妹がショートスリーパーになった。ヤンデレ化した。
とおさー@ファンタジア大賞《金賞》
妹がショートスリーパーになった
「お兄ちゃん、今日から私はショートスリーパーになります!」
それは夏休みが終わりに差し掛かってきたある日のことだった。模擬試験を終えて塾から帰ってきた二つ下の妹―― メイが突然訳の分からない宣言をしたのだ。
「ショート……スリーパー?」
「はい! ショートスリーパーですっ!」
目を輝かせながら頷くメイ。塾のカバンを背負ったまま俺の部屋に飛び込んできたと思ったらこれだ。全くもって意味が分からなかった。
こくりと首を傾げていると、メイは上機嫌に鼻歌を口ずさみながらカバンから何かを探し始める。
ポニーテールを揺らしながらガサゴソと漁る姿はまるで幼い子どものようで、本当に来年高校生になるのかと不安になった。
メイが言うには学校ではクールな女性を演じているらしいが、家での行動を見る限りとてもそうは思えない。
きっとアレだ。大人に憧れる年齢なのだろう。
「ふんふふふーん。お兄ちゃん、どうぞ」
楽しそうなメロディを口ずさみながら取り出したのは一枚のチラシだった。そこには『ショートスリーパーになるメリット3選』と書かれている。
1.一日の活動時間が長くなり、自由時間が多くなる
2.睡眠の効率が良くなり、むしろ寝つきが良くなる
3.睡眠の喜びを実感できる
「なるほど。ところで初歩的な質問なんだけどさ……」
チラシを眺めている俺に覆い被さるようにして顔を近づけてきたメイは自信満々な瞳で見つめてくる。
持ち前のつぶらな瞳は兄の心を揺さぶるのには十分だったが、残念ながら俺の脳内は一つの疑問に埋め尽くされていた。
「ショートスリーパーって何? 睡眠不足と何が違うの?」
という点である。
そんな疑問に対し、待ってましたとばかりに獰猛な視線を向けてきたメイは、「お兄ちゃん、ちょっとそこに座ってください」と容赦なくベッドに俺を正座させると、向かい合う形で口を開く。
「そもそもショートスリーパーとは『短時間睡眠者』と呼ばれていて、短い睡眠時間でも普通に生活ができる人のことを指します」
「ほう」
「不健康の権化とも言える睡眠不足と違って、平均睡眠時間より大きく短い睡眠でも健康を維持できるんです」
「………………」
「つまりですよ? ショートスリーパーになればたくさん時間ができて、受験勉強以外にも人間的な活動を行うことができるんです。こんなに素晴らしいことは他にありません」
両手をギュッと握りながら熱く語るメイ。
ツッコミどころがたくさんあったがまず気になったのは、どこでそんな知識を蓄えてきたのかという点である。
なぜなら今日は一日中模試を受けていたはずなのだ。
何をどうしたら模試を受けた後にショートスリーパーになろうと思うのだろうか。不思議だった。
まさか国語の評論文で睡眠関連の内容が出題されたのか?
だとしたら塾に全力で抗議をしたいところだが、目の前にある怪しいチラシが塾は無関係だということを嫌でも証明してくれる。
「えーと、ショートスリーパーのメリットはよく分かった」
「さすがお兄ちゃんです」
「でもさ、そのチラシはどこでもらってきたんだ?」
「駅前です。バス停の隣で目がバキバキの高校生? くらいの人が配っていました」
「えっ?」
目が……バキバキの……高校生?
