怪獣
星乃かなた
数十年後のきみへ
「ああなってはいけないよ。化物になってしまっては、元に戻るのは難しいのだから」
職場の先輩が、上司の振る舞いを指してそう言った。要は反面教師にしなさい、ということらしい。僕はそれに強く同感の意を示し、気をつけながら企業人としての行動をとろうと固く誓った。
問題となった上司の振る舞いにはいくつかある。
人の話を聞かないこと、人の話を都合よく捻じ曲げること、感情でころころと考えを変えてしまうこと。
そういった独りよがりの姿勢が他者を振り回し、人生を狂わせ、しまいには誰からも見放されてしまうのだ、と先輩から教わった。
「人から遠ざかれば、自身の姿を教わる機会も減る。しだいに怪物になってしまうことにも気付かなくなるだろうね」
そう語った先輩は、どこか遠い目をして、僕には見えない未来を見ているかのようだった。
それから数十年後、僕は出世した。会社ではかなり上の役職を与えられ、今やほぼ実権を握っているようなものである。
「専務、朝お話されていた件ですが……」
部下が話しかけてきたが、朝から判断を切り替えていた僕は、彼の言葉を遮って伝える。
「その件だが、あれはナシで。次からプランBの方針でいく」
「え、ええ!? もう手配進めちゃってますけど……」
「なんだと?」
部下の発言に、僕は顔をしかめた。
「聞いてないぞ……さっき話したときにはそんなこと一言も言わなかったじゃないか!」
「いえ、確かに言ったはずですが……」
「言い訳するな!!」
僕は声を荒げ、部下をにらみつける。
「君はどうしてこうも仕事ができないんだ!」
「も、申し訳ございません……」
「もういい。後は私がやる」
「……はい」
僕が書類を奪うと、部下は肩を落としながら退室していった。
彼には安心してほしい。
僕に任せれば、すべてうまくいくだろうから。
「それで、こういう状況になったってわけだね?」
白髪交じりのオールバックの先輩が、達観したような目で僕を見る。
部下から書類を奪った日から数か月後。僕は今、居酒屋でかつての先輩の隣に座り、酒を交わしている。
「はい……ひとりで全てやろうとした結果、思いもよらぬミスやアクシデントが連発し……最終的に専務の役職を解かれる運びとなりました」
僕はあの日からのことを一通り先輩に話した。独りよがりで暴走した僕は会社に大損害をもたらし、責任を取って役職から外されたのだ。
「まあ、君も大変だったんだねぇ」
すっかり大人びた先輩の低い声は、予想に反し、優しかった。
先輩は現在、他の会社で取締役を務めている。
いろいろと解る部分があるのかもしれない。
「若い頃に言ったこと、覚えてるかい?」
「……」
沈黙で返す。
覚えていた。ちゃんと覚えていたはずだったのに。
「組織の上に立つ人間ほど、そうなりやすいんだよ。誰もが意見しづらくなるから」
先輩が見てきたかのように言う。
若い頃は知り得ないことだった。
「この動画、帰ってからじっくりと見てみるといいよ。きっと、刺さるものがあるはずだから」
先輩はメッセージアプリで動画のURLを送ってきた。いったい、どんな役に立つ動画なのだろうか。きっと有名な起業家の講演か何かだろう。
「ありがとうございます」
「いいよ。それから、今日は私が出そう」
こんな状況になってまでも先輩が優しいことに胸をうたれつつ、ごちそうになった。
帰宅後、肩を落としながらも僕は先輩から送られてきたURLをタップする。ページを異動した先には、見慣れたはずの人物のスーツ姿があった。
「こ、これは……」
それは、僕がかつて若手社員に向けて行った講習会の様子だった。壇上に立つ僕の姿は、会場の若手社員たちには権威のある人物かのように見えていただろう。だが、今の僕に『壇上の語り手』の姿は、とても異常なもののように見えた。
怪獣が、火を吹いている。
ありえないだろうけれど、そのように見えてしまったのだ。
あの日、遠い目をしていた先輩には、今日の僕の姿が見えていたのだろうか。
「くそッ」
僕はその動画を見たくなくなって、目を逸らす。
そして、いつかの先輩の言葉が脳内に再生される。
——人から遠ざかれば、自身の姿を教わる機会も減る
——しだいに怪物になってしまうことにも気付かなくなるだろうね
気分が悪くなった僕は洗面台へと向かった。
ごほごほ、と数度咳をして、顔を上げる。
半分は人間、半分は怪獣になった顔の何者かが、鏡に映っていた。
怪獣 星乃かなた @anima369
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