婚約破棄されて悔しいので跳び箱10段跳びます!
ameumino
婚約破棄されて悔しいので跳び箱10段跳びます!
「ごめん、やっぱり俺……別の人と結婚することにした」
その言葉が頭にこびりついて、何度も繰り返される。三年間付き合って、結婚を約束した彼の突然の裏切り。私は唇を噛んで、涙も出ないまま駅前のベンチに座り込んでいた。
それからの日々、心ここにあらずで過ごした。仕事も辞め、地元に帰った私は、実家の布団で天井を見つめる毎日だった。
「お姉ちゃん、体操クラブの送り迎え、お願いしていい?」
妹に頼まれたのは、小学三年生の姪・さやかの習い事の付き添いだった。断る理由もなく、私はしぶしぶ体育館へ向かった。
その体育館は、昔ながらの木のにおいがした。跳び箱、マット、平均台。子どもたちが元気に動き回っていて、私の中にも小さな記憶がよみがえった。
さやかの練習を見守っていると、跳び箱のコーナーでひときわ高く積まれた“10段”という表示が目に入った。そしてその横で跳び箱に挑戦していた女の子が7段でつまずいて転び、すぐに立ち上がったその姿が、なぜか胸を打った。
「跳び箱、気になります?」
声をかけてきたのは、ジャージ姿のクラブの男性トレーナーだった。爽やかな笑顔と、優しげな目元が印象的だった。
「いえ、私は昔から跳び箱が苦手で……」
「じゃあ、ちょうどいいです。よかったら、一緒に跳んでみませんか?」
「……私が、ですか?」
「10段跳ぶことを目標にしたらいかがでしょうか? 大人こそ燃えますよ」
その言葉に、私はふと笑った。悔しさも、虚しさも、行き場がなかった感情が、一瞬、跳び箱の高さに変わった気がした。
「……やってみようかな。私、10段、跳びたいです」
気づけば、そう口にしていた。
---
その日から、私は変わった。
さやかの付き添いだけでは飽き足らず、自分も正式にクラブの「大人枠」に入った。仕事も少しずつ再開しながら、週3で練習に通った。
最初は5段でも怖くて足が止まった。ジャンプも低くて、体も硬かった。でも、あの日彼に突きつけられた言葉——「変わっちまった」が、ずっと頭の中でこだましていた。
変わるって何?
自分らしく生きようとしただけじゃない。努力しただけじゃない。
悔しさを踏み切り板に込めて、私は跳んだ。
6段。7段。8段。
着実に段を増やすたびに、自分の心も軽くなっていくようだった。
トレーナーの高橋さんは、いつも適切な距離感で接してくれた。真面目なアドバイスも、ふとした優しさも、私にとって居心地がよかった。
「本気の人、久しぶりに見ましたよ」
ある日、彼がそう呟いた。
「婚約破棄された女の意地ですよ」と冗談めかして言ったけど、目の奥がじんと熱くなった。
---
そして迎えた日曜日。跳び箱10段。高さ160センチを越える壁。
「跳べるよ」と高橋さんは言った。
私は助走をつけた。あの男の顔が浮かんだ。私を“変わった”と言って去った人。変わって何が悪い。私は前に進んでる。
思い切り踏み切った。空気を裂く感覚。着地の衝撃。
——跳べた。
周囲の子どもたちが歓声をあげる。その中で、私は静かに涙を流した。自分自身への、祝福の涙だった。
「おめでとうございます」と、高橋さんがタオルを差し出した。
「ありがとうございます……ほんと、跳べましたね」
「跳べるって、信じてましたから」
彼の笑顔がまぶしくて、私は思わず目をそらした。でも、ふと気づく。彼の目は、あの人と違って、ちゃんと“今の私”を見てくれている。
跳び箱の向こうに、新しい景色が見えた気がした。
婚約破棄されて悔しいので跳び箱10段跳びます! ameumino @abcabc12345
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます