ドリーム
久保ほのか
第1話
俺は毎日、無惨に死ぬ夢を見る。
最後に熟睡したのはいつのことだろう。
今日も早朝というには早過ぎる時間に跳ね起き、冷や汗でベタつく首筋を拭った。枕カバーに汗染みができている。洗濯しなくちゃな。シャワーも浴びよう。
睡眠時間3時間以下の寝不足が続いて、目の下にはどす黒いクマ。涙袋が青黒くて、十歳は老けて見える。
ウンザリするが、親に黙って酒を買うときには便利なので嫌いではない。濡れた髪をタオルで乾かしながら、鏡を眺めてそんなことを考えていた。ふと足元に黒い影があることに気づく。あのすばしっこい悪魔の虫だろうか......?ゴクリと唾を飲み、よく見ようと目を細めて身を屈めた。その時俺の首を何か、矢のようなものが貫いた。あっ、と言おうにも喉を破られ声も出ない。鋭すぎるせいか痛みはない。まさかゴキブリの前で死ぬなんて、でも今日の夢よりマシだな、薄れていく意識の中で案外呑気な感想が浮かんだ。
目が覚めたら夕暮れの日が差す洗面所の床に倒れていた。傍らにはドライヤーとタオルが落ちている。半日真っ裸で倒れていたらしく体が冷え切っていた。ハッとして喉に手をやるとつるりとした肌の感触。何も異常はない。寝不足のために幻覚でも見たのか?やたらとリアルだった.....ドクターに報告しなきゃあ。俺もいよいよ狂ってきたよって。
ベッドに落ち着き、念のため体温を測る。10秒ほどでピピッと鳴る。39度。おや、そんなにあるとは思わなかった。今日はもう横になろう。寝てしまおう、とは思えなかった。今夜もきっと眠れない。
その日の夢は溺死だった。
それから5日間は高熱にうなされよく覚えていない。だが6日目はハッキリ記憶している。また幻覚を見たからだ。
ベッドサイドに立つ2mはあろうかという人型の何か。俺の影から分裂したそいつは真っ黒な影が立体になったような造形で、深海魚のような不気味な目がギョロリと光っている。何故だろう、とても懐かしかった。まるで双子の片割れのような、半身のような......。ジッとこちらを伺う様子に敵意はないようでひとまず安心した。
それにしても異様な姿だ。まるでのドリーム・シアターのジャケットデザインのような奇妙さ。そうだ、悪い奴じゃなさそうだし、名前をつけてやろう。バンド名に因んでその名もドリーム。はは、似合ってる。彼はしばらくして姿を消したが、名前を呼ぶとヌッと現れ佇んだ。
ドリームが来てからは毎晩8時間は眠れた。時計を見なくても決まって7時に目が覚める。そんな人生が3日も続いたのは初めてだった。
両親もドクターも首を傾げたが大喜びだ。これまで不眠のせいか頭痛がひどく、動作が鈍くてからかいの対象になっていたが、シャキシャキ動けるようになってからは周囲も変わった。仲間扱いしてくれる。それに記憶が飛ぶこともなくなって物覚えが良くなった。成績もグングン伸びて、母親は毎日がお祝いね、と嬉しそうに笑った。まるで今までの自分が自分じゃないようだ。これまでも失敗ばかりの自分の姿を鏡越しに眺めてるような感覚はあったけれど、ここまで変わるとまるきり別人だ。おんなじ姿の別の自分だなんてドッペルゲンガーみたいだな。ドッペルゲンガーのダブル、と名付けるといよいよ別人に思えてきて可笑しかった。さよならダブル、お前はもう用済みだ。
学校が終わった後は決まって海を眺めていた。特に何をするでもなく、エメラルドグリーンの海が砂浜に近づくたびに白波を立てる様をぼんやりと。以前のようなダブルではなくなっても物思いにふける癖はそのままで、その一点だけでどうにかあれが過去の自分なのだと認めていた。
今日も学校カバンを砂浜に放り出し、座り込んで海を眺めてる。いつの間に後ろに人が立っていたのか、俺の頭上に影が落ちていた。いつかの矢が刺さった時とよく似ていて、心臓がドキドキと飛び跳ねる。
