欄干の先へ。

秋野 公一

第1話

 車を走らせた。仕事をサボり、関門橋の真ん中で停車した。

 午前3時。誰もいない。九州に生きる人々の生活の万灯が涙に滲む。佐藤は間も無く死ぬ。病気ではなく、ただひたすらに死ぬしかなかったから。佐藤は好きな人に触れようとしては傷つけて、さしたる才能もないのに人を見下す。そんな人間はこの世界では生きていくのは難しい。

 この場所を選んだのには理由があった。平家一門が滅亡した場所だったから。せめて自分の、この意味のない人生に意味を与えるために、平家と同じように入水しようと思う。本当は舟の上から身を投げたいが、自殺の手助けをしてくれる漁師などいないため、橋の上からの身投げを選んだ。

 佐藤はしばし人生を振り返り、タバコを一本吸った。吸い終わるまでに、すでに他人のものになった好きな人に電話をかけてみたが返事はなかった。次に故郷で暮らす母へ電話をかけた。こちらも繋がらなかった。おそらく寝ているのだろう。母のことを思うと、申し訳ないことをしてしまうと佐藤は思った。ここで引き返して故郷で親孝行でもしながら生きていくのも一つの選択肢と思った。

 しかし佐藤は、それをしない。親に虐待されきた過去を思い出す。特定のアニメを禁止され、携帯を取り上げられたせいで別れるハメになった初カノや極端に制限された進路などなど親への恨みを思い出したらキリがない。

 よし、死のう。灰が落ちる。短くなったタバコを吐き捨てる。車のトランクを開け、拉致った上司を包丁で何度か刺した後、再びトランクをしめた。

 血濡れた包丁を海の底へ放り投げた。佐藤は靴を脱いだ。走り書きの遺書を踏ませ、欄干に立った。

 佐藤は噴き上げる強風に、圧倒されたものの祇園精舎の一節を唱え、手を広げた。

 佐藤は重力に身を委ね、そして二度と太陽を見ることはなかった。

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