校舎裏に生えている一本の樹木について

照守皐月

本編

「埋めるよ」


 シャベルで土を掬い取り、彼女を生き埋めにする。その刹那、彼女との思い出が蘇ってきた。




 きっかけは数ヶ月前のことだった。クラスメイトである彼女が、わたしに頼み事をしてきた。


 放課後の教室で、彼女は言った。


「わたしを生き埋めにして欲しいんです」


 人のいない、静かな教室に彼女の言葉が響く。相対的に声が大きく聞こえた。


 生きたまま人を埋める。その行為がどういう意味を持つのか、考えるまでもなく分かっていた。それは端的に言えば殺人行為で、埋められた彼女は土中で息を引き取ることになる。


 冗談でも言っていいような言葉ではない。命を粗末にするなとかの話ではなく、単に聞いていて不快なのだ。仮に本気で言っているのなら精神面に問題があるだろうし、冗談なら物凄くタチが悪い。


 彼女の真意を確かめるため、さらに問いかける。


「冗談?」

「いえ、本気です」


 彼女がこちらを向き直す。真剣な目つきをしていた。


「だって、わたし18歳で樹になっちゃうから」


 その口から放たされた言葉は、要領を得ないものだった。


 樹になるとはどういうことだろう?全く分からない。何かの比喩なのか、それともそのままの意味なのか。真剣な表情や声音から嘘や冗談の類でないことは分かった。でも、その言葉がどういう意味なのかは分からないままだ。


 きょとんとした様子で彼女を見つめていると、彼女は突如として上着を脱ぎだした。慌てて制止しようとする。同性とはいえ、人前で服を脱ぐなんて信じられない。恥じらいというものを持ち合わせていないのか?


 放課後ということもあり、教室には人がいない。


 いるのはわたしと彼女だけ。でも、それは誰か第三者が来ないことを意味するわけではない。忘れ物を取りに来る生徒がいるかもしれないし、先生が見回りに来るかもしれない。


 もし仮に誰かが教室に来たとして、この状況を見られたらどうなるのか。それは想像に難くないはずだ。


「見て」


 恐る恐る、彼女の方に視線を向ける。


 そこには人の皮膚ではなく、樹木の表面の様に硬質化した体組織があった。腹にはそこそこの大きさの空洞が空いている。表面はブラウンで、少しざらついているようだった。


 思わず、彼女に触れる。そこに体温はなかった。緊張で熱を持った自分とは対照的に、彼女の体表はひんやりとしていた。でこぼことした感触を手のひらで感じた。


「生まれつき、こういう体質なんです」


 彼女は上着を着直しながら言った。どうやら、彼女の家系は特異なものであり、歳を重ねるごとに身体が樹木のようになるという。完全に樹木へと変化するまでの時間には個体差があるようで、彼女はたまたまそのリミットが18歳だったようだ。


 家族から口止めをされているようだった。他の人にバレてはいけないよ、バレてしまったらもう普通には暮らせないよ。その言いつけを守って彼女は生きていた。確かに、その通りだと思う。普通であれば変わり者扱いされて孤立して、そのままコミュニティから排斥されるのがオチだ。


 でも、彼女はわたしになら打ち明けてもいいと思って話しかけてきたようだった。信頼というものなのだろうか。


「樹なら、埋まって当然でしょ?」


 彼女は土に埋められた後、足を根のように変化させるという。そして胴体や手足が枝や幹となり、地表へと出てくるようだ。そうなった時点で彼女の人としての意思はなくなり、樹木という自然の構造物として生きていくことになる。


 なるほど、確かに筋は通っている。


 これだけ言われていても普通であれば信じないが、わたしは実際に樹木になりつつある彼女の身体を見てしまっている。信じるだけの材料が揃ってしまっている。もう今更、ありえないと一蹴することはできないわけだ。


 彼女の頼みを断るのは簡単だ。だけど、それで後悔しないと言い切れるのか? 何か引っかかりを抱えたまま残りの高校生活を送ることになるのではないか?


 かなり悩んだ。その末に、結論を出した。


「……わかった。手伝うよ」

「本当!?」

「うん」


 そう言うと、彼女は嬉しそうにガッツポーズをした。


「でも、なんでわたしなの?」


 わたしの言葉を受けて、彼女は動きを止める。夕日が教室に差し込んでくる。


「えー、なんで、って……」

「何か理由があるんでしょ?」

「だって……」


 目線を泳がせながら、彼女が言う。


「たった一人のわたしの友達だから」

「……家族とかには頼まなかったの?」

「え、だってみんな樹になっちゃってるし」


 だから、寂しかったんだ。でも、あなたがいるなら大丈夫なの。


 そう彼女が言った。夕日があまりにも眩しくて、彼女の表情は見れなかった。





 彼女と知り合ったのは今年の四月。わたしが三学年に進級したのと同じタイミングだった。


 たまたまこちらへ引っ越すことになったらしく、編入という形でクラスに混ざることになった。普段は静かで、クラスの人と話したりすることはなかったように思う。


 彼女は誰にも声をかけなかった。わたしやクラスメイトも何かアクションを起こしたりするわけでもなく、単にその場にいる存在として扱っていた。虐められているわけではないが、特段誰かから好かれているというわけでもない。それが彼女だった。


 彼女と話すようになったきっかけは覚えていない。確か、席替えの時に席が隣になったとか、そんな理由だった気がする。とにかく取るに足らない理由ということは確かだ。それから適当に会話を重ねていき、最終的には連絡先を交換するに至った。