「船をだしてくれないか?金は幾らでも出すぞ」
黒い服の男がふたり。あ、碌な奴じゃあないな、と直感が告げている。昔から悪い予感は当たるのだ。まるで未来予知のように。
でも金か......漁師になるしか島を離れる手段のないこの島では、喉から手が出るほど欲しいものだ。特に外の世界に憧れている俺みたいな奴には。元々品行方正ではなかったし、悪事の片棒を担ぐくらい今更だ、と開き直って
「ああ、いいぜ。どこまで行くんだ?」
と聞いたら場所は船に乗ってから指示する、早く乗せろと横暴な返事。少しムカついたが受け流し、学校カバンからキーを取り出し船着場に向かう。ひと家族ひとつ船を持っていて、ウチじゃ俺くらいしか乗らないものだからほぼ私物化しているのだ。黙って乗り込み指示通り数キロ先の無人島に船をつける。
「坊主はここで待ってろ。俺たちが戻ってきたら町まで行ってそこで降ろしてくれ。そこまでやったら金をやろう」
イエッサー。手持ち無沙汰だが空想は得意だ。ぼんやり過ごすことには定評がある。あっという間に戻ってきた男たちに頭を叩かれ、やっと現実に戻ってきた。また操舵し10kmばかり先の港町に近づいた。速度を落とし始めた俺の上にまた人影が差した。デジャヴ。だが背中に銃口らしき固いものを押し付けられたのは初めてだ。
「ご苦労だったな、これが報酬だ」
終わった。やっと楽しくなってきたところだったのに、ダブルと決別し本当の自分になれたのに。恐怖で体がガタガタ震え、あまりの事に声も涙も出なかった。伸びた髪が顔にかかり、前が見えない。
......違う、何かが見えている。
俺の前に広がった黒い影が、静かに分裂した。
銃を持った男の後ろに影が周り、巨大な拳を振り下ろそうとしている。ドリームの不気味な銀の目が光る。
我ながらぶっ飛んだ発想だったが藁にもすがる気持ちで叫んだ。
「ドリーム、そのクソ野郎をぶっ潰せッ!」
あまり思い出したくもないが言葉通りのことが起きた。血まみれの潰れた肉体の横に銃だけ無事な姿で転がっていた。もう息はないだろうが腹の虫が治らないので死体めがけて弾をぶっ放した。もう1人、もう1人いたはずだ。探し出しておんなじ目に遭わせなければ。見られた気がした。今の俺を。誰にも知られちゃいけないんだ、恐怖に怯えて脚を震わせる俺の姿なんて。そんなのは情けないダブルのやることだ。怒りに燃える体を無理矢理動かし、船上を見渡すと、惨めに縮こまった男の太った体がガタガタ震えていた。呆気ない。なおさら腹がたつ。こいつはド頭以外にも穴が必要だ。ありったけの弾を腹にも胸にも撃ち込んでやった。蜂の巣とはいかないが穴ぼこにはなったので勘弁してやろう。死体処理をどうしよう、と思ったがここは勝手知ったる海だから、潮の流れがこのクソどもを遠くに流してくれるポイントを知っている。ジョーズみたいなサメが食ってくれたらいいなと願いつつ、汚い血まみれの死体を海に蹴り込む。ポケットから抜き取っておいた男たちの財布には両親の収入の3倍はあろうかという大金が入っていたのでありがたく頂戴する。口笛を吹きながら悠々と島に帰った。返り血で汚れた服はとっくに海の中だ。カバンから体操着を引っ張り出して木陰で着替えた。言い訳は幾らでもできる。船の血なんて明日の豪雨が洗い流してくれるだろう。
それが天職を見つけた日の出来事だ。
その日以来、堅気の仕事はしていない。
昔、夜の海しか知らなかった俺が、今はブラックカードを切ってまばゆい街明かりの中に立つホテルの高級ベッドで寝ている。
シーツにくるまり目を閉じる。
もう、悪夢は見ない。
ドリーム 久保ほのか @honokakubo
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