分度器から見る角度

鳥居之イチ

001

 朝起きて誰とも会うことなく、会話をすることもなく家を出る。


 夏休み期間であっても、日々の行動に変わりはない。


 学校からアルバイトへと向かう先が変わっただけだ。


 腕時計に目を向けると時刻は7時30分。アルバイトの時間まではまだ余裕がある。朝早いとは言え、季節は夏。すでに30度は超えているであろう気温だ。額にかいた汗が頬を伝い、顎から地面へと流れ落ちる。


 今年の夏は例年に比べ比較的涼しいとニュースで言っていたと思うのだが、聞き間違いだったのだろうか。夏によく見る積乱雲から覗き込むようにこちらを照りつける太陽に嫌気が指しながらバイト先へ歩く。


 こうしてみると雲は白ではなく、ところどころ灰色の部分があるのだと新たな気づきを得ながら、どこでバイトまでの時間を潰そうかと考える。


 バイト開始まであと1時間。時間を口にしてしまうと、非常に長く感じてしまう。ならもう少し家を出る時間を遅くすればいいじゃないかとバイト先や友達から言われそうだが、家をここまではやく出るのには理由がある。


 簡単に説明すると家族仲が悪いからである。


 厳密に言えば家族仲が悪くなるほどの関わりはほとんどない。特に家庭内暴力を振るわれているとか、俺の分だけご飯が用意されないとかそういうことはない。


 単に両親が俺に興味が無いだけだ。


 その事に気づいたのは、双子の兄が中学受験をした頃からだろうか。


 双子と言っても少し特殊で兄の陽一とは誕生日が異なる。


 初産で双子ということもあってか、若干の難産だったと聞いたことがある。そのせいなのか陽一が生まれて、俺が生まれるまで30分も時間が開いたらしい。その30分の内に日付が変わったというわけだ。


 珍しいとは自分自身思うが、調べてみると同様の事例が無いわけではないらしい。だが俺の場合は更に特殊だった。陽一が4月1日生まれ、俺が4月2日生まれ。


 つまり、双子でありながら学年が異なるのだ。


 そうなると必然的に、両親は陽一を構う。物事の全てが陽一基準になったのだ。ランドセルをからうのも陽一が先。勉強を覚えるもの陽一が先。修学旅行に行くもの陽一が先。この世の何もかもが陽一を中心に動いている感覚だった。


 双子なのに、生まれた日が違うだけでこうも違うのか。


 その感覚が強まったのが陽一の中学受験だった。


 本来、小中一貫校のため中学受験をせずとも進学できるのだが、両親から期待されていたのだろう。少しだけ離れた中高一貫校への受験をしたらしい。


 その結果は無事合格。


 陽一とは顔は一緒でも、頭の良さは全く違う。頭が良いから両親も陽一に優しいのだろう。その日から両親の陽一に対する態度と俺に対する態度が極端に変わった気がする。


 最初の違和感は夕飯を家族で囲んでいる際の会話が全て陽一の話題になったことだ。今までも基本的には陽一の話で俺の話はたまに出るくらいであったが、それが一切なくなった。友達は出来たのか?勉強は大丈夫か?部活には入るのか?入るならどんな部活か?欲しい教材はないか?足りなくなっている文房具はあるか?弁当にいれてほしい具はあるか?全ての問いは陽一に投げられた。


 俺だけが会話に参加できない日が続いた。


 確かに中学受験をし、新しい環境になったのだ。知り合いのいない場に行った息子を心配するのは当然だろう。


 勉強もそうだ。頭が良いから、より上を目指すために中学受験をしたのだ。


 部活も中学から始めるもので弁当も小中一貫校の俺は給食があるため、関係の無い話だ。


 だから俺に話が振られないのも当たり前なのかも知れない。


 それを察してからは、徐々に団らんの時間から姿を消した。朝食は食べなくなり、夕食は時間をずらして一人で食べる。できる限り家族と関わらないようにした。


 俺は中学受験はすることなく、そのままエスカレーター式に進学。


 陽一とは別の学校に進みたかった。学校でも兄の存在を感じる場が嫌だったからだ。


 小学生のときは、陽一の担任だった人が、翌年俺のクラス担任になることがあった。その担任からしてみれば双子であり、外見や頭の良さなど全てが一緒だと思っていたのだろう。だが現実は違う。俺は頭が良くない。そうすると必ずこう言われる。


 「双子なのに出来が違う」と。


 それが嫌で陽一が進まなかった中学を選んだ。


 小学生のときは家にも学校にも居場所はなかったが、中学に上がってからは陽一のことを知る教員も居なくなり、それに合わせるかのように同級生も陽一の話題を出すことはなくなった。


 高校生に上がってからは、更に居場所が出来た。


 高校ももちろん陽一とは違うところを選んだ。


 陽一は受験した中学からエスカレーター式に高校へ進学。


 俺は陽一ほど頭が良くないため、この地域では割と有名な偏差値の低い高校へと行った。


 この高校に入学したのには陽一とは別の高校に進みたかったというのもあるが、染髪やピアスが許可されていたからだ。双子ということもあり、頭の良さ以外は陽一と俺は俺たち本人ですら見分けがつかないほどにそっくりだ。少しでも別人になりたくてここを選んだ。


 正直いえば、髪を染めたり、ピアスを開けたりすれば少しは俺に興味を持ってくれるんじゃないかと思ったから。でもそんな期待は一瞬にして崩れ去る。


 色を抜いて髪色を金にし、ピアスを両耳合わせて5箇所開けた後でも、俺に対して何かを言ってくれることはなかった。その時完全に理解した。両親に俺は不要な存在なのだと。陽一が全てなのだと。


 それに気づいてからは、学校以外の時間の殆どをバイトにつぎ込むことにした。家族として付き合う時間を極端に減らした。朝早くから学校へ行き、学校が終わってからはバイト。髪色やピアスのせいでバイトを見つけるのは時間がかかると思っていたが、学校からの帰り道にあるネカフェがたまたまバイトを募集していたこともあり、面接をして案外すんなり働けることになった。


 ネカフェのバイトは基本毎日。学校が終わった17時から22時までの5時間勤務。バイトが終わってからシャワー室を借りた後、コンビニに寄って夕食を購入し、食べながら歩いて帰宅。帰宅後は、誰にも会うことなく自室へ直行する。


 そんな生活を3ヶ月ほど続けていた。


 その間、両親や陽一とは一度も顔を合わせていない。


 そんなに長い間息子の顔を見なくとも心配している素振りを一切見ることが無いところを見ると本当に俺には興味が無いのだろう。


 ここまで来ると逆に清々しい。


 夏休みに入り、学校が無いと必然的に家にいることが増える。その前になんとかしなければと思い、土日にお世話になっているカフェでアルバイトの募集はしていないのかと聞いてみたところ、夏休み期間は人の出入りが多くなるためちょうど募集しようと思っていたとのことだった。


 髪色やピアスは問題ないかと聞いたところ、それの何が問題なのか?と聞き返されてしまい、常連になっていたカフェが新しいバイト先へとなった。


 カフェでの勤務時間は8時30分から16時まで。朝が早いのは清掃から対応をさせてもらえることになったからだ。家にいる時間が減りこちらとしては助かっている。


 バイトが始まる時間までどこで時間を潰そうかと考えていたが、今までの人生を振り返りながらゆっくり歩いていると時間を潰す必要が無い時間になっていた。


 道を一本外れた通りにある、木造建築で雰囲気のあるカフェの裏口にまわり挨拶をしながら勝手口を開いた。


 「二葉くんおはよー。今日もよろしくねー。

 あ、そうだまた朝ごはん食べてないんでしょ!ホットサンドでいい?

 私も朝まだ出さー、これから作ろうと思ってたんだけど一緒にどう?

