第3話 弟子

 まるで銅鑼のような大音量が響き渡り、遠くにいた小作人たちが何事かとハージンたちの方を見る。当の怒鳴られたハージンたちは互いに顔を見合わせて、互いに肩をすくめあった。村の方から人影が単独で走ってくるのが見える。見たところ武装もしているが、ハージンが気になったのは人影の容姿だ。

 麦秋に響くその声の持ち主は、額に角を生やした一人の龍神族、西方諸邦がドラゴナーラと呼ぶ竜神の血を末代に宿す一族、その女性。こんな辺境の土地にしては珍しい。ハージンが住んでいた村からも近いというのに見たことがない。流れものか、あるいは用心棒か。

 「だからやめろって言ったんだ。因果律がねじ狂って、村人から不興を買ったじゃないか」

 ともあれ今はエルァに一言棘のある言葉を投げておきたいハージンは何食わぬ顔で扇子を扇ぐ魔女を睨んだ。

 「いいじゃないの。それに私も、こういう因果の回収方法は予想してなかったわ」

 「お前には未来が見えるんじゃないのか?」

 「私が怒られるなら、ふつうやらないと思わないかしら?」

 やれやれ、気まぐれな雌猫め。怒声を上げ、土ぼこりを上げて畑への道を駆け上がってくるドラゴナーラに視線を戻したハージンは覚悟を決めて槍を構えた。

 ──彼女も槍で武装している、どう考えても無傷で見逃してくれる雰囲気じゃない。それにこちらは傷つけることはできない、殺しでもすれば旅なぞ一生できなくなる。──殺すのは簡単だが、そのあとの因果を受けるのはハージンだ。今は到底傷つける気にすらならなかった。

 「あ゛あ゛?抵抗すんのか?ならぶっ殺してやる!」

 血気盛んとはまさにこのこと。男のような発声が早いか、手に持った槍を構えた女性が、走ってくる勢いそのままにハージンへと槍を突き出した。

 ──速く、力強く、そして正確だが粗野。一突き目の総評は、それだけ。

 技量も何もないが、その剛腕だけでハージンが払いのけようとした槍先を突き飛ばす。勢い保ったまま、純粋なる殺意と共にハージンの身体めがけて女性の穂先が飛び込んでいき──瞬間、ハージンが右足のかかとを軸にして一回転。重心と相手に弾かれた衝撃を利用した左回り。ドラゴナーラの女は咄嗟の動きについていけず、ハージンの身体があった場所を槍ごと走り抜ける。それで戦意が削げてくれたら、とも思ったが。ドラゴナーラの怒りはより赤く爆発した。

 「おらおらおらぁ!下らねぇ手管使いやがって!ぶっ殺してやる!」

 それしか言っていないし聞いていない。ため息とともに、膂力では上であるドラゴナーラの女性の攻撃をハージンは待つ。

 二撃目。今度は石突付近で大ぶりの横なぎを放つ。力任せに槍を振るい、ハージンに痛打を与えようとする策も技量もない攻撃。だが狙いはハージンの頸部、喰らえば首や頭は一瞬で吹き飛ぶ。似ている、北方国で見てきた戦友たちと。

 想像するにドラゴナーラはここまでこうやって勝負に勝ってきたのだろう。それに……。

 過去と雑念を捨て、ハージンはあえて力で上である女性の一撃を槍で受けた。木材が折れる音。女性の驚愕の顔と、ハージンの真剣な表情。

 ──折れたのは女の槍。ハージンが上手く力を逃がし、ドラゴナーラが持つ槍の穂本だけを叩き割った。こうなってしまえばもはや槍ではなく棒。どれだけ乱暴に振るわれても、ハージンの敵ではない。力任せの相手にできる、ハージンの奇術。

 「ちくしょう!あたしの槍が!」

 きゅるりと、こすれる音とともに女が折れて案山子のように揺れる槍穂を手に握る。その目からは明らかに戦意が喪失し、その槍は大事な代物だったのか目に涙すら浮かべている。悪いことをしたか。ハージンはため息とともにいい加減つかれてきた体を叩いた。この年になると連戦が体に堪える。今日だけで強敵に二度接敵しているのだ、無理ならぬことではあった。

 「そこなドラゴナーラの女性。槍の代金は弁償する。それで見逃してくれないだろうか?」

 ハージンの提案に、しかしドラゴナーラの女性は涙目でハージンを睨めつけた。戦意はないが、敵意は目のかしこに存在している。こういう時に戦士は怖い、一言間違えれば再び戦を仕掛けんと高揚してくる。さて如何なものかとハージンが思案している間に、すでにドラゴナーラの女の怒りが沸々と再度煮え滾り。

 「なんだぁ、てめぇ。鳥一匹殺しておいて、槍の代金で何とかしようなんて……」

 そこまでドラゴナーラの女性が口走ったところで、静かな口調でエルァが言葉を挿んだ。

 「じゃあ、その鳥が生き返ればいい?」

 「……へ?」

 「はい、これで元通り」

 エルァがそういながら羽ばたく鳥を手に握り、空へと放った。ハージンも驚いて腐った鳥が落ちた場所を見るが、そこには鳥の体液すら落ちていない。それに飛び立った鳥は確かについさっきまで腐り果てていた腐肉の鳥。

 「《戻れ》と私が命じれば、ほらこんな感じで元通り。安心して、目の前のおじさんが仕向けたことだから」

 エルァの一言だけで鳥は息を吹き返し、肉は新鮮な筋肉となり、羽毛が体を覆い、鳥羽を力強く羽ばたき始めた。ドラゴナーラの女はハージンと顔を見合わせて硬直する。何が起こったか理解できていなかったハージンだったが、先に合点がいったようにドラゴナーラの女が声を上げた。

