最終話 覇道と王道の果て

「陛下どうなさいます?」

 メイレンが振り返りそう問うてきた。南城で皇帝に即位したということは、明らかにエルデムの勢力がこちらに反旗を翻し、自立したということである。正統性の担保はしたものの、実際の所前皇帝を討ち玉座を奪い取ったアリンと、前皇帝の太子であるエルデムでは天下にどちらが正統とみなされるか危うい。

 何故だエルデム。そんなことさえしなければお前だけは救ってやれるのに。

 だがしかし、アリンの瞳は揺るがない。帝王として彼が進むべき道は決まっている。

「逆賊は討つ」


 時を巻き戻さなければならない。エルデムが南城へと落ち延びた時まで。エルデムを乗せた馬車はギン・ヘチェンから発って六日で南城に着いた。南城は帝国の南を流れる大河南江中流域に位置する都市で、西、南、東の三方向を南江に接している。エルデムの馬車は城門で止められる。宣教師ルスタチオ・アルドロヴァンディが外に出て門衛に事情を説明すると、門衛は城の中心部まで駆けて行った。門衛に連れられてやって来たのは南城が誇る将軍白志である。白志は馬車の中を覗き込んだ。

「殿下」

 右半身の麻痺したエルデムは横たわったまま白志を見る。

「白志か。久し振りだね」

 エルデムがアザン・バリに遠征に行った時、白志は副官として従った。敗北の責を負わされ死罪にされそうになっていたところ、エルデムの嘆願により一命をとりとめ、再び南城で将軍の任についていた。

「殿下、事情はお聞きました。ひとまず総督府の方までいらしてください」

 総督府に着いてエルデムが馬車を降りようとする時、白志は眉を顰めた。エルデムが一人で立ち上がることもできなかったので。

「もしやお怪我でも」

「いや、ただの病気だよ。悪いが白志、私を抱えてはくれないか」

「かしこまりました」

 巨漢の白志はエルデムを抱きかかえ総督府の階段を上ってゆく。そしてそのまま総督府の執務室までエルデムを連れて行った。そこにいたのは赤義せきぎという細身の南城総督である。赤義は白志に抱えられたエルデムに向かって跪いた。

「殿下、どうかしばらくはお休みください。後のことは我らで図りますゆえ」

「ありがとう」

 実のところ六日間馬車に揺られどおしで碌に休息を取っていない。エルデムは別室で休んだ。再び白志がエルデムの部屋にやって来たのは一日経った後のことである。

「殿下、お連れせねばならぬ所があります」

 白志はエルデムを抱える。

「どこに行くの」

 白志は答えず総督府から出た。すると総督府の前の大広場は南城の兵士や官吏で埋め尽くされていた。そして階段の上に一つの大きな椅子が設えられている。エルデムはそこにもたれかかるようにして座らされた。大広場の官吏達の中から赤義が進み出てくる。赤義はエルデムの前に叩頭した。

「殿下、どうか帝位にお即きください」

「何を」

 エルデムは当惑した。帝都が陥落して太子が一人落ち延び、行った先で皇帝に擁立される。決してあり得ない展開ではない。しかし。

「待ってくれ」

「殿下、衆望があるのでございます。この帝国の正当な継承者はあなた様。あなた様を皇帝として仰ぎたい者達がこのように集っております。どうかゆめゆめ我らの思いないがしろにはしてくださいますな。重ねて申し上げます。どうか帝位にお即きください」

「私は」

 そこでエルデムはかつての父との対話を思い出した。父の言葉が蘇る。

 ――帝位とは何かを為すべくして即くものではない。即くべくして即くものなのだ。

 エルデムは息を呑んで目の前の景色を見た。視界を人が埋め尽くし、それが皆自分を見ている。太子である自分を。そして皇帝たるべき自分を。

「分かった」

 エルデムがそう答えると赤義が先導となって大歓呼が起こった。

「皇帝陛下万歳、万歳、万々歳‼」

 こうして天下に二人の皇帝が並び立つことになる。

 エルデムは椅子に座ったままルスタチオを呼び寄せた。そして群衆を見たまま彼に語りかける。

「私はあなたに謝らないといけないことがあるんだ、ルスタチオ」

「陛下?」

「もちろん私はあなた方の信仰を否定する気は無いのだけど、私としては神様というものを信じられなかった」

「陛下、何を仰って」

 エルデムはルスタチオに向かって微笑んだ。

「アリンの叛乱が起こって、ギン・ヘチェンが落ちて、私が皇帝になって、私はこうして起こった色んな事が神様によって決められたことだとはどうしても思えなくなった。偶然も沢山あるけれど、でもあとは人の選択によってこの世界はどうしようもなく回っていくんだ。違うかな」

