囲には盾を構えた警官と警察犬、そして完全武装の連中。だが、僕にはもう、選択肢がなかった。




 「ここじゃ……ダメだ……っ」




 僕は窓枠に足をかけ、風を感じた。逃げるしかない。ここにいれば、無関係な誰かをまた傷つけてしまうかもしれない。




 だから——




 一か八かで——跳んだ。




 二階の高さから庭の地面へ向かって、体を投げ出した。




 ズンッと全身に衝撃が走る。膝が悲鳴を上げ、足元が崩れたが、僕は転がるように草むらへと身を滑り込ませた。




 家の中では、複数の重い足音と怒号が飛び交っていた。部屋に突入したのだろう。だが、もうそこに僕はいない。




 草の中、昼の光と風の中で、僕はただ、ひっそりと呼吸を整えていた。




 草むらに身を沈めた僕だったが、それも一瞬の安寧に過ぎなかった。




 「……いたぞ! ここにいる!」




 鋭く張り詰めた声が、昼の静寂を切り裂いた。




 反射的に顔を上げた僕の視界に、異様な光景が飛び込んできた。黒い戦闘装備を身にまとった男が一人、盾を構えた隊列の前に立ち、肩には銃身の長い武器が構えられていた。その銃口が、真っ直ぐに僕を狙っている。




 心臓が凍りついた。世界が無音になる。




 まるで時間そのものが重たく、粘性を持った泥のように流れていく。




 その中で——




 ドーンッ!!




 乾いた破裂音と同時に、僕の頭に激しい衝撃が走った。




 視界が大きく揺れた。世界が反転するような錯覚。意識が遠のいていく中で、僕は最後に見た。




 宙を舞う皿。




 僕の頭のてっぺんに乗っていた、河童の証。その小さな器が、真紅の飛沫を纏って砕け、まるで羽根のように空へと舞い上がっていく光景を。




 ——終わった。




 僕は、そのまま地面に崩れ落ちた。




 死んだ。そう思った。もう目覚めることはないのだと、思い込もうとした。




 だが。




 ——意識が、戻った。




 けれども、そこはもう現世ではなかった。




 薄ぼんやりとした地平。墨で描いたような空。すべてが色彩を失い、どこか夢と現の狭間にいるような空間。




 息をする空気が、ぬめりを帯びているようで不快だった。




 そして。




 「ざまぁ、ざまぁ、ざまぁみろォ……」




 その声。




 血のように赤い口を裂けるほどに開け、白目を剥きながら嗤う老婆が、霧の中から現れた。




 あの時と同じ、いや、それ以上におぞましい笑顔で、指をさしている。




 「やっぱりお前のような河童は、ああなるのが似合っとるわい……」




 僕は、言葉も出せなかった。




 この場所が、地獄の入り口であることだけは、理解できた。




 そして、もう戻ることはないということも。




 了








 僕は、ただ、茫然として立ち尽くしていた。




 白く霞んだ地面。沈んだ空。音のない世界。


 あの老婆の姿も、声も、今はどこにもない。




 ここがどこなのかもわからない。ただ、僕がもう生者ではないことだけは、確かだった。




 ……だが、その時だった。




 ふいに、足元の地面が透き通った。


 


 まるで、巨大なガラス窓を通して“下界”が見えるように、そこにはある風景が映し出されていた。




 それは——




 小学校の教室だった。




 僕の通っていた学校とは少し違う造り。でも、どこか懐かしい光景だった。




 教室の片隅で、一人の少年が椅子に座ってうつむいている。前歯から少し飛び出した八重歯が目立つ、痩せた子だ。




 ——その歯を、誰かが嘲笑した。




 「こいつ、血吸うんだぜ!」




 「吸血鬼ー、吸血鬼ー!」




 「女の子に噛みついて襲ったんだってさ!」




 嘲笑とからかいが渦を巻くように、教室中に広がっていく。




 黒板には、チョークで描かれた卑猥な落書きがあった。


 小さな体の女の子に馬乗りになり、首元に噛みついている少年の図。




 それが、明らかにその八重歯の少年をモデルに描かれているのは誰の目にも明らかだった。




 少年は顔を覆って、必死に震えていた。




 それを見ている僕は、言葉を失っていた。




 ——これは……なんだ。




 なぜ、僕はこれを見せられている?




 ここは、あの世とこの世の狭間。なのに——




 まるで、これは新たな“始まり”のように思えて——




 僕の胸に、かすかに鈍く、重い痛みが走った。




 悲劇はくりかえされるのだろうか……。



※※※


まずは、ここまで――いや、「最期の皿が砕けるまで」と言った方が相応しいでしょうか――主人公・水島涼介の、文字通り血と泥と涙とぬめりに塗れた復讐譚を、最後までお読みくださった皆様に、心より御礼申し上げます。




 本作『河童になった少年。いじめた奴らに死の制裁を』は、元々「人間万華鏡」という、私が過去に書いた短編集の中の一編、「河童」を原案としております。短編当時は、いじめの果てに人間性を喪失していく少年の恐怖と哀しみを8000文字ほどで描く小品でしたが、思いのほか多くの読者の方々に強い反響をいただき、「あの少年はその後、どうなったのか」と幾人もの方に尋ねられました。




 ……で、調子に乗って書き始めたら、気づけば10万文字超え。


 ぬらりひょんどころか、まさかの“ぬるっと”長編小説に化けてしまいました。




 執筆にあたって最も苦慮したのは、ずばり「どこまでR15で書けるか」です。


 復讐劇というテーマ、しかもそれを“人間をやめた少年”の視点から描く以上、グロテスクな描写や暴力表現は避けて通れません。しかし、ただエグくすればいいのではなく、読者の「心の痛点」を突くためには、心理描写や情景の“湿度”こそが命。


 血の匂いだけではなく、濡れた床の冷たさや、誰にも救われなかった少年の孤独の温度を、ひとつひとつ丁寧に描いたつもりです。




 また、読者の皆様に「制裁」のカタルシスと同時に、「人間とは何か」「復讐の先にあるものとは何か」という問いを、ほんの少しでも心に残せたなら、それが作者にとって最大の報酬です。




 おかげさまで、涼介は河童になりましたが――作者はただの人間のままです。


 背中に皿もなければ、水に潜る勇気もありません。


 そのかわり、皆様の「ブクマ」や「感想」「レビュー」が、私の“命の水”でございます。




 それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


 また別の物語で、どこかの水辺で――いや、ページの向こう側でお会いしましょう。




 ――敬具。




 作者より

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【河童になった少年。いじめた奴らに死の制裁を】 カトラス @katoras

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