レヴェガーデンの少年

八朔つき

第1話 シアンの手記よりepisode1. 前編


不規則な雨が窓に、地面に、跳ね返る。

葉を伝って遅れて聞こえる雨粒の音はやわらかく、土に染み込む音は静かだが重い。


その音から逃れるためにカーテンを閉めたのに、

ぼやけた月の光の輪郭も消え、聞こえてくるものもあまり変わらなかった。

むしろ、それが世界とこの部屋をいっそう孤立させる境界線にも思える。


——


彼は慣れた手つきで蝋燭を付ける。

マッチを今朝、窓際のテーブルに出しっぱなしにしていたからだろう。


湿気にやられたのか一度目では点かない。

シュッ、シュッと擦って二度目にはぼうっと橙黄色の炎がついた。


灯りの向こう、一層濃い影が落ちる。

マッチはそのまま、みごとな銀色の細工が施された灰皿の中に捨てられた。


テーブルのうえには鍵付きの日記。

その中身を守っているような錠の鈍い金色を、先ほどの蝋燭が、暗闇に一つ置かれた外灯のように照らしている。


今まで何度も見る機会はあったはずだ。だがそうしてこなかった。

そして今日”そう”することにした。


彼は着けていたネックレスをはずす。

その中の一つ、ロケットを開けると日記に合う小さな鍵を、

落とさないようにそっと取り出し

意を決したように、だがそれを誰にも悟らせないように、一人の部屋で開いた。




――――――――

シアンの手記より

 エルノワール歴1200年 5月1日

 ”レヴェデント” ——つまりレヴェガーデンの生徒と初めて出会ったのは名前も知らない遠縁の親戚のパーティだった。

 正確に言うと招待されたのは僕の叔父だ。しかし代わりに行ってきてほしいとお願いされたので

 内心は面倒くさかったけれど叔父の顔を立てるためにも参加することにした。

――――――――





パーティの一週間前――

「シアンさま、旦那様が今朝こちらを」

侍女が朝食のテーブルに持ってきたのは、叔父宛てのパーティーの招待状と手書きのメモ。

パンに手を付ける直前の絶妙なタイミングで差し出される。

「ありがとう」銀盆に載せられたそれらを受け取ると、紅茶にミルクがたっぷり注がれた。


型押しされた封筒に金色の封蝋、差し出された日付は今から二週間も前だというのに

昨夜封を切ったような新しさ。


添えられたメモを読むと

”この手紙の差出人の誕生日パーティに代理出席してほしい。私はまたしばらく留守にする……”