 ルスタチオは狼狽した。彼の十一年が崩れ去る。異国の宣教師は最後に一つだけ縋るように彼の愛弟子に尋ねた。

「では陛下は何をお信じになるというのです……!」

 エルデムは再び群衆の方を見た。遠くには城壁、そして空が見える。

「何を信じるのだろうね……」

 エルデムは瞳を閉じる。そしてクスリと笑った。また古い記憶が蘇ってきた。太子となった後、ルスタチオに神の国を作る手伝いをすると言われた自分はこう答えたのだ。「私がつくるのは神の国ではなくて人の国だよ」。人の国を作るのならば、やはり信じるのは人の他あるまい。

 ルスタチオとの対話が終わった後、エルデムはその場に白志と赤義、そしてルスタチオの兄弟子ベルトランド・シモーニを呼び寄せた。エルデムは三人を見回す。

「遅かれ早かれここにアリンの軍が来るだろう。私が皇帝になって皆の命を預かったからには決して負けるわけにはいかない」

 そこでエルデムはベルトランドに視線を止めた。かつて自分は彼にこう言われた。

 ――しかし太子ということはいずれ皇帝になられるのでしょう。その時殿下はもっと人を殺すものを望み必要とするようになります。必ずそうなります。

 半身不随の皇帝と茶髪の宣教師の目が合った。

「私は手段を選ぶつもりは無いよ、ベルトランド」

 その宣教師は悪魔的に笑った。

「はい、ご用意しております、陛下」


 皇帝アリンが率いる軍は、南城の北面に駐屯した。他の三方は南江に遮られているからである。攻撃の前夜、アリンのもとにナバタイが訪れた。

「陛下、やはり御身のためにも出陣はおやめになった方がよろしいのではありませんか。我らがきっとあの城を落として参りますゆえ」

 アリンはナバタイの肩に手を置いた。

「これは俺の性分なのだ、ナバタイ。何よりこの一戦、俺が最前線に出て士気を上げる必要がある」

 白髭の侍衛は少し悲しげにしたが、やがて笑みを浮かべた。

「誠にお父上によく似ていらっしゃいますな」

 メイレンもアリンのもとにやって来た。

「私はいつものように後方で陛下の凱旋をお待ちしております」

「ああ。……メイレン」

「はい」

「お前は満足しているか」

 メイレンはアリンに歴史の究極を見たいと言っていた。それが満たされているかと聞いている。メイレンは微笑んだ。

「まだですよ、陛下。まだこの戦もあるではありませんか」

「そうか」

 アリンは思った。この戦が終わろうがこの男が満足することはあるまい。この戦が終わったら斬る。さもなければ後の帝国で何をしでかすか分からない。彼等の頭上を覆うのは満天の星。そして一際赤く輝くのは戦乱と禍の星、螢惑けいこく

 夜は明ける。一六四二年九月の払暁、前進するアリン軍の甲冑が煌めいた。それを南城の将士は固唾を飲んで見る。そしてアリン軍が南城から十分な距離に近付いた時、城壁の上の将軍白志は剣を振り上げた。

「待って」

 白志が振り返ると白志の後方に用意された椅子にエルデムがもたれかかっていた。

「それは私がやらなければならない」

 エルデムは城壁の外を見つめると左腕を振り上げた。その視線の先にいる幾百万の人々と、そしてアリンの姿を幻視する。手を振り下ろした。

「放て」

 その号令とともに、南城が誇る八つの最新兵器がアリン軍に向けて火を噴いた。すなわち「大砲」が。放たれた砲弾は直進するアリン軍に直撃し、一片の容赦も無く炸裂した。

 アリンの右後方でそれは爆裂する。アリンは爆風を被った。馬が転倒し身体が地面に投げ出される。アリンはその衝撃に頭をぐらつかせながら起き上がる。

「何が起こった」

 見回せば軍のあちこちで黒煙があがり、叫び声がする。異臭が鼻をついた。阿鼻叫喚の焦熱地獄。右側を見ると、アリンの右を走っていたナバタイが首がへし折られた状態で横たわっていた。