 安心して、給料からホットサンド分減らしたりしないから。」


 「いいんですか、美沙子さん。いつもありがとうございます。

 チーズ多めで、トマトは抜いてください!」


 堀美沙子。俺の新しいバイト先であるカフェ”ciel étoilé”の店長だ。


 元々は夜中にゆっくりできるカフェを目指してこの店名にしたらしいが、夜一人でのカフェ経営は思っていたより大変だったらしく、また昼夜逆転生活に慣れず日中のオープンに変更したらしい。


 ただゆっくりできるカフェを目指していたが、思っていたより繁盛してしまい、夏休み前で学生も増えてくる時期に不安を抱えていたところ、俺のバイト募集してますかという問いかけはまさに完璧なタイミングだったようだ。


 ちなみに一番心配していたのは、俺のせいで客足が途絶えるんじゃないかということだった。金髪でピアスを5つも開けている厳つい店員になるのだ。可能性は十分にあると思っていたが、その心配は杞憂に終わる。


 美沙子さんが俺の出勤初日に髪を金に染めてきたのだ。


 「ずっと染めてみたかったんだけど、なかなか勇気が出なくてね。

 でもどう?似合ってるでしょ?」


 根元まできれいに染められたそのロングの髪を一結びのハーフアップで整えられている。完全な金というわけではなく、ところどころアッシュが入っていて黒髪ロングのときより更に明るくなったように思える。


 女性にしては背が高く、スタイルも良い。肌が綺麗でとても30代後半とは思えない美貌だ。かわいいよりかはきれいの方が似合う。現に美沙子さん目当てのお客さんもいるみたいだ。


 俺の心配が杞憂に終わったのは、実際にお客さんが入店してきてからだ。常連さんと思われる老夫婦が入店するやいなや美沙子さんの髪色に驚いたようで、おばあさんは美沙子さんに似合ってるよと声をかけ、おじいさんはすぐに店を飛び出し、他の常連さんを連れてきた。


 オープンしてすぐだというのに、カフェの席の半分がすでに埋まっている。


 俺も元々このカフェの常連だったから知っているが、朝一でここまで入店しているのは珍しい。そんなにも美沙子さんの変わりように常連が興味津々なのだ。


 そんななか、美沙子さんが常連さんに向けて俺の紹介を始める。


 「今日からウチにバイトで働いてもらうことになった二葉くんです!

 私が料理とか作ったりするから、ご注文は二葉くんにお願いしますね!」


 その言葉を聞いて俺は「よろしくお願いします」と頭を下げた。いくら美沙子さんが常連さん相手に俺の紹介をしたところでこの髪とピアスだ。怖がられるに決まってる。ネカフェのバイトとは客層が違うのだから。何かを言われるかと思っていたが、常連さんから出てきた言葉は予想外の言葉だった。


 「あら!美沙子ちゃんの息子さん?優しい感じがそっくりね〜。

 えっ、息子さんじゃないの?こんな優しそうな子どこで捕まえてきたのよ。

 二人ともきれいな髪色で親子にしか見えないわよ。」


 「学生さんかい?若いのに働くなんて偉いね。

 美沙子さん目当てのお客さんも多かったけど、これからは二葉くん目当てのお客さんも増えそうだね。」


 呆気にとられながら、下げていた頭をゆっくり上げた。俺自身は自分の顔を見ることは出来ないが、今目の前に鏡があれば手本のようなアホ面を見ることが出来ていただろう。それだけかけられた言葉が想像していないものだった。


 両親とはまともに会話をしていないし、教師には双子なのに・・・と言ったような言葉をかけられるだけで、大人に褒められた経験が正直少ない。というかほぼ無いに等しい。


 なんだかむず痒い。ゾワゾワする。


 褒められるとはこういった感覚なのだろうか。


 優しそうな子。きれいな髪色。働くなんて偉い。俺目当てのお客さんが増えそう。


 どう考えても社交辞令だが、嘘でもなんでもいい。その言葉だけで俺は顔の筋肉を自分の意志で制御することは叶わなくなっていた。


 「ありがとうございます!」


 俺はここに来て過去一大きなお礼の挨拶をした。口にしてからは、少し恥ずかしくなり、気を紛らわすためにも常連さんを席に案内した。


 それからときは経ち、今に至る。


 美沙子さんは俺の家庭の事情を知ってか知らずか、朝ごはんとしてホットサンドを食べさせてくれる。最初こそ遠慮していたものの、ほぼ毎日ホットサンドとコーヒーを用意してくれるため、断るのが逆に申し訳なくなり、今ではチーズ多めでトマト抜きと注文をするまでになった。


