第4話 因縁
ヒュルザは年齢が十九と少し、とは本人の弁。正確な年齢は分からず育ってきた。若き溌溂として引き締まった女性の身体と、左額から生えた一本の蒼角、そして群青に染まった長く細い尻尾とその先端に付けられた護身具がよく人目を攫う。護身具、とかけば物騒だがその実、東方の魔除けにすぎず武器として利用するには小さすぎる代物。
その魔除けをくれた両親とは幼年時に死別、今は流れの傭兵かぶれとして生計を立てている。先ほどの村には門番として雇われていたそうで。
勝手に村を抜けていいのか。そうハージンが聞く。だがヒュルザは「別に構やしないさ」と大笑して返事を返した。彼女の表情に悩みや後悔といった念はない。
「あたしがお荷物だったのは目に見えていたからね。それに、腕のいい用心棒よりずっと頼りになる聖蝋燭騎士団がこの辺りを巡回していると来た。あたしゃとうの昔に用済みで、昨日だって畑仕事しかしてなかったんだから」
ヒュルザはそう言いながら、露天商の押し売りに負けじと値段交渉を繰り返している。交渉の対象は新しい槍の石突──どうやらそこに付ける金具を探しているようだ。
「おいおい、石突を新調するのか?」
「え?その分の金は出してくれるんだろ?」
「……まぁ、確かにそうはいった」
隣で平然とカラメル菓子を頬張るエルァに槍は直してもらったはずだが。槍を壊した張本人であるハージンはまだヒュルザに大きく出れないでいた。
ここは中央国の西端、シャムラ・ニア国。かつて八大剣と呼ばれた豪傑が治める小国。しかしながら小さいのは国土だけで、その経済力から武力まで近隣の農業国を圧倒するほどの先進性を誇っている。
この国に立ち寄ったのはほかでもない、ヒュルザと共に楽しそうに金具を選んでいるエルァの方針。……というより「彼女の足が赴くまま」、ここ国の国境を越えていた。数日歩いた末、検問所を無傷かつ合法で通り抜けて王都、ニアにたどり着いている。
もともとハージンが隠遁していた場所からも遠くない国。周辺国との関係も良好でかつ、武力も侮れない国となれば、戦乱が起きるとは考えにくい国の一つ。長居しても問題ない程度の安定した治安もあってか、女二人との旅であっても心置きなく羽を伸ばせる。
ハージンは当初からシャムラ・ニアの港から海路で南方国や新大陸に抜けたほうがよいのでは?とも思っていたが。エルァの脚は確かに気まぐれだが法則性があるとハージンは踏んでいる。
もしやエルァは北方国にハージンを連れていきたいのだろうか?そんな疑念もよぎったが……。一両日もかからない道程をより長い時間をかけて歩いたエルァの法則、その真意まではまだ読めていない。ハージンにとって赴きたくない国は少なくないが、その中でも北方国帰郷はもっとも考えたくない選択肢だ。それを選ぶならばハージンはこの旅から抜けることも考えたいくらいに。
(エルァの魂胆は俺には見えない。どころか俺は、このさきの未来含めて彼女の掌の上、か)
なんにせよ、まだ肝心のエルァの胎が見えない。あるいは彼女が「視ている」未来の足跡をたどっているのだろうか?ハージンにエルァの視界は見えない。
(……惑うな。俺の過去だけは俺だけのものだ)
ハージンの過去もエルァには見渡せないはずだ。否……軽々に「過去を知ってる」とエルァに言ってくれるな、とも思ってしまう己がいる。
悩めるハージンを知ってか無視してか、エルァも楽しそうに露店を見渡し、ハージンの耳に口を寄せて耳打ちした。
「ハージン、私も剣を買うわ」
「誰の金でか、大きな声で言ってみろ」
「もちろん、親愛なるお師匠様に!」
耳元で本当に大声を出され、いやな顔をして耳を離すハージン。楽しそうにけらけら哂うエルァを睨み、恨み言を否定の音に変えて首を横に振った。
「言ってろ、ぜったいに買わんぞ」