「くそ!」

 アリンは立ち上がる。するとチカリと南城の城壁で八つの光が瞬いた。空気を裂いて何かが急速に飛んでくる。そしてそれは再び爆裂した。それが吹き飛ばした土が空高く舞い上がり、ザアアと音を立ててアリンに降り注ぐ。その中でアリンは理解した。向こうは巨大な弾を撃ってきているのだと。

 圧倒的な死の砲弾が彼等を襲う。アリンは軍隊を速やかに前進させた。南城に近付くことによって、大砲の射程範囲を抜けるためである。しかし、城壁の陰まで入り雲梯をかけたアリン軍を更なる炎熱が襲う。それは城壁の上から落とされた火薬壺だった。その爆発は雲梯を破壊し、兵士達の生命を急速に奪っていく。そして一つの壺が皇帝アリンの上で炸裂した。

 アリン軍は総崩れになった。そこを更に城門から出た白志の騎馬隊が追撃する。アリン軍と追撃隊は南城の北方で再び戦闘になった。戦いは南城側優位のまま進み、南城から遥か北まで伸びる屍の道が作られた。

 しかし、その追撃戦が行われていた時、南城の開け放たれた城門の前でふらりと立ち上がる男がいた。軍隊が北に移った後の南城城門前は静まり返っている。男は残された片方の腕、右腕で腰の赤い三本線が入った革の鞘に入る曲刀を抜いた。帝国一の仕事が為されたその刃は赤く輝く朝日を反射した。その男に門衛が気付いた一瞬後には門衛の首は搔き切られていた。

 行けアリングヌアリン

 門を抜ける。男は全身に火傷を負い瀕死だった。しかし、彼は道中を阻む者を全て斬り捨て駆けた。腹を裂き、胸を突き、首を飛ばし、城壁の上につながる階段を駆け上る。石畳を血みどろの足が蹴る。男自身の血と返り血が身体から飛び散り床を赤黒く濡らしていった。

行けアリングヌアリン

 その姿はまさしく鬼神。一陣の凶風まがつかぜ。宿命と彼が定めた覇道の全てを背負い男は走る。

 弓と刃がそなたを導くベリジェイェンシムベヤルミ

 そして男は辿り着いた。彼が目指した相手の前に。目前の椅子にはもう一人の皇帝がもたれかかっている。二人の帝王の目が合った。男は歩む。しかし、二歩、三歩歩いた所で膝をついた。そこが彼の生命の限界だった。男の手から曲刀が離れ石畳の床にカラリと音を立て落ちる。

 エルデムはそれを見ると身をよじって椅子から落ち、左手と左足でその男のもとまで身体を運んでいった。そして男の右手を左手で掴んだ。

「アリン」

 アリンは答えなかった。彼の命は尽きていた。



 この書物が終始姿を追ってきた男がその一生を終えた。しかし、その後のことも書かねばなるまい。

 アリンの死後、南城で即位した皇帝エルデムは北方の帝都ギン・ヘチェンに移り、その玉座についた。彼は周囲の諫言を振り切って、敢えてアリンを自分の前代の皇帝として位置付けた。ギン・ヘチェンにはトゥワを始めとしたデルギニャルマの保守層が残っていたが、彼等がエルデムに対して叛乱を起こすことは無かった。それをエルデムの人徳によるものとするのは簡単だが、裏ではエルデムとトゥワ達によって帝国のあり方が激しく論じられ、それによってどうにか落としどころを見つけたという経緯があった。

 河城からアリンと別れた元スンジャタ総督ナシンの軍は南江下流域に跋扈していたが、エルデムによって放たれた討伐隊により、一年と経たず討ち取られた。

 最後に残ったベイレメイレンの行方は杳として知れない。

 エルデムは進行する病に耐えながら、長い冬の続く大叛乱後の帝国をよく統治した。彼の二十年続いた治世は中興として称えられることになる。

 これが彼等の覇道と王道の果てであった。


 帝都ギン・ヘチェンの宮中にある一室で男は一息ついた。目の前には男が手掛けた渾身の仕事である一つの紙巻がある。男はそれに手を置くと、最後にその紙巻の名を記した。

 アリンの戦いアリン・イ・ダイン

 帝国暦一八四二年九月十六日擱筆かくひつ

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アリン・イ・ダイン 辰井圭斗 @TatsuiKeito

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