あるいは蛸でいっぱいの海

白川津 中々

 海の支配者は蛸であった。


 蛸のIQは人間に次ぐ高さであるが短命であり知能ピークを迎える前に死滅する事がほとんどであった。しかし突然変異により長寿の蛸が生まれるとその子孫の遺伝子が繋がり生命力の強い個体が続々と誕生。一気に平均寿命が延び、道具を用いての狩りや海洋での養殖、経験則による医学知識を獲得した結果文明を持つまでに至った。人類は倫理と道徳教義によって蛸との関係を築かざるを得ず、貿易や為替によって形上対等な関係性となる。勿論、人類にも蛸にも差別主義者はいて、影では「蛸野郎」「二本足」などと罵っていたわけだが、互いにそれ以上の諍いは益にならないという理解力を有していたため争いへ繋がる事はなかった。一般的な国家間の政治と同じである。強いて問題をあげるとすれば、人間が蛸料理を食せなくなったのは文化と食欲の損失であるとして多くの美食家が涙を流した事であろう。マリネにアクアパッツァに溺れ煮。酢だこたこ焼きタコ唐タコブツなどが歴史から姿を消したのだ。殊更酒飲み共の怨嗟の声は今も色濃く、人身売買ならぬ蛸身売買を行っている闇の組織もいるとされ調査もされている。それだけ、蛸の権利が強くなっていたのである。


 この蛸の覇権は長く続くかと思われたが、突如としてその地位を揺るがす生物が出現した。烏賊である。

 蛸同様、烏賊もIQが高い生物である。いずれは蛸と同じように文明を持つだろうと予想されていたがそのあまりのスピードに人類も蛸も驚きを隠せなかった。この急成長、実は裏がある。とある蛸が烏賊の雌に乱暴を働きそのまま逃げていったのだが、その烏賊が妊娠し出産。生まれてきた蛸烏賊ハーフの子が、新蛸類の特徴を有していたのだ。

 この烏賊の遺伝子を持つ子もまた高知能長寿であり、瞬く間に蛸と同等の発展を遂げていった。このため人類の食の歴史から今度は烏賊が消え、パエリアにホタルイカの沖漬け、一夜干しやイカメシ等が食べられなくなり一部の美食家はショック死していく。


 こうなってくると、面白くないのは蛸である。これまで全ての海域を支配してきたが、烏賊の権利を考慮するとその一部を渡さなくてはならなくなる。人類に対して認めさせてきた要望を今度は自分達が呑まなくてはいけなくなったのだ。既得権益と広大な領土の一部を後発の種族に渡さなければいけない。その理不尽さと痛みはこれまで敵のいなかった、また極めて野性に近い感覚を持っていた蛸達には受け入れがたい苦しみだった。


 そして暴挙に出る。

 蛸は烏賊に対し、宣戦布告を打ち出したのだ。


 この戦争、地球上にある海のほぼ全域を有している蛸が圧倒的優位であると思われたがその思惑は外れまさかの長期戦となる。実は烏賊、勝利した場合に獲得する海域の一部を譲渡する代わりに援助を受け取る契約をある国と交わしていたのだ。メタンハイドレートにレアメタル。その他漁業関連が入ってくると聞いては見過ごせない。人類の叡智であるサブマリンや水中兵器の提供により、蛸は苦戦を強いられた。こうなると蛸も人類の手を借りないわけにはいかず、保有している土地と交換に烏賊と同じく兵器を得て戦力を増強。その判断がもう少し早ければ今頃終結していたかもしれないが、欲の芽が仇となった。烏賊側は既に海の三割を掌握し、蛸と拮抗する国力を手にしていた。こうして戦争は泥沼化し、陸には難民として逃げてきた蛸と烏賊の群れがプールや水族館で肩身狭く暮らしているのであった。


 深い深い海の中で、今日も名もなき蛸と烏賊が争い死んでいく。

 双方の死体は、美食家達が掬い上げ、食卓に並んでいた。

 海の塩味が、増していく。

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