第6話 獣狩

 「来るわよ。西の農場から、全部で六体」 

 エルァの冷静な声が聞こえたのは夜になり、標的とされた村に辿り着いた直後だった。ハージンが馬車から降りてエルァとヒュルザに頷きかける。エルァはにこやかに、ヒュルザは緊張した面持ちで老兵の顔を見返す。ハージンが二人を馬車から降ろす間にも、西の方から狼の咆哮が近づいてきていた。

 「未来視か?」

 「そんな大層なものじゃないけど。ほら、行ってらっしゃい。後ろは任せて」

 「ああ。ほどほどに、な」

 エルァにハージンが釘を刺している間にも指笛が飛び交う。騎士団同士で闇夜でも伝わるよう訓練してきたのだろう。残念ながらハージンにはわからないが、その指笛の旋律に恣意的な音色がいくつも混ざっているのが聞き取れる。

 「……こっちか」

 喩え未来視がなくとも、ハージンには戦場で培った気配読みがある。流れ出る並々ならぬ殺意を辿り、夜闇で右も左もわからないだろう方向へと疾駆。まだ大成していないヒュルザもあわてて彼の背を追い、その背後を見守るべく気配を殺しながらエルァも追随。

 既に松明の明かり以外は何もない。ハージンは右も左もわからない、はずだが……少し前に見た沈む夕日から、自然と村の方向を割り出していた。村の正門は日没が右に見え、村への襲撃者は暮れ行く日差しが途絶えてから村の奥──南から西へと大きく回る構え。それを一瞬で判断し、老兵とは思えない速度で疾駆。鎧を着て行進する騎士団を縫い、少し息を切らしつつも主戦場となった西の農場へと躍り出る。

 すでに何人かが組を作って、強大な人狼と相対していた。一人が大盾でみなを護り、残り二人が盾の背から剣を振るい、槍を穿つ。農場を月夜が照らし、牧草の上には血痕が広がっている。幸いなことに転がっているのは人狼の死体、消えゆく残滓だけ。聖蝋燭騎士団側に負傷者はまだ出ていない。

 「お師匠、はえぇっすよ!」

 「さすがは北生まれの蛇。太陽を追ってた?」

 わけもわからずついてきたヒュルザと、ハージンの疾駆の理由を察してついてきたエルァ。その二人を背に掲げて、ハージンは久方ぶりに人狼の姿を見る。

 月夜に照らされた筋骨隆々の上半身。顔にはすでに獣を喰らったのだろう、血肉と共に嫌な臭いを発する骨片が付着している。下半身も人間のそれで、顔面との不自然さが人狼がすでにこの世のものでないことを際立たせている。対面したその人狼が月夜に吠えた。長々と響く狼とも人ともとれる絶叫の終わりが、人狼の戦闘開始の合図。

 突如として人狼が身を縮め、ハージンたちに突進してきた。昔見た時よりも早く感じる。

 ──しかし、こんなものか。ハージンは見慣れた相手の動きに合わせて槍を動かした。

 「しぃッ!」

 己でも驚くほど舜なる動き、老獪さを増したハージンの槍捌きも、若兵の時のそれを凌駕していた。

 人狼の動きに合わせた中段構え、人狼が薙ぎ払おうと両手を広げた瞬間に彼奴の心臓があった場所を穿ち貫く。一連の動作は水面を滑る大蛇が如く滑らかに、月夜を反射した蛇の牙が人狼を突き通す。

 「これで人狼は死ぬ。簡単だ」

 「簡単ね」

 「ぜんっぜん簡単じゃないっすよぉ!」

 三者三様の声が響く、だがまだ戦は端緒を開いたばかりだ。

 急速に体が朽ち果てていく人狼から槍を外し、周囲を見る。まだ大勢を決する場面ではないことは明らか。どちらかといえば優勢では、ある。狩りに慣れているのだろう、人の皮を被った獣を機械的に屠っていく騎士団にもしかし、伏して動かぬ者たちがちらほら出始めていた。──増援は来る、必ず。騎士団にも、人狼たちにも。

 「このようにやれ。相手の利き腕が左でも右でも、心臓が狙える位置まで大きく開く癖がある」

 後ろであっけにとられていたヒュルザに向けて、血煙を拭いつつハージンが振り返った。師匠の手慣れた様子を見て弟子も覚悟を決めたのか、あっけにとられてなお獰猛に笑いだす。