大声を発してなお拒絶され、それでもエルァは楽しそうに笑う。歳並みの笑顔のまぶしさに、苦渋の面を作っていたハージンも思わず目を細めた。彼女を魔女たらしめているのは、外身だけでいうならば魔女の杖以外に存在しない。技量や、おそらく体のどこかにある「時」のルーンだけが彼女の魔女たる印なのかもしれない。
(案外、幼い性格なのかもな)
ハージンはエルァのことをまだ知らない。だがエルァはハージンの「過去」をよく知っている。不条理だが、名が知れるとはそういうことだ。
──いらぬ考えに思考を割いている間に、ヒュルザから財布が帰ってきた。些か予想以上の軽さに再び渋面に戻るハージンは、エルァとヒュルザが合計三振りの剣を握っている姿を見て嘆息する。
「数を間違えてないか?俺の分は必要ないぞ」
「いいや?ここにいる全員分でしょ?そういう注文でしか取り扱ってないって」
その言葉にハージンは天を仰ぐほかなかった。露天商の店主もにらむと、店主は看板の文言を叩いて抵抗する。「武具は三振り以上~」と共有語で確かに書かれている。だがここに連れてきたのはエルァであって。またもや「嵌められた」という感覚に陥ったハージンは仏頂面のまま声を絞り出した。
「俺の左手はもう予約済みだ。しかも十五年も前から予約されてるんでね」
「あら、義理堅いのね。たかが剣なのに」
「されど剣だ。さぁ売っぱらって来い。大した金にはならんだろうが、路銀の足しにはなる」
「あのぉお師匠。やっぱ、武具にもこだわり見せない一流になれないっすか?」
最後におずおずと質問してきたヒュルザの声に確かに己の意固地さを自覚させられる。過去への執着へ自問しつつ、それでもすぐには応えは出ない。
なんにせよ、すでに対価は知らわれた。ここから質屋に出してもろくな金子も帰ってこない。何度目かわからない息を突いたハージンは諦めてエルァが差し出した剣を不慣れな手つきで腰に佩いた。
「宿屋に払う金が減ったな」
「ありがとう。働いて返すわね」
「やめてくれ、魔女が働く姿なんか見たくない」
ハージンの精神が休まることなく、三振りの新品の剣が旅に加わった。
──D──
「それで、だ。槍を振るうときに力だけで振るってはいけない。武術は脱力と放出が大事、力んで振るっても武具を痛めるだけだ」
「こうすか、お師匠!」
ニアにある大きな宿。その中庭を借りて行われた一回目の稽古は、なかなかに悲惨なものだった。
「いいか、脱力!放出!武は静と動が一度の動きで多く蓄積されていく!それを連続で動かし、相手より蓄積を多く放てば勝てる!」
「えいや、ちょいや!とわぁぁぁぁ!」
「だめねー。完全に力任せよ、ヒュルザ」
ヒュルザは従順かつ熱心な弟子だ。が、その熱心さが彼女の肩に力を入れさせる。結果としてハージンが求めるべき北方流の槍術とはまったく経路の異なる、筋力でモノを言わせる独学の槍術が前面に出てしまっている。
脱力、放出とハージンが唱えるとより力強くヒュルザは槍を振るう。では見せればどうかと放出、脱力の順でハージンが実演すればヒュルザは全力で案山子をへし折る。
これでは武芸のイロハどころの話ではない。まずはついてしまった武としての悪癖を改善するところから始めねば。脂汗を拭ったハージンは「休憩だ」とヒュルザに声をかけ、無理やり座らせた。
(だが、強い戦士になれる素養もある。素直なのはいいことだし、間違いに関しても質そうと必死になっている。いいことだ)
武門に立って素直でいられる存在は稀有だ。命を取る技術だからこそ、己の技術に妄執的な凝りが誰にしろ存在する。ハージンにだってそうで、中方国や西方国の槍技はまるで見るに堪えなかった。だが今にして思うのは、その技術は「この国の最適解」なのだ。つまり、戦争や決闘の結果、淘汰されて残った技術こそハージンが嫌った槍技。
