第5話 再開

 直後、彼の耳に聞き馴染んだ声が聞こえた……気がした。郷愁と咄嗟の焦りで勢いよく振り返るハージンの視界に、全身鎧に身を包んだ男が一人だけ立っている。

 そしてその偉丈夫が着る大鎧は、聖蝋燭騎士団の騎士団長が着るそれ。思わず視界をエルァに向けたが、いつの間にか煙のようにエルァが消えている。「視て」いたか、直前に異変を察知して消えたか。なんにせよありがたい。──ハージンは今、とてつもない動悸に襲われているのだから。

 「懐かしいなぁ。魔王討滅の最終決戦以来か?──二つ刃の蛇も老いたもんだ、弟子を取って宿屋で指導とは、な」

 「……グラスァル、……なのか?」

 グラスァル。そう名を呼ばれた大鎧の男がゆっくりと兜を取る。その顔は確かに老けはしたものの、十五年前の面影を残した「最後の戦友」だった。 

 「応ともさ。何年ぶりだ?俺も瀕死の重傷を負った後助け出されてな。治癒師のお陰で何とか生き残ったが、国に帰ったらお前が逆賊呼ばわりされているのを聞いて居た堪れなくなってな」

 「十五……年ぶり、だ」

 饒舌に喋るグラスァルと、乾いた声を必死に絞り出すハージン。不穏な空気にヒュルザが構えていた槍を落とし、静かに警戒感を盛った表情でハージンの隣に並んだ。

 「師匠、こいつは?」

 「こいつって、いきなり嫌われたなぁ。俺ぁハージンの戦仲間さ、名前をグラスァル。一応、聖蝋燭騎士団っていう名前の騎士団を纏めさせてもらってる身分さ」

 名乗り通り、ハージンもよく知っている男。グラスァル……弓の名手にして最後に死に別れた戦友……だと、今の今まで記憶していた。

 ハージンが今感じているのは再開への興奮なのだろうか?あるいは己の過去を知るグラスァルへの恐怖なのだろうか?視線定まらないハージンは思いついたことだけを離す人形と化していた。

 「だが、あの時俺は確かにお前が」

 「死んだ。ああ、そうだな。ほぼ冷たくなってた。お前が触ってくれたことすらちゃんと覚えてねェ。俺も天に昇ってく感覚を覚えたけど、幸運にも目が覚めちまった。治癒師の女が俺を助けてくれなきゃ、お前と再開することもなかった!まぁこの十何年かの間になんやかんやあって、いまや中方国と西方国で名の通った騎士団の頭領ってわけさ」

 「聖蝋燭騎士団。テンペスト、か」

 「そうさ。悪を狩り、宵闇に一筋の蝋燭を照らすものたち。民衆の足元を示し、悪魔どもを畏怖の光に怯えさせる名……いい命名だろ?」

 聖蝋燭騎士団、またの名をテンペスト。この地域に十数年前から根を宿し始めている異教・悪魔・魔女や他種族を狩る騎士集団だ。純白の鎧に光を放つ蝋燭を記したレリーフを刻み、人の治世に仇名す存在を放逐することをモットーとする武力組織。

 とはいえ積極的に廃絶することは是としておらず、人語を解す存在には説得から入ることで魔女やエルフ、ドワーフといった異教・他種族の協力者も少なくない。テンペストへの賛意は人間に至っては絶頂の域にすらあり、「問題はまず蝋燭を辿れ」という諺までできるほど信頼された集団となっている。

 「……すまない、興奮してしまって感情が混乱した。久しいなグラスァル、騎士団長がどうしてここに?」

 ようやく己の感情を整理し、再会への喜びだけを切り取って笑顔に出すハージン。当然の疑問を最後の戦友は笑顔で説明し始めた。

 「いまちょうど仕事の相談にこの街にきていてねぇ。槍を持つ只ならぬ武人──君のことを聞いたから赴いたまでさ」

 なるほど。となるとグラスァルはもしかしたらエルァのことを噂に聞いて直接確かめに来たのかもしれない。己の恐れとは別の、警戒という負の感情を聡い旧友に見せないよう笑顔のままでグラスァルに手を差し出す。

 「それで?北方国生まれの老兵を久しぶりに見た感想はいかがかな?」

 「お互い、老いちまったな!本当なら酒でも飲み交わして十数年のあれやこれやを話し合いたいんだが、なにせこの後この国の大臣たちと密会があってね」

 「密会?」

 「おっと、言わないでくれよ?なにせ庶民の皆皆様が口にできない御馳走が出てしまうんでね。やれやれ、その品を整える金子でもっと民草の願いを叶えてやってほしいもんだが。……おっと、これも誰にも言わないでくれ?俺の評判がまた上がっちまうからな」

 呵々と笑い飛ばすグラスァルが変わらないことをハージンは感じ、苦笑と本気のうれしさを顔に出しつつ、彼の鎧を引き寄せて再会の抱擁を示すハージン。

 いまのグラスァルはすべてを受け入れる。こういう男になったらと昔から思っていたが、こうなったらもはや武も強い。心が強いからこそ、読み合いで先の先を取れるようになった。彼の大成はその副産物にすらならないだろう。

 羨望はないが、寂寥を感じ。ハージンは静かに目を閉じ、そっと彼から離れた。グラスァルも懐かしさを目に浮かべて、やがてハッとしたかのように手を打つ。

 「ああそうだ。せっかくだし、旅の様子だから路銀でも稼がないか?君の腕が鈍ってないか見るべく、仕事の依頼をしたい。聖蝋燭騎士団はいつだって人手不足でね」

 「そうなのか?志願者は多そうだが」

 「志願者を受け入れても、質が伴わなければ無駄死にを増やすだけだ。だからこそある程度、訓練の過程で選別を行わないといけない。となると必然、供給よりも損耗が多くなる……難しい世の中だ」