「浪人生に睡眠時間は必要ないって主張していたので最初は警戒していたのですが、よくよく聞いてみると内容には一理あるなと」
「それで貰ってきちゃったのか」
「はい!」
俺は自らの過ちを認識して頭を抱える。
しまった。知らないおじさんと目がバキバキの浪人生は信用してはいけないって、兄の俺がもっと教えておくべきだった。
メイは好奇心旺盛な分、警戒心がないのが弱点なのだ。
「でもさ、本当に短時間睡眠なんてできるのか?」
そもそもショートスリーパーは生まれ持った体質みたいなものだと思う。
そう考えると訓練でどうにかなるものではないんじゃないか。と疑問に思って聞いたのだが……、
「それは…………今日から実践してみます!」
今一瞬目を泳がせた気がするが、見たかったことにする。
そもそもメイは朝起きるのが苦手で、アラームでも目を覚まさないくらいお布団が大好きなタイプの妹なのだ。
短時間で起きることなどできるはずもない。
そう考えると全ては杞憂だったのかもしれない。どうせショートスリーパーになんてなれるはずがない。
明日の朝には睡眠不足を嘆くことになるだろう。
そう高を括ると、目を擦り始めたメイに言った。
「おやすみ」
※
俺――高山瑞希(たかやまみずき)はどちらかというとロングスリーパーである。
別にそういう体質というわけではなく、単に寝るのが好きなだけだ。
一日最低八時間、可能であれば九時間は眠りたい。休日は十時間を超えることも度々あった。
しかし連続で眠っているわけではなく、夜中にはトイレに行きたくて目を覚ますこともある。
そんなわけで真夜中に起きた俺はトイレで用を済ませると、ぼやぼやとした頭でふと妹の部屋に視線を向ける。
もうとっくに日付を超えているため確実に眠っているはずだ。
しかし先ほどの一件がある手前、確認せずにはいられなかった。
俺は恐る恐る妹の部屋の扉を開ける。すると俺の目には衝撃の光景が飛び込んできた。
「すぅーはぁー……すぅーはぁー」
四つん這いになって右足を伸ばす姿勢をとっているメイ。
なんとヨガをやっていたのだ。電気が消えているので真っ暗で、タブレットから漏れる光だけがメイの姿を照らしている。
その酷く不可解な光景に心臓が止まりそうだった。
「……………………」
俺は咄嗟に扉を閉めると、胸に手を当ててふぅと息を吐く。
まさか本当にショートスリーパーに?
いやでも、ヨガってなんだ?
少なくとも深夜にやるようなことではない。しかも電気をつけずに真っ暗な状態なのだ。異様としか言いようがなかった。
部屋に戻ると、すぐさまベッドに入って天井を見つめながら考える。
もし明日も続くようだったらこれは決して無視できない問題だ。
夜更かしは健康に良くないからだ。
いや、確かにヨガは健康に良いかもしれないけど、夜更かししてヨガをするのはトータルで見ると不健康な気がする。
ともかく、明日のメイの行動には目が離せない。そう考えつつもゆっくり目を閉じた。
――そして翌日。
アラームが鳴ったのであくびをしながらも起床する。
結局、あれから全く眠れなかった。妹が暗闇の中でヨガをやっている光景が衝撃すぎて頭から離れなかったのだ。
ふらふらしながら洗面所に向かうと、いつもより入念に顔を洗う。洗顔料もつけて思いっきりゴシゴシ擦った。
「おはようございます」
タオルで顔を拭いていると、不意に後ろから声をかけられる。
振り向くとそこにはパジャマ姿のメイが……、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」
「お兄ちゃん?」
メイの目の下には大きな隈があった。
パッチリしていてまんまるな瞳の下に大きな大きな隈が。
それは決して見逃せるものではない。
なぜなら隈があるということは確実に睡眠不足――つまりメイは本当にショートスリーパーになろうとしているのだから。
「メイ、一つ聞いてもいい?」
「はい?」
「昨日はどれくらい寝たの?
「三十分……くらいですかね?」
「ほぼ徹夜だねそれ」
「いいえ。ショートスリーパーです」
頑なにそう言い張るメイ。
非常に愛らしいところ申し訳ないが、目の下の隈が気になって全然心が揺さぶられない。
むしろ心配で仕方がなかった。
「眠くないの?」
「………………はい」
今一瞬間があった気がするが、そこは兄として追求するのはやめておいた。
「塾の授業中に寝るのだけはダメだよ」
「もちろんです! だって私は健康ですから!」
そっか、それは何よりだ。健康が一番だからな。
※
――深夜三時。
昨日と同じく目を覚ました俺は気がついたら足が勝手に妹の部屋へ。
頼むから眠っていてくれと祈りながらも扉を開けると、またしてもそこには衝撃の光景が広がっていた。
「いたーしゃちいゃちーいとんゃちーいーにーお。いらーつうーょきんべでくゅじちーにいーま」
なんと目を閉じたままお経を唱えていたのだ。
――ちゃんと暗記していてえらい!
という妹への賛辞を心のうちに押し込めると、改めてメイの姿を観察する。
桃色のパジャマでベッドの上に正座。
目の前には鈴に見立てたフライパンがあって、ボールペンで叩いているのか、「ちーん」という音が鳴り響いている。
よっぽど集中しているのか、俺が観察していることにも気づかずに黙々とお経を唱え続けていた。
「………………」
別にお経を唱えること自体を否定するつもりはないが、深夜に唱えるのはどうかと思う。
あとこれが本当に世間で言うショートスリーパーの姿なのか?
絶妙に解釈が間違っている気がする。もはやショートスリーパーが何なのか分からなくなってきた。
そして分からないのであれば確認しなければならない。
そう判断した俺は躊躇いなくメイの部屋に侵入すると、分かりやすく足音を立てて近づいていく。すると物音に気づいたメイが瞳を開いた。
「…………………………」
目が合った途端、沈黙が辺りを支配する。
三十秒、いや一分くらいだろうか。
それだけの時間があれば状況を把握するには十分だったのだろう。
みるみるうちに顔を真っ赤にして慌て始めたメイは、涙目を浮かべながら睨みつけてきた。そして通る声で言った。
「お兄ちゃんのバカっ!」
※
「私はお兄ちゃんを勝手に部屋に侵入してくるような不届ものに育てた覚えはありません」
「悪かったって」
「これで何度目ですか? 大体、入る前にノックをしてって何度も伝えていますよね?」
「…………はい」
早朝四時。俺はベッドの上で正座をした状態でメイから説教を食らっていた。罪状は妹の部屋に勝手に侵入した件についてである。
もう眠すぎてよく分からないが、メイが怒っていることだけはよく分かる。
ちらりと鏡台を見ると、俺の目の下にも大きな隈ができていることに気づいた。
そりゃそうだろう。だって今は深夜……いや、早朝四時なのだから。
朝の新聞が配達されている頃合いにどうして俺は妹から説教されているのだろうか。不思議だった。
最近は不思議なことばかり起こる。これも全てショートスリーパーの影響だろう。
だとするとやはり危険だ。何としてでもやめさせないといけない。
「なあメイ」
「本当に反省してるんですか?」
「してるしてる。でさ、一つ提案なんだけど……」
このままではまずいと思った俺はメイに一つ提案をしようと思う。
「今日から塾に行く時は俺が送り迎えをするよ。あと寝る前にも少し時間を作ってくれないか?」
「突然どうしたんですか?」
「お兄ちゃん、寂しいんだよ」
「それは私も……ゴホン、でも寝る前に時間を作るのはともかく、毎日塾の送り迎えはやりすぎではないですか? お兄ちゃんだってそんなに暇じゃないですよね?」
「………………いや、うん」
「ごめんなさい。お兄ちゃんに友達がいないことを失念していました。慰めてあげるのでこっちに来てください」
作り笑いを浮かべると、全てを悟ったメイが良い子良い子と頭を撫でてくる。
友達がいないことを言及され、兄としてのプライドが傷つけられて涙が出そうだったが、妹に慰められているという事実の方がよっぽどプライドをへし折るのに適していると思う。
一見すると手を差し伸べているようで実は息の根を止めている。メイの得意技が炸裂した瞬間であった。
「分かりました。送り迎えと夜のミーティングですね」
「うん」
「明日からよろしくお願いします」
メイはぺこりと頭を下げる。窓の外から漏れ聞こえてくる鳥の鳴き声が朝の到来をお知らせしてくれた。