 とはいえ、連絡を取ることはあまりなかった。最初に少しメッセージを送りあったきりで、それ以降は使っていない。彼女から何かメッセージが送られてくることはなかったし、わたしもわたしで送ったりしていなかった。だから、実質的に「あるだけのもの」になっていたと思う。


 事実としてメッセージを送る必要性は薄かった。学校に行けば対面で会話ができるわけだし、それ以外の時間は互いにプライベートがあるから干渉することはない。いざという時に連絡することができるってだけの関係性だ。


 わたしは彼女と友達というわけではない。彼女のことが嫌いなわけではないのだが、友達と呼ぶにはどこか抵抗がある。何故抵抗を感じるのかは分からない。もしかしたら、理由なんてないのかも。


 でも彼女がわたしのことを友達だと一方的に思っていて、信頼を寄せていたということは紛れもない事実だ。





 卒業式当日。わたしはシャベルを持って校舎裏で待っていた。


 今日まで何事もなく過ごしてきた。学校行事や受験勉強こそあれど、何か大事件があったわけではない。今置かれている状況を除けば、普通の高校生活だったと思う。


 待ち合わせの時間はとうに過ぎている。連絡も何もない。まさかだとは思うが、彼女の身に何かあったのだろうか? もしかしたら、樹木化が急速に進行したのかもしれない。


 大丈夫だろうか、なんて考えていると、遠くに人影が見えた。


「お待たせ……遅れちゃったね」

「そ、その脚──」

「急にこうなっちゃって。でも大丈夫だから」


 彼女の右脚は樹木になっていた。軸のような棒と、その側面から生えている根が目に映る。卒業式の時、彼女はいなかった。恐らく、その時点から樹木化が進行していたのだろう。それでも彼女はここまで来た。歩きづらかっただろうし、人目にもついただろう。ここに来るまでの間、彼女がどんな思いだったのか。わたしには到底分かりそうになかった。


 だからこそ、わたしはやらなければならない。


 彼女の想いに応え、彼女を生き埋めにする。それがわたしの使命のようなものだ。


 地面にシャベルを突き立て、力を込めて土を掘る。一度だけでなく何度も土を掘る。何度も、何度も、何度もシャベルを突き立てる。ザクッという音が鳴り、手にそれ相応の感触が伝わってくる。土の匂いが鼻腔をさす。


 そして、地面に人一人分の穴が空いた。彼女はその中に転がり入った。仰向けでこちらを見つめている。


「じゃあ、よろしくね」


 彼女はそう言って目を閉じた。


 わたしはというと、何もできずにその場に立ち尽くしていた。人を埋める。友達未満とはいえ。知り合いがいなくなる。その事実に直面してフリーズしてしまった。でも、やり遂げないと。


 彼女はここまで辛い思いをしたはずだ。それに、どれだけ苦しみ、悲しんだことか。わたしがそれに応えなくてどうする。


「……大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫だから。ちょっと待ってて」

「そう……」


 わたしがやるしかない。彼女に頼られたんだ。それに応えなくてどうする。何度も自分に言い聞かせた。シャベルを握る手に力が入る。


「……無理しなくていいよ」


 彼女が言った。


「実はわたし、ずっと寂しかったんだ。家族もみんな樹になっちゃって。前の学校でも独りだった。わたしもいつか樹になるんだから、もう人と関わるのはやめようって思ってたの」


 言葉を続ける。


「でも、あなたと出会った。孤独だったわたしを救ってくれたのはあなたなんだ」

「……」

「嬉しかった。誰かと関わるのって、やっぱりいいなって。でも、樹になる運命は変えられない。じゃあ、最期くらい、大切な人と一緒に居たいなって。友達と一緒なら樹になるのも怖くないんじゃないかって。そう思ったの」


 彼女はどこまでも他人本意だった。これまでだってそうだ。何かしようとする度に自分のことを無視して他人を優先しようとする。「自分はいいから」なんて言って相手を優位に立たせようとする。その姿勢が少しだけ気に食わなかった。自分は余裕があるから大丈夫。そう言っているような気がして──


 この数ヶ月間もそうだった。文化祭の出し物を決める時にすら、自分のアイデアを押し退けて他者の考えを優先させた。確かに、自分の意見を押さえつけることでコミュニケーションが上手くいくこともある。でも、彼女のそれはやり過ぎなくらいだった。


 だから、わたしは彼女のことを友達と思えなかったのだろう。思い返してみれば単純なことだ。彼女の他人本意な姿勢が嫌いだった。単にそれだけのことで、それ以上の何者でもない。


 でも、実際のところ、彼女に余裕があるわけではない。単に、どこまで行っても自分を優先させられなかっただけ。なんでそうなってしまったのかも、わたしが知ることもないけど、彼女はずっと自分を優先させられていなかった。それだけは間違いない。そんな彼女が自分から頼み事をしてきたということは。彼女が今、この場で胸中を明かしているということは。


 そこまで考えたら、あとはもう動くだけだった。


 シャベルで土を掬いとる。彼女に向けて言う。


「埋めるよ」


 彼女が完全に埋められる刹那、「ありがとう」と聞こえたような気がした。





 時折、校舎の近くを通ることがある。


 特にこれといった理由はない。買い物とかの用事でたまたま近くを訪れているだけだ。校舎の中に入ることなんてないし、その裏手なんて覗くこともない。


 それでも、たまに。


 校舎の裏手に生えているであろう、一本の樹木に思いを馳せる。

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