 「まったくだな」

 ハージンは経験したことがないが、北方国でも軍を管理していた友は質の維持に頭をひねって悩んでいた。比喩ではない、彼が梟神族だったために、悩むときには縦にも横にも首をひねっていたものだ。梟が如く首を回すその男も、最終決戦直前に魔族の襲撃に合い、死んだ。

 「話を戻すか、グラスァル。君が持っている依頼はなんだ?」

 ハージンと横で恐縮しているヒュルザにも手伝わせれば、いい経験になるだろう。エルァに関しても、ルーンを使わせなければグラスァルからの監視を切る機会の端緒となるやもしれない。一週間足らずの付き合いだが、どちらも戦力として申し分ないとハージンは睨んでいる。

 ハージンの催促にグラスァルは目を細めた。「変わらないな」、そう呟いた彼が腰の巾着から一枚の丸めた紙を取り出す。街路に張り出す予定の紙だろうそれには、恐れ多い二足歩行の獣の絵が緻密に描かれていた。


 「狼狩りだ。時刻は今夜、金子は共有金貨十二枚だ。……いけるな?」


 ──E──


 「人狼かぁ……強いっすよね?」

 「油断はできない相手ね。それより、死に別れた戦友との再会はどうだったの?ハージン」

 「今は仕事の前だ、集中しろ」

 馬車の中、多くの兵士たちと混ざって同行しているハージン、エルァ、ヒュルザ。ヒュルザは世話しなく周囲を見渡し、エルァは饒舌に笑い、ハージンは黙して語らず。

 だが彼の隣で落ち着きなく首を動かすヒュルザを見かねて、ハージンが「落ち着け」とたしなめつつ人狼のことを話し始めた。

 「人狼は狼の悪神に心臓をささげるとなれるとされる。詳しい儀式の内密は知らんが、心臓がない以上区切るならば不死の一族、それに類する連中だ」

 人の全身に狼の顔を持ち、素早い疾駆と本能で行われる集団戦で人間を圧倒する。軽業自慢のエルフすら惑わせ、膂力に長けるドワーフすら殴り飛ばす部類の魔族だ。

 安心させるためにヒュルザに話したハージンだったが、余計にヒュルザの落ち着きがなくなったのを感じ取り嘆息する。ヒュルザも己の様子を自覚しているのだろう、努めて明るい声で師匠の説明に返答した。

 「へぇぇ、そうなんすかぁ……。てっきり人がオオカミに化けるとかぁ、月夜に遠吠えと共に現れるとかそんな感じかとぉ」

 「そういう連中じゃないさ、御伽噺ならそれで格好がつくからかなり脚色されて広まっているだけだ。ただ他の不死連中と違って、殺すのに普通の刃が効く。これ以上嬉しいことはない」

 「でも、強いんすよね?」

 肝心なところをハージンは暈かしていたが、ヒュルザの天然で鋭すぎる指摘に思わず黙る。

 師匠の態度にヒュルザの緊張はより増した。隣で石の如くこわばった肩を肌で感じたハージンは、しかしどうすればいいかわからず後悔し始める。ハージンが語らないのを見かねて、向かいに座るエルァがヒュルザの手を握った。

 「大丈夫、後ろに私がいるから」

 「あ、そうか。ま……じゅつしさまがいますもんね。あたしも守ってくれますか?」

 「もちろん!だって大切な仲間じゃない!」

 思わず魔女と言いかけたヒュルザの手を、知覚できないほどの強さで握りつぶすエルァ。痛みに己の失態未遂に気が付いたヒュルザが言葉をぎりぎり継いで誤魔化す。ここでエルァが魔女と露見したらひと悶着ありそうだ。老齢になっても善良に満ちた空気だけは穢さずに乗り越えていきたい。

 (口は災禍の元だな。己の口も、禍呼びにならないよう気を引き締めねば)

 静かに古の教訓を諳んじつつ、日が暮れ始めた空を見る。秋の夜は長い、人狼にとっては長く狩りを行うことができる。夜こそまさに、悪魔たちの中天だ。

 先のヒュルザの問いに答えなかった理由は何個かあるが、問題なのは「人狼の膂力は人の大きさをした狼のそれ」という部分に尽きる。獣の力はいつだって強大で、それが人間のような形をしている。当然、力の質は獣と変わらない。人狼の一薙ぎで体の上が足腰と告別しなければいけない。どのような鎧でも、防ぐことなどできない。

 が、それも織り込み済み。場慣れした聖蝋燭騎士団たちは大ぶりの盾を持って馬車に乗り込んできていた。

 精兵たちだ。見てわかる。北方国で退治した魔族の先兵たちと何ら変わらない武を、騎士団の個人が持っている。

 「エルァ、おまえはお前と騎士団の身を護れ」

 唐突に口を開いたハージンに、ヒュルザとエルァがハージンの顔を見た。ヒュルザは緊張して、エルァは楽し気にハージンを視て。

 真顔に余裕ができたハージンが少しだけ微笑む。己の顔が十五年前に鳴らした「二つ刃の蛇」に近づいてきていることを、嫌が応にも察していた。

 「ヒュルザに、北の蛇とは何かを見せてやる」

 二つ刃の蛇が、人の形をした狼に毒牙を剥こうと眠りから覚める。

 夜が来る。獣狩りか、獣の人狩りになるかは一人以外、誰も分かっていない。

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