記憶の檻を越えて ─最後に思い出した、最初の恋─

Chocola

第1話

「今日の撮影、よろしくお願いします」


初主演ドラマ。医師役。

医療監修がつくと聞いていたが、いざ本人が現れた瞬間、私は一瞬、言葉を失った。


「……高坂蓮です。よろしくお願いします、水溜さん」


その声、そのまなざし。

どこか懐かしくて、息が詰まりそうになる。

でも私は彼を知らない。はずだった。


(……どうして、こんなに懐かしいの?)


心の奥が、そっと騒いだ。


***


「君が医者役なんて、ちょっと不思議な気がするな」


撮影の合間、蓮がそう言った。


「そう? 指導してくれる先生がいるから、私はすごく助かってるよ」


「……昔の君なら、指導なんて必要なかったかもしれない」


「え?」


「……ごめん、気にしないで」


冗談にしては含みがあった。

だけど私は聞き返さなかった。

理由は分からない。でも、“昔の私”という言葉に、どこか拒否感があった。


***


彼と過ごすうちに、私はどんどん彼に惹かれていった。

初対面のはずなのに、安心できる。信じられる。

けれどそれは、恋なのか、それとも――記憶のなかの何かなのか。


蓮は決して私の記憶に踏み込まなかった。

ただそばで、穏やかに私のペースに合わせてくれる。

まるで、私の“すべて”を受け止めてくれるように。


でも、確信していた。


彼は私の過去を、知っている。


***


ある夜、ふと見つけた古い医療雑誌の特集。


“奇跡の天才少女ドクター、13歳で米国医師免許取得”


表紙にいたのは、私だった。

名前は違った。“篠原愛璃”。


目が離せなかった。

その子は、少し太っていて、笑顔もぎこちない。

でも確かに、私の過去の一部だった。


(私……医者だったの?)


胸がざわつく。

でもそれでも確信は持てない。

記憶は、まだ戻らなかった。


***


──数年後。私と蓮は結婚式を迎えていた。


友達のような恋人のような関係を何年も続け、ようやくたどり着いた日。


白いドレスを身にまとい、私は隣に立つ蓮を見つめた。


神父が問いかける。


「あなたは、この人を生涯の伴侶とすることを誓いますか?」


蓮が静かに言った。


「誓います。たとえどんな過去を持っていても、僕は今の君を、心から愛しています」


その瞬間、時が止まった。


遠い記憶の底から、激しい光景がよみがえる。


轟音。爆発。叫び声。

私はひとりだった。

兄も、蓮も、そばにいなかった。


炎と混乱の中で、私は――名前すら叫べずに、ただ、震えていた。


その恐怖の中心で、私が唯一願っていたのは。


「誰か、助けて……」


その“誰か”は、今――目の前にいる。


涙が一粒、頬をつたう。


「……思い出したの?」


蓮が優しく問いかける。


私はうなずいた。


「私、愛璃だった。……蓮のこと、昔から、ずっと好きだったの」


「知ってるよ」


蓮が微笑む。


「君が水溜アイラでも、篠原愛璃でも、僕にとっては同じ“君”だから」


私はもう泣き笑いだった。

やっと、思い出せた。

そして、やっと、心が重なった。


「遅くなって、ごめんね」


「遅くなんかない。……ようやく、君に追いつけた」


愛を知ったその日が、私たちの始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の檻を越えて ─最後に思い出した、最初の恋─ Chocola @chocolat-r

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