そんな言葉が書かれていた。


代理出席って都合いい言葉だな。今年だけで何度目だ……僕はそのために養子になったのかもしれないと自虐的に心のなかで笑った。


”叔父”と言っているが彼は養子であり形式的には関係は父と息子だ。

なるべく部屋の空気が悪くならないように、用意された朝食が不味くならないように、でも耐え切れなくて少しため息を漏らす。


「代理として出席するよ。返答を今日の午前中に出しておいてください。……それから遅くなってごめんなさいとひとこと付け加えて書いておいてください。筆記は任せます。」



面倒ごとを朝食の前にすべて片づけるように決めるとようやく、ミルクティーを口にした。


——


屋敷を出てどれくらい経ったのか。

細い背の本一つ分だから1時間といったところかと考えて、目次からあとがきを意味もなく行き来する。


そうすれば次は自然と外に関心が向く。

会場が近づいてきたのだろうか。

馬の蹄鉄の地を踏みしめる心地のよい音と、それに連動する車輪の音が、彼の馬車以外からも聞こえるようになってきた。


シアンはカーテンを音も立てぬような静かな手つきでそっと、ほんの少し開けた。

大きな屋敷が視界に映る。


玄関付近にはすでに数台が降車の順番を待っていた。

彼の馬車も御者の隣から従者が降り、降車の準備をする。

やっとその順番が来ると、カチャっと控えめに扉が開けられた。

左側に差し出された手に、身体を預けず形式的に手を添える。


まだ幼く細いからだろうか。

前を見据えたまま、重心を崩すことなく取りつまさきからしずかに降り一礼した。


軽やかな流れ作業のように屋敷の執事が頭を下げてくる。

その身長の差にシアンが顎を上げずにすむよう、相手は品位を崩さずに背をすぼめた。

一歩後ろにいる従者から招待状を受け取り差し出す。


「セヴラン=フローレンス卿の代理として、伺いました。シアンと申します。」


「ようこそお越しくださいました。ご丁寧に恐れ入ります。贈答品などございましたら、こちらでお預かりいたします。」


「……ございます。こちらを」


シアンがわずかに横を向く動作を取ると従者がつつみを差し出し、それを受け取り執事に両手で渡した。


「たしかに、お預かりいたしました。では、どうぞこちらへ……」


ついてまわるこの形式的なやりとりもはじめこそ緊張したが今ではもう、なぞるように迷いなくこなしている。


——

広間へ通される。

今までにも何度か聞いたことのある弦楽器の調べは優雅な三拍子。

「たしか去年もこの曲をここで聴いたわ。よほどお気に入りなのかしら」

「定番曲だからじゃありません?私は彼の曲なら初期の方が好きだわ」

女性たちはささやき合う。

祝いの場に似つかわしくない感情を、扇子で口元を何気なく隠していた。


カトラリーが皿にカランと当たる音。

吸い込むたびに鼻の奥をツンと刺激する香水は、人の数だけ主張して反発し合っている。

それとは対照的に話し声と笑い声は——今流れる室内楽のように、調和している風を装っていた。


次から次へと目に耳に鼻に一方的に入ってくる情報量の多さには

まだ慣れていないようで、伏し目がちにシアンは歩き出した。


なにか食べよう。

立食形式でところどころに並べられたテーブルのあいだを、

会釈しながら歩いていく。

それでも視線は、皿の上の“おいしそうなもの”をさがしていた。

ぶつからないように、注意をはらって。


子どもなのだから、テーブルをのぞき込んで選んでも不自然ではない。

……しかし彼はそうせず、他の大人たちと同じようにふるまうことを選んでいた。




――――――――

——レヴェガーデンという名前は大人たちの会話に何度か聞いたことがある。

なんでもとんでもなく広い屋敷で花を主食とする少年たちが住んでいる学園のことらしい。

その希少さ美しさから少年たちは貴族に高値で取引されているということ。

僕がこの時点で知っている情報はここまでだった。そしてこのパーティーの主役であるマロマ夫人が

普段呼ばないようなぼくたち親戚にもわざわざ見せびらかしたかったのはそこで買ったあの少年だろう

――――――――




おいしそうなものがあるテーブルの端の方に靴音も立てずにふんわりと立つ。

スコーンを食べようと手を伸ばした。

焼きたてなのだろうか。小麦とバターの濃い香りと焼き目の色が誘う。


そこから少し離れた小さな壇上では本日の主役であるマロマ夫人が、滑らかな弦楽器のバックグラウンド・ミュージックを背に

客人の顔を端から端まで見渡しながら挨拶を始めた。


派手かつ精巧に作られた大輪の花を模した頭の飾りは、

彼女のブロンドヘアをまとめ上げてつかまえる。

クリーム色のイブニングドレスの胸元には

大きな碧色の石が付いたペンダントが一つ。

身に着けているどれよりも鮮やかな紅が引かれたくちびるは、小さめながらもよく動く。

まるで、そこだけ独立した器官のように——せわしなく。


絹のグローブから流れるように続いた指の先は、

小柄な少年の両肩に吸い付くように置かれている。


「皆様私の誕生日パーティーにお集まりいただきありがとう。今日は私たちの新しい家族を紹介いたします。

ここにいらっしゃる皆さまなら”レヴェガーデン”のことは御存じでしょう」


”レヴェガーデン”――大人たちの会話で、何度か聞いたことのある単語だ。

いったい何なのか。

それが語られるときはいつだって、核心を隠すように、薄いヴェールをかけたように扱われていた。

勘とでもいうのだろうか、子どもながらに彼は尋ねてはいけないような気がして、問えなかった。


それでも断片的な情報を繋ぎ合わせると、”レヴェガーデン”とは広大な土地に建つ大きい屋敷で、

花を主食とする少年たちが住んでいる学園のことらしく。

その”希少性と美”で少年たちは貴族に高値に取引されているという

夢ものがたりのような要約に彼は辿り着いていた。


けれど、それもシアンの中で、大きな割合を占めているものではなかった。

その単語が聞こえるたびに「ああ、そういえば」と思い出しては、

ひまつぶしにパズルのピースを繋げて解いていくような、その程度の関心だった。



壇上でなおも続くマロマの続く饒舌さに、今日誕生日パーティーへ呼ばれた意図を理解した。

とくべつ付き合いもなかった彼女が、今年唐突に送ってきた招待状の意味を。

見せびらかしたいのだ。高価なペンダントでもオートクチュールのドレスでもない。

彼女が肩に手を置いているあの少年を、だ。


少年は目を伏せてはいなかったものの、つまらなさそうにしていた。

口角は下がりきってはいないが、視線は沢山の人間のあいだの、見えもしない空気に乗っていた。

それがなぜ”つまらなさそう”だとわかったのか、シアンも退屈な時に同じような顔をするからだ。


2つ目のスコーンをひとくち齧り「……このラズベリージャム美味しいな」と思ったとき

(あ、目が合った。)