 「……あんた、まさか魔女か?」

 「ご明察。だから私たちのことは誰にも言わないでね?」

 「いやいやいや、魔術はご禁制だぞ。村長にでもいった、……ほうがいいのかなぁ」

 どうもこの女、混乱と恐怖で頭が回らない様子だ。己で判断できない女にハージンは苦笑しつつ、ドラゴナーラに声をかける。ハッとした女にハージンは銀貨の袋を手に握らせた。さらに共学して目が丸く見開かれるが、気にせずハージンは言葉を続ける。

 「君の槍代だ。これだけあれば槍の修繕も可能だろう」

 「あ、ああ。すまねぇありがとう。あんた何ものだ?ただモノじゃないってことは確かだが」

 「なに、しがない槍使い──」

 そこまでハージンが答えようとしたところで、待ってましたとばかりにエルァが会話に割って入る。彼女が饒舌に、堪能にハージンのことを女に語り始めた。

 「彼は北方国で『二つ刃』と恐れられた救国の英雄だよ。ほら、君も知ってるでしょ?北方国を襲った魔族との大戦を──」

 そこまでエルァが話して、なおドラゴナーラが釈然としていない表情を見せる。さすがに魔女の雄弁なる舌も、相手の反応が悪すぎて一瞬で鳴りを潜めた。

 意気消沈したエルァに気が付いた女が情けなさそうに己の額を掻く。そして申し訳なさそうにはにかみ、己のことを少しだけ掻い摘んだ。

 「すまない、あたし学がなくて。親とも早くに死別して、誰も学を教えてくれなかったんだ。文字は生きるために覚えたが、歴史とかは、その」

 なるほど、それは重い理由だ。事態を察したハージンは彼女の境遇を知る。大方安金で遠くに見える村の用心棒に買われたんだろう。となれば、村ではいい顔をされていないに違いない。ハージンは息をついて微妙な表情のエルァを見た。

 ハージンの視線に気が付き顔を上げるエルァも彼の意図を汲み取ったのだろう、「仕方ないなぁ」と肩をすくめ、己の杖をドラゴナーラの女、その手に持つ槍に向けた。


 「《戻れ》」


 その一言。それだけでしゅるしゅると音を立ててドラゴナーラの折れた槍が元通りになっていく。己の槍が元通りになるさまを見せつけられた女は驚きのまま口を半開きにして再度硬直した。

 「……す、すげぇ」

 「なぁ君。名前はなんていうんだ?」

 感嘆を声に漏らすドラゴナーラにハージンが声をかけた。出来れば名前を知っておきたい、人脈はどういう時に使えるか分からないものだからこそ、広く持っておきたい。隠遁のみならばともかく、ハージンは再度最強を目指させられている身だから。

 「あ、あ?俺の名前か?俺はヒュルザ。東方の生まれで、生まれの村はないし本当の名前もわからねぇ」

 もとに治った槍を数度ふって感触を確かめたドラゴナーラの女──ヒュルザは嬉しそうに頬を上気させて身を名乗る。ヒュルザ、中方国でいう「雲河」という意味だ。

 「ヒュルザ、よき名前だ。すまない、君の気を乱したな、俺たちはこれ以上何もせず村を通り抜ける。達者で暮らせ」

 ハージンが言葉と同時、エルァに目配せする。ヒュルザに関わり過ぎて、彼女の人生を乱してはいけない。老齢なハージンの要らぬ気配りをエルァはどう思ったか。

 「……そうね。元気で暮らしてねヒュルザ、また会ったら今度は決闘じゃなくて、ちゃんと話し合いしましょ?」

 ハージンの配慮を是としたのだろう、エルァもにこり微笑んでヒュルザに別れの挨拶を告げる。だが目の前の魔女は「未来」が見える。少なくとも、手に取れる先の未来が。

 「ちょ、ちょっと待ってくれ!あんた、名のある槍使いなんだろ!?」

 横を通り過ぎようとしたハージンの二の腕を、万力のような握力で掴んだヒュルザが呼び止める。痛みに顔を顰めつつ、ハージンは努めて冷静に否定を声に出した。

 「そ、そんなことはな、いで、ない!」

 「頼む!俺は槍術も独学なんだ!俺に少しでもいいから、槍を教えてくれないか!?」

 「い、いや、いででで、まて、まずは腕を解放してくれ!?俺の腕が折れるいででで!?」

 悲鳴を上げて悶絶するハージンを横で哂うエルァ、そして真剣な表情で腕をつかみ続けるヒュルザ。

 (この魔女、こうなることを分かってて俺に合わせたのか……!?)

 どちらにしろ、ヒュルザはこうと思ったら突っ走るきらいは誰が見ても明らか。しかも間の悪いことにハージンの槍術はさっき見せてしまった。言い逃れの出来ない状況で力負けしている今、ハージンに選択肢はなかった。

 「わかった!わかったから放せ!は、な、せ!!」

 大声でヒュルザの耳元で怒鳴り、ようやく解放されたハージンは道の上に寝転び荒い息を繰り返す。掴まれた左腕が痛いが、それより。

 声にならない怨嗟の視線をエルァに向けるハージンに、気にしない表情でエルァは微笑み返した。


 「良かったわね元最強。立派な稽古相手ができたわよ」

 「抜かせ……」

 ハージンにはもはや、毒づく気力すら残っていなかった。

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