 美沙子さんがホットサンドに付け合わせのサラダ。コーヒーを準備してくれている間に俺は簡単に店内掃除を済ませる。


 椅子をテーブルの上に上げ床を掃き、椅子をおろした後はテーブルを拭く。本来掃除は上から順にやっていくのが良いのだろうが、カフェは飲食店だ。テーブルを一番清潔にしておきたいと考え俺はそうしている。


 それが終わったらトイレ掃除に観葉植物への水やりと意外とやることは多い。


 俺の掃除が終わると同時に美沙子さんの朝食の準備が完了したようで、慣れたルーティンのようにカウンターに横並びに座り、俺と美沙子さんは両手を合わせる。


 「「いただきます。」」


ハムとたまごのホットサンドは口元から離すと大量のチーズが伸び、それを追いかけるように二口、三口と食が進む。サラダもアボガドとサーモンにオリーブオイルといったシンプルなものだが、丁寧に盛り付けのされたそれは塩気が利いており、箸が止まることを知らない。コーヒーは夏場ということもあり水出しの冷えたものを出してもらっている。チーズとサーモンを食べ塩気に満ちた口内を苦みのあるコーヒーが一気に爽やかなものにしてくれる。


 「ごちそうさまでした。いつもこんなに美味しい朝食いただいてしまってすみません。

 食器は俺が洗いますね。」


 食べ終わり、食器をシンクへと持って行く。


 美沙子さんも食べ終わり、カウンター越しに食器を俺に渡してくる。


 いつもなら食べ終わったあとは会話はそこそこに、それぞれ開店に向けて準備を進めるのだが、本日はそうではなかった。美沙子さんが何か聞きにくいことを聞くように、罪悪感と親切心を入り混ぜたような表情をしながら俺に話しかけた。


 「あのさ。今まであえて聞いてなかったんだけどね。

 変に詮索とかするつもりは無いんだけど、夏休み期間中だけでも、ウチに住む?」


 それを聞いた瞬間洗っていた食器が手からこぼれ落ちた。幸いなことに床に落ちたりせずシンク内に落ちただけで割れたり欠けたりすることはなかった。


 明らかに動揺している。一気に脈が速くなり動悸がする。


 「ごめんね、急に変なこと言って。

 でも本当に二葉くんの家庭事情とかを詮索したりするつもりはないの。

 ただね。ずっと気になってて。

 ここで働く前から土日は朝からずっと居てくれてたじゃん。だから最初はただ時間潰してるのかなって思ってたんだけど、いつも朝からいるのが少し違和感でね。

 それに夜は別のところでバイトしてるでしょ?

 バイトしてるってことはお金が欲しいのかと思ってたけど、ウチで1時間に1回は注文しててお金が欲しい子がわざわざ1時間おきに注文なんてするかな?って更に疑問に思ったの。

 そう考えると、家に居たくないんじゃないかなって思って。

 もし私の考えが当たってるなら、親御さんには私が連絡するから、夏休みの間だけでもウチに住まないかなっていう提案なんだけど、どう・・・かな?」


 願ってもない話だ。家に居たくないというのはそう。

 しかし、それは美沙子さんに甘えすぎではないだろうか。

 と、いうか美沙子さんはやはり気づいていたのか。なんとなく察して、今まで何も聞いてこなかったのだろう。

 そう考えると急に申し訳なくなってきた。


 「ありがとうございます。美沙子さん。

 でも大丈夫です。すみません。気を使わせてましたか?

 そろそろ開店ですね。俺看板出してきますね。」


 俺は逃げるように、洗い物を終えて、お客様用出入り口においてある看板を取り、外に出た。

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