第8話

以前の私なら、きっと舌を噛むなり激しく抵抗しただろう。

人の心のカサブタを剥がしておいて、私に思い出させたのだ。

 彼の言葉が、あの日の傷を掻きむしる。私が忘れようとした過去が、再び姿を現す。

 それは、あの血まみれの戦場で死んだ仲間たちの顔。彼が抱えていた闇を、私は知っている。

 それを背負ったまま私を見つめる彼に、心が揺れる。

 それは、互いに背負うべき業だ。


 私は彼に恩義がある。

 そして、彼が私を一目ぼれだと言うように、私は彼になら殺されてもいいと思ったのだ。

 あの時の天使に、心を奪われたのは私だ。


「泣くなアナ」

「どうして……」

「愛してるから、アナ」

「戦場であなたを見た私の気持ちが、あなたにわかるものか」

「必死で生きようと足掻いて、でも血にまみれたお前は、死に場所を探していた」

「私は、幸せになってはいけない女です」


 彼の厚い胸に抱きしめられて、私の身体は包み込まれた。

 その温かさに、私は素直に身をゆだねる事はできない。



 気づいてしまった。


 気づきたくなかった。



 あの天使が、笑って助けてくれた私ではもうないのだ。

 それでも私は戦った事に後悔なんてしていない。


 武人の私の中で、消えたはずの女の私が叫んでいる。

 血にまみれた女が、愛される資格などないと。

 戦いの中で多くの命を奪い、心を冷徹にしてきた私に、彼がその手を差し伸べることが、どれほどの罪深さを伴うのか。

 それでも、彼の温もりを拒むことができなかった。


「いっそ、ただの捕虜なら恨む事が出来たのに、あなたは残酷だ」


 無言で力強く抱きしめられる。

 私の顔は彼の胸に寄せられて、彼の顔を見る事はできない。

 苦し気に彼は呟いた。


「愛してる、だから許せアナ」

「何をですか」

「手放してやれそうにない。互いに血まみれのまま、今度は王座から戦うことになる。だから……」


 それは聞こえるか、聞こえないかの小さな声だが、私の心に刻まれる。


「俺の傍にいてくれ……頼む」


 その言葉は、ただの願いではない。

 私を抱きしめるその腕には、覚悟と苦しみが絡んでいることを、私は感じ取った。


 暗闇の中、彼の銀の髪と同じ月が人々を照らす中、馬車は風を切り走り続けた。

 抱きしめあう私達を乗せて。       

 暗闇の中で二人だけの世界ができ上がり、どんな苦しみが待ち受けていようとも、この瞬間は永遠に続くと私は信じた。


 次の日から、セイラを含めて学園全体の雰囲気が私にとって違ったものに変化していた。

 勿論、好ましいという意味でだ。

 相変わらず強気なセイラだが、細々と私の世話をしてくれるようにすらなった。


「婚約者なのに、休日も二人で過ごす時間を大事にした方がいいですわ」

「いや、ニト様は忙しいし」

「だからこそです。王妃教育に必要だからと、殿下を連れ出せば許されますよ」


 セイラを含む、新しき仲間たちは頼もしくもあるのだが、なぜか私の苦手分野をズバリと見抜き助言をしてくる。

 そう、男女間の恋愛という分野において、私は彼女達いわく、ここまで壊滅的だと思わなかったらしい。


「戦争が悪いのですわ」

「本来なら私達と同じように、殿方にときめいたり、可愛い小物やドレスで心が躍るはずですもの」


 むしろ、研がれた剣の砥石が気になるとは言えず、あいまいな笑顔で頷くのみだ。

 いつも、昼食は彼女達に囲まれてとるようになっている。

 一度彼を誘ってみたが、女同士の親睦を邪魔するつもりはないと逃げられた。


「いっそデートをなさっては?」

「そうですわ、それが宜しいですわ」


 あーだこーだと言っていると、一人の青年が声をかけて来た。

 私ではなく、セイラにだ。

 恥ずかしそうに、だけど嬉し気にセイラは告げた。


「お先に失礼しますわね」

「ええ、お幸せにね」

「羨ましいわ」


 セイラには新しい婚約者が出来ていた。

 元々家柄も容姿もよく、本人は王妃候補として自主的に努力もしてきたので知識も深い。

 王子をあきらめた事を自らの両親に告げたところ、まってましたと打診されていた婚約の話が進んだらしい。

 幸いにも相性は良かった様子で、二人の仲睦まじさは評判になっていた。


「彼女も丸くなったものね」

「やはり恋は女を変えるものよ」

「溺愛って感じだもの、羨ましい」


 聞きなれない言葉に私は反応する。


「溺愛?」

「ほら、アナ様って本当にウブね」

「アナ様も殿下に、これでもかと溺愛されているじゃないですか」


何がだろうか? 確かにオペラのような甘い言葉をたまに吐いている気はするが。

 甘い? むしろ皆が知らないだけで案外厳しい方だと思うのだが。


「治世をする上では、甘いのは間違いかと……」

「治世ではなく、愛の話です」


 ピシャリと怒られ、私は素直に口を閉じた。

 なんとか理解しようと頑張るのだが、どうやら知識ではなく心で学べと叱られても難しい。


「ともかく殿下と学ぶのが一番ですわ」

「わかった、本人に聞いてみる、じゃなくって、確認してみますわね」


