俺の色彩

テマキズシ

俺の色彩


 就職なんてクソだ。



 現在大学三年生の俺はそんな気持ちでいっぱいだった。

 つい先程、友達と授業を受けていた際の事だった。


「いやあ俺あの企業のインターン面接合格しちゃってよ。八月から長期インターンに行くんだよ。昔からあの企業に入りたくて勉強してきた甲斐があったぜ!」


 思わず息が止まった。すぐに話を合わせたから疑問には思われていないだろうが、俺の心中は穏やかでは無かった。



 何で夢が……、やりたいことがあるんだ。

 俺には何もない。夢中になる事なんて……。



 惰性で生きてる俺にとって友達の言葉は心に突き刺してくるものだった。

 あの後、友達と別れ本来一人で受けるはずだった四限目をサボり、俺は一人フラフラと帰路についていた。


 インターン探さないと……。でもやりたくないなあ……。


 頭ガキンチョだと言われるようなクソみたいな思考をしながら家へと向かう。

 その際にわざわざ普段通らないルートで遠回りしているのは四限目をサボったことに対する罪悪感なのだろう。

 ゆっくりゆっくり帰っている時、何かがふと目に入った。


「館長一推し絵画フェス?」


 目に付いたのは美術館近くにある看板。

 その名の通りこの美術館の館長が好きな作品が集められたのだとか。


「……言ってみるか」


 この時、何を思って俺がこの美術館に入ったのかは分からない。

 ただ惰性で入ったのか。それともこれが運命と呼ばれるものなのか。

 俺は美術館の中へ吸い込まれるように入っていった。





「……高い割につまらないな」


 まあそんな訳の分からない気持ちで入った人にとって美術館はただただ退屈でよく分からない変なものが飾られているだけとしか思えなかった。

 ちらりちらりと流し見しながら先へ先へと進んでいく。

 そしてとうとう最後の部屋。

 館長の一番好きな二つの作品という、ちょっと矛盾しているような名前の部屋へと入っていった。




「…………あ」


 息が止まった。

 目の前にある二つの絵画を見た瞬間、俺の体は完全に動かなくなった。

 感嘆の声を挙げ、ゆっくりと絵画の方に向かって歩いていく。

 視界だけでなく全ての感覚がその一瞬で跳ね上がり、自身の足音が鮮明に感じるようになった。


 まずは二つの絵画が収まる位置で止まり、二つの絵画の美しさを咀嚼する。

 大好物のビーフシチューを食べた時だってここまで咀嚼して味合わなかっただろう。


「…………」


 右にある絵画に近づき、じっくりと眺める。



 この絵の名前は【卵を調理する老婆】


 文字通り老婆がただ卵を調理する様子が描かれている。

 本当にただそれだけの絵。



 ……なのに何故だろうか。この絵に惹き込まれ、飲み込まれるように感じてしまう。


 この絵は余りにも精密すぎるのだ。

 きらりと光る鍋の中で、透明な流体と不透明な白い流体が混じり合う卵。

 目の前で作られている料理がどんな物なのか何一つ分からないのに魅了され、ただヨダレを飲んでいた。


 料理だけでなく、この場に居る老婆や少年の力強さにも驚かされた

 少年はあんな顔して何を考えているのだろう…?




 一度心を落ち着かせ、今度は左にある絵に近づいていく。



 こちらの絵の名前は【セビーリャの水売り】


 おっさんが少年相手に水を売っている様子が描かれている。

 絵画の紹介欄にはどうやらこの少年は先に見た【卵を調理する老婆】に出てくる少年と同じ人物らしい。


 この絵で俺が真っ先に注目したのはグラスに注がれた水だった。

 世界一美味しい水。

 そう呼ばれていてもおかしくない。それほどまでに透明でグラスもその中にある水もどれも綺麗だった。


 少年とおっさんの後ろには一人のおじさんが水を飲んでいる様子が見える。

 その様子は光と影と言ったら良いのだろうか。不思議な奥行きを感じて、知らず知らずの内に視線を誘導されている感じがする。




 二つの絵画を何度か交互に見た後、俺は美術館でよくある長いタイプのベンチに座りまた二つの絵を同時に眺めた。

 この二つの絵画はディエゴ・ベラスケスという画家によって描かれており、二つの作品には似たような特徴がある。


 両方とも日常的でありながら神秘的なのだ。


 シチュエーションは誰がどう見ても日常的だと言うのに余りにも美しすぎて神秘を感じてしまう。

 光と影を巧みに操ることで奥行きのある写実的な絵が出来上がっており、その美しさに俺は呆然と眺めていた。



 閉館のアナウンスが流れるまで、俺は二つの絵に夢中だった。

 美術館の前でフラフラしてた時とは違う意味でフラフラとしながら美術館を出る。

 この間ずっと、俺の顔は動かなかった。

 











 あれから十年近く経ち、私は美術関係の雑誌を出版している出版社に入った。

 あの二つの絵に魅せられてから私の人生は大きく変わり、何もなかったモノクロの人生に色彩が生まれた。



 今度私は新しい雑誌の企画を任されることとなった。

 何を書くか、もうその内容は決まっている。

 あの時出会った色彩、私の人生を決めた運命について書くことにしよう。



 タイトルはどうするか…。安易に画家の名前を出すのは面白くない。

 それに私の企画だ。ちょっとぐらいはっちゃけても良いだろう。



 昔の惰性に生きていた頃の一人称とあの美しい作品をかけてみるのも悪く無い。




 ……決まったぞ。新しい企画のタイトル名は









『俺の色彩』

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俺の色彩 テマキズシ @temakizushi

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