ならばハージンもまた素直ではない。それに引き換えヒュルザが槍を振るうその姿はまだ力強過ぎるとはいえ、十分になめらかで「蛇」たり得る動きをしている。師匠がハージンだからそのように見るが、他の国の武人が見れば、教えればその色に染まれる素質があると言い換えてもいいだろう。
「師匠、さっき言ってた蛇の如くってどういうことっすか?」
「ん、ああ。教えて損はないから休憩中に掻い摘んで教えておくとしようか」
そのままハージンはエルァが差し出した水差しから直接口に水を流し込み、ヒュルザに説明する。
北方国では熟達した槍使いのことを「蛇」とよぶ。ハージンであれば、十五年前は侮蔑と畏敬を籠めて「二つ刃の蛇」と畏れられていた。北方国では槍使いこそ武の頂点とされ次に剣使い、その次に弓使いが武の習いにとって重要だった。他の武具はそもそも見向きもされず、熟達しても侮られるばかり。
「──俺はな、ヒュルザ。右手で槍を扱いながら左手で剣を握っていた。だから畏敬もされたが侮蔑もされた。どっちつかずと石を投げられたこともあったな」
「ひぇぇ、すごい事なのにひどいっすね」
「そんなもんだ。人間だろうとドラゴナーラだろうと、世の習いから外れた異端はなかなか受け入れられん」
それにな。ハージンはヒュルザと、視界の片隅で微笑むエルァを見て言葉を重ねる。
「北方国では槍は成人の証であり誉れ、剣は誠実の体現でもあった。俺のように左手を余して剣を握るなどということはあってはならないが同時に、両方扱えたからこそ……俺を天下一の槍使いとみとめてくれた奴も多い」
脳裏に何人か、戦死した戦友がちらつく。最終決戦の時に死に別れた連中の顔は誰もが、俺を睨んでいた。
ハージンが今「二つ刃」という名を聞きたくないのはそのせいだ。名誉を自ら捨てて、北方国という故郷から逃げ遂せた己が、畏敬になった綽名を聞きたいとは思えない。
(なかなか、やるせないな)
邦を捨てても槍は振るえる。その因果が巡って、ヒュルザに己の魂を宿そうとしているなら。それはとても滑稽だと己でも思う。
ともあれ年齢的にも弟子を取っておかしくないからこそ、ハージンはヒュルザを指導している。悩みこそすれ、その決断に後悔は微塵もなかった。
(それに、だ。今更最強など聞いてあきれるが。エルァは何を考えているのやら)
「負けた方が言うことを聞く」。最初の取り決めをハージンは確かに守っているが、エルァの魂胆はいまだ見えない。
そもそも、エルァが放った最初の言葉こそ北方国の習わし。すんなりとハージンが負けを認め、エルァも戸惑うことなく願いを口にしたが、エルァはもしや北方国とつながりがある出自を持つのだろか。
エルァの方を見る、今はヒュルザと水を交わしつつ談笑している。こう見れば普通の若き女子だが、その裏では時を操る魔女。未来に何を見ているのか、まだ彼女は明らかにしていない。
「……よし、休まったな。再開するぞ」
迷いを断ち切るべく、ハージンは勢いよく立ち上がった。その動きに釣られてヒュルザも飛び上がり、己の槍を構えて実演し始める。
「さっきの動きっすけど、こうすか?こうですか!?」
唐突に動き出したヒュルザだったが、確かに先程より脱力できた状態で槍を振るえていた。──槍を振るう姿勢がいい、変に前傾にならず、かといって重心が後ろ過ぎていない。己が持ち合わせぬ才覚に羨望すら覚えるハージンは微笑みながらヒュルザを誉めた。
「お前は天賦の才を持っているな」
「え、ええぇ。私って天才っすか!?」
本心からそう口走り、そして後悔。赤らんだ顔と共に再び硬直した体を見て、ハージンは「指導」というものの先の知れなさを感じ取った。
それからどれくらい時間がたっただろうか。まだ日が陰らぬ時間帯に、ハージンは背後から人の気配を感じ取った。
「あ、いたいた」
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