 そう言っているうちに、今度は卒業パーティーの話になった。

 なんでも、卒業式の後にパートナーと共にダンスを踊るらしいのだが。


「間違いなくあなたと踊るのだな、私は」

「むしろ誰と踊るつもりだ」


 帰りの馬車内で、私は彼に呆れられていた。

 いっそ、ついでとばかりに確認してみる。


「あなたは私を溺愛しているのか?」

「どちらがいい?」

「ん?」

「学園の王子としてか、銀の鷲としてか」


 面白げな顔の彼は、私に選ばせてくれるらしい。

 お優しいことだ。


「どちらも」


 つい、こちらも好奇心で答えてしまった。

 小さく笑った彼は、自らの髪をかき上げた。

美術品すらも霞む美貌が、さらけ出される。


「君を愛しているよ、何だって叶えてやるし、甘やかしてやる」

「そっちは学園の仮面の方か、なら本音は?」

「何があろうと手放さない」


 これが溺愛とやらなのだろうか?

 溺れるというよりは、檻に閉じ込められて喰われる気配すらするのだが。

 困惑する私を見て、彼は腹を抱えて笑う。


「な、何が楽しいんだ!」

「いや、いい成長だ。それでこそ頑張り屋のアナだ」

「ばっ、馬鹿にしてるのか!」

「いいや、嬉しくてたまらない」


 なぜ嬉しいのか、私が困っているのが楽しいのかと、私は素直にスネてしまった。

 それを見て、更に彼は嬉し気だ。


「感情もよく出るし、本当に俺のアナは可愛いな」

「馬鹿にして、演じ続けるには必要だから、だから……」

「まだ偽物を演じるための演技だと、言い張るのか?」


 ピタリと笑いを止めて、真剣な顔で尋ねられ、ゴクリと私は唾を飲み込んだ。

 こういう時に自覚させなくていいのに、ほら甘くない。

 つい、目を逸らして私は小声で答えた。


「わかってる、本物だって事は……」

「ならいい。おいでアナ」


 満面の笑顔で彼は両手を広げた。

 私に自ら彼の胸に飛び込めという事らしい。

 睨みつける私を嬉しそうに彼は見つめている。

 完全に楽しんでいる様子だ。


「また俺が命令すればいいのか?」

「うるさいっ!」


 勢いをつけて飛び込んだのに、彼の身体はビクともしない。

 その大きな体に身を預けて、首に手を回す。


「顔見せてアナ」

「恥ずかしいから嫌だ」


 見なくてもわかる。きっと彼は蕩ける程に幸せな笑顔なんだろう。

 そして、私も彼の首元に顔をうずめながら、恥ずかしさを誤魔化した。


「調子に乗るな」

「乗るさ、こんなに愛しくて仕方ない」


 撫でられる背中越しに、彼の愛が伝わってくるみたいだ。

 いつのまに、こんな風に変わってしまったのだろう。


 あの戦場にいた私と、今ここで抱きしめられている私は同じ人間のはず。

 あの天使様は、家族だけでなく私をも救ってくれたみたいだ。


「私も今だけ素直になるから、教えて欲しい」

「何を知りたい?」

「わっ、私のどこが好きなんだ?」

「誰よりも慈愛に満ちてるのに、自分を粗末にするところ」


何だそれはと、ガバッと私は顔をあげて彼と視線を合わす。

 やはり、彼はご機嫌に幸せそうに、私に優しく微笑んだ。


「粗末に扱う女の、何がいいんだ!」


 からかっていると私が怒るが、彼は微笑みながら私の顔を引き寄せた。


「お前が大事にしないから、俺が大事にする」

「っあ……」

「共に何があっても一緒だアナ。何があってもお前だけは愛してやる」


 こんなに情熱的な言葉をずっと囁かれていたのかと、今になって気が付いた。

 それと同時に、治まっていた胸の鼓動がまたもや早鐘を打つ。


『恋をすると、ドキドキするとかです』


 胸だけではない。彼の全てに私の全てが反応してしまう。

 認めるしかないじゃないか……もう、勝負はついたのだ。

 私は素直に彼に敗北を告げた。


「愛してるみたいです。あなたを」


 自ら彼の唇に重ね、彼の吐息と私の吐息が混じり合う。


 それから、私は学園を卒業して、正式に彼の婚約者として国から発表された。

 反対意見も勿論出たし、順風満帆な道のりではなかった。

 それでも戦いの場は違っても、私と彼は共に手を取り国の為に尽力を尽くした。

 いつしか学園の仲間たちが家を継ぐ頃になると、風向きは変わり治世は安定する。

 この国の為に成す事全てが、属国となった祖国へも通じると彼は教えてくれた。


 二人で作り上げた平和と幸せは、償いと未来への貯金である。

 晩年の彼は笑って教えてくれた。


「まだ君は信じてないだろう? 本当に一目ぼれだったんだ」


 年取った夫の手を握り、私も笑った。


「信じてますよ、だって私も同じでしたから」


END


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敗戦国の武人王女は敵国王子の偽婚約者にされたけど、気づいたら全力で狂愛されてました ~命と誇りを賭けた“偽り”が、私の世界を変えていく~ 西野和歌 @gurukosamin0628

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