 「……えっと、あたしにも出来るっすか?」

 「できるとも。お前の槍の速度ならば」

 「じゃあ、お師匠の言葉を信じて!ちょっくら」

 ハージンが放った言葉を胸に、ヒュルザが己の足に力を籠める。龍の血脈が怒りを発し、怒気が炎燼となって彼女の口から洩れ出る。闇夜を照らす深紅の炎は全身を漲り。 ──直後、爆発的な速度でヒュルザは疾駆した。

 馬鹿正直に一直線、炎の矢となって駆け抜けたヒュルザは遠くで獲物を迷っていた人狼を一瞬で貫き上げる。勢い余ったのだろう、そのまま数歩駆け抜けたヒュルザはしかし、人狼の防御した腕ごと化け物の胸を突き上げて貫いていた。さすがの膂力、瞬発力。これはハージンにもまねできないし、エルァすら避けられない。

 「こ、こうじゃないっすか~お師匠~!」

 ヒュルザが血濡れた槍を血払いして、師匠であるハージンへと叫ぶ。震えた声が戦功を誇示する間も、ハージンとエルァは対となって人狼の群れを処していた。 

 「何もかも違うが、あれでよかったのかもしれないと思わせる気迫だな」

 「そうね。教えたこと、無駄になってない?」

 「言ってくれるな、よ!」

 ハージンはため息をつきつつ横にいるエルァを襲おうとする人狼に槍の斧面を叩きつける。エルァも予期したもので、まるで示し合わせたように半身を後ろに倒し、そのまま倒立して回転した。すべてを察し、全てを見定め、的確に穿つ。エルァはすでに、ハージンと同じ数の人狼を屠っていた。

 エルァが回転した先、人狼が待ってましたと両腕を広げて剛力の元振り下ろす。だがエルァはまるで「判って」いたかのようにとん、と飛び上がり。そのまま新品の剣で人狼の頭蓋を粉砕した。着地した先に人狼が二体殺到するが。

 ──それを予期できないなら、ハージンは二つ刃の蛇など冠していない。

 新たに襲ってきた人狼の右腕をかいくぐりつつ、ハージンはエルァを喰らわんと腕を振り下ろす人狼の左腕を貫き通した。悲鳴を上げる人狼の胴を蹴り上げ、そのまま無造作に槍を引き抜く。手返すまま左わきから獣の心臓を一突き。悪神から貰った悪魔の心臓が切り裂かれ、人狼が灰燼と化す。

 もう一体の人狼がエルァに丸太のような腕を振るう。左腕を薙ぎ下ろし、右腕が突き上げられる。だがエルァは楽しんでいるかのように横に後ろに、軽足を踏んで避けていく。エルァに手こずっている間に遠くから一直線、心臓をめがけてヒュルザが槍を突き出した。

 「もう一体っすよ!」

 「あら、お見事。予想が外れたわね」

 大勢は決し始めていた。人狼たちは戦意を喪い三々五々と散り始め、それを聖蝋燭騎士団は騎兵を用いて追滅する構え。──そしてハージンは、戦意を喪っていない最後の一体と武を交えていた。

 「しぁあ!」

 まるで蛇が如く滑らかに、毒蛇のような鋭さで相手を貫かんとハージンが槍を振るう。だが残った人狼もさすがの戦上手か、器用にハージンの槍を紙一重で躱していく。

 相手が妙技を繰り返すとき、昔ならばハージンは「力」で押し通していた。だが今は膂力筋力の類ではない、技も含めた如実なる武の真骨頂で相手を翻弄する。

 今それは一瞬しかできない。が、逆にその無駄ならぬ一瞬の力だけで昔の力を再現できる。これが今の、ハージンの武。

 槍を滑らかに引いたハージンに勝機と見たか、人狼が一矢報いようと飛びかかる。だが、それは毒蛇が糾う巧妙な罠。──槍を引いたと見せた動きが一瞬で止まり、爆発的な一直線が軌道として残るのみ。ハージンの刃が最後の人狼を深々と突き破り、闇夜の塵と消し去った。

 「次は、どいつだ」

 「ハージン、もういませんよ」

 「お師匠、すごいっすね」

 戦の高揚に我を忘れかけたハージンに、エルァが冷水のように声をかける。ヒュルザは尊敬をまなざしに込めて興奮し。

 ハージンは。──ハージンは、戦の高揚感にどこか違和感を感じていた。


 視線を、感じる。

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