夜のほとりでプリンはまだ夢を見ている

綾白

やわらかく終わる、その前に

 冷蔵庫の底で、私は待っている。

 
光の射さぬその奥で、冷気とともに息をひそめながら。


 私は、プリン。



 甘く、やわらかく、なめらかな短い夢。


 たった一口で終わるかもしれない私のすべてを、誰かの少し疲れた夜に届けたくて、私はここにいる。



 けれど日々は流れ、手は別の品へと伸びる。


 昨日、扉の向こうに選ばれたのはサラダ。

 シャキッとした声を残して、旅立っていった。


 その前はチーズケーキ。

 「お皿に映る姿がすべてよ」と、ちょっと気取った微笑みは、今もまだほのかに漂っている。


 私だけが、ここに取り残されたまま。

 誰かの機嫌をとることもなく、静かに時を削っていく。



 消費期限
は「7月7日」――今日、終わりの淵に立つ。



 ……ねぇ、覚えてる?



 あなたが私を買ったとき、「たまには贅沢しよう」って笑ってた。

 
その声が、私の心を揺さぶるように、今でも切なくこだましている。



 あれは――私の生まれた意味だった。



 冷たく沈むまどろみの中で、ゆっくりと、さよならが近づいてくる。


 声にならないふるえを抱き、凍える静けさに身を委ねる。

 
ぬくもりに蕩けて、小さな幸せの一片になる時を、ただ信じて。



 だから、願わくば、このまま忘れられることだけは――



 扉が開き、冷気が揺れる。


 奥へと伸びる手が、私をそっとすくい上げた。



「間に合った……頑張ったご褒美の、とっておき――」



 世界が動く。



 光が射す。


 空気が変わる。



 その声は、砂糖のように、甘く切なく、沁み込んでいく。

 やわらかな手に包まれ、私の全てがあざやかに色づいていく。



 消費期限は――捨てられる日じゃない。


 
――届くべき誰かに届く、最後のチャンス。



 私があなたを待つように、あなたも私を望んでくれていた。



 だから私は、あなたの舌で、甘くほころぶ。




 でも、甘いだけじゃ終われない。

 ……少しの苦みを背負ってこそ、とっておきの「記憶」になるのだから。



 私はもう、冷たくない。

 あなたの熱に溶かされて、最後に本物の夢を見られたから。



 思いが重なるこのひとときに――



 ほんの少し、カラメルの苦みを添えて。

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夜のほとりでプリンはまだ夢を見ている 綾白 @aya-shiro

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