雨声

伯谷 陽太(ハカタニ ヨウタ)

静かなバス停

 雨が降っている。車の音さえ掻き消すほど大きな音を立てて降っていた。

 時刻は何時19時を回っている。田舎のバス停ではこの次が最後のバスだ。あと30分程度で来るはずだ。

 憂鬱な帰りの道。しかし、僕はこの場所が好きだ。

 名前も知らない。ちゃんと話した事もないけど、いつも僕と同じ時間のバスに乗る女の人がいる。

 緩んだ顔を起こす様に雨粒が顔にかかる。タオルで拭く。視界を確保するとやっぱり景色は悪かった。


 電波が悪く、繋がりにくいスマホをポケットにしまい込んで一息つく。

 一睡でもしようと思った時、遠くの方からバシャバシャと走る音が向かってきた。

 その方向に視線を送ると、あの女の人だった。

 「今日も会えた!」なんて心の中で呟いている自分とは似ても似つかない人なんだろう。


 土砂降りの雨で彼女はとても濡れていた。タオルを貸せば話すきっかけも作れるだろうか。もしかしたらそのまま……。

 淡い下心は、緊張の雨に流された。右の方に目をやると、彼女は震えていて寒そうだった。自分が意識するより先に、言葉より先に、タオルと上着を渡そうとしている。


「本当にいいんですか……?」


 彼女は少し困惑している様な、でも嬉しそうに明るい声だ。


「う、うん!」


「ありがとうございます。すごく、嬉しいです」


 感謝された!。その時の彼女の声は気のせいか、さっきよりも美しく聞こえる。

 渡していたタオルを返してもらい、会話が途切れる。


「こんなに雨が降るなんて珍しいですね。……バス遅れちゃうのかな?」


 小さなバス停にこもり続ける雨の音を遮ったのは彼女だった。


「……遅れてくれたら嬉しいかもですね」


 彼女は不思議そうに僕を見つめた。僕はやっぱり遅れて欲しいと心の底から願った。

 しかし、そんなことを言ってしまったなら変な人だと思われ続けるだろう。適当な理由を取り繕う。


「なんか珍しいじゃないですか。たまにはこんな日が続いてもいいかな〜って」


「そうだね」


 彼女はふふっと、優しい笑顔を送ってくれた。この気持ちが僕の中にだけ走り回る物じゃなければ、と。


「その、名前を教えてほしいです!」


 搾りかすほどの勇気を振り絞った。この言葉を伝えるだけで臆病になる。自分の情けなさがどうにも辛い。


「ナツキだよ。佐野夏希。あなたの名前は?」


「あっ、えーと。僕はタツヤです……」


 なんでここでも弱気になってしまうんだよ、僕!

 情熱で無駄にビビりで冷え切った理性を温めようとも難しい。時刻は19時27分。

 チャンスはもう少ししかない。それを再度認識させるが如く、彼女が時計を確認する。


「あと、4分でバス来ちゃいますね。えと、タツヤさんも同じ時間にいつも乗ってます?」


「はい!。この時間しかバスがないのが嫌だよね、はは」


 自分の顔はおそらく不気味に笑ってる。緊張と喜びが極限まで引き上げられてしまったからだ。ナツキさんの前だからこそ、さらに恥ずかしい。


 もどかしい気持ちを抑えて、残りの数分だけでもちゃんと話をしようと思った。

 しかし、現実は冷酷である。時刻は34分を過ぎていた。それでも何故かバスが来ていない。


「本当に遅れちゃってますね」


 幸運が巡って来た。少しだけかも知れないがまだチャンスはある!。もっと仲良くなろう。


 ……。と意気込んだものの、普段話さない僕からしたら、何て話題を振れば良いのかわからない。

 もどかしさで体をくねらせてしまう。

 それでも決意を固く決め、言葉を発した。


「ナツキさんは普段なにされてるんですか?」


「私はね〜。んーー」


 とても悩んでいる。違う、僕の質問のせいで悩ませてしまったのだ。撤回しようにもどうするべきか。


「学生やってる。っていうのは変かな。

あっ、学生が変ってことじゃなくて質問に答えられてそう?」


「僕も同じですね」


 ちょうどお互いの目が合った。すぐに照れた顔を下に向けて隠す。

 地面は水で濡れていたが、僕たちの座るベンチの下は乾いている。屋根で雨が防がれてるからだが、特別な2人だけの世界だと感じてしまう。

 そう思ったら緊張も何故か解けて来て、声がすらすらと出る。


「不思議ですね。いつもは2、3人ぐらい歩いてる人がいるのに、全くいないとなると僕たちだけしか世界に存在してないみたい」


「特別な雨ですね。確かにこんな日がたまにあっても良いかも」


 ナツキさんの顔が赤くなっている。僕は自分の口から出たとは信じられないほどのセリフを言ってしまった。

 物語の主人公でも無いただの弱気な男が粋がってるだけじゃないか!


「まぁ、そんな世界も楽しそうですね」


 ナツキさんが、自問自答に似た思考を遮ってくれる。それをよそに遠くから音を立てて何かが近づいて来ている。


「あっほらバス来ましたよ!」


 終わってしまうのは理解していた。それでも話し足りない。今日のことは多分、明日も、明後日も忘れないだろう。

 ……それでも!


「えっと、これお願いしたいです!」


 焦燥感に駆られ、LINEの友達追加のQRコードを見せていた。ナツキさんからしたら意味不明すぎる突然の行動だろう。

 でも、僕にこれ以上の選択肢はなかった。


「もちろんです」


 2つ返事で快くOKをもらえた。生涯この瞬間を忘れない。

 ナツキさんの連絡先が入ったスマホの画面を大切に持ちながらバスに乗り込んだ。


 バスの中では冷静になったのか、恥ずかし過ぎて話せなかった。


 数分後、ナツキさんがバスから降りた。僕は次の2つ先のバス停で降りる。


 1人寂しいバスになると思ったが、予想外の出来事が起こった。ナツキさんからの連絡だ。


「すみません!借りてた上着返しそびれてました。また、明日もバス停に居ますか?」


「はい!」


「明日ちゃんと洗って返しますね!本当すみません」


 今日はやっぱり特別な雨だ。明日は晴れてても良いけど、たまには降ってほしいな。


 帰りのバス中、少年は幸せそうに雨音を感じていた。

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雨声 伯谷 陽太(ハカタニ ヨウタ) @FU01JI03KI56

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