あれが、レヴェガーデンの少年。

目が合った今も、何も普通の少年と変わらなく思えた。


そこから何度か視線が合い、マロマの演説のような長い挨拶が終わると、

少年はぐっと背伸びをし、彼女に耳打ちしてシアンの方へ駆け寄ってきた。

小麦の香りが喉の奥まで広がる。


「よかった!来てくれたんだね」


それは、おさななじみに向けて言うような台詞と笑顔だった。


「……?違ったら失礼。誰かと間違えてない?初めて会うよね」


「ううん、間違えてないよ。でも初対面なのも、合ってる」


「?」


シアンは混乱した。

同年代の知人が少ない彼ならなおのこと、こんな距離感で話しかけてくる存在を忘れるはずがない。

懸命に記憶をたどる。


もっと幼いころに出会って覚えていないだけだろうか。

――あるいは言葉遊びか。

そんな彼の思いもしらずに少年は続けた。


「ぼくはユカ。今日招待された人で

同じ年齢くらいの子がひとりだけいるって聞いて

――きみだ!って思ってね」


「そう、なのか。

言われてみれば大人ばっかりだね」


「そうなんだよね。つまらないでしょ。

一緒に会場から抜けよう!屋敷を案内するから」


先ほどまで壇上でマロマの前に立たされ、晒されていた少年と同じ人物とは思えないほどの

軽やかさとにこやかな表情。

ユカが初対面かどうかなんて、もう問題にしなくていい空気だった。


「でもユカはこのパーティの主役のもう一人の主役みたいなものじゃない?いいの、勝手に?」


「大丈夫!マロマ様には”暑いから涼しい服に着替えてきます”って言ってあるから」


腕を組みながら問うたシアンへの回答は、彼を共犯者にするつもりのものだった。


「さあ、はやくいこう!」


ユカはシアンの肩に手をかけると、会場の扉まで優しく押しながら歩きだした。

なかば強制的に動き出す足に抗えないのは

同じだと思っていた背の高さが、予想よりも高かったからかもしれない。


その扉のむこうはスタート地点か、あるいはゴールか。


――――――――

ユカの第一印象は人懐こい、少々強引、よく笑う。

——容姿のことも簡単に書き残しておく。

髪の毛は僕の好きなミルクティーの濃さより倍くらいミルクを入れたような色だ。

空気に柔らかいとか固いとか、無いと思うが

もしあるならば柔らかい空気が髪の間に留まったようなウェーブ。

瞳は……金貨色とでもいおうか。

可愛らしい顔立ちに合うと思った。

――――――――


「こっちだよ!」


ユカのそれはまるで合図だった。

重厚な扉をあけると、ふたりは風の精になったかと錯覚するように、

散る花びらのあいだをすり抜けて、さざめきから逃げた。


「ちょっと、ユカ!そんなに引っ張らなくても

ちゃんとついていくから!」


シアンの左手首はユカの右手に掴まれていた。

ときおり視線を下げながら、足元がもつれないように気を付けて、

引っ張られるままについていく。

そんなことおかまいなしに、ユカは高い声で笑いながら離さずに走った。

追いかけてくるものは見当たらなかった。


「そうだ!」


途中、走るペースが緩んでユカの背中が止まり、

思わずぶつかりそうになる。

ふと見ると、得意げな横顔でどうぞごらんあれ、とばかりの手つき。


「ここも紹介するね。僕専用の庭だよ。」


「君の?」


花の種類に言及したり、質問でも投げかけられれば良かったが

息が上がっていることを隠すことに精一杯で

一言だけ返して、シアンはそのあとの言葉が続かない。


「うん。摘み立ての花が好きだから

食事の時はここで花を摘んでキッチンへ持って行くんだよ。」



八部咲きの食べごろの花、

それを待つ蕾は滴る果実のように濃い桃色をそっとのぞかせて、

植えたばかりの小さな苗は背を、陽の方へ伸ばしている。

そのどれもが、庭の主であるユカを待っているかのように見えた。



そうだ、この少年は、

花を食べるレヴェガーデンの少年——”レヴェデント”だった。

ひとときで忘れてしまうほどに、やはり目の前の少年はあまりにもふつうに映っていた。


「どうして花を食べるの?」


息を整え口から出たのは、なんのひねりもない疑問。


「どうして……?それじゃあ君はどうしてパンを食べるの?」


「パンを……?うーん。考えたことがないな。ずっと当たり前に食べてきているし」


「それと同じさ。僕にとってはそれが花だったというだけ」


ユカは庭の中央にある、今朝咲いたばかりであろう白いばら一輪の花首を、

人差し指と中指でやさしくすくい、葉を枝に一束残したまま鋏で切った。


「うーん。」


そういうものなのか……。シアンが解釈しようとしていると

その切った白いばらが目の前に差し出された。


「食べてみる?花。」


この花はとっておきなんだとでも続くかのように、

ユカは生き生きとした笑顔で、

シアンとばらを交互に見比べた。



差し出されたばらは、花弁が幾重にも折り重なり、ドレスのすそのよう。

花に向ける感想の語彙もわからなくて

甘くて豪華な香り――そんなおおまかな感想しか浮かばなかった。

紅茶の香りがふとした気がしたが、的外れだと恥ずかしいので口にするのはやめた。


ばらなんて、花束をもらったときに

形式的に嗅いだことがあるくらいだな、と首を傾けながら思う。

このばらが特別な品種なのかどうか、

シアンには判断がつかなかったが

とても良い香りだ、と思った。



ただ、顔を近づけたのは

食べるか否かを悩んだからではない。


ばらに視線を残したまま名残惜しくみえるように、

ユカに微笑む。


「いや、見るだけでいい。」


それはそのままの意味。

いくら美しくても食することは

想像からあまりにもかけ離れていたから。

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レヴェガーデンの少年 八朔つき @starlet_moon

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