善悪

ヤマ

善悪

 駅から、北へ三十分程。

 人気のない山道を抜けた先の廃墟。


 その場所に、通報を受けた警官が入ったのは、午後三時を少し回った頃だった。


 元は保養施設だったらしいが、今は崩れた壁と剥がれた天井が、風に鳴いているだけ。


 その一室。

 埃の積もる床の上。


 薬の空き瓶と、水の入ったペットボトル。

 そして、そのすぐ傍に――


 穏やかな表情の男の遺体が、横たわっていた。



 身元確認は、すぐに済んだ。

 三十九歳。二年前に心身を崩して退職してからは、無職。


 住んでいたアパートは、今月いっぱいで契約終了の手続きが済んでいた。

 彼の部屋は、驚くほど整っており、ごみ一つない。


 その中央の床の上には、通帳や書類等がまとめられており、処分方法が書かれたメモと一緒に置かれていた。


 そして――遺書。


 その封筒には、「どなたでも」と書かれていた。





「お手数をお掛けして、申し訳ありません」


 そんな一文から始まった。


「すべてのやりたいことを、やりきりました。残っていた最後のひとつが、『命を奪うこと』でした。他人の命は、どうしても奪えなかったので、自分の命にしました」


 旅行先の記録。

 会いたかった人に会えたこと。

 憧れていた風景を見たこと。

 興味があった勉強や創作、趣味に没頭したこと。


 誰に強制されたわけでもなく、誰を恨むわけでもなく、「やりたいことの帳尻を合わせた結果」としての自死。


 資産は、僅かではあるが、児童養護施設に寄付されるよう、手配済み。


 そんなことが、書かれていた。





「自殺は、悪でしょうか?」


「生きることは、本当に、善なのでしょうか?」





 死者からの手紙は、静かにその問いを残して、終わっていた。


 捜査員は、内容を一通り確認した後、黙って封を戻した。



 誰に向けた問いだったのか。

 答えるべきは、誰なのか。



 それだけは、明示されていなかった。

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善悪 ヤマ @ymhr0926

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