※
翌日。塾の送り迎えは何事もなく平和に終わった。
駅前を通った際に何やら演説をしている目がバキバキの浪人生がいたりいなかったりしたが、見て見ぬふりをしたので俺の中ではいなかったことになっている。
ちなみに発言内容はかなり過激で、「ショートスリーパーになれば良い大学に合格できる」や「マーチは三ヶ月で余裕」などの妄言を叫んでいた。
時間は人を狂わせる。
一人でいればいるほど思わぬ方向に考えが飛躍してしまうのだ。学校ではぼっちだから俺もよく分かる。
無事に帰宅し、晩御飯を食べ終えると、俺は机の上に今日の戦利品を並べる。購入したのは睡眠に関する書籍である。
『不眠改善! これを読めばぐっすり眠れる!』
『学校では教えてくれない睡眠の秘密』
『解説。レム睡眠、ノンレム睡眠』
『今すぐ実践! 催眠術入門』
この四冊だ。今こうして並べてみると、一部催眠術の本が混じっている気がするが、見なかったことにする。
睡眠も催眠もまあ遠目で見たら同じだろう。
ともかく、これらの書籍に書かれている方法を駆使してメイを快適な睡眠に導こうというのが俺の考えた作戦である。
毎日寝落ちさせれば自然とショートスリーパーではなくなるからな。我ながら完璧な作戦だと思う。
そんなわけで早速メイの部屋へ参戦だ。丁重にノックをすると、パジャマ姿の可愛らしい妹が姿を見せてくれる。
「どうぞ」
促されるようにして部屋にお邪魔すると、俺は早速持参したスピーカーから音楽を流す。『あっという間に眠れる睡眠BGM』という名の音楽を。
「何ですかこの曲は?」
「雰囲気作りだよ」
落ち着いたピアノの音色が室内に響く。もう既にあくびが止まらないが、俺の用意したものはこれだけではない。
「仰向けになってくれ」
「お兄ちゃん?」
今度はマッサージを施そうと思う。本によるとどうやら眠くなるツボというものが存在するらしく、具体的には耳の後ろ、頭頂部、足の裏などだ。
「受験勉強で疲れていると思うから癒してあげたいんだよ」
俺は首を傾げて困惑しているメイに優しく囁くと、仰向けになったのを確認してゆっくりツボを押していく。
「おにい……ちゃん、ねむいです」
早速効果が出ているのか、メイは呂律が回らなくなるくらいうとうとしている。このまま眠りにつくのも時間の問題だろう。
よし、いける!
俺は畳み掛けるように電気を消すと、マッサージをする手の力を抜いていく。
「おにいちゃむにゃむ……」
「――十一時半。ミッション完了」
俺はメイが寝落ちしたのを確認すると、ほっと胸を撫で下ろす。何とか作戦は成功したようだ。
自室に戻ると、ベッドの上に大の字になって寝転がる。
「疲れたー」
マッサージというのは想像以上に体力が削られる。もう手のひらには力が入らなかった。
このまま寝落ちしてしまったらどれほど気持ちいいだろうか。
そんな想像をしたところで俺は頭を振って起き上がった。視線は自然と机の上に積まれた書物へ。
「せめて一冊は読み終えないとな」
今日は初回だから通用したが、明日も同じ施術が有効とは限らない。
メイに快適な睡眠を提供するためには様々な方向性からのアプローチが必要だ。
そう考えるとうかうかはしていられなかった。睡眠時間を削ってでも自己研鑽をする必要がある。
「やるか!」
俺は気合を入れると、ひたすら書籍を読み耽った。
※
それから一週間。あらゆる角度から極上の施術を提供し、メイは快適な眠りにつくようになった。
