第5話 居場所への道
「あーー。喉逝った」
橘さんは喉を押さえながら、あーーと調子を確かめている。店を出た先の空は太陽が沈んでいながらもまだほんのりと明るかった。随分と時間が経っていたようだ。
「たくさん歌いましたね」
「本当にね。喉ガラガラだし、コレ絶対明日まで残るわよ」
一週間分は歌い尽くしたわ、とおっしゃる。二時間はほとんどぶっ通しで歌ったと記憶にあったが間違いなのだろうか。
「君って、音痴だったね」
「なんですか」
唐突に誹られる。橘さんも負けず劣らずだったと思うが。
「歌い慣れていない曲ばかり歌わされましたからね。……まぁ、楽しかったですけど」
「うわー、ツンツンデレデレ」
人差し指で突っついてくる。
「でも、楽しかったならよかったよ。ナンパした甲斐があるってもん」
「そういえば……」
思えばこの行きずりの関係も唐突に始まったものだった。彼女から誘われて、でも結局『話したいこと』とは何か教えてもらえなかった。
「どうして僕を選んだんですか?わざわざあんな形で」
何となしにそう聞いた。
「あー。それね」
こちらを向かずに続ける。
「私も最初はよく分かんなかったんだけどさ」
「ほっとけないなって思ったのよ」
「君が、昔の私に似てたから」
思い起こすように、ページをめくるように言葉を続ける。
「昔の私ってすーごいコミュ障でさ、友達付き合いとか一番苦手だったの。雑談とか全くできなくて」
「自分を表現するのが大嫌いでいっつも人の顔色ばっか窺ってた。『伝えたい』に『怖い』が勝っちゃって、みんなの好きを自分の好きにしてた」
「私の好きなこととか、そんなものが否定されるのが怖くて皆んなに合わせて上手くやろうとして、いつも失敗してた』
「仲間はずれになるのが嫌だったんだ」
子供らしーよね、とはにかむ。
僕は。
僕は、そんな事は思わなかった。
大人だって、子供だって。誰だってそうなのだと思う。誰だって人には言えない変な所が、歪みがあって、それを隠して生きている。上手くいくように願いながら必死に自分を、他人に見易い形に削っている。
「だから、教えてあげたいなって」
僕の手が握られた。
動揺する僕を笑いながら、彼女は言葉を紡ぐ。
「誰だって好きなように笑っていいの」
「自分のために笑っていいの」
真っ直ぐに見つめられる。
「それが私のじんせー哲学」
少しだけ恥ずかしそうに、遠火さんは宣言した。
「もちろん、ずっとは出来ないと思う。自分のためだけに動く事は難しいし、隠したい事なんていっぱいあるし、人に自分を見せるのは怖いし」
「でもさ」
「たまにはいいじゃん。こり固まった顔を解さないと、そのままガチガチになっちゃうし」
僕の手をむにむにと揉む。
「……そう……ですね」
なんだか心地よいマッサージに手を委ねる。
多分、僕は分からなくなっていたんだと思う。薄っぺらい仮面を昼夜付け続けて、自分の素が分からなくなっていたんだ。そのままに振る舞う姿がさぞ、醜かったんだと思う。
『自分の形を忘れるな』
そんな、同い年の先輩からのアドバイス。
「ちょっと、聞いてるー?」
何かのツボを押された。痛い。
「聞いてますよ」
橘さんはパッと笑顔を浮かべる。
「ならよし!」
手が離れる。
肌に触れる外気が冷たく感じた。
指の先まで自分のものに思えた。
「寂しそーな顔して。ほら、スマホ貸して」
そんな顔はしていない。
「インスタとライン交換しよ」
「私達、友達じゃん」
首を傾げていた僕に眩しく提案する。
簡素な操作の後、自分の画面に『to-ka』の文字が表示された。
「うわ、フルネームじゃん。や……たら?ひょう?」
「やしきです。矢鋪 氷と言います」
遅まきながらの自己紹介。一日中機会を逃し続けていた行為を終えて少しスッキリした。
「じゃあ私も改めて、橘 遠火ね。遠火って呼んでいいよ。私も氷って呼ぶから」
「努力します」
人を呼び捨てにするのは苦手だったから、バレないように苗字で呼ぼうと思った。
「ちゃんと呼ばない怒るからね。私、自分の苗字嫌いだから」
許されないようだ。
仮面の下の僕は意外にも顔に出るタイプだった事を初めて知った。
話している内に駅へと着く。
なんだか、あっという間についた気がする。
「じゃあここら辺で。二度としみったれた顔を見せないように!」
注意される。
たまには息抜きしろよ、と冗談混じりに伝えてくれた。
最後に僕には言っておかなければならない事があった。
「遠火さん」
「何?」
頭を下げる。
「ありがとうございました」
見ず知らずの赤の他人にこんなにも手を焼いてくれたのだ。感謝を伝えないとバチが当たる。当たりまくる。
「堅っ苦しいわね。そもそも誘ったのは私の方よ?ナンパしたのは私の方よ?」
遠火さんは、なんでもないように振る舞う。
「それでも、……とても楽しかったので」
「…………」
数瞬の空白が生まれる。
そして、地面しか映らない視界の外で、肩に手を置かれる。
下げていた頭を上げられ、ぐいぐいと肩が揉まれる。
「んー……もう、気張りすぎ。肩も硬すぎ」
小柄な彼女が僕を見上げる。
「頑張って休もうとしなくていいと思うの。たまに、たまにでいいから、氷の理由で氷のやりたいことしたら?私もそうしてるから」
両の手で強張った肩がほぐされる。細い指に入った力が心地よい痛みを生み出す。
僕の、僕自身のやりたい事。
趣味なんてない見つかりそうにもない僕は、それを考える事が一番苦手で、だからこそ単純に頭の中のそれを探した。
気づけば
「……また、遠火さんと遊びたいです」
口をついていた。
それを聞いて彼女は
「うん!」
ニカッと笑う。
そうして見つめ合った後、手が離され距離が空いた。一歩引いた距離が別れを想起させる。
「じゃあね、氷。しょうがない後輩とまた遊んであげるわよ」
「はい。是非」
併設されたバスターミナルに立つ僕から、あっさりと離れていく彼女を見る。
遠火さんが振り返って、手を振られたから、手を振りかえす。
そしてそのまま人混みの中に消えていった。
ぽつりと残される。
駅に溢れる人の営みからの喧騒に残される。
「……そうか」
一人こぼす。
「楽しかったんだ」
心から、そう思える。心の底から、疑う事なくそう思えた。
同じ道の少しだけ先を歩く先輩に出会えた。
人が怖くて、人に否定されるのが怖くて、自分を隠す僕たち。
ありのままが見せられず、笑顔を整形し続ける僕と彼女。
それでも自分を見失わないように一歩一歩進む遠火さんは、目を焼く程に眩しかった。
正しく希望だった。
「あんな風になりたいな」
出会った希望と別れた事に、寂しさを思い出して。
スマホでラインを開けば遠火さんの名前がまだあって安心した。
ポケットにしまって、僕はバスを待つ。
暑さも湿り気もまだまだ引かない夜の始めに、明日が少しだけ少しだけ楽しみになった僕は、帰り道にいる。
地肌を掠める風が、心地よく思えた。
知らない女に逆ナンされた。 都月とか @seasonal
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