#1 Elected Are You.

とらぶるぷろとこる

Elected Are You.

「プログラムが書ければ食うに困ることはない」

 かつてそう豪語した有名人がいた。

 当時はその言葉を真に受けたやつが結構いたし、俺もそのひとりだった。


 だが、時代は容赦なかった。

 いくつものゲームチェンジが繰り返され、エンジニアたちはAIに仕事を奪われた。

 気づけば、それが“ずいぶん前のこと”になっていた。


 大手IT企業に就職した俺、三田直人ミタ ナオトも、例外ではなかった。

 減給、降格、配置換え。

 耐えきれず辞めたという体裁だったが、実質はクビだった。

 あれは、ちょうど一年前。


 身も心もボロボロになった俺は、年金暮らしの両親の家に身を寄せた。

「起きて、PCを起動して、寝る」──そんな貧しく代わり映えのないルーチンを、

 毎日、繰り返すだけの生活。

 将来に希望などなく、現状の維持すらままならない。

 俺は、静かに破滅に向かって足を運んでいた。


 ある朝、いつものようにPCの電源を入れようとして、ふと気づく。

 珍しく俺宛の郵送物が届いていた。

 しかも、役所からだ。


 封筒の紙質が妙に光沢があって、字体もどこか派手だった。

 まさか、税金の催促か?

 だが、税金だけは滞納しないようにしていた。

 あるいは、システムのバグか。


 嫌な予感を胸に、封を開ける。

 中には、ぺらりと一枚、通知書が入っていた。


「通知:三田直人様の提供遺伝子が、O.G.N. により選出されました」


 ──提供遺伝子?


 意味がわからず、眉をしかめた。

 が、数秒後、曖昧な記憶がよみがえる。

 会社の健康診断。人間ドックの一環で、なぜか精液を採取した。

 そして、退職時に提示された「失業者支援制度」。

 金が出るという話に釣られて、深く考えずに署名した、あのときの。


 急いでPCを起動する。

「O.G.N. 通知 意味」

 検索ウィンドウにそう打ち込む。


 行政サイトと、煽り気味のまとめブログが表示された。

 皮肉な話だ。俺を社会から追いやった生成AIに、今さらすがるとは。


 出てきた情報を拾い読みして、ようやく理解が追いついた。


 O.G.N.──Operational Gene Nexus。

 国家主導の生殖支援制度「アワジ・システム」の中核。

 行政に提供された精子を、ランダムに抽出し、

 精子単体から子供を生み出す。

 それが、この国が選んだ「新しい生殖」だった。


 技術への畏れと、社会からの“完全な用済み通知”のような絶望。

 だが、俺たち“提供者”には、小さなメリットがあった。


 少額とはいえ、対価が支払われる。

 生活保護には届かないが、細々と暮らすには足りる額。

 そう、俺も確かにそれを受け取っていた。


 まさか、本当に使われるとは──思ってもいなかった。


 振り返れば、実家に戻れたのもその金のおかげだった。

 両親は「住ませてやる代わりに」と言って、対価を家賃として徴収していた。

「お前のためだ」などと口では言いながら。

 あの冷えきった食卓で、俺の箸が進んだことは、一度もなかった。


 許されたのではなかった。

 ただ、“精子一滴ぶん”の価値で“買われて”いただけだったのだ。


 モニターの光が、部屋の隅に舞う埃を照らす。

 俺の人生で、誰かの役に立ったことがあっただろうか。

 やりがいのある仕事も、寄り添う配偶者も、屈託のない子供も、

 暖かな家庭も、見守ってくれる親も──俺には、何もなかった。


 そんな俺が、「親になった」というのか。


 不幸の再生産。

 それが、ただひとつの恐れだった。


 その夜、眠れずにSNSを流していると、ふと目に留まった掲示板スレッドがあった。


「O.G.N.通知が来た奴、ここに書け」


 吹き溜まりのようなそのスレッドには、似たような人間たちの投稿が並んでいた。


 ID:NEET911「こんな俺が親になってどうすんだよ(笑)」

 ID:SAKURA38「逆にさ、俺らの遺伝子って“何か基準”あるのかもよ?」


 そして、スレ主とおぼしき書き込み。


 ID:EAY2025「選ばれたことに意味があるんじゃない。“選ばれたと思う”ことが意味を作るんだ」


 思わず小さく吹き出した。

 役人か、お前は。そんな綺麗事で、この現実が変わるかよ。


 でも、少しだけ心が軽くなったのも、また事実だった。


 それから数日後。

 俺は役所に出向き、関連書類の開示を求めた。


 淡々と、担当官が渡してきたのは、たった一枚の書類。


「選出理由:乱数抽出により決定。その他考慮なし」


 ……それだけだった。


 役所を出て、街を歩く。

 湿気を孕んだ初夏の風。

 人波にまぎれながら、何かを考えるでもなく歩き続ける。


 ショッピングモールの前で、目に入った。

 国営の育児支援センターの職員らしき若い女性。

 その腕には、小さな赤子が抱かれていた。


 白く透き通った肌。

 桃のようにふっくらした頬。

 眠るその表情は、どこまでも穏やかだった。


 そのとき、リストバンドが目に入った。

 小さく刻まれた数字──俺の提供者番号だった。


 赤子は、まだ目を閉じている。

 でも、なぜか「見られている」気がした。

 胸の奥で何かがきゅっと鳴った。


 一瞬、世界が止まったように感じた。

 喧騒が遠のき、鼓動だけが耳を満たす。


 そして──俺は、微笑んでいた。


「お前は……お前は、俺じゃないんだな」


 そう呟いて、また歩き出す。

 静かに、でもほんの少し、背筋を伸ばして。


 風が吹いた。

 遠くで、誰かの笑い声がした。

 たぶん、気のせいじゃなかった。

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