最低でも一日八時間は寝ていることになるだろう。十分な睡眠により完全復活したメイの目元からはあの大きな隈が消滅していた。
それが何よりも嬉しくて、達成感に酔いしれてしまい、思わず小躍りしてしまったほどだ。もはや今のメイに施術は必要ないのだ。
そんなわけで久しぶりにたくさん寝ようと思い、ベッドに潜ってうとうとしていたときだった。
「お兄ちゃん、ちょっといいですか?」
ノックが鳴ったと思うと、抱き枕を持ったメイが部屋に入ってくる。
「どうした?」
「お兄ちゃん、その…………」
メイはベッドの端にちょこんと座ると、上目遣いで要求してくる。その要求はとんでもないものだった。
「私、お兄ちゃん無しでは眠れない体になってしまいました! 責任を取って一緒に寝てください!」
「ええ……」
それはさすがに可愛すぎるだろう。兄の心を撃ち抜くには十分過ぎるほど破壊力のある言葉だった。
「でも毎日はなぁ……」
「じゃあ寝ません。ショートスリーパーに戻ります!」
「困ったなぁ……」
「困っているのは私の方です。今の私にとって睡眠よりもお兄ちゃんの施術の方が大切なんですよ? 価値観を歪められてしまいました。もうお嫁に行けません責任を取ってください」
本当に困った。どこで対応を間違えてしまったのだろうか。
以前読んだ本の内容によると、睡眠不足は判断能力が大きく低下することもあるらしい。
場合によっては精神に支障をきたすこともあるのだとか。
「お兄ちゃん、早くお願いしますー」
俺の腕を掴んでマッサージを懇願してくるメイ。やはり判断能力の低下と精神の錯乱が垣間見えるな。
睡眠時間が致命的に足りていないのかもしれない。
八時間でもまだ足りないのか?
思えばメイは布団が大好きな妹だった。九時間、もしくは十時間は必要なのだろう。
「分かった! ちょっとだけ、ちょっとだけだぞ」
「はい! お願いします!」
目を輝かせながら俺のベッドでうつ伏せになるメイ。
どうしてこうなってしまったのかと頭を抱えそうになったが、だからといって施術に影響を与えるわけにはいかない。
そこはプロとしてのプライドがある。動揺を必死に隠して全力でマッサージをする俺であった。
※
それからメイはどんどんおかしくなっていった。端的に言うと片時も離れようとしないのだ。四六時中くっついていて、トイレに行く時も風呂に入る時も同伴を申し出てくるほどだ。
しまいにはこんな言葉を発するようになった。
「お兄ちゃんは友達の一人すらいないので心配は無用かと思いますが念のため忠告です。他の女性にマッサージするのは許しませんからね?」
「ずっとそばにいます。ずっとマッサージを受けます。だから逃げないでくださいよお兄ちゃん」
「どうしてマッサージを嫌がるんですか? 私はこんなにも求めているのに」
これらのセリフを一時間おきくらいで囁いてくる。どうしてマッサージをしただけでヤンデレ化してしまったのか疑問でならない。
ふと机に積まれた本に視線を向ける。あくまでも俺はこれらの本に書かれたことを実践しただけだ。何か良くない内容が含まれていたのだろうか。
そう思って改めてタイトルを見る。
『不眠改善! これを読めばぐっすり眠れる!』
『学校では教えてくれない睡眠の秘密』
『解説。レム睡眠、ノンレム睡眠』
『今すぐ実践! 催眠術入門』
「…………………………」
まさか、催眠のせいか? 『今すぐ実践! 催眠術入門』の影響か?
でも内容は大したことなかったんだけどな。ただリラックスのために音楽を流せとしか……
「あの音源か?」
書籍の最後のページにオリジナルサウンドトラックが収録されていたのだが、まさかこの『あっという間に眠れる睡眠BGM』が全ての元凶だったとは。
いや、でも聴いていたのは俺も同じなんだけどな。
と、内心では思いつつもスピーカーから音源を流す。やはり何度聴いても落ち着く最高の楽曲だ。全ての家庭で流すべきだと思う。幼少期にこの音楽を聴いていたらきっと俺の人生も大きく変わっていたんだろうな。
やはり音楽のせいではないか。単に俺の技術が足りなくて最適な施術が行えなかっただけかもしれない。うん、きっとそうだ。
人間、問題が起こるとつい誰かのせいにしがちだが、その多くは自分の努力不足によるものである。つまり本を疑うのではなく、マッサージ師としての実力が足りないというわけだ。
「自己研鑽、自己研鑽」
もう少し睡眠時間を削って練習する必要があるな。寝ていては時間が勿体無いからな。
「お兄ちゃん、今日も一緒に寝ていいですか?」
ちょうどいいところに来た。
俺は抱き枕を持ってきたメイを手招きすると、ベッドの上に仰向けになってもらい新しい施術を実践する。
本を横目で見ながらだとスムーズにはできなかったが、メイは何も言わずにふにゃふにゃになっていたので心置きなくできた。
「ふぅ……」
一時間、二時間くらいだろうか。
夢中になってやっていたため、もうとっくに日付を超えていることに気づかなかった。
メイは既に快適な眠りについているし、俺の手は疲労で震えが止まらなくなっている。
「本でも読むか」
実は昨日新たに三冊の参考書を仕入れてきたのだ。どれも個性的な内容ばかりで非常に興味が惹かれる。是非とも徹夜で読み耽ろうと思う。
「よし!」
椅子に腰掛けた俺は幸せそうに眠るメイの姿を眺めながら自己啓発に励むのであった。
※
一体どこで選択を間違えたのでしょうか。
最近、お兄ちゃんの様子がどんどんおかしくなっています。
毎日夜遅くまで書籍を読み耽り、マッサージの技術向上に命を賭けています。正気を失っているとしか言いようがありません。
どうしてこうなってしまったのでしょうか。
おそらく私がショートスリーパーを志したことがきっかけでしょう。
最初はただ自由時間が欲しかっただけなんです。毎日塾とお家の往復だけの生活に嫌気がさして、勉強以外にも自由な時間が欲しい。
願わくばお兄ちゃんともっとイチャイチャしたいと、そう思っただけなんです。
だから正直、お兄ちゃんが部屋に侵入してきた時嬉しかったんです。
ショートスリーパーになることでもっとお兄ちゃんとイチャイチャできるって。でも結果的にそうはなりませんでした。
私たち兄妹は整骨院の患者とスタッフのような関係性になってしまったのです。
マッサージをする側とされる側。そこにイチャイチャが介入する余地はありません。
すぐさま私は快楽に溺れ、ただ這いつくばることしかできない家畜に成り下がりました。
そしてお兄ちゃん無しでは生きられなくなってしまったのです。
それに関しては特に何の危機感も抱いていません。むしろ好都合でした。
しかし私の体がほぐれていくのに比例して、お兄ちゃんはどんどんやつれていきました。
目の下には大きな隈があって、もはや目が本体なのか隈が本体なのか区別がつかないほどです。おそらくロクに睡眠をとっていないのでしょう。
そうです。お兄ちゃんはショートスリーパーになってしまったのです。
これは大問題です。すぐさま辞めさせる必要があります。
なぜならショートスリーパーと言っても今のお兄ちゃんの状況を見る限り、明らかな睡眠不足ですから。
短い睡眠で健康を維持しているわけではなく、無理やり睡眠時間を削っています。
こんな生活が長く続くはずがありません。いつか限界が来て倒れてしまうでしょう。
だからこそそうなる前に対策を打つ必要があるのです。そうです。お兄ちゃんはもっと寝るべきなんです。
覚悟を決めた私は、お兄ちゃんの部屋に侵入して机の上に置かれた書物に目を向けます。
『不眠改善! これを読めばぐっすり眠れる!』
『学校では教えてくれない睡眠の秘密』
『解説。レム睡眠、ノンレム睡眠』
『今すぐ実践! 催眠術入門』
おそらくこの四冊を読むことであの卓越したマッサージ技術を身につけたのでしょう。だとしたらやることは一つ。
私がこの本の内容を理解して実践するまでです。
「お兄ちゃんを快適な睡眠に導くのは妹の義務です!」
そう、それこそが妹の私にできること。
むしろ私にしかできないこと。
兄妹だからこそ、お兄ちゃんのことが大好きだからこそ、全力でマスターしてみせます。
こうして私の戦いは始まるのでした。
終わり。
妹がショートスリーパーになった。ヤンデレ化した。 とおさー@ファンタジア大賞《金賞》 @